帝都の空を舞う騎士(上)
撃墜が確認できた空を飛ぶ鈍色の騎士は未だに7騎の内僅かに2騎。
この敵性国家の新型魔道鎧は、小型野戦砲の弾薬が尽きると帝都から撤退したかに見えた。
だが、彼らは程なくして戻ってきた。
空を飛ぶと言う行為は、著しく魔力を消費するはずであるにも拘らず、殆ど休憩を取らずに。
これは明らかに異常、異様である。
そもそも人は空を飛ぶと言う行為に古来より強いあこがれを持っていた。
その為、過去には数多の魔術的な実験が行われてきたし、今も行われている。
だが、どの実験においても魔力消費量が半端ではない為、実用化された方法はない。
唯一の例外は魔女術における空を飛ぶ箒だ。
何故、飛べるのか、何故箒なのか一切分からないが、ある特定の作法と一定の魔力があれば空を飛べるのである。
魔女術は Coven内での伝授されている為、やはり一般的とは言い難いのだ。
ちなみに、Covenとは魔女の集会と言う意味であり、現在では魔女たちの互助会めいた組織を示す。
邪悪の饗宴であるサバトと同一視する向きもあるが、それらには魔女たちからは別物だと批判されている。
また、Covenに所属するのは女ばかりではない、当然男もいる。
魔女術と言っても女ばかりが使う術と言う意味ではないのだ。
開祖が女だっただけの話である。
話題が逸れてしまったが、嘗ては唯一飛べる手段を手にした魔女術の平穏は魔導王時代にしかなかったと言って良い。
魔導王の血族が絶えた八百年前、戦乱の世が到来し、各地の有力者が我こそはと立ち上がった。
立つ者が複数あれば戦いは起こる。
そして、激化する戦いを有利に進めようと魔女術の軍事利用を企む者が現れた。
それを嫌ってCovenは魔女以外には閉鎖的になり、魔女達は自身の術を他者から隠すようになる。
当然の流れと言えたが、それでも諦めきれない権力者達は、あの悪名高い魔女狩りを行ったのだ。
我欲の為であれ、大儀の為であれ、軍事的優位を得たいがために行われた魔女狩りは酷い物だった。
魔女と認定されれば、空を飛ぶ方法を尋問され、それでも喋らなければ拷問された。
だが、その方法を聞いたからと言って、魔女術が伝える教えを理解せねば飛べはしない。
自然との合一、それは戦いとは縁遠い境地。
いくらそう説かれても、その言葉を信じない有力者は、魔女達は自身の為に力を隠していると一層苛烈な魔女狩りを行ったのだ。
魔女狩りが落ち着くまでの百年ほどの期間に、魔女は数を大きく減らし暫くは少数の使い手が細々とCovenを形成し、秘密裏に伝える時代が続いた。
火器が発明されその能力が向上すると共に、漸く魔女達に安息が訪れたのだ。
箒で飛んでも撃ち落されるのが関の山となれば、無理して軍事転用しようとする者は居なくなったからだ。
さて、この様に魔女達の歴史は弾圧と迫害、そして秘密裏の歴史でもあった。
如何に大義があるとは言え、国家と言う存在に弾圧されたようなものであれば、魔女は基本的には国家間の争いに手を貸す事は無い。
そもそも戦う術が殆ど無い。
だと言うのに、今回の空中戦には魔女の箒が大きな役目を持つ。
その理由は、至極簡単な話である。
戦場では無い都市部、そこに住まう戦う術のない一般の者達を殺した襲撃者に対する怒りと、犠牲者に対する悲しみが一人の魔女の奮い立たせた。
そしてその魔女は、帝国Covenの元締め(マスター)だったのである。
或いは元締めと言う立場であったからこそ、立ち上がったのかもしれないが。
同日13時56分。
再度襲来した異様な空飛ぶ騎士達が確認される直前に、アルグラーフはレディ・ダリアの店を訪れていた。
帝国Covenのマスターであるウィッチ・ダリアの元に。
「レディ・ダリア! ご無事ですか?」
「わたくしは。……お隣のご子息が亡くなられたようです。」
