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第十九章 アビエトとトウイッチ

 トウイッチは、当然、森にやってきたのが誰か気が付いていた。七年前に、この森から遙かに離れたところで出会い言葉を交わした少女。

 愛し慈しんでいた飼い犬をうしない、嘆き悲しんでいた彼女の元へとトウイッチはつい歩み寄ってしまった。まだ彼女の愛犬と彼女が無邪気に遊んでいた頃に、自分も混ざろうという衝動は何とか抑え込んでいたのに。

「あなたはだあれ?」

「・・・トウイッチ。ただの、犬さ」

 泣きはらした目の端をこすり、少女はくすりと笑った。

「人みたいに立って、話してるのに、ただの犬なの?」

「かつては、そうだったのさ」

 何となくいたたまれなくなって、やはり近づくべきでなかったとその場を離れようとしたトウイッチに、少女は手を差し出して言った。

「じゃあ、お友達になろ、ワンちゃん?」

「友達・・・?」

「そ。私が飼ってたロドネルは死んじゃったの。悲しいけど、仕方ないよね。みんないつかは死んじゃうんだもの。だけど生きてる間一人きりは寂しいから、だから、友達になろ?」

 トウイッチは、何の考えもなく彼女の手を取ろうとして、しかし踏みとどまって言った。

「君は、ぼくが誰だか知らないのかい?」

「トウイッチってあなたが教えてくれたじゃない。立って、話もできる、ただのワンちゃんでしょ?」

 前例が無い訳でも無かった。しかし遅かれ早かれ、本人かその家族かその周囲がトウイッチに出来る事を見出すか聞き出し、その後はお約束の別離しか待っていなかった。

 <管理者アドミン>からも、次の飼い主を求めないよう何度もきつく言いつけられたりもしていたが、トウイッチは、差し出された少女の手から目をそらせなかった。

 少女は、躊躇しているトウイッチに膝立ちですり寄ると、トウイッチを問答無用で抱きしめて宣言した。

「じゃー、これで私達はお友達ね!」

 抱擁から逃れて否定しようとしたトウイッチの言葉は、少女の手に背中の毛並みがわしゃわしゃと撫でられた事で口からは出てこなかったし、尻尾はぱたぱたと反応してしまっていた。

「私、アビエト!これからたくさん仲良くしようね!?」

 それから、トウイッチはどうにかアビエトの抱擁から逃れ、その課程で普通の犬が普通の飼い主から受けるだろう愛撫を受けてめろめろになりつつ、たぶん言ってはいけない事もいくつかもらしてしまった。

 アビエトには、たぶんもう会えないと伝えてから、そこに置き去りにする事しか出来なかった。それでも<管理者>からきつく責められたが、彼女に二度と会わない事を交換条件に、彼女に手出ししないよう約束させた。

 それからもう七年。かつての少女は、若いながらもしっかりとした大人の体つきになっていた。その体を覆うのがトウイッチの嫌悪する回帰教リターネルのローブであっても、そのローブの内側が冒険者としての装備で固められていても、アビエトはアビエトのまま、トウイッチに会おうとしていた。

