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書類は嘘をつかない  作者: れーやん
三回死んだ相続人

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第4話 凍れる戸籍

 秋田駅の自動ドアが開いた瞬間、鼻の奥に細い針が刺さった。


 マイナス四度。東京とは質が違う冷たさだった。乾いていて、肺まで凍る。角田はコートの襟を立てた。吐く息が白く、すぐに消える。


 黒田は自動ドアを出るなり、ポケットを探った。煙草を咥え、ライターを鳴らしたが風で火がつかない。三度目で諦めて、煙草を耳に挟んだ。


「寒ぃな……。東京の寒さとは別モンだ」


 駅前のロータリーに、グレーの軽自動車が停まっていた。運転席のドアが開き、志織が降りてきた。紺色のダウンジャケット。一週間前に事務所で見た時より、頬の肉が落ちている。


「角田先生。……お待ちしていました」


「草薙さん。わざわざすみません」


「いえ。横手までは、ここから車で一時間ほどです」


 志織の目が黒田を見た。角田が紹介する前に、黒田が自分から手を出した。


「黒田です。警視庁の」


「……警察の方」


「まあ、ちょっと別件でこっちに用があってね。角田の付き添いみたいなもんです」


 嘘ではないが、正確でもない。角田は何も言わなかった。


 三人は軽自動車に乗り込んだ。志織が運転席、角田が助手席、黒田が後部座席。黒田の体格には狭すぎる車だったが、文句は言わなかった。


 車が動き出してすぐ、角田が口を開いた。


「草薙さん。昨日のメール、確認しました。慎二さんが蔵から持ち出したもの——もう少し詳しく教えてもらえますか」


 志織のハンドルを握る手に、力が入った。


「……近所の須藤さんという方から、電話がありました。父が亡くなってから、須藤さんが蔵の様子を時々見てくれていて」


「須藤さんは、中身を確認しましたか」


「慎二が箱を持ち出すところを見ただけだと。ただ、箱の蓋が開いていて、中に古い書類が見えたそうです。母子手帳と、何かの……薄い冊子のようなもの」


「薄い冊子」


「戸籍の附票かもしれない、と須藤さんは言っていました。役場に勤めていた方なので」


 角田は窓の外を見た。国道沿いの田畑は雪に覆われ、白い平面がどこまでも続いている。その向こうに、灰色の山並みがぼんやりと見えた。


「……まず、横手市役所に寄ります」



        *



 横手市役所の市民課は、暖房が効きすぎていて空気が重かった。


 角田はカウンターの前に立ち、職務上請求書の控えと行政書士の記章を見せた。


「先日、改製原戸籍を請求した角田です。追加で確認したいことがあります」


 窓口の女性職員が、角田の名刺と請求書の控えを交互に見た。


「……何を確認されたいんですか」


「平成の電算化改製の際の、入力作業記録です。旧鴉森村分の」


 職員の表情が変わった。


「入力作業記録は内部の事務資料ですので——」


「相続人の法的地位に関わる事実確認です。被相続人の戸籍に誤りがある可能性がある場合、行政書士として事実関係を調査する必要があります」


 職員が奥に引っ込んだ。十五分後、年配の男性職員がついてきた。名札には「市民課課長補佐 高橋」とあった。


「角田さん、ですか。入力作業記録は原則として外部にお見せするものではないのですが」


「承知しています。ですが、草薙一郎の認定死亡が電算化後の戸籍に反映されていない件について、移記作業の経緯を確認する必要があります。これは事務過誤なのか、それとも別の事情があるのか」


