第一話 告白
短編版「俺の告白を信じたお前の顔、最高だったよ」好評につき、連載版スタートしました!
チューリップの蕾が膨らみ始めた、まだ肌寒い春の日。
貴族の子女が通うことになっている王立学院にて。
レイシア・フローリア子爵令嬢は、大きく伸びをしていた。
お昼を告げる鐘が鳴っている。
長かった礼儀作法の授業もやっと終わりだ。
待ちに待ったご飯の時間!
レイシアがルンルン気分で食堂に行こうと立ち上がった時だった。
「レイシア!」
声のする方には、蜂蜜色の金髪に、薄い空色の瞳をした青年が立っていた。
「ルシアン、どうしたの?」
レイシアは、弾む胸の調子を表に出しすぎないように気をつけながら、答えた。
ルシアン・ランベール侯爵令息は、レイシアの五歳からの幼馴染だ。
領地が隣同士で家同士の付き合いも深く、幼い頃から何度も顔を合わせてきた。
「……話があるんだ」
「え、なに? 怖いんだけど」
「ここじゃ言えない。大切な話だ。放課後、サロンの裏に一人で来てほしい」
ルシアンはそう言いながら、恥ずかしいのかレイシアから目を逸らし、そっと教室の奥の方を見た。一瞬、その口元が歪む。けれど、その歪みはすぐに消えた。
ルシアンは顔を少し赤くして、俯きながら言った。
「二人の将来について、話したい……」
その瞬間、レイシアの胸の鼓動がひと回り大きくなった。
顔が熱い。指先が震える。
バカでも、ルシアンが何を言いたいのか分かる。
「わ、わかったわ」
レイシアはなんとか声を絞り出した。
そして、同じ側の手足をぎこちなく動かしながら、そそくさと教室を出ていった。
教室中が静かな歓声を上げていたのには、気づかないふりをした。
♦︎
昼食は味がしなかった。
友人の話は右耳から左耳に通り過ぎた。
そして放課後がきた。
レイシアは授業が終わるや否や、早足でサロンの裏側に向かった。
胸がずっとうるさかった。まるで胸の鼓動のせいで、全校生徒に居場所がバレてしまうんじゃないか。
そんな不安を隠すように、足を早めた。
サロンの裏側は、校舎と渡り廊下に囲まれた、人目につきにくい場所だった。
ルシアンはまだいなかった。
どっちから来るだろうか?
まだ来ないことを確認して、手鏡で身なりを再度チェックする。
髪に艶が出るよう、何度も櫛を通す。
少しでも可愛く見えるように。そう願いながら。
その時だった。
「レイシア」
肩がビクッと上下する。
恐る恐る振り向くと、そこには太陽のように笑うルシアンがいた。
胸の音がまた大きくなる。
今までに感じたことがないほど、顔が熱い。
呼吸の音が妙にざらざらする。
喉がカラカラだ。
「な、何よ」
ルシアンがゆっくりとこちらに歩いてきた。
そしてレイシアの目の前で止まった。
レイシアはルシアンの目をじっと見る。
ルシアンも見返してきた。けど恥ずかしいのだろう、ルシアンは目をわずかにレイシアの目から逸らしていた。
ルシアンが口を開いた。
レイシアは、ごくりと唾を飲んだ。
「レイシア。今まで言えなかったんだけど、好きだ」
時間が止まった気がした。
五歳で初めて会った日、転んで泣いていたのを慰めてくれたのはルシアンだった。
十歳の誕生日、誰よりも立派な花束を送ってくれたのもルシアンだった。
ずっとずっとルシアンのことだけを見ていた。
学院に入って他の令嬢に囲まれる彼を見て、この恋が叶わないことに絶望して泣いた夜は何度もあった。
全部、報われるのだと思った。
うまく息ができない。
また一歩ルシアンが近づく。
ルシアンのまつ毛がはっきりと見えた。
なんでこんなに長いのかしら。
