73マス目 英雄は休めない
ふと耳元に聞こえてくる水の音。
さっきまで聞こえていた水滴の音とは何だか違う。
上手く説明できないが、優しい感じがする。
この音はどこから聞こえて……。
「あら、目を覚ましましたわね」
最初に視界に入ったのは、微笑むエリザベートの顔だった。
手には水入りの瓶。
どうやら花瓶の水をかえていたようだ。
「……エリザベート、お前何でここに?」
エリザベートはクスリと笑う。
「なにを言ってますの。
昨日ここに用があると言ったはずですわ。
王宮ですわよ、王宮」
王宮?
ああ、言われてみれば、確かに部屋の内装が馬鹿みたいに豪華だ。
もしかしたら、エリザベートの屋敷より金がかかっているかもしれない。
「王宮ならちょうどいい。
王様に話を聞いてもらうだけでも……、っぐうっあぎっっ!」
突如俺の全身を駆け巡る激痛。
まるで銃弾でも撃ちこまれたみたいだ。
「動いては駄目ですわ。
治療を始めてまだ3時間しか経っていませんのよ。
胃が露出するような大穴が開いているんですもの。
治療が済むまで大人しくしてなさいな」
「……マジ?」
俺はそっと布団を捲って確認してみる。
腹にはしっかり巻かれた包帯が鮮やかな赤に染まり、
水晶の付いた短い待ち針のようなものが、これでもかと大量に刺さっている。
よく分からんが、治療用の魔道具ってところだろう。
「これって、どのくらいで治るんだ?」
エリザベートは上を向きつつ軽く唸る。
「うーん、最高峰の医療環境で治療いたしましたし……。
あと1時間も寝てれば傷自体は塞がると思いますわよ」
「1時間!?」
俺はもう一度腹部を見てみるが、これだけの傷なら全治三か月でもおかしくない。
早く治るに越したことはないが、ここまで早いと逆に不安になる。
「魔法の傷なら回復魔法が効きやすいんですのよ。
結構知らない人も多いですけれど。
……まあ流石に臓器をやられてたらアウトでしたわね」
エリザベート明るく言うが、つまりは相当危なかったってことか。
誤解でふりだし行きなんてシャレにもなんねぇ。
……でもあの人、親が殺されたって泣いてたんだよな。
俺も昔親が死んだから多少気持ちはわかる。
「なあ、エリザベート」
「なんですの?」
「そのー、さっき俺をボコボコにした二人って、
今どうなってんの?
……処罰とか受けてるのか?」
エリザベートの顔が曇っていく。
気を使って言わないようにしていたようだが、
こんな事気にするなというのが無理な話だ。
「本当に言って良いんですの?」
「ああ」
俺は強く首を縦に振る。
それを見て、エリザベートは躊躇しながらも、
諦めたように口を開いた。
「あの二人は今、別室で監視されてますわ。
一応尋問に魔法を使った罰、という事らしいですの」
「……それだけ?
牢獄で拘束されてるとか、そういうのはないんだな?」
エリザベートはバツが悪そうに頷いた。
「あの方たち自身も、何か罰を与えてくれと言っていましたわ。
でもお父様は、罪悪感こそが最も厳しい刑罰と言って、
ただの監視に留めてしまいましたの。
きっとあと一時間もすれば、無事お勤め終了となりますわ」
エリザベートはため息混じりに息をつく。
きっと俺が激怒するか、悔しさで泣きだすとでも思っていたような反応。
だが俺の心情は全然違った。
「よかった」
ポロっと口からこぼれた言葉。
その言葉に、エリザベートは驚愕の表情。
「まさか普通に許すんですの!?
表彰されてもおかしくない事をして、あんな目に遭いましたのよ!
もっとこう、ぶっ殺すだとか、納得できないだとか……」
「いや許すよ」
俺は特に迷いもせず、あっさりと答える。
その即答っぷりに、エリザべートはポカンとしている。
「……いいんですの?
本当に死にかけたんですのよ?」
「だってあの人たちも、あれが仕事なんだろ?