 課長補佐がネクタイの結び目に指をかけた。緩めるのかと思ったが、ただ触っただけだった。


「……少々お待ちください」


 さらに二十分。角田は立ったまま待った。黒田は後ろの長椅子に座り、足を組んでスマホを見ていた。


 課長補佐が戻ってきた時、手にはA4の紙束と、古いプリントアウトが握られていた。


「これが、旧鴉森村分の電算化入力チェックリストです。平成十六年度作成です」


 角田は紙束を受け取った。


 チェックリストは一覧表になっていた。旧鴉森村の本籍者が、筆頭者ごとに並んでいる。氏名、生年月日、入力日、確認者印。角田の指が、草薙善造の欄で止まった。


 善造の欄には、家族の名前が並んでいる。善造本人。長男・一郎。次女・志織。三男・慎二。


 一郎の行だけ、備考欄に赤いボールペンで書き込みがあった。


「——『要確認。除籍済? 役場に照会中』」


 角田はプリントアウトを見た。同じチェックリストの原本を撮影したもので、紙束より鮮明だった。一郎の備考欄。赤ペンの書き込みの下に、もう一行追記されていた。別の筆跡。


「『照会の結果、入力対象と判断。担当確認済』」


 角田の指が止まった。


「認定死亡で除籍された人間を、入力対象と判断している。担当者は一郎が除籍済みの可能性を認識した上で、生存者として入力した」


 課長補佐がプリントアウトを覗き込み、眼鏡を外した。レンズを拭くふりをして、角田から目を逸らしていた。


「それは……当時の担当者の判断であって——」


「この『担当確認済』は、誰の確認ですか。入力業者ですか。市役所の職員ですか。それとも旧村役場の引継ぎ担当者ですか」


「確認にお時間を——」


「お願いします。ただ、一点だけ」


 角田はチェックリストの最終頁を開いた。作業全体の確認欄。「旧鴉森村戸籍担当者」の署名欄に、名前がある。


 草薙善造。


 角田は課長補佐を見た。


「旧鴉森村の戸籍事務は、草薙善造が担当していた。善造は被相続人の父であり、認定死亡の届出人でもある。その善造が、電算化の入力確認者を務めている」


「……」


「チェックリストのコピーをいただけますか」


 課長補佐は十分ほど抵抗した。角田は声を上げなかった。戸籍法二十四条を挙げた。戸籍の記載に錯誤または遺漏がある場合、市区町村長には職権での訂正義務がある。その端緒となる事実の確認に、入力記録の照合が不可欠であること。静かに、同じことを二度繰り返した。コピーが出てきた。