「まだ君に会う訳にはいかないが、ザギやビブ達の立場と君も似たようなものか。なら・・・」

 トウイッチは、ぶつぶつと独り言をつぶやいていた自分を不審そうに見つめていたグーゴルルに言伝を残し、世界各地に点在する彼の居場所のどこかへと姿を消した。


「ですから、お知り合いだとか言われても取り次ぎなんて出来ません」

「そんなの、トウイッチ自身にしか分からないしな」

「だったら、トウイッチに伺いを立ててきてもらえませんか?かのお方が会えないとおっしゃるなら、私達もトウイッチ様の気が変わるまでお待ちしますから」

「あきらめはしないんだね」

「はい」

 そんな森の入り口での押し問答の脇で、エミリーとザギが地面に倒れていたグルルとゴルルとシルルを介抱していた。

「グルル、ゴルル、シルル、だいじょうぶ?」

「う、ぁ・・・・」

「か、らだ、うごか・・ない」

「そこ、の人間に・・・」

「おい、お前、何したんだ?」

 ザギに睨みつけられたラヌカルは言い訳した。

「この子らが、牙と爪で襲いかかってきたから、ね。動けないようにしただけ」

「どうやって?」

「それは・・・」

「麻痺、では無かったな。急に脱力したように地面に倒れてそのまま動けなくなったからな」

 今ではもう剣を鞘に納めているクルトが言った。

「クルトのおっさん。見てたんなら教えてくれよ」

「ああ。トウイッチに、この森の入り口を警護する約束をさせられた後で手足を付けてもらったからな。この四人組といろいろ話してる所に、この子達は唐突に飛び込んできて、そしてあそこで今ビブ君と話しているアビエトという示教に、動きを止められた」

 身に覚えがあったザギは言った。

「もしかして、グリラと同じ事が出来るのか、あの女?」

 ラヌカルは特には否定しなかったが、自分の名前が呼ばれたアビエトが子供達の元に歩み寄ってきて言った。

「グリラ、ですか。墜ちた癒し手と一緒くたにされるのは嬉しくありませんが、そうですね。この子達を傷付けずに止めるにはそうするしかありませんでしたから」

「グリラを知ってるのか?」

「間接的な知り合いというか。直接的にも知らない訳ではありませんが」

「はっきりしねえな。トウイッチとも知り合いってのも疑わしいぜ」

「ふむ。そちらを疑われてしまうのはもっと心外です」

 アビエトは近くにあった倒木に手をかざし、掌を輝きに包むと、倒木からは若芽が萌え出てあっという間にザギの腰の高さにまで達した。

「生命の元素を扱える癒し手の中でも凄腕ってだけじゃないのか?」

「私にその才覚はありませんでしたが、トウイッチと会えた時に餞別として頂いた物の力です」

 アビエトは襟元を広げ、鎖骨の間辺りに埋め込まれた煌めく金属版の様な物をザギ達に見せ、提案した。

「あなた方はグリラに命を狙われていると聞きました。彼女を仕留められたとしても、次には<最悪の災厄>をどうにかしなければならないと。私達にはその理由の心当たりもありますし、お手伝いも出来ると思います」