さすがに殺されたら怒るけど、今生きてるから俺は許す。
私情を挟んだのはそりゃ悪いけど、親が殺されてどうでもいいって人はいないだろ。
俺も親死んでるから気持ちもわかるしさ」
「何だか凄いですわね。
……そうですの。
あなたもお母様を亡くしているんですわね」
そういえばエリザベートの母親の話は聞いたことが無かったな。
屋敷にもいなかったし、もしかして亡くなっているのだろうか?
まあ、こういう話題はこっちから振るべきではないな。
…………あ、そういえば。
「許す許さないと言えばさ」
「なんですの?」
「デニックスはどうなった?
あいつはさすがに許す気にはなれん」
結局こうなったのは全部あいつのせいだ。
俺がこんな目に合ったんだから、ただ逮捕して終わりじゃ納得できない。
「あの男なら地下ですわよ。
多分、さっきのあなたと似たような目にあっていると思いますわ」
そう言ったエリザベートは、悪い顔で笑っていた。
こりゃ相当な酷い事されてるんじゃないか、あのクソ野郎。
「……まあ、それならいっか」
体験してわかるが、あれはなかなかキツイ。
痛みよりも、恐怖と重圧で精神的に来る。
「あーーー、しっかし疲れたなぁ」
やっと乗り越えた安心感。
俺は今、動けない体でこの心地よさを噛み締めている。
悪は成敗され、自分はこうして生きている。
これこそ勝利というやつだ。
……そういえば、シランとフラウトは無事だろうか?
「なぁ、エリザべー…」
「エリザ姉ちゃーん、いる?
……あれ!? おじさんが起きてる!!」
俺の言葉を遮ってフラウトが勢いよく部屋に入ってくる。
聞くまでもなさそうだ。
元気そうでよかった。
「今さっき起きたんですわよ」
「そっちは無事みたいだな。
シランは大丈夫そうか?」
フラウトは笑顔で「うん」、と頷いた。
「なんか、舌の裏の魔法陣を取るから、
一週間は病院に入院しなきゃいけないんだってさ。
腕の怪我も心配ないみたい」
「そうか、そりゃよかった」
シランが怪物化したときに噛み付いていた傷。
あれが気になっていたのだが、無事なようで心底ホッとした。
「弟をありがとうございますわ。
……本当にありがとう」
俺に向かって深々と頭を下げるエリザベート。
フラウトもそれにならって頭を下げる。
お嬢様言葉じゃないエリザベートの言葉を、
今初めて聞いた気がする。
「……そういえば、エリザ姉ちゃん。
お父さんが呼んでるよ」
見たことが無いくらい綺麗な笑顔をしていたエリザベートの顔が、
物凄い速度で歪んでゆく。
「まさか、それを言いに来たんですの?」
「そうだよ」
「そ、それを先に言ってくださいまし!
お父様に怒られてしまうじゃありませんの!!」
エリザベートは素早くドアを開け放つと、
こちらを一切振り向かずに、「ごきげんよう」と言って走り去っていった。
「……お前の姉ちゃん、忙しそうだな」
「そうだね、もうすぐ国の外に行くらしいから」
「あ~、そりゃ忙しいだろ…………、え?」
俺は顔中に汗をかき、フラウトへ向かって叫ぶ。
「おい! 今何時だ!!」
「え? えっと……」
フラウトは窓の外へ目を向ける。
どうやら時計塔を見ているようだ。
「今は3時10……、あ、11分になった」
三時ってことは、いつもの世界なら国外会合に出発してる時間だ。
きっと俺のせいで出発が遅れたのだろう。
だがもう出発は時間の問題。
今すぐ行動しないと間に合わなくなる!!
「フラウト! 誰か騎士の人を連れて来てくれ!
もう時間が無いんだ、頼む!」
「え、えっと、うん!
わかった、待ってて」
フラウトは困惑しながらもすぐに走り出してくれた。
今は一刻を争う。
フラウトがいてくれて本当に助かった。
「そうだったな。
俺に休んでる時間はない」
俺は天井を強く睨み付ける。
まだ見ぬ化け物へ向けて、戦う覚悟を決めるように。




