偉大なる雀聖に勝利を⑤
レティシアがエドワードが待つ卓に戻る途中、牌仙は珍しく困ったように告げた。
「ワシ、永いこと精霊やっとるけどな…」
牌仙が首をすくめ、卓の方角を一瞥する。
鳥は、案外、首が伸び縮みする。
「こんなの、初めてじゃの…」
「わたくしもですわ…」
「麻雀やっとるはずが、一人だけポンチャラのルールって。なんじゃコレ…」
レティシアは、立ち止まり、はぁぁ…と、大きくため息をついた。
「気を取り直して、頑張ってみますわ!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
場が揺れていた。
いや、揺れていたのは場ではなく、卓上の空気だ。否応なく支配されたその空気に、誰もが言葉を失っていた。
それは、ただの嵐ではない。破竹の勢いで放たれる――
「リィィィチッ!!」
エドワードがまた、叫んだ。
「くっ…!」
レティシアは眉を寄せた。
「は、はやい……!」
ユリシーズは顔を危機感で引き攣らせながら呟く。開局から、まだ三巡しか経っていない。
「いえ、エドワード卿にとってはこれが普通で御座います」
セオドリックは変わらぬ様子で、羽根ペンを滑らせつつ語る。
(なにが“普通”ですの!?)
レティシアは心の中で、絶叫していた。
「牌仙…お願いです、どうにかしてくださいまし……」
彼女は卓下の精霊に視線を送る。その、精霊の加護とか、なんとかで、どうにかして欲しかった。
「……諦めも肝要じゃの、レティシア嬢」
牌仙は遠い目で呟いた。
――そうだった。この鳥は、役には立つが、ズルは許してくれない。
「今度こそ決まったなッ! これこそが私の得意手! 17世紀セットだァァ!!」
エドワードは自信満々に、自らの手牌を卓上に並べる。
そこには、ピンズと呼ばれる丸い模様の牌がいくつか。並びはでたらめ。
「……エドワード卿、ピンズはボノミちゃんでは御座いませんので…」
「ボノミちゃんって何ですの!?」
ほとんど悲鳴に近い声を上げるレティシア。
立ち上がって、「点数計算です」と言いながら、ユリシーズはエドワード卿の点棒を、スッと引き抜いた。
「なッ!? これもだめなのか!」
エドワードが目を見開く。
――<リーチ>は<龍璽国>のルールではない。
昨日、無駄な知識を見せたユリシーズが、多彩なツッコミを見せる。
彼は無駄な知識には強かった。
「フッ…凡百には、ヨビ太とデツキン君の区別すらつかぬという。だが! その違いを解してこそ至れる境地がある! それこそが<ヨビ家セット>であるッ!!」
「エドワード卿……その、そもそも人物が描かれておりません」
ユリシーズの指摘に、エドワードの眉がぴくりと動いた。
場は完全に混沌だった。
しかし、そんな混沌の中にも、転機は訪れる。
「…よし…よしッ! これで、アガリですわ!!」
レティシアが叫ぶ。堂々たるツモ。
彼女の手元には、整然と揃えられた牌。
それは、紛れもなく、正当な<あがり>だった。
「エドワード卿、これが、麻雀の<あがり>というものです」
レティシアは興奮を隠し、静かに告げた。その声には誇りがあった。
「…なるほど。私の知るルールとは…異なる思想が垣間見れるようだ。これは一体、何が起こっているのだ…?」
ユリシーズがすかさず口を挟む。
「エドワード卿。我が家ではこのように、交易と異文化理解に力を入れております。その中で、かつてこう聞きました。『麻雀には、ふたつの流派がある』と」
(ナイスですわ、ユリシーズ! そのまま、うまいこと話を丸め込むのです!)
レティシアは心の中で大きくガッツポーズを取った。が――
「では、一つ。貴殿の知る<麻雀のルール>を、教えてくれたまえ」
エドワードの一言が、すべてを台無しにした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
地獄が始まる――
最初の叫びは、そう。確かユリシーズだったはずだ。
「ですから、エドワード卿!イーピンはボノミちゃんでは御座いません!」
先ほどの結果を確かめるように、再び17世紀セットを試みるエドワードにユリシーズが叫ぶ。
「ガイアン!? ガイアンって何ですの!? 四枚集めても組にはなりません! 単騎待ちにすらなりませんの!」
エドワードの反論の声は最後まで響かない。
「六枚集めれば!? そんな牌の数、麻雀ではございません!」
レティシアの絶叫が響く。
「違います、エドワード卿! 白は“オールマイティ”ではありません! 混ぜて良いのは食べ物だけです!」
ユリシーズはすでに錯乱気味だ。
「進化!? 鳥を三枚集めたからって、何に進化するというのです!?」
そして――
ようやく。ようやく、エドワードが正しいリーチを宣言したその瞬間。
窓の外、夜の帳を抜けて差し込む月光が、卓の上を照らしていた。
阿鼻叫喚の卓上は混乱を極め、点数表には乱雑に「エドワード卿べからず集」が書き殴られている。
「……ようやく……」
レティシアは、深く息を吐いた。
「こんなに長いリーチ練習、人生で初めてですわ……」
「いや、ほんと……もう二度と体験したくない……」
途中から現実逃避気味だったユリシーズも肩を落とす。
夜はまだ更けていく。
レティシアは、益体もなく考える。
今日もどこかで、どこぞの貴族が夜会を開いているのだろう。
――仮面を被り、無益な名声に縋りつくか、仮面を脱ぎ捨て、終わりのないリーチの地獄に立ち向かうか…
果たして、どちらがマシだったろうか?と。
「社交って大変ですわね、ユリシーズ」
そう語り掛けるレティシアに、「本当にそうだね」と返すユリシーズ。その言葉の真意はまったく伝わっていないだろうけれど、今日二人が潜り抜けた“地獄”は戦友の証とも言えるかと、彼女は思った。
「…すりりんぐじゃったの!」
観客席からの牌仙の反応は好評だったようだ。
この鳥は、戦友にはカウントするものか、この日、疲れ果てたレティシアが最後に思ったのは、こんなどうでも良い感想だった。