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◇外伝◇ 肥後のクマー

視点が異なります。そしてタイトル出落ち。

肥後国山鹿郡永野城大広間


「汝、隈部但馬守。山鹿郡及び菊池郡を安堵する。以後励むよう。」


大友の使者が上から目線で書状を読み上げる。

ワシは畏まり、恭しく頭を垂れて書状を捧げ頂く。

使者殿には歓待の席へ移動してもらい、広間にはワシと家老の有働のみが残った。


クソッ!忌々しい大友め。山鹿も菊池も父祖とワシが自力で得たものだ。上から目線で安堵される云われなぞないわ!


心の内で荒れ狂っていると、有働が慰めてくれる。


そう、今は大友の力が強い。表だって立て付くと菊池の二の舞に成りかねん。


ワシらの主君であった菊池は肥後守護の家柄。しかし昨今の時勢はそれを許してくれず、守護家は凋落の一途を辿っていた。

先年、大友より送り込まれてきた菊池義武もその例に漏れない。大友一族でありながら他国の守護に据えられ、傀儡に甘んじることを強要される。しかも家臣団も一枚岩ではなく、頼った側から蹴落とされるような有様。

もっとも、ワシら菊池三家老を遠ざけたのは他ならぬ義武自身なのだが。


ともかく、結局菊池は追われ大友が直接影響力を行使することになった。そのため、ワシも大人しく膝を屈し、こうして本領安堵を受けたというわけだ。

忌々しいが仕方のないことだと分かっている。


屈辱の本領安堵事件からしばらくして。

肥後を統治していた大友の代官が、なんと飼い主である大友に反旗を翻した。

ワシらは動かなかったが、これに扇動されて領地を失った阿呆も幾人かいるようだ。

バカめ。


大友に対して建前上従っているワシらであるが、旧菊池家臣として同輩であった

赤星らとの領地争いが激しくなってきている。あまり調子づかせるとイカンからな。


そうして迎えた永禄二年、赤星親家を合勢川の戦いで大いに討ち破ってやった。

赤星は元々菊池の一族であり、大いに勢力をもっていたが、今回敗北したことで凋落が始まったと見ていい。

どんどん切り取ってやるぜ。と、思っていたのだが、やられた。

なんと、赤星め大友に縋りおった。大友の力を背景に勢力が落ちるのを留めようという魂胆か。


赤星に対抗するには、ワシらもどこぞの有力者と誼を通じる必要がある。


肥後をぐるっと見渡しても目ぼしい者はおらぬ。

城越前守などは有力だが、これも菊池没落後は大友に接近しておるからのう。相良遠江守も有力だが、遠くて伝手がない。阿蘇も同様だ。


肥後の周りとなると、豊後大友は論外。筑後蒲池は大友に従属。日向伊東は落ち目だし何より遠い。薩摩の島津は勢いがあるが、相良以上に遠い。却下。

肥前は少弐が守護だが、あれも落ち目。・・・となると、守護代も務めた龍造寺。ふむ、龍造寺か。悪くないな。ちょうど東肥前を平定したようであるしな。肥前とは陸路では筑後を挟むが、海路では隣国である。ちょっと打診してみるか。


龍造寺からは色好い返事が返ってきた。

すぐさま合戦の援軍を求めることは出来まいが、勢いのある近隣の味方というのは大事なものだ。

しばらくすると北肥前や中肥前まで平定してしまった。勢いがあるのは良いが、ありすぎると良くないものを招きかねんぞ。大丈夫か。


大丈夫じゃなかった。

豊前や筑前まで勢力下に置いていた大友が出張ってきたのだ。

遠く肥前にありながら目に付くほどの勢いがあったということだろう。諸刃の剣だな。

主力が筑前に入ったところで、豊前に長門の毛利が入ってきたためすぐに引き返した。

龍造寺は一息つけたというところだろうが、またすぐ来るぞ。

豊前の毛利を追い払った大友が、再度大軍を催し肥前に攻め入ったのだ。龍造寺の本拠・佐賀城はあっと言う間に包囲されて蟻の這い出る隙間もない有様のようだ。今回は赤星らも従軍しており、ワシらにも声がかかったが、仮病を使って断った。

