手紙
山梨から千葉にある雄介の自宅マンションに帰ってくるまで、道路が空いていたとはいえ三時間近くかかった。しかし、雄介にはそこまで長く感じられなかった。娘を殺した犯人を探し出す方法を模索している雄介にとって、三時間という時間は、寧ろ少なく感じられた。自分の部屋に入ると、雄介はひどく散らかった自分の部屋に少し驚いた。特に散らかした覚えはないが、意識して掃除をしていないとこんな風になるのだろう。娘が帰ってくると、いつも何か愚痴を言っていた事を思い出す。外から帰ってきた真実には、自分のいる部屋がこんな風に映っていたのだろうか。
部屋の片付けを始めた雄介は、しばらくすると自分のだらしなさを恨み始める。部屋の掃除は定期的に真実がしてくれていたが、雄介のデスクに関しては、真実が雄介に気を遣ってそのままの状態にしていたのだ。当然、雄介が自ら整頓する事はなかったので、雄介が自分が集めた資料の中から目当ての物を見つける事は困難を極めた。
何時間が経ったのだろう。雄介が時計に目をやると、時刻は深夜二時を過ぎていた。いつから探し始めたのかは正確には覚えていないが、三時間は経っているだろうか。もしかしたら、会社のデスクにあるのかもしれない。そういえば、会社を何日欠勤しているのかも分からない。小さな会社なので大丈夫だとは思うが、そろそろ自分のデスクがなくなる頃かもしれない。聞こえているにも関わらず無視していたが、山梨に向かっている時も会社から連絡が来ていた。まだ大丈夫だろう。明日は会社に行かなくては。
雄介が普段の生活に戻ってから数日が経つ。雄介が出社したのは、無断欠勤してからちょうど一週間後の事だったらしい。雄介は自分の勤務日をを五日、無断欠勤していたが、それを咎める者は誰もいなかった。雄介の勤めている出版社では書籍は扱っていない。主に科学情報誌を刊行している。取材をする社員もいるので、世の中の情報には自然と敏感になる。八ヶ岳に通じる山梨県の山道脇に女子大生の遺体が見つかったという事件は、テレビでもニュースになっていたらしく、その事件の被害者が雄介の娘だという事も知っている様だった。誰も事件の話はしないが、若い女性の話や警察の話題は、雄介に気を遣って避けている事は感じられた。
月刊サイエンスポスト、雄介が編集している科学情報誌のタイトルだ。この月刊誌で雄介が担当しているコーナーで、過去にタイムトラベルについて特集した事があった。雄介はタイムトラベルについての論文を発表した法政大学の教授に取材もしていた。普段から科学に興味があるわけではない雄介にとって、大学教授を取材する事に対して特別な感情を抱く事はなかった。しかし、その法政大学の教授が若い女性だった事が印象的だったので、過去のナンバリングからその記事を見つけると、すぐに取材した時の事を思い出す事が出来た。POUC(未解決事件観察計画)の名称もその時耳にした物だった。
法政大学の的場美衣教授によると、タイムトラベルの実用化は何年か前に発表されているが、その技術を用いれば全ての未解決事件を解決する事ができるそうだ。しかし、参院議員の和田篤弘を中心とするタイムトラベル規制緩和反対派の勢力が強く、規制緩和法案が可決される見通しは無いとの事だった。雄介がこの法案について調べると、つい数ヶ月前に否決されたばかりであった。
周囲の人間からは神田雄介は娘の事件から立ち直り、普通の生活を送っている様に見えていたかもしれない。しかし、実際には、娘の真実を殺した犯人を見つけ出す事しか雄介は考えていない。しかし、今の雄介にはどうすれば犯人を見つけ出せるのかは見当が付いていない。
雄介が自宅に帰ってくると、インターフォンに不在通知が入っていた。不在通知を入れたのは郵便配達員だった。しかし、雄介は通販やオークションといった物は利用しない。それは娘の真実も同様だ。小包が届く予定も無いはずだ。不思議に思いつつも雄介はインターフォンに残された郵便局の番号に連絡を入れる。
「こちら、市原郵便局です。神田真実様で宜しいですか」
娘の名が呼ばれた事に雄介は動揺するが、オペレーターの呼びかけに応える。
「そうです」
「神田真実様宛の手紙をお預かりしています。再配達日時はいかが致しますか」
「今、大丈夫ですよ」
「畏まりました。配達員を手配致しますので、それまでお待ちください」
「はい」
「では、失礼します」
今時、手紙を送ってくる人間がまだいるのか、しかし、自分の知らない所で真実は文通でもしていたのだろうか、それも手紙という古典的とも言える様な方法で。雄介は思考を巡らせるが、いくら考えても答えに辿り着きそうにない。雄介は真実宛の手紙を見れば分かる事だと思い、配達員が来るのを待つ事にした。
配達員は十分もしないで雄介のマンションに到着する。真実宛の手紙を受け取った雄介は、自分の部屋に戻り、ダイニングにある木製の椅子に腰掛け、真実宛の手紙をぼんやりと眺める。差出人の名は無いが、住所は書いてある。真実がもうこの世にいない事を知らないで送ってしまったのだろうか。封を開ける事に最初は戸惑ったが、封筒が破ける音がすると、雄介の迷いはなくなった
中身を開けた雄介は、手紙の普通とは言えない雰囲気に驚愕する。三つ折にされた用紙には、何も書かれていなかった。正確には最初の一行に一文だけ書かれていたが、その内容に同様を隠す事はとても出来なかった。
―神田真実さんは僕が殺しました―
この手紙を書いた奴は、一体何を考えてこの手紙を出したのだろうか。雄介には理解できるはずがない。悪質な悪戯とも考えられるが、差出人の住所らしき物が封筒に書いてあるのはどういう事なのだろう。本当にこの手紙を書いた奴が真実を殺したのだろうか。しかし、この手紙が異様な所は別にある。最初の一文以降にも何か書いてあった痕跡があるのだが、そこに何が書いてあったのかを判別する事は不可能だった。何度書き直したのだろうか。そこに新しく文字を書いたとしても、何て書いてあるのかが分からなくなるほど紙が汚くなっていた。雄介も学生時代の美術の時間に、白い紙に鉛筆で描いた線を修正ゴムで消すという行為をした事がある。鉛筆で描いた線を消すといっても完全に消す事は出来ず、鉛筆でなぞった線はそのまま残ってしまい、紙が少し汚くなってしまうのだが、この手紙はそんなレベルの汚さでは無い。この普通とは言えない雰囲気に、この手紙を書いた奴が真実を殺した事は間違いないと確信する雄介だった。
真実宛の手紙を持った雄介の手は激しく震えている。




