87マス目 母の言葉
「……来ましたわ」
「ああ、手筈通りに頼む」
すでにユキちゃんたちはテンダーが避難させている。
そして前から歩いてくる三人の人影。
「本当に大丈夫ですの?
あなたが死んでも責任はとれませんわよ」
「この状況で俺を心配するのか?
……ずいぶん優しいな」
俺からすれば素直な感想だったが、
エリザベートはからかわれたと思ったらしい。
眉間にしわが寄り、イライラしてるのが丸わかりだ。
「わたくしはあなたの命より、その恰好の理由が知りたいんですわ!
勝手に死なれたら困るってことを、わかってますの!?」
「いや、わかった、わかったから!
っていうか、そろそろ気づかれるぞ!」
俺が視線を向けると、奴らはもうすぐそこまで来ていた。
……というか、多分ばれている。
「楽しそうねぇ、うふふっ。
私も混ぜてもらおうかしらぁ」
フードで見えないが、多分舌なめずりでもしてるのだろう。
そしてネストの手には、もう曲剣が握られている。
「ネスト・ダーリッヒ!
お前に話がある」
俺は声を大にしてネストの注意を引く。
その隙に、エリザベートが前へ飛び出した。
「あなた方はこちらですわ!」
一瞬のうちに太った男へ傘を投げつけ、細身の男を蹴り飛ばす。
エリザベートの一瞬の攻撃で、ネストの取り巻きは後方へ吹き飛んだ。
「後は任せますわよ」
エリザベートは吹き飛んだ二人を追って走り去っていく。
だがネストはそれに見向きもしない。
ただ俺の方をじっと見つめている。
「意外だな、エリザベートを追うかと思ったよ」
「行ってほしかったぁ?
だって気になるじゃない、うふふっ」
やはりこいつは何を考えているのかさっぱりだ。
前はエリザベートを攻撃してたはずだが、
今回はその素振りすらなかった。
今の言葉も本心かどうか……。
「それで、話ってなぁに?」
ネストは首を傾げ、曲剣の柄を指先でつまんでプラプラさせている。
ヘタに攻撃されないうちに、さっさと要件を伝えた方がいいな。
俺は鞄から手帳とペンを取り出し文字を書き連ねていく。
竜の魔道結晶の事とか、源竜会やヴァーデ公爵の事。
内容は前と同じだが、約束の時間は何とかしたい。
あんなギリギリは御免だ。
赤ん坊が死んでたのも何とかしたいし、
約束の時間は余裕を持って、9時……いや、8時30分だな。
「うふふっ、恋文かしらぁ」
「もっと刺激的なもんだよ」
茶々を入れるネストに適当に返しつつ、俺は文章を書き上げた。
そのまま手帳から切り取り、ネストへ手渡す。
「ほれ、まあどうするかはあんた次第だ」
とは言ったものの、結果はもう分かっている。
ここで断るわけが……。
「お断りよぉ、うふふっ」
「は?」
マズい!
ここで断られたら、シランもフラウトも助けられない!
何でだ、何で断られた!?
俺が何か変な事でも……。
「本気にしたぁ? 冗談よぉ~。
こんな好条件逃す気はないわぁ。
その顔、うふふっ。
随分焦っちゃったみたいねぇ」
…………またこの女のペースに乗せられた。
何度も何度も思うが、こいつは本当にタチが悪い。
「でも不思議ねぇ。
私を前にすると、みんなビクビクするのに、
あなたは震えてすらいない。
実は物凄く強いのか、単に危機感が無いのか……」
ただ慣れているだけなのだろう。
今でも怖くないと言えば嘘になるが、
怖がるのも面倒なくらい、こいつの顔は見てきたのだ。
「詮索はやめてくれ。
とにかく、交渉成立でいいのか?」
「ええ、構わないわよぉ。
楽しみにしてるわねぇ」
ネストはそれだけ言うと、瞬く間に姿を消した。
相変わらず、あいつの速度は目で追えそうもない。
「さて、エリザベートの方もそろそろ終わる頃かな」
俺は胸ポケットから煙草を取り出すと、一本くわえて火を点ける。
少しづつ短くなる煙草を見つめながら、空に向かって煙を吐き出す。
そして約五分後。
そこには、ネストを逃がした失態に怒りを爆発させた、
エリザベートの怒号が響き渡っていた。
「むぅぅ、何でそのレベルでネストと戦おうとしたんですの?
逃げられて当然ではありませんのよ!」
馬車の中で、エリザベートは険しい顔でぶつぶつと文句を言っている。
ただ俺のレベルが1という事を知り、怒りづらいのだろう。
なにせ生きてること自体奇跡。
民間人を救うため囮役を買って出た、ヒーローと言っても過言ではない。
……かもしれない。
「まあ、そんな怒るなって。
それより、この格好について話さなきゃな」
しかし、エリザベートは首を横に振る。
「今はいいですわ。
食事時にでも、お話ししていただきますわ」
「それって、話をするなら空腹な人間よりも、
満腹になって機嫌のいい状態で聞き出す方が、
真実を語るもの、ってやつか?」
俺はただ、前にエリザベートから言われたことを思い返したのだが、
当のエリザベートは目を丸くして、ポカンと口を開けている。
「……そ、それどなたから聞きましたの?」
「え? いや、今自分で考えた…」
「嘘ですわ!」
エリザベートの表情は、怒りと悲しみが混ざったような、
そんな顔をしている。
こいつのこんな顔、今まで見たことが無い。
「今の、……今の言葉は」
エリザベートは涙と共に言葉をこぼした。
「亡くなったお母様のお言葉ですもの……」
俺はその後、口を開けなかった。
馬車がお屋敷に到着するまで、ずっと。