代わりに兵糧などを供出させられたが、致し方あるまい。

むう。出る杭は打たれるというが、これで終わりなのか。


息子や家老らは、龍造寺はもう終わりだろうなどと観測を述べておるが、ワシはまだ終わらぬと見ておる。希望的観測と言われればそうかも知れぬが、ともかく注視し続けよう。


なんということか!どうじゃ。ワシの目に狂いはなかった。

龍造寺は大友に一矢報いた。佐賀城を囲む大将である、大友八郎を討ち取ったのだ。

一報を聞いた息子や家臣らは呆然としておる。ふふん。


これで大友の士気はだだ下がり。諸将も動揺しておる。

むろん、これだけで大友に打ち勝つことにはならないが、有利な和睦を結ぶことが可能となった。事実、龍造寺は大友の傘下に入ることで和睦したが、その実独立を勝ち取ったと言って良い。

建前上大友の傘下にいる者同士となった。図らずも同志となったのだ。お祝を送っておこう。



さて、建前上大友傘下になった龍造寺は肥前を統一する勢いだ。

ワシも負けてはおれんな。とは言え、表だって戦を起こすと大友が出てこぬとも限らぬ。

婚姻政策で勢力を広げることとしよう。


二男を内空閑に送り込み、山本郡を手にした。また玉名郡の長野に弟を送りこれも手中だ。

その他、近隣の豪族らに一族の娘などを入れたり、迎え入れたりして順調に勢力を拡大させていた。


そんなことをして過ごしていたが、最近どうも大友と島津の間でキナ臭いものがある。

島津の伸長は甚だしく、相良や八代辺りにちょっかいかけたりしているようだ。さらに日向へ侵攻、伊東を蹴散らし大友側を駆逐する勢いだ。

大友はこれに対し、伊東を支援し日向へ侵攻する構えのようだ。


このような状況下で、大友は肥後・筑後・肥前にある傘下の将に参陣を促している。

ワシは行かぬが、赤星や城などは参加するようであるし、筑後の蒲池も出陣するようだ。

龍造寺は予想通り、言を左右にして行かぬ構えだな。

おや、蒲池の当主も行かぬようだ。蒲池の当主は龍造寺の婿だ。これは、何かあるか?


大友傘下の諸将が豊後、日向の大友の元へと続々と集まっている。

そんな中、龍造寺から密使が来た。

今度の戦役は大友が圧倒的不利であり、これを機に打って出るとのことだった。

ワシはこのことを息子と家老など、極一部の腹心にのみ開示した。

以前大友を討ち破った龍造寺のやることと、ワシがそれを信じていることを察した息子たちは即座に準備を進めることにしたようだ。

ふふふ。ついに、世に打って出る日が来たようだ。


龍造寺の当主はワシよりも少し年上らしいが、随分と果敢なようだ。

巷では肥前の熊などと言われそうになっているという風聞があるらしい。

あちらが肥前の熊ならワシは肥後の隈だ。わっはっは。これは傑作じゃ!


ん、なんじゃ式部。そういう恥ずかしいことは人前では止めろ、じゃと?

やかましいわ!


龍造寺の兵や武具、兵糧などが続々と肥後に運び込まれている。

また、龍造寺はワシらを介して肥後の諸将に味方に成るよう呼び掛けたいとのことだ。

ワシは阿蘇や相良に伝手を以て情報を伝えた。まあ相良は遠いから間に合うか分からんがな。

天草郡、芦北郡や宇土郡、それに八代郡の小豪族たちにも伝手で伝えておこう。こう言う時のために伝手を手広くしてあったのだからの。


日向の耳川というところで大友と島津がぶつかったらしい。

結果を注視していたが、大友は大敗したらしい。


ざまあみやがれええええええぇぇっぇぇぇーーーーっ!!!


