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第1話 ただ、眠りたかった

 魔王を倒してから、数日が経った。

 王都では明日、俺たち勇者一行の功績を称える大祝宴が開かれることになっていた。

 その前日だけで、俺の残りの人生は三度も決められた。

 どれも、俺の答えを聞かないまま。


「魔王討伐、本っ当にお疲れさま!」

 朝食を終えた俺の向かいで、幼馴染のニナが嬉しそうに両手を合わせた。

 テーブルの上には、祝宴で着る礼服と一緒に、見覚えのない衣装の図面が広げられている。

「ねえ、リヴェル。それで、私たちの結婚式はいつにする?」

「……結婚式?」

「幼馴染同士なんだもの。昔から、魔王を倒して帰ってきたら一緒になるって、みんな思っていたわ。あとは明日の祝宴で発表するだけよね」

「嫌だ」

 口にすると、幼馴染の笑顔が止まった。

 それでも、ほんの一瞬だった。

「もう。そんな言い方をしなくてもいいでしょう?」

 困ったように眉を下げると、彼女は衣装の図面を丁寧に畳み始めた。

「疲れているのよね。大丈夫よ。結婚した後は、家のことは私が全部してあげるから。リヴェルは何もしないで、ゆっくりしていて」

「そうじゃなくて、俺は——」

「式の準備も任せて。リヴェルは明日の祝宴で、隣に立ってくれるだけでいいから」

 俺の言葉を待たず、彼女は晴れやかな顔で衣装を抱えた。

 

 昼を過ぎた頃、今度はかつて背中を預けた仲間のアネットが部屋を訪ねてきた。

 手には一枚の地図が握られている。

「リヴェル。次はどこへ向かう?」

 地図の上には、魔王軍の残党が潜んでいる可能性のある土地が、いくつも赤く囲まれていた。

「東の砦を確認するか? それとも、先に北部の村を回るべきだと思う?」

「行かない」

 仲間の指が、地図の上で止まった。

「俺はもう、どこにも行きたくない。残党の確認なら、騎士団に任せれば良いだろ」

 はっきり口にしたはずだった。

 だが、仲間はしばらく俺の顔を見たあと、仕方がないとでも言うように息を吐いた。

「分かっている。魔王を倒したばかりだ。今は休みたいのだろう。私も少しくらい休息は欲しい」

 地図を畳みながら、その口元に小さな笑みが浮かぶ。

「だが、お前は困っている者がいると知れば、放ってはおけない。面倒だ、行きたくないと言いながら、最後には必ず助けに行く。そういう男だ。今回も、結局は身体が勝手に動くだろう」

「ちが——」

「心配するな。出発は祝宴が終わってからでいい。仕方がないから、今回も私が付き合ってやる」

 そこでアネットは少しだけ間を置き、畳んだ地図へ視線を落とした。

「他の二人もいないしな。身軽に動ける。……二人きりというのも、たまには悪くないだろう?」

「アネット、俺は——」

「なら、まずは東の砦だな。そのあと北へ向かえばいい」

 俺の返事を聞くことなく、アネットは次の旅の予定を話し始めた。

  

 夕方には、王城の応接室へ呼ばれた。

「リヴェル様。王国を代表し、改めて感謝を申し上げます」

 向かいに座った王女のレティシアが、俺の前へ一枚の書状を差し出した。

 紙からは新しい羊皮紙と封蝋の匂いがした。

「陛下とも相談し、リヴェル様には爵位をお受け取りいただくことになりました。今後は騎士団を率い、この国をお導きいただければと考えております」

「お断りします」

 王女の目が、わずかに見開かれた。

「爵位も、騎士団の役職も辞退させてください。俺はもう、新しい役目を背負うつもりはありません。これからは静かに、自分のために暮らしたいんです」

「まあ……」

 王女は書状へ目を落とすと、何かを納得したように柔らかく微笑んだ。

「静かに暮らしたいというリヴェル様のお気持ちは、分かりました。長い戦いを終えたばかりですものね。すぐに次のお役目をお願いするのは、酷というものでした」

「では——」

「ですが、リヴェル様ほどのお方を、王国として何の繋がりもないまま送り出すことはできません」

 遮る声は穏やかだったが、その言葉には迷いがなかった。

「騎士団のお役目については、今すぐとは申しません。まずはゆっくりお休みください。きっと今は、お疲れなのです」

「いや、俺は——」

「これまで、どれほど大変な時でも人々を見捨てなかったリヴェル様ですもの。少し休めば、またお気持ちも変わるかもしれません。ですから、爵位だけはお受けください。領地も、お住まいも、王家でご用意できます」

「だから俺は、そういうものも——」

「もちろん、諸侯の皆様へのご挨拶には私も同行いたします」

 また、最後まで言えなかった。

「リヴェル様と王家との縁は、これからも大切にしていきたいと思っております」

 そこでほんの僅かに視線を逸らす。

「……私個人としても、今より深いご縁になればと願っておりますので」


 違う。

 結局、何も分かってくれていなかった。

 俺は三度、嫌だと言った。

 結婚したくない。次の旅にも行きたくない。爵位も役職も要らない。

 何一つ、遠回しにはしていない。

 それでも、俺の言葉は届かなかった。

 疲れているだけ。今だけ。いずれ気が変わる。

 何を言っても、俺の答えは別の意味に変えられていく。

 もう一度言ったところで、きっと同じで、何を言っても無駄だった。

 

 夜になり、用意された部屋へ戻った。

 机の上には、婚礼衣装の図面、残党を示した地図、王家の書状が並んでいた。

 誰も俺を苦しめようとしているわけではない。

 ニナは温かな家庭を、アネットはこれまでと同じ旅を、レティシアは功績に報いる未来を用意しようとしていた。

 どれも俺のためでもあった。

 だからこそ、苦しかった。

 

 この世界に生まれ直して、二十三年。

 前の人生では、誰かから必要だと言われた記憶など、ほとんどなかった。

 だから最初は、嬉しかった。

 俺にしかできない。君だけが頼りだ。

 そう言われるたび、この世界が自分の居場所なのだと思えた。

 頼られるのが嬉しくて、俺は笑って引き受けた。

 大丈夫だと答え続け、俺なら断らないと周囲に期待させた。

 俺が何をしたっていうんだ。

 魔王を倒したからか。勇者に選ばれたからか。多くの人を助けてきたからか。


 ——違う。


 やったのは、俺だ。

 俺が笑って引き受け、期待させた。

 だからといって、この先の人生まで差し出さなければならないのか。

 嫌だと伝えても、勇者ではない俺自身を見てもらえない。

 もう十分だろう。

 許してくれ。

 一人にしてくれ。

 俺はただ、眠りたかった。

 次の予定も、魔物の気配も、誰かの目も気にせず、何も考えずに眠りたかった。

 

 俺は机へ向かい、三つの紙を端へ押しのけた。

 便箋を一枚だけ取り出し、短い言葉を書き残す。


『探さないでください。俺は休みます』


 それ以上、書くことはできなかった。

 最低限の荷物を鞄へ詰め、外套を羽織る。

 祝宴を翌日に控えた王都は、深夜になっても明かりと笑い声に満ちていた。

 俺を祝うための声に背を向け、誰にも告げず、王都から逃げ出した。

 

お読みいただきありがとうございます。

本作品は全32話、すでに完結まで執筆済みです。

毎日複数話ずつ更新し、8月28日に完結予定です。

続きも楽しんでいただけましたら嬉しいです。

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