第1話 出遭いと出会い
5月9日水曜日、放課後のこと。僕・伊賀俊は私立羊ヶ丘高校の高校二年生は、今日も退屈そうにそっぽを向いて歩んでいた。
『つまらない一日だったな……。まぁ、人生なんてそういうもんか』
そう思うと軽くため息をつき、空を見上げて視線を戻す。清々しいまでに青一辺倒の空に嫌気が差してしまった。
校門を右に曲がって歩道を道なりに歩いていくと、僕は二車線道路の向かいで僕と並走する人物に気が付いた。制服から見るに付近の中学に通う女子中学生だった。
彼女はポニーテールの髪をして、腕には手提げバックをかけ、本を持ってはそれに釘付けになっていた。
『そういや、中学時代はポニテとツーブロが禁止だったっけ。本当、ポニテのどこが男子を欲情させるんだよ……』
だが、久しく見ていなかったポニーテールに、今度は僕の方が釘付けになり、彼女が交差点の向かいで立ち止まると、僕もその場で立ち止まった。
彼女は赤信号を確認してはまた視線を本に向ける。本と一心同体に生きている様は少し凛々しくも見えた。
『あぁ、僕も何かに夢中になれるものがあればなぁ……』
これはたかがため息一つで解決できる問題ではなかった。
すると、もっと重大な問題が舞い込んできた。左手から猛スピードの車がやってきたのだ。けたたましいエンジン音を鳴らしながら、確実にこちらへと向かってくる。減速する気配はない。
例の彼女は車の接近に見向きもせず、轟音も全く気にする素振りがない。
『あれ……これひょっとしなくてもまずいんじゃないか?』
そう思った僕は、反射的に交差点の内部へと駆け出した。
案の定、本に夢中な彼女は青信号になるとそそくさと渡りはじめた。
『……もしかしたら、突き飛ばせないかもしれない!』
そう思った僕は一生懸命に走りながら、心の底からこう叫んだ。
「止まれ! 中学生!」
その瞬間、僕は美紀に飛び掛かり、右手を美紀の頭、左手を美紀の腰にやって、抱きかかえながら押し倒した。
直後、俊と美紀の真後ろを車が勢いよく通過していった。車は交差点の向かい端の電信柱にあたると一回転して停まった。
僕は一番息を荒くして、彼女の顔を見つめる。彼女は口をポカンと開いて、飛び掛かった反動でも落ちなかった参考書をストンと落とす。
僕は彼女の無事を確認すると、事故を起こした車の方に目を向けた。
『……車の方は大人達が行っているな』
僕はまた美紀の方に視線を落とす。
「き、君、大丈夫か⁉ 怪我はないか!?」
「……え」
僕は彼女の身体を上から下までいちべつする。
「怪我は……ないみたいだな。ふぅ、焦った焦った」
「い、いま、何が起こって……」
二人して起き上がると、互いにたどたどしくなって直立する。そして僕が右手人差し指で、白煙の上がる車の方を指さす。
「見ればわかる通り、あなたのところに車が突進してきたんだ」
「で、でもあなたはどうしてそれを察知できたんですか?」
僕は驚愕のあまり一瞬静止する。
『ポニーテールに見惚れていたなんて言ったら、多分通報されるよな……』
「あ、あのエンジン音が聞こえていなかったなんて言わないよな?」
『よし、これでいい。理由にはなっていないけど』
「エンジン音……とは?」
この発言はこの発言でまた驚きを隠せ無かった僕は、美紀よりも大きく口を開いて頭を前に突きだす。
そうして少しの間、沈黙が流れる。
『……ここで説教しても他の車の邪魔になるな』
僕はひとまず彼女が落とした参考書とカバンを拾う。
「一旦、歩道に入ろうか」
「……はい」
僕らが歩道に入ると、彼女は呼吸を荒げて緊張している様子を見せた。僕は少し顔を綻ばせ、彼女を安心させようとする。
「君、受験生なのか?」
「そうです……」
「そうか。努力するのはいいんだけど、二宮金次郎するのも大概にしないと」
彼女は僕に黙って頷く。しかし、直後に後ろめたさを感じるようになり、次に俊が発するまで視線を逸らす。
「死んだら全部が終わりだよ。僕は輪廻転生なんて信じちゃいないから」
「すみません……私、昔から過集中しちゃう癖があって」