おっと取り乱した。

うむ。そんな目で見るな息子よ。お前しかいないのだから別に良いだろう。


これで大友は終わりだな。

ん?まだ分からんのじゃないかだと。息子よ。龍造寺を忘れるな。これからは龍造寺の時代じゃぞ。

ワシらもこれに乗っかるのだ。

肥後を切り取り、更に遠国にまで打って出ることになるぞ。

さあ、早く準備せよ。各地にも早急に通達するのだ。

ふふふ。血が滾るわ!


ワシらは素早く挙兵。弟と息子に兵を与えて南進させ、ワシは龍造寺を出迎えるとしよう。

当主が来るかは分からんが、出来れば会ってみたいものよな。


そしてやって来たのは次期当主が内定している嫡子殿であった。

当主殿は筑前へ向かったか。まあ致し方あるまい。博多は重要故な。

肥後にも港が欲しいのう。玉名か宇土あたりを開けば良港になるだろうか。

まあそういうことは後じゃな。今を大事にせねば。


ふむ。次期当主殿はワシの息子と大体同じ年代か。なかなかしっかりしている、というよりもしっかりしようとしている。良い青年だ。

もっと早く出会っていれば婿にしたものを。惜しいのう。

おおそうじゃ、龍造寺とも姻戚にならねばならぬ。息子の継室辺りを依頼しておこう。


弟は宇土まで一気に侵攻。天草から入ってきた龍造寺軍と合流し、案内役を買って出た。

息子は芦北に上陸した龍造寺軍と合流。共に南部を平らげ、薩摩を窺っているという。

ワシは次期当主殿とともに、肥後国内を睥睨し抑え役を任じられている。

飛躍間違いなしの龍造寺にかけた我が見識は正しかったと証明された。旧主の菊池ではなく、大友でも島津でもなく、龍造寺にな。


次期当主殿は、ワシに遠慮なく尋ねてくる。地勢はもとより、軍略から将への接し方まで。

血脈に全く繋がりがないことが、まことに惜しい。

そしてこれほど立派な次期当主を育て上げた当主殿に会ってみたい。是非とも会ってみたい。この戦が一段落したら、是非お会いして、息子談義に花を咲かせてみたいものじゃ。


肥後での大友勢力は一層された。

日向に注力して、しかも敗退したのだから当然じゃな。同様に島津も日向に注力しておりその圧力はほとんどなかった。


次期当主殿から、次は薩摩と日向に攻め込む手筈だと伝えられた。

薩摩へは旧嫡流の者を取り込み、日向は伊東の残党と音信を交わしていると。

なかなか用意周到なことじゃ。

こちらが予め用意した様々な伝手を全力で、且つ上手に活用しておる。

む。相良までは手が回っておらんようじゃな。

どれ、ワシの方でやっておこうかの。


薩摩を落として大隅に進出、さらに日向を席巻か。

凄まじい勢いじゃ。

薩摩方面への先手に息子が入っているのが誇らしい。

二男には筑後との連絡を密にするよう伝え、甥は相良へ送った。

ワシの目論見は概ね成功を収めている。龍造寺による九州統一も間近であろうな。


次期当主殿が先手の後詰として芦北まで南下するという。

ワシも当然ついていく。

ここらで相良との繋ぎを明示しておかなくてはならんな。あちらにも龍造寺の一手が入れば、島津も終わりじゃろう。


日向の島津主力が降伏したか。大隅の残党も遠くはあるまい。

これで、残るは豊後の大友だけ。

次期当主殿は肥後にあって、諸将の挨拶を受けるという。ワシにはその隣に座っているよう要請を受けた。

これは同盟者としての形式か、個人としての信頼か。出来れば後者の方が嬉しいのう。


肥後に於いては、宇土の領主であった名和が滅んだ。

何が不満であったのかは知らぬが、忍従するのを厭うたか。馬鹿なことを。あるいは阿蘇の分家と結んでいたと聞く。巻き込まれたか。

