26マス目 迫害と遊び心
硫黄のような臭いと、ジメジメとしたベッド。
おまけに、腕を虫が這い上がる感覚に、思わず目が覚める。
俺は枕もとに置いておいた腕時計に視線を移す。
時計の針は7時半を指している。
「やっべぇ!! 会社に遅れ……、あ、そうか」
今までで一番現実的な場所で寝たからか、嫌な寝ぼけ方をしてしまった。
ここは異世界。
会社の事なんか考えても仕方がない。
「そもそも俺、クビにされてるんだった」
このままじゃ、どんどん嫌なことを思い出してくる。
飯でも食って気分を入れ替えるか。
俺くしゃくしゃのワイシャツに腕を通し、慣れた手つきでネクタイを結ぶと、シランの部屋に向かった。
「おはよう、起きてるか?」
ドアをノックすると、すぐに返事が返ってきた。
「起きてるけど、ちょっと待って……」
ゴソゴソと音が聞こえている。
着替え中だったのか?
ちょっと悪いタイミングで声かけたか。
「……入っていいよ」
どうやら着替え終わったようだ。
俺はもう一度声をかけてから、部屋に入る。
「おはよう、今飯作るからな。
あ、そういや何が食いたいんだっけ?
昨日聞きそびれてたよな?」
「えっとね、……お肉の入った野菜炒め」
「あいよっ、少々お待ちを」
クスッと微笑むシランに背を向け、俺は台所に向かい合う。
取りあえず、昨日のレタスを使って、肉も使いかけがある。
ただそれだけじゃ物足りない。
「そうだ、せっかくマヨがあるんなら……」
下ごしらえしたじゃがいもと玉ねぎを茹で、崩した物をマヨネーズと和える。
手抜きポテトサラダの完成だ、本当はきゅうりとにんじんが欲しいとこだが味は完璧。
でも2品じゃ寂しいし、もう一品は欲しいな。
「そうだ、せっかくトマトがあるんだから、こいつを使おう」
数分後、出来上がった料理がテーブルに並ぶ。
肉野菜炒め、ポテトサラダ、最後一品は牛のトマトクリーム煮込み。
名前だけは洒落てるが、牛肉と玉ねぎを突っ込んだだけの手抜き料理。
でももちろん、味は申し分ない。
特にトマトクリーム煮込みは、ファミレスを思い出す絶妙な味で驚いた。
「ごちそうさま……。 美味しかった」
シランは満ち足りたような至福の顔で天井を見上げる。
笑ってはいないのだが、幸福感あふれる顔がなんとも微笑ましい。
「普段は自分で料理するのか?」
シランはふるふると首を横に振った。
「ううん、近くの雑貨屋さんで、缶詰とか買って食べる」
「缶詰かぁ、俺もカップ麺とかよく食ってたから、
あまり言えた立場じゃないなぁ」
俺のつぶやきに、シランが?マークの浮かんだ顔でこちらを見ている。
そういえば、この世界にカップ麺は無いのか。
「えっと、そういう食生活だと、金がかかるだろ?
自炊しないで大丈夫なのか?」
「うん、偉い人が12歳になるまでお金をくれるの。
なんか、法律で決められてるんだって」
国が援助してるってことか。
こんな小さい子には、させられる仕事も少ないだろう。
「じゃあ学校行ってるのか?」
「……行けないの」
「金が足りないとか?」
「……えっと、……その」
煮え切らない答えと、視線を逸らしだす反応。
俺はもしやと思い聞いてみた。
「いじめられるからか?」
「…………うん」
やっぱりどこの世界でも、同じことがあるもんだな。
異世界に来て、いじめの不登校問題を見ることになるとは。
「ねぇ、トマトのおじさん」
「ん?」
「……ううん、何でもない!」
「あ、おい!」
シランは部屋を飛び出して行った。
俺はその目に涙がたまっているのに、気が付いていた。
「追うか?
……いや、今は一人にしてあげた方が良いかもな」
多分シランは、助けを求めようとしたんだろう。
ならば彼女と話すよりも、話を聞くべき相手がいる。
「……行ってみるか。 あの子の学校へ」
ボロ宿の店主に聞いたら、場所はすぐにわかった。
宿から歩いて10分。
学校というには、少し風変わりな建物に見える。
ちょうど登校時間だったのか、革袋を肩にかけた子供たちが校舎に入っていく。
「ランドセルじゃなくて、革袋なんだな」
小さな子供たちは、刺繍の入った布袋を肩にかけ、楽しそうに登校している。
そんな光景を物珍しそうに眺めていると、見たことのある顔が目に入った。
「お? あれは昨日の悪ガキ達か」
通学中の子供の中に、可愛くない顔をした少年グループが、ワイワイと騒ぎながら歩いている。
「はいはい、ちょっとごめんよ。
君たちに話があるんだ」
「うわぁああああ!! 昨日の刺されたおじさんだぁぁ!!!」
そういやそんな演技したなぁ。
ちょうどいい、これを利用するか。
「おい待て! 昨日は何であの子をいじめていたんだ?
