50マス目 入口はかつての場所に
俺が目を覚ましたのは、どこまでも美しく、不自然で違和感のある川沿いのベンチ……、ではなかった。
「……!? 生き……いっつぅ……」
しびれるような痛みを発する傷口に手を当てると、手触りのいい布の感触。
よく見ると綺麗に手当てが施されしっかりとした包帯が巻かれていた。
いやそれ以前に、俺が寝ているのは暖かいベッドの上。
清潔な室内に、香りのいいアロマが焚いてある。
「……誰かが助けてくれたのか?」
「あっ、起きましたか」
声の方へ視線を向けると、桶を持ったそばかすの女性がにこやかな笑みで立っていた。
「……もしかして助けてくれたんですか?
どうもありがとうございます!」
ベッドの上で、俺は深く頭を下げる。
「いえいえ、いいんです。
それに、あなたが路上で倒れていたのを、ここまで運んできたのは夫ですので。
私は看病しただけですから」
見ず知らずの人間を助けてくれるなんて、何と優しいご夫婦だろうか。
俺は感謝で目が潤んでくる。
「でも本当によかったです。
なんせ、丸一日意識が無かったんですよ、あなた」
…………丸一日?
女性の言葉に、俺は一瞬頭が真っ白になった。
すぐさま腕時計を確認すると、時計盤は13時40分を表示している。
「まずい、……こんな所にいる場合じゃない!」
これだけ時間を開けたら、シランとフラウトが危険だ。
地下書庫にいれば安全だろうが、食材調達で出かけることもあるだろう。
早く戻らないと!
「何か事情があるみたいですね」
そういうと、女性は家の裏口を指さした。
「近くに放置してある馬車があったので、あなたの物かと思いまして。
裏口に置いてありますよ。
今すぐ馬を繋ぎましょうか?」
「本当ですか!?
お願いします、どうもありがとうございます!」
「わかりました、すぐ準備しますね」
そう言うと、女性は桶を置いて小走りで去っていく。
訳も聞かずにここまでしてくれるなんて、この人たちに助けられて本当に運が良かった。
俺はこの親切心をありがたく噛み締めながら、馬車の準備を手伝いに行った。
「よし、これで大丈夫」
縄の方は問題なし。
多少荒い運転でも、外れはしないだろう。
「本当に、何から何までお世話になりました」
「良いんですよ、困ったときはお互い様です」
俺は大きく頭を下げて、手綱を握りしめる。
公爵のことは後でいい。
今はとにかく、シランとフラウトの元へ戻ろう。
俺は馬を急かすように、手綱をいつもより強く振るった。
「……鞄がない」
地下倉庫の入口で、俺は呆然としていた。
そう、すべての道具はスマホと一緒に置いてきてしまった。
鞄に鍵を入れているので、扉が開けられないのだ。
「今から戻るか? いや…でも」
無駄だと知りつつも、ドアノブに手をかける。
「……開いてる?」
内側からなら、鍵を開けられる作りになっている。
きっとフラウトかシランが開けたのだろう。
そう思ってドアを引き、中に足を踏み入れた。
階段を下りながら、ふと違和感に気づく。
「ここのドアって、外開きだっけ?」
記憶が間違っていなければ、入口のドアは内開きだったはずだ。
ぐらつくドアをよく見ると、蝶番が割れて外れかかっていた。
もうこのドアは道を隔てる役割を持っていない。
「くそっ、嫌な予感がする」
痛む体に鞭を打ち、足早に階段を降りる。
「シラン! フラウ……ト?」
室内はひどい有様だった。
本が散乱し、棚は倒れ、梯子も壊れている。
そこらじゅうに焦げた跡があり、火事になってないのが不思議なほどだ。
「おい、二人共どこだ? 返事しろよ!!」
俺の声だけが、広い空間に虚しく響いた。
頭を抱えたくなったが、まだ望みを捨てる訳にはいかない。
荒らされた部屋の中を必死で探す。
「……なんだあそこ?」
一箇所だけ不自然に片付いている区域がある。
意図的に物がどかされ、埃を拭き取ったテーブルに意味深な封筒がポツンと置かれていた。
「手紙、……中は?」
入っていた高級そうな紙には、ほんの一文が書かれていた。
「”アルゼミーの酒場でドロネズミのカクテルを注文しろ”?