名和の当主には従兄弟がおったはず。今回の戦には加わっておらなんだようじゃ。いずれ掬い上げて再興させねばなるまいな。


豊後の大友が降伏した。

あっちもあっちで無残な有様じゃったようだ。

隠居・当主・分家で三つ巴など、笑い話にもならぬ。

あの大勢力を誇った大友の隠居が当主によって斬られるとは、無常よな。


気を取り直して、これで龍造寺による九州統一が果たされた。

早くから誼を通じ、上手く立ち回ったワシは称賛されてしかるべきじゃろう。

おっと。馬鹿なことを言ってないで当主殿に挨拶せねば。

どんな人物であろうか。この歳にして昂ぶる心が抑えきれぬ。


御当主殿に挨拶する機会は存外巡ってこなかった。

次期当主殿と行う戦後処理に時間を食われたのだ。

御当主殿の方でも北部九州の処理と毛利などへの手当に時間を食われたらしい。

まあ、これは仕方ないのう。


そうして漸く迎えた初会合。

翌日は諸将の論功行賞が控えているが、同盟者として逸早く挨拶の場を設けて貰った。

席には当主殿に次期当主殿をはじめとする御一族。そして鍋島や納富などの重臣方がおられる。

こちらはワシと息子たち。弟に有働などの重臣連中。


会談は和やかな空気で進んでいった。

やはり早くから誼を通じたことは心象を良くしており、肥後での我らの動きもまた良いものであったようだ。

まもなく家督を譲ること、息子の嫁を世話してくれること、家臣たちの交流をはかることなど話が進む。

そして、ワシは次期当主殿が家督を譲られた時、臣下の礼を取ることにすると告げた。

先方は驚き目を丸くしている。

なに、問題はあるまいよ。

同盟者のままでは一円支配には差し障りがあるし、次期当主殿の器は既に知っておる。


御当主殿は、なかなかに好い御仁であるようだ。

逆境には敢然と立ち向かいつつ、平時は極めて穏健な人柄。これは人が付いてくるはず。ここまで来れたのも納得というものじゃ。


ところで「肥前の熊」と言われそうになっているらしい旨、水を向けたら微妙な表情をしておられた。

むう、格好良いと思うのだがな。

先方が微妙と言うなら、ワシも「肥後の隈」などとは云わぬが良いかのう。残念じゃのう。

息子が然も有りなん、としたり顔をしているのが悔しい。ぬうぅ。


後日、御当主殿は家督を譲られ、新当主殿にワシらは臣下の礼を取った。

そして、息子に龍造寺一族から嫁が宛がわれ、その婚礼の儀にてワシは家督を譲り隠居した。


まだまだ元気ではあるが、若い衆に任せるというのも上の者の務め。

決して息子の嫁がちっこくって可愛らしく羨ましかったという疾しい理由ではない。

こっそり作った三男のことが家内にばれてヤバいとかは思っていない。


先代当主殿には既に孫がいるらしい。ワシも早く孫の顔が見たい。

こう思ってしまうのは歳を食った証拠かのう。


当代御当主殿を主軸に据えて、これから九州はどのようになっていくのか。

決して悪い方向へは行かぬと確信している。

あとはまあ、息子たち若い衆がしっかり働けばどうとでもなろう。



ワシは、論功行賞の席での御当主殿からの、あの一声が忘れられぬ。


「隈部但馬。これまでの忠勤に報い、肥後菊池郡及び山鹿郡を安堵する。

また、嫡子への家督相続の儀を許す。但馬式部、そなたを肥後国主格に任ず。以後、励め。」




ワシは、やり遂げた!


お読み下さり、誠に有り難く。

肥後のクマー(相良)にして球磨郡を舞台に、という案もありました。

自重しました。

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