彼女は手を膝に携えて、僕に何度もペコペコ頭を下げる。
『なんか……こうも頭を下げられるとこっちが申し訳なくなるな』
そう思った僕は彼女に屈託のない笑みを見せつけることにした。
「まぁ、次から気をつければいい」
彼女は僕から手提げバックと参考書を受け取り、目線を合わせて軽く会釈した。
「怒らないんですか?」
「結果的に大事に至らなかったんだからな」
「結果論はそうですけど……」
彼女は髪の毛を指でくるくる渦巻いて、何とも言えない空気感を顕にする。
「ただでさえピりついている受験生に怒るつもりはないよ」
「そうですか……」
「それに、自分で僕の存在に気づけたんだから自分で自分の命を守ったことになるしな」
「それは……ちょっとだけ暴論じゃないですか?」
「屁理屈だって理屈のうちだよ。まぁ、そこんところは自分を褒めないとな」
彼女は口元を綻ばしてほんのり笑顔を見せる。
「お優しいんですね」
「僕を優しいって言える君こそ真の優しい人間だな。もっと誇っていいんだぞ」
「そう……ですか」
彼女は僕の瞳をまじまじと見つめて、こそばゆい感覚に陥らせた。
「ほ、本当にありがとうございました」
「どういたしまして。僕はちょっと車の方も見てくるよ。それじゃ」
僕は彼女に満面の笑みを見せて、事故を起こした車に向かおうとする。
「あっ、ま、待ってください!」
「なんだ⁉ どっか怪我していたか⁉」
「そ、そうじゃなくて」
彼女は口をモゴモゴさせて、何か言葉を告げようとする素振りを見せる。
「……もしよければ、連絡先、交換してくれませんか?」
彼女は僕に対してあからさまな上目遣いをする。
「うーんと、それって新手のナンパか?」
「ち、ちち違いますよ! ただ、お礼がしたいだけです!」
彼女が少し顔を赤らめたので、それに僕も笑い顔で応える。
「それなら大丈夫だ。僕、大体いつもお腹いっぱいだから」
「どうしてお礼が食べ物限定なんですか……。じゃあ分かりました。ナンパでもいいですから連絡先交換してください」
「悪いけど歳下に興味はない」
僕は右手を前に突き出して、全面的に交換を拒否する。
「あっ、あなたの趣味なんて知りませんよ! こういうのは素直に受け入れるべきです!」
「悪いな素直じゃなくて」
「いいから早くスマホ出してくださいよ! じゃないと私、帰りませんからね?」
ここまで食らいつく彼女に面白くなった僕は、こんなからかいをすることにした。
「事故現場にずっといたいのか? 随分と物好きだな」
「あぁ、もう!」
彼女は少しの怒りと焦燥が混じって、顔をくしゃくしゃにする。
そんな彼女が次にとった行動は、俊のポケットの方をジト目で見つめて、そこにしまってあったスマホを一瞬で取り上げることだった。
「ちょ、ちょっと!」
彼女はしてやったと言わんばかりに、満面の笑みを浮かべる。
「はやくロック解除してください! じゃないとこのスマホは返しませんからね!」
「……は、はい」
僕は顔をひきつらせながら、指紋認証でロックを解除し、彼女とトークアプリでアカウント交換をする。
『……可愛い顔して、やることは大胆なんだな』
彼女はトークアプリで僕の名前を確認しては、ニンマリとした笑顔を見せる。
「俊さんって言うんですね」
「そうだよ。悪い名前じゃないだろ」
「なんか即断即決みたいな感じのお名前でいいですね!」
「そ、そうか」
すると彼女はスマホを起動して、どうしてか顔色を悪くする。
「あ、まずい塾が……では、またそのうち連絡します!」
「お、おう……車には気をつけろよ」
「はい!」
彼女は手提げバックを左の脇に挟んで、駅の方へと走り出していった。僕の目に、ポニーテールが縦横無尽に動く姿が映る。
「あ! そういえば名前!」
『あ……そうだった』
僕は交換したトークの名前を見て、彼女の美紀という名前を知った。
『それにしても……今日はとんだ一日だったな。人助けまでしちゃってさ』
僕はほんのり笑みを浮かべつつ、駅の方に向かっていった。ただやはり、一度きりの関係で終わるはずもなかった……。