「だから、トウイッチにも会わせろって?」

「交換条件としては十分につりあってませんか?」

「先ずはグルル達を動けるようにしろよ。話はそれからだ」

「構いませんが、止めて下さいね。私もこれ以上の手荒な事はしたくありませんから」

 アビエトがコボルトの子供達に手を触れていくと、彼らはけだるそうに身を起こし、アビエトを睨みつけた。

「こいつ、敵!」

「お母さんを殺したのと同じ敵!」

「ぜったい、ぜったい許さない!」

「あなた達のお母さんを殺したのは、私?」

 アビエトの落ち着いた問いかけに、コボルトの子供達は言い返せなかった。

「あなた達には無理でしょうけど、ここにいるザギ君達があなた達のお母さんの仇を討つお手伝いなら私には出来ると思うわ」

「それ、本当か?」

「嘘じゃないのか?」

「人間の中で一番強い奴だとか聞いたぞ?ザギで勝てるのか?」

「ザギ君も、ゴブリンの中では一番強くなるのでしょう?トウイッチの手も入ってるみたいだし、グリラに勝つ所までは少なくともお手伝い出来ると思うわ」

「それ、嘘じゃないだろうな?」

「嘘をつく理由がないわ」

「それで、どうしてあなたはトウイッチに会いたいんですか?」

 ビブの質問に、アビエトは腰を屈めて同じ目線の高さで答えた。

「トウイッチはね、私の友達なの。友達に会いたいのって、当たり前の事でしょ?」

 ザギとビブとエミリーは困惑したような視線を交わしたが、遠くから聞こえてきたグーゴルルの吠え声を、グルルが翻訳してくれた。

「いったん、戻って来いってさ。その人間達を連れてきても良いって」

「トウイッチもそこにいるのですか!?」

「さぁな。そんなの俺は知らん」

「グルル、今から戻るって返しといてくれ」

「わかった。だけど、人間、お前、約束だからな!お母さんの仇を討つ手伝いをするっての、実現しろよな!」

「うん、分かった。私、約束は守る方なの。特に、あなた達みたいなかわいいワンちゃん相手にはね!」

 グーゴルルへの遠吠えを終えたグルル達がまだ力が入らないのを良い事に、アビエトは幼い彼らを気が済むまで抱きしめ柔らかな毛並みに顔を埋めたりすりすりしたりして、ラヌカルがアビエトを引き離すまで彼らを離さなかった。


 ザギ達が森の中へと戻ろうとした時、ビブはファボに尋ねた。

「それで、ファボはどうするの?お兄さん達と帰る?」

「いぃえ!ぼくはザギ・・様の、というか、エミリー様に仕える戦士なんですから!お側を離れはしません」

「戦士ってか、ぱしりじゃねぇか」

「ザギ様それは言わないお約束ですぅ~!」

「どうしてゴブリンを様付けで呼んでいるか、その理由も察しはつくが」

 ファボの兄達は視線を交わすと、イングレスがファボの肩を抱いて言った。

「つまりエミリー様に懸想してるわけだ。こーの身の程知らずめ!」

「イングレス、そう茶化してやるな」

「そそそそーですよ、イングレス兄さん!ぼぼぼくは真剣なんです!」

「お前はそーやって真面目過ぎるのもあって相手に引かれちまうんだって教えてやってるだろーに」

「そう言うお前は軽すぎて真面目には相手にされてない場合もあったけどな」

「ツンブラ兄さんも堅すぎるんですよ」

「商人は信用第一だからな」

「とにかく、そういう訳で、ぼくはまだ戻れませんから」

「そうか、それじゃ、俺もエミリー様に協力すると言った手前、ついてくわ」

「え、ええぇぇ?い、いらないですよ!女たらしの兄さんの手助けなんて!」

「何を人聞きの悪い。そーゆうの妬み嫉みって言うんだぞ?心配しなくても、エミリー様はそんな色恋沙汰にかまけてる状態じゃない事くらいわきまえてるさ」

「ファボをいじめて遊ぶなイングレス。とにかく、この場はエミリー様達についていってみよう。トウイッチの森深くまで立ち入る機会なぞそうあるものでもあるまいし、私達が雇った護衛達がすっかりその気になっているしな」

「ですね。それでは参りましょうか」


 そうしてザギ達はフーメルのお墓ではなく、グーゴルルから指示のあったトウイッチの樹にまで戻ったが、トウイッチの姿はなく、彼からの言伝はグーゴルルからザギ達に伝えられた。


 遠く離れた居場所から、言伝を厳かに聞き、自分に会えなかった失望に顔を両手で覆ってその場にへたりこんだアビエトの姿を見つめながら、トウイッチは彼女の側に駆け寄ってその頬を舌でぺろぺろと舐めて力づけてあげたい衝動に耐えた。

 そして思い出した。

 トウイッチを便利に使い倒す為に、彼を飼い慣らそうとした無数の存在を。そんな業突張り達とアビエトの何が違ったのかを。

 彼女は、彼の元々の飼い主を除けば、ただ一人の存在だったのだ。トウイッチの事を友達だと言ってくれた、希少な存在だった。

 トウイッチは、誰にも自分の吠え声を聞かれない場所で吠えた。ただの犬だった時に、飼い主に戻ってきて欲しい時に吠えていたのと全く同じように。

 創造主は時にはそれに応えてくれた。しかし完全に去ってしまってからは一度も応えてはくれなかった。今回もまた、応えてくれる様子はなかった。


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