アルグラーフの呼びかけに、店の奥から姿を現した男装の麗人は、痛ましげに首を左右に振り告げてから、挑むようにその赤い瞳をアルグラーフに向けた。
「ご用向きは何でしょうか、バンデス卿。」
「単刀直入に申しますれば、箒を飛ばしていただきたい。」
「わたくしに、迎撃せよと?」
レディ・ダリアは魔女ではあるが、魔女であってもそんな力はない。
彼女は確かに帝国で一、二を争う魔術の使い手だが戦闘系はからっきしなのだ。
魔女とはそういう者であり、また戦えたとしても国に手を貸すはずがない。
故に、ご冗談でしょうと小首をかしぐレディ・ダリアにアルグラーフは首を左右に振って見せ。
「レディ、貴方は箒を数本飛ばしてくだされば良い。私がそれに飛び乗り敵と戦います。」
「バンデス卿、ご存知の事と思いますが、魔女術の使い手以外が乗れば、すぐに失速し飛ぶ力は失われますよ?」
「ええ、ですから速度を最大限にして箒を飛ばして頂き、それに飛び乗り、我が家の精霊の力を借りて失速を抑えながら慣性に従って空を往こうと。」
アルグラーフの発言に、ダリアは双眸を丸くしてしまった。
何という無茶を考えるのだろうか、とてもではないが無理だろうと首を左右に振り。
「わたくしが本気で飛ばせば、音の速度を超えます。箒自体も程なくして自壊するほどの速度ですよ? それに飛び乗るなど正気とも思えません。確かにルジャは、バンデス家の精霊は自然に属するモノ、彼の力を借りれば魔女術の力が失われにくくなるとは思いますが。」
バンデス家に住まう精霊のルジャ、その姿は鈍重そうな潰れたクリームパフだが実は風に属する精霊である。
何故、自由を好む風の精霊が人の家に住まうのかは定かではないが、彼の力を借りるとなれば多少は飛べるだろう。
「ダスティー・イズボーンよりそう聞いておりますので、此方にお伺いしました。人一人を慣性で飛ばしうる速度となれば、その位は欲しいのです。」
「イズボーン卿……。彼は貴方がそんな無茶をすることを許したのですか?」
信じられないと言った面持ちで、ダリアは宮殿の方角を見やり、続いて再びアルグラーフを見た。
そして、緑色の双眸に戦前の頃の輝きが戻りつつあることに気付く。
「……当代のバンデス卿は、素直ですが頑固でもありましたね。」
嘆息交じりに小さく呟かれたその言葉にアルグラーフは答えず、ダリアの言葉を待つ。
その時だった、突如帝都に不協和音が響いた。
再び空を飛ぶ騎士の襲来が告げる警告音が鳴り響いたのだ。
「ご決断を、レディ・ダリア。」
「……良いでしょう、彼らはやり過ぎました。魔女が国に力を貸す禁を破る程に。わたくしの隣人を傷つけた報いを受けるべきでしょう。そして、バンデス卿。」
一拍置いて、ダリアはアルグラーフを見つめながら伝える。
「決して命を粗末にしてはいけませんよ。わたくしにとって貴方は軍人である前に、古い友人夫婦の息子なのですから。」
「お力添えありがとうございます、レディ・ダリア。そして、心得ております。」
深々と頭を下げ告げるアルグラーフに、ダリアは宜しいとばかりに頷き一つ微笑みを浮かべて待っているように告た。
男装の魔女は一度店の奥に引っ込み、そして装いを変えれば程なくして戻って来る。
魔女を表す三角帽に若草色の外套を纏い、そして三本の何の変哲もない箒を手にして。
「参りましょうか。これ以上人々を殺めさせる訳には参りません。」
赤い瞳に決意を漲らせ、年齢不詳の淑女はアルグラーフを伴い店を出ていく。
同日14時13分。
後に、アルグラーフの他には誰も真似が出来まいと謡われる『空飛ぶ箒作戦』が開始された。
同日16時02分。
鈍色の騎士達は帝都を蹂躙するべく再度飛び立ってから数時間。
彼女らは事前に打たれたモフィンの高揚感の中にあり、今なお生命を削りながら飛んでいるのだろう。
魔力の枯渇に至っても、命を代価として空を飛び続けるその魔道鎧は、当然ながら真っ当な代物ではない。