何だよこれ、誰がこんな……」
何が起きているのか、見当もつかない。
だが、こんな物があるということは、やはり二人は攫われたのだ。
俺は手紙を強く握り締め、無造作にポケットに突っ込む。
「行くしかないか、アルゼミーの酒場ってところに」
「アルゼミー? そんな酒場聞いたこともねぇなぁ」
「そうですか、ありがとうございます」
人に聞けばすぐにわかると思っていたが、皆知らないと答える。
目立たない場所にある酒場なのだろうか?
「目立たない酒場……、そういえば、前にそんな場所に行ったな」
もしやと思いながらも、半信半疑で手綱を振るった。
「こんな場所、もう見たくないんだけどな」
俺は水路沿いのベンチを見つめてため息をつく。
死ぬ以外で初めて戻ってきた、ふりだしのベンチ。
そこのすぐそばにある裏路地に、目的の場所はあった。
「アルゼミーの酒場……、本当にここだったのか」
掠れて読みづらいが、確かにアルゼミーという文字が読み取れる。
俺がこの世界に来て初めての死。
この店でゴロツキに絡まれて、殺された事は忘れもしない。
「……そうだ、外しといた方が良いな」
過去の二の舞にならないように、念のため腕時計はポケットにしまっておく。
「二度と来ないと思ってたのに……」
ため息をこぼしながら、店に入る。
相変わらず不機嫌そうな表情のマスターが、舌打ちしながらグラスを磨いていた。
俺はひとまずカウンターに腰掛ける。
「マスター、ちょっと変わった注文なんだが……」
マスターの表情は変わらない。
本当にメモの通りに注文をして、大丈夫なのだろうか?
でもここまできて引き下がる訳にはいかない。
「えっと、ドロネズミのカクテルってのはあるか?」
「はいよ」
意外にも、即答で返事が来た。
本当にこんな名前のカクテルがあるのが驚きだ。
でも、それを飲んだところで、一体何がわかるというのだろうか?
「ほら、カクテルだ」
そう言うとマスターは、フルーツの香りがするカクテルを注ぐ。
しかし、それはまるで形だけの物と言わんばかりに、カウンターの出入り口を開き、奥の扉を指差した。
そしてすぐに、何もなかったかのようにグラスの水滴を拭き取り始める。
「あそこか」
俺はグラスの中身を一気に流し込み、席から立ち上がる。
グラスを置こうとテーブルを見ると、コースターに違和感があった。
「……紙?」
よく見るとそれは、折り畳んだ紙切れだ。
グラスの水を吸って、丸い染みができた紙を広げる。
少し見づらいが、地図だろうか。
「お前さん、ヴァーデ公爵様の関係者か?」
意外なことに、その質問をしたのはマスターだった。
「見慣れない黒服の男が来るって聞いてたが、お前でいいんだよな?
伝言を預かってる。印の場所に行けだとよ。
ほら、さっさと行け」
俺は半ば引っ張り込まれるように、奥のドアへ入った。
ドアの奥は一畳ほどの小さな空間、その前後にドアがある小部屋だ。
構造から考えて、覗かれたり音が漏れない為の措置だろう。
奥の扉は、随分頑丈そうな鉄製の扉。
俺は体重をかけてドアを引く。
「おっも! なんか最近こんなことばっかりな気がする」
不親切な扉を開けると、そこから階段が下へ続いている。
それに加えて、木造の作りから洞窟のような岩肌むき出しの作りへ変化している。
「この下に二人が……」
ここまで仕組まれているのだ。
下にはまず間違いなく罠が張られているだろう。
そんな場所に道具もなく、怪我も負っている状態で挑む。
我ながら無謀にも程がある。
しかしここで逃げれば、シランもフラウトも殺されるだろう。
「いいさ、やってやるよ! やってやるとも!!」
俺は両の頬を力強く叩き、気合を入れる。
覚悟は決まった。
「待ってろよ、絶対に助けるからな!」
その言葉は、むしろ自分に言い聞かせていた。
死ぬかも知れない恐怖を抑え、その足は階段を降り始める。




