サラ(ジルベール視点)
翌日。心配した通り彼女は朝から具合が悪そうだった。
しかし彼女は俺を警戒しているし、下手に俺が関わればどんな噂が立つかわかったもんじゃない。
彼女を守るには関わらないのが一番なのだが…先生に注意されている彼女に我慢できなくなってしまった。
彼女に触れると熱で熱くなっていた。
亡くなる前の母の事を思い出し、思わず怒鳴ってしまった。
しかし振り返ると彼女の意識が無くなっており俺にもたれてきた。
そのまま引きずるわけにもいかず、彼女を抱き上げると医務室まで連れて行った。
彼女を寝かせた後、医務室の先生を探すも不在のようだった。
仕方なく俺は彼女の傍に座って先生を待つことにした。
彼女は時折苦しそうに呼吸をしており何も出来ない自分に不甲斐なさを感じた。
せめて楽になればと彼女の額に手を当てると冷たい手が気持ちよかったのか少しだけ呼吸が落ち着いた。
母の時はうつるといけないからと会わせて貰えなかった事を思い出した。
あの時もこうやって傍にいてあげていたら母も一人寂しく逝く事はなかったのに…。
「あら?病人?」
医務室の先生が戻って来て慌てて手を離した。
「熱があるみたいなので連れてきました」
別にやましい事をしていたわけではないのだが、俺は咄嗟に温かくなった手を後ろに隠した。
彼女の熱で熱くなったのか、俺の体温が上がったのかよく分からない熱が俺の手を襲った。
「あら、そうなのね。彼女は私が診ておくから貴方は教室に戻りなさい」
俺は言われた通り先生に任せて教室に戻った。
授業が終わり、彼女の容態が気になった俺は医務室に向かおうとして肩に腕を回された。
「ジル、お前あの首席と知り合いだったのか?」
公爵令息の俺に気軽にこのような態度を取れる人物は一人しかいない。
「その呼び方止めろよ、ヘンリー。彼女に失礼だろ」
ヘンリーの腕を払った。
知り合いかと聞かれれば初めて話をしたのは昨日だ。
でも知り合いでは無いとも言いたくなくて誤魔化した。
腕を払われたヘンリーは目を丸くしていた。
「お前、ルブイン男爵令嬢と噂になっているぞ」
ヘンリーは俺に払われて行き場を失った腕を頭で組み直した。
どいつもこいつも噂好きで嫌になるな…。
「それで。どんな噂だよ」
一応気になったので聞いてみた。
「身分違いの恋仲なんじゃないかって」
目が点になった。
恋仲って…何でそんな話になっているんだ!?
顔が熱くなった。
「お前が彼女を抱いていたのを目撃した奴等が噂してた」
抱いてって…表現が悪い!
「誤解だよ。気絶した彼女を医務室まで連れて行っただけだから。それとも放置しろと?」
俺は赤くなった顔を見られないようヘンリーに背を向けて帰る支度をし始めた。
「まあ、そんな事だろうと思ったけどな。お前、昔から女性に興味ないからな」
誤解を招く言い方は止めてくれ。
それにしても…恋仲か…。
赤くなる顔を隠しながらも何だか悪い気分はしなかった。
翌日。彼女が教室に来ておりほっと胸を撫で下ろした。
昨日は噂の事もありあまり接触しない方がいいと思った俺は真っ直ぐ部屋に戻っていた。
噂話を聞いたのだろうか。
彼女は教室に居づらそうに俯いていた。
どこまで噂を知っているのだろう。
少し興味が湧き声をかけるも彼女は何も知らないのか気にした様子は見られなかった。
もうちょっと反応があっても良かったのに。
放課後に会う約束もしたしこれから仲良くなっていけばいいか。
放課後になり一度部屋に戻ると元気になった子猫が俺の足に擦り寄ってきた。
持ち上げると「ニャア」と可愛く鳴いた。
あの後、親猫を探してみたが見当たらずこの子猫は俺が飼う事にしたのだ。
「何だ。お前も彼女に会いたいのか」
撫でてやると俺の腕の中でゴロゴロと気持ちよさそうに喉を鳴らした。
「そろそろお前の名前も決めてやらないとな」
俺は子猫を連れて彼女との約束の場所に向かった。
約束の場所に向かうと彼女は既に待っていた。
病み上がりなのに待たせて申し訳ないと思う反面、彼女が俺を待ってくれていると思うと嬉しくて心が弾んだ。
話し始めると彼女は俺にお礼をしたいと言い出した。
お礼か…先日イザベラから贈られたパンケーキを思い出した。
彼女ならどんなパンケーキを作ってくれるだろうか。
想像して口元が緩んだ。
パンケーキの手作りを提案すると彼女は口を開けて固まっていたが、俺は楽しみで仕方なかった。
「今日はご機嫌ですね」
部屋で子猫の相手をしていると使用人が夕食を運んで来た。
「そうかな?」
普通にしていたつもりだったが顔に出ていたか。
少し恥ずかしくなり顔を引き締めた。
「学園生活を楽しまれているようで良かったです」
確かに。最近は彼女のお陰で楽しいかもしれない。
「そういえばこの制服ですがほつれた所があったようで縫われていましたので処分しておきますね」
「ちょっと待って。それ見せて」
慌てて使用人を止めた。
渡された制服は袖が少し破れていたのか丁寧に縫われていた。