開発者であるガラシス軍兵器製造部門に所属するリーフィル博士も、その恐ろしさは十分に認識していたが、王家からの命令であれば作らざる得なかった。
そして、彼に悪魔じみた天啓を与えた『彼等』も、その魔道鎧の完成を心待ちにしていた。
ガラシス王家は既に『彼等』の望みを叶えるだけの傀儡に過ぎなかった事を悟ったが、全てが遅かった。
いいや、王家がどうなろうとリーフェル博士には如何でも良い。。
『彼等』の与える天啓の方が国に属しているより遥かに甘美な物であり、博士はそれに魅せられたのだから。
思想も道徳も度外視し、装着者の安全性も考慮しない魔道鎧は、性能至上主義のリーフィル博士を魅了してやまなかった。
だから、彼は、リーフェル博士は罪悪感を感じながら、まだ十代後半の戦死した貴族を親に持つ娘たちにモフィンを打ち、憎悪と戦意を煽り、帝国に奇襲を仕掛ける今作戦に参加したのだ。
航空兵器の父として、戦史にその名を刻むために。
それが、『彼等』の遠大な思惑だとしても何ら問題はなかった。
例え殺されたとしても、自身の名は戦史に煌々と輝きを放ち残るのだ。
博士にはそれで充分であった。
だが、問題がある。
この計画に一枚噛んできたヴァルストーム伯爵の存在だ。
当初は気が付かなかったが、彼女もまた『彼等』と同じく得体の知れない存在であった。
『彼等』と同質の匂いを感じるが、明らかに『彼等』とは別の目的で動いている。
『彼等』もヴァルストーム伯には脅威を感じたのか、リーフェル博士に排除を命じた。
だから、伯爵が下見の為に再度帝都に潜伏したこの日を、急遽作戦実行日としたのだ。
どさくさに紛れて伯爵を抹殺するために。
だが、結果は実験体を2騎むざむざと失う結果となった。
攻撃を受けた伯爵が反撃を行ったと実験体01からは報告を受けた。
次は全騎で掛かるように指示を出したのが功を奏したのか、未だに博士の前に伯爵は姿を見せない。
作戦が大きく歪められたのだ、無事であれば文句の一つも言いに来るはずだし、何より命を狙われて黙っているはずもない。
これは討ち取れたかと安堵して、実験体の帰りを待ち侘びた。
命が途切れる前に戻るように告げている。
装着者の替えはあるが、鎧の替えは無いのだから。
そう思案しながらも、最初の襲撃の際に発生した小さなトラブルの解消法を思案しながら、野戦用のテント内をうろついていると。
「リーフェル博士、貴方のおかげで小官は戦場の伝説を堪能させてもらったよ。」
低い男の声が響き、博士のその喉元にナイフを宛がわれた。
「バラッジ大尉か……どういう意味だ?」
「言った通りだが? 伯爵が手を出すまでもなく、哀れな小娘たちは全滅だ。誰一人生きて帰れない。……思い出すだけで手が震える。小官はこの手の震えを理由に貴方の首を切り裂きたいがね。」
口髭と顎鬚に覆われた壮年の軍人は、嫌悪感を露わにして博士へと告げる。
彼と博士の美意識は大きく違うのだから仕方ない。
命の危機であるにも拘らず、存外に早かったなと呟きながら確認のために問う。
「生命力も使い果たして墜落か?」
「一人残らず撃墜だ。」
だが、博士の予測に反した答えが簡潔に返る。
その伝えられた結果が信じられず、博士は暫し呆然として、何か口にしようとしては閉じるを繰り返した。
まるで陸に上がった魚の様に。
「君……大尉……帝都では何が起きたのだ!?」
「言葉で説明しても信じられまい、儂が直に見せてやろう。」
バラッジ大尉の物ではない女の声が響く。
古めかしく尊大な物言いはヴァルストーム伯爵の物だ。
いつの間にか、博士の目の前に口元に笑みを浮かべたガラシスの女将校が、水晶玉を一つ手にして立っていた。
「伯爵……。」
「これが数時間前に起きた帝都の空中戦の様子だ。」
まるで自分の戦果の様に誇らしげに告げて、彼女は水晶玉に過去の映像を映し出した。
己が見詰めていた英雄の活躍を。