俺はあの子に傷の手当てをしてもらって、助かったんだぞ?」
まあ、嘘だが。
「い、いじめじゃないよ!
おばけをやっつけてるんだよ!」
「……お、おばけ?」
「そうだよ。 あのおばけが学校に来れないように、追っ払ってるんだ」
シランがおばけ?
……何だか話が見えないぞ。
「なあ、その話少し詳しく……」
その時校舎から、聞きなれない高音域の音楽が流れる。
「ヤバイ! 遅刻しちゃうよ!」
「急げ急げ!」
今のは学校のチャイムだったのか。
これじゃあ学校が終わるまで話は聞けそうにない。
「ここでずっと待ってる訳にはいかないよな。
さて、……どうするか」
俺は校門に寄りかかり、タバコに火を点けた。
そんな俺に近づく小さな人影があった。
「おじさん、シランのこと知ってるの?」
話しかけてきたのは、さっきのワルガキたちとそう歳の変わらない男の子だ。
周りの子供が必死で走っているのに、この子が急ぐ様子はない。
少し不安そうな表情で、こちらを見上げている。
もしや怖がられているのだろうか?
俺は火のついたタバコを携帯灰皿に突っ込んで処理すると、少年の目線に合わせるために、その場で屈みこんだ。
「シランちゃんには昨日会ったばかりだけどな。
もしあの子について知ってることがあれば、教えてくれないか?」
「……うん、ついてきて」
「学校はいいのか?」
「いいよ、今日はサボる」
少年はきゃいきゃいと賑わう学校に背を向け、反対の方向へと歩いていく。
その小さな歩幅に合わせて、俺は後を付いていった。
「ここだよ」
そう言って少年が指さすのは、なんの変哲もない馬小屋。
小さな農場の一角にある、こじんまりとした木造の小屋だ。
「こっちこっち、おじさん早く!」
少年は両手を振りながら、俺を急かす。
そのまま馬小屋の横にある草むらを進んでいった。
「ここから入るんだよ」
「……随分と無茶を言うなぁ」
草むらの陰に隠れて、一見見ただけでは気づけないが、馬小屋の壁の一部に穴が開いている。
「頑張って、多分おじさんでも通れるから」
少年はしゃがみながらスルッと穴を潜り抜けた。
当然俺は、ほぼ匍匐前進の体勢でギリである。
「ふぅ、ふぅ、これでスーツ破れたらシャレにならねぇぞ。
大事な一張羅なんだから」
穴の先は掃除用具などをしまう一角だった。
どうやら俺たちの通ってきた穴は、うまい具合に木箱で隠してたようだ。
「こっちだよ、おじさん。
あ、ちゃんと箱を戻しておいてね」
「お、おう」
これって思いっきり不法侵入だよな。
……俺何やってんだろ。
「早く!」
「お、おう!」
少年の後に続き、馬房が並ぶ薄暗くて広い場所に出る。
馬の獣臭さが鼻を突く。
「ここを登るんだよ」
そう言いながら、少年は馬小屋の端にあるロープを器用に登っていく。
ロープは天井から伸びていて、高さは3メートルほど。
いやこれ、ホントにきっついぞ……。
「くそう、やってやるよ! 大人を舐めんなよ!」
少年はロープを登り切り、天井裏に入っていった。
「とにかく、慎重に……、慎重に……」
俺は鞄を口でくわえて少しずつ登り始めた。
登り棒なら子供の時にやった記憶があるが、ロープ登りは人生初体験だ。
「おじさん、頑張って」
「ほう! ははへへほへ(おう! 任せておけ)」
「いや、……何言ってるかわかんないんだけど」
その後一回落ちそうになるが、何とか到着。
「ふぃー、着いた……なんだここ?」
そこには綺麗なカーペットが敷かれた部屋だった。
本棚に水の入った樽。
やわらかそうなソファーに、子供用ベッドまである。
そこは子供の秘密基地というには妙に豪華で、設備の整った空間だった。
その中心で少年は両手を広げ、誇らしげな態度で言い放った。
「ふふふっ、よくぞ来てくれました!
この僕、フラウト・ベヨネッタの隠れ家へ!」




