第九話
西肥前の松浦地方へその食指を伸ばすことになった。
松浦地方に根差す松浦党のうち、波多氏で御家騒動が起きている。
波多の若き当主が、周囲にその家督相続を反対されて困っており、
こちらに助力を求めてきたのだ。
何やらどこかで聞いたような話だな。
波多の当主からの助力要請。
これが今回の出撃の大義名分だ。
今回の大将は俺の次弟である新次郎、副将には孫九郎の子である兵庫を任じた。
初めての大将を任せられた新次郎は興奮した面持ちで出征していった。
兄としては、怪我なく帰って来ることを願うばかりである。
その願いが通じたものか、新次郎たちは大過なく帰って来た。
波多の当主を認めさせることと、ついでに松浦をも従属させる、良い成果だ。
これで西肥前を平らげたことになり、良港である平戸や唐津を勢力圏に
加えることが出来た。
これらの功績に、新次郎を安房守に任じたうえで西肥前の旗頭に据えた。
なお、今回俺が直接赴かなかったのには理由がある。
大友の支援を受けた少弐の残党が蠢動を繰り返していたためである。
本来であれば、少弐は悉く殲滅するのであろうが、俺はこれ以上無駄な戦を
避けたく思っていた。
仇敵であった馬場の孫は俺に従っているし、土橋の娘婿も重臣となっている。
神代でさえも和睦し、勝利の跡を継いだ現当主・神代刑部の娘と俺の二男は
先年結婚した。
あくまでも俺たちを下に見るというならば仕方ないが、そうでない余地がある
ならば和睦したいと思う。
これ以上、肥前国内に大友らの付け入る隙を与えたくないという思惑も
当然だが、ある。
少弐の残党らは当初渋ったが、小田の婿殿や神代刑部などが申し添えたので、
これ以上肥前国内での抗戦は不可能と悟り、これを容れた。
少弐は元来、太宰少弐という職式から来た姓であり、武藤氏であったため、
当家においては今後、武藤筑前の名を与えて神崎に城を与え、遇した。
少弐を降したことにより、筑前にて関係の深かった筑紫や秋月などの諸将との
接触が増えてきた。
図らずも筑前へ影響を与えつつ、西肥前をも飲み込み、肥前北部の大部分は
我らの手に帰した。
そんな折、中肥前の領主、後藤氏から救援を求める使者が到着した。