彼女が縫ってくれたんだ。
一生懸命縫っている姿を想像し頬が緩んだ。
「これからもこの制服を着るから処分しなくていいよ」
使用人は驚いていたが俺にとってはどんな制服よりも輝いて見えた。
翌日。休日でほとんど人の姿は無かった。
ヘンリーやイザベラも実家に帰っており今日は不在だ。
俺は長期の休み以外は帰らないと入学前に父である公爵と話をしていたため学園の住まいに残っていた。
彼女がいつ来てもいいように俺は子猫を抱いて約束の場所に来ていた。
子猫を地面に下ろすと遊んで欲しいとおねだりして来た。
遊べそうな草を抜き上下に揺らしていると籠を持った彼女がやって来た。
彼女は俺の近くに座ると籠からパンケーキを取り出したのだが、出されたパンケーキに目を見張った。
それは母が作ろうとしていたパンケーキの理想の形だった。
そう、俺が求めていたのはこれだ。
丁寧に一口大に切り取り口に含んだ。
一口食べて思わず吹き出してしまった。
母はこれを作りたかったんだ。
母のあの不味かったパンケーキを泣きそうになりながら最後まで食べきった思い出が蘇った。
彼女には母との思い出を聞いてもらいたくて素直に話した。
意外そうな顔をしながらも彼女は親身になって聞いてくれていた。
そんな彼女を見ていて欲が湧いてきた。
もう一歩前進してもいいだろうか。
俺は意を決した。
「またパンケーキを食べたいと思えるようになったのは…」
自然に呼べばいいんだ。
一呼吸おいて口を開いた。
「サラのおかげだ」
拒否されたらどうしようとドキドキしながらサラの反応を待っていると彼女は少し顔を逸らしながら呟いた。
「パ…パンケーキくらい気が向いたらまた作ってあげますよ」
その約束だけでサラとの距離が縮まったのを感じた。
これからももっと色々な話をサラとしたい。
残りのパンケーキは幸せの味がしたのだった。
サラがいつもの場所に来なくなって二日が経った。
俺はあの日から毎日キャットを連れてこの場所を訪れている。
「仲良くなれたと思ったんだけど…逃げられちゃったかな…」
寂しそうに呟く俺にキャットがつぶらな瞳で見上げてきた。
キャットの可愛さに思わず口が綻んだ。
「探してみようか」
キャットを撫でながらサラが一人になれそうな場所を探して歩いた。
サラを探して歩いていると温室の近くに辿り着いた。
温室か…。
以前イザベラに呼び出された時に入ったが誰もいなくて密会には最適な場所だったな。
サラが目を付けそうな場所でもある。
行ってみるか。
温室に足を踏み入れると前回と同様、人の気配は全くなかった…一名を除いて。
「また寝ているのか」
温室内が温かい事もあり今日は気持ちよさそうに眠っていた。
「起きるまで待ってようか」
少し離れた所に移動し草の上に腰を下ろした。
キャットを下ろすと温かくて気持ち良くなったのか伸びをして草の上で丸まり眠り始めた。
一人と一匹の眠る姿を見ていたら俺も何だか眠くなってきた。
ウトウトしていると温室の入口が開く音がした。
顔を上げるとサラも気付いたのか体を起こし声のする方に向かって行った。
俺もサラの後ろからついていくとそこにいたのはヘンリーとイザベラだった。
また婚約破棄を申し出ているのか…。
首を傾げたサラに状況を説明してやった。
話を聞き終えたサラは…全く驚いてはいなかった。
王室の裏話だぞ?
誰もが羨む婚約を破棄するという申し出だぞ?
しかもヘンリーとイザベラは表向きは仲の良い婚約者同士であり婚約破棄など微塵も感じさせないよう取り繕っている。
婚約破棄をしたがっているなんて俺以外知らないはず…。
ただ興味が無いだけか?それとも…。
入学式の時の二人の表情を思い出した。
入学してからもこの二人が接触しているところを見たことは無い。
しかし明らかにお互いの事を知っている感じだ。
この二人には何かあるのか?
イザベラの婚約破棄の理由を知りたくて思わずサラに問い詰めてしまった。
途端、サラの表情は恐怖へと変わった。
しまった!失敗した!
サラが自分を警戒していることは知っていたのに目先の情報に飛びついてしまった。
「イザベラに伝えて下さい。私は何もするつもりは無いと」
この言葉だけでサラがイザベラと何かあるのは明白だが…今の俺にとってそんな事はどうでも良かった。
このままサラを行かせてしまったらきっと二度と俺には心を開いてくれない。
だけど今のサラに俺の素直な気持ちを話しても受け入れてもらえるだろうか?
どうすればサラの警戒を解くことが出来る?
すると俺の足元に起きたキャットが擦り寄ってきた。
卑怯かもしれない…でも…!
サラの目の前にキャットをぶら下げた。
サラは怒ってはいたがキャットを挟んだお陰か、少し態度を軟化させた。
しかし警戒させないよう優しく話しかけてはみたがサラが警戒を解いてくれることはなかった。
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