 市役所を出た。空気が肺を刺した。角田は鞄にチェックリストのコピーを入れ、駐車場に向かった。


「角田よ」


 黒田が煙草に火をつけた。今度は風がなかった。


「善造がやったのか」


「善造が入力確認者だったのは事実です。ただ、備考欄の追記が善造の筆跡かどうかは、まだ分からない」


「村の地主が村の戸籍も握ってた。田舎じゃ珍しくねえが、だからこそ何でもできるな」


「ええ。筆跡は確認します。善造の署名は手元にある。死亡届の一枚目と、チェックリストの署名を照合すれば」


「……お前、やっぱり書類の人間だな」


「書類で分かることは、書類で確認します」


 角田は駐車場に停まった志織の車を見た。フロントガラスに雪が積もり始めていた。


「ただ——善造が戸籍担当だったことを、志織さんは最初に言わなかった。これは、もう一度確認する必要がある」



        *



 志織の車で鴉森村に向かった。横手市街を出ると、道の両側に雪の壁が迫ってきた。除雪車が積み上げた雪は、車の屋根より高い。


 角田は助手席で鞄からチェックリストのコピーを出し、もう一度見た。車の振動で紙が揺れる。


「志織さん」


「はい」


「お父さんは、旧鴉森村の村役場で戸籍事務を担当されていた」


 断定だった。質問ではない。志織のハンドルを握る指が、わずかに動いた。


「……はい」


「なぜ最初に言わなかったんですか」


「……関係があると思わなかったので」


「関係があります。善造さんは一郎の認定死亡を届け出た父親であると同時に、その届出を受理し、戸籍に記載した側の人間でもあった。電算化の入力確認者でもある」


 志織は前を向いたまま答えなかった。ウインカーの音だけが車内に響いた。


「父は……村のことは何でもやっていました。役場の職員は父だけでしたから」


「職員が一人。では、戸籍の届出を受理するのも、記載するのも、すべて善造さん一人の判断だった」


「……はい」


 黒田が後部座席で腕を組んだまま、窓の外を見ていた。何も言わなかったが、バックミラー越しに角田と目が合い、小さく頷いた。——今は泳がせろ。


 黒田が窓の外を指差した。


「あの斜面。あれが地面師の件で出てきた土地だ。善造名義の山林」


 雪に覆われた広い斜面が見えた。杉林が黒い壁のように囲んでいる。


「あの隣が——」


「草薙家の敷地です」


 志織が言った。


 県道から脇道に入った。轍が一本しかない。五分ほどで、道の奥に黒い屋根が見えた。


 草薙家は雪の中にあった。


 母屋は古い木造二階建てで、雪囲いの板が一階の窓を塞いでいる。隣に蔵が一棟。石垣の上に建つ白壁の蔵だったが、壁の漆喰が剥がれて下地の土が見えていた。蔵の前の雪が踏み荒らされている。


 門の前に、男が立っていた。


 四十代前半。角田より背が高く、体格がいい。作業着にゴム長靴。手にアルミのスコップ。雪かきの途中だったらしいが、車が来たのを見て止めていた。


「慎二さんですか」


 角田が車を降りて声をかけた。


 慎二は答えなかった。角田を見て、次に後ろの志織を見た。


「……姉さん。連れてきたのか」


「慎二、この方たちは——」


「帰れ」


 慎二がスコップを雪に突き刺した。


「相続なら、こっちで頼んだ先生がいる。東京のもんに用はねえ」


「草薙慎二さん。角田です。行政書士です。お父様の相続手続きについて——」


「聞こえなかったか。帰れっつってんだ」


 慎二の声が低くなった。角田は動かなかった。


「令和三年に提出された一郎さんの死亡届について確認したいことがあります。届出人はあなたです」


 慎二のスコップを握る手が、ミリ単位で締まった。


「……知らねえ」


「届出人の署名欄に、あなたの名前がある。記載事項証明書で確認しました」


「昔のことだ。覚えてねえ」


「三年前です」


 慎二はスコップを引き抜いた。角田の足元の雪を、一掻きで横に掃いた。革靴に雪が飛んだ。


「……そのカバン、濡れっぞ。いい革だな。東京もんは」


 慎二は門の中に入り、戸を閉めた。雪を踏む音が遠ざかり、消えた。


 角田は門の前に立ったまま、蔵の方に目を向けた。錠前が外れている。扉が二寸ほど開いていた。その隙間に、紙の端が挟まっていた。風に震えている。


 角田は蔵に歩み寄り、挟まった紙片を引き抜いた。


 古い紙だった。茶色く変色し、端が破れている。筆文字が薄く残っていた。


 養子縁組届。


 日付の一部だけが読める。昭和——年。


 角田はコートのポケットからビニール袋を出し、紙片を入れた。


 黒田が横に来ていた。


「何だ、それ」


「養子縁組届の断片です。古い」


「養子? 草薙家に養子がいたのか」


 角田は志織を見た。志織は車の横に立ったまま、蔵の方を見ていた。手袋を外し、素手で自分の首筋を掴んでいる。


「志織さん。草薙家に養子縁組の記録はありますか」


 志織は答えなかった。素手の指が、首筋に食い込んでいた。


「……宿に着いてから、お話しします」


 志織はそれだけ言って、車に乗り込んだ。


 角田は蔵の扉を見た。錠前が外れていた。慎二が蔵を開けたまま、閉め忘れたのか。それとも——。


「黒田さん」


「おう」


「蔵の前の雪、見てください。足跡が二種類ある。大きいのと、小さいの」


 黒田が足跡を見た。大きい方はゴム長靴。慎二のものだろう。小さい方は——


「女の靴だな」


 角田は志織の車に目を向けた。志織は運転席に座り、前を向いていた。二人の視線に気づいていないのか、気づかないふりをしているのか。


 蔵の扉の隙間から、冷えた紙の匂いがした。

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