その様子を見たからだろう、ルシアンが不安げにしているようにレイシアには見えた。
「家のことなんて関係ない。君が好きだ。明日の舞踏会、俺の婚約者として踊ってくれないか?」
婚約者。
ずっと夢見てた。
子爵家と侯爵家だと家格が違う。ましてルシアンは侯爵家の令息だ。
レイシアが正式な婚約者として選ばれることなど、夢のまた夢だと思っていた。
叶わない夢。
そう思ってずっと何年も心の奥底にしまっていた願い。
体に温かな熱がゆっくりと広がっていく。
「……私でいいの?」
レイシアは、震える声で目の前で起こっていることが現実なのか確認する。
ルシアンはその質問を聞いて、ほっとした顔をした。
そしてすぐに、にっこりと笑った。
「君がいいんだ」
君がいい。どれほどその言葉を望んでいただろうか。
ぎゅっと手を握りしめる。
痛い。
ちゃんと現実だった。
レイシアは握りしめた力を緩めた。
そして、軽く息を吐いた。
ルシアンの目を見つめる。
ルシアンが緊張するのが分かった。
レイシアは口を開いた。
「私もあなたのことが好きです。婚約者にしてください」
ルシアンの目を見てゆっくりと言った。
ずっと隠していた想いが全部届くように。
ルシアンが顔をクシャクシャにして頷いた。
次の瞬間だった。
建物の裏から、何人もの隠しきれない歓声が聞こえた。
レイシアは慌てて振り返る。
「誰っ! そこにいるのは!」
体が強張る。
数人の男たちが出てきた。ルシアンの友人たちだった。
今までのやりとりを聞かれていたなんて。レイシアは顔が熱くなる。
思わず下を向く。
きっと、ルシアンも怒ってくれる。見られていたなんて恥ずかしいけど、ルシアンなら「覗き見するな」と追い払ってくれるはず。
そう思って、ルシアンを見た。
ルシアンの友人の一人が笑いながら、嘲る調子で言った。
「ルシアン、良かったな」
良かった友達も祝福してくれてる。
恥ずかしいけど、嬉しいわ。
そう思った次の瞬間。
「これでお前の負けだ」
レイシアは思わず顔を上げて、固まった。
この人たちは何を言っているの?
「ルシアン、負けたんだし、賭け金を払ってもらおうか」
レイシアは目の前で起きていることが理解できなかった。
いや、理解することを拒んだ。
何かの間違いかもしれない。
そう思ってレイシアは、ゆっくりとルシアンの方を振り向いた。
「はあ。まさかレイシアが本気にするなんてな。ったく、有り金持ってけ!」
そこには頭をかきながら、困ったような顔をするルシアンがいた。
「ど、どういうこと?」
声が震える。目がチカチカする。
指先がうまく動かない。
聞くのが怖かった。けど、聞かずにはいられなかった。
「わからないの? さっきの全部、嘘だから」
そう言ってルシアンは、友人の方を向いて笑った。
嘘。
その一言が、耳の中で反響していた。
全部。さっきの告白が。あの声が。あの顔が。
嘘。
「いや〜、侯爵と子爵なのにまさか本気にするとはね」
「俺はレイシア嬢を信じていたぜ。ふっふっふ。おかげで一儲けできた」
「だから言っただろ。レイシア嬢なら、侯爵家に入れると思って本気にするって」
周囲の声が遠くから聞こえる。
胸ポケットから財布を取り出して、金貨をやり取りするルシアンの姿が見えた。
呆然とするレイシア。
ルシアンが振り向くと、笑いながら言った。
「まさか、本気にするとは思わなかったよ。子爵家と侯爵家じゃ家格が違うし、まさか信じるとは思わなかった」
そう言って、レイシアの肩を軽く叩く。
「でも、俺の告白を信じた顔、最高だったよ。レイシア、女優の才能あるよ。今度もう一回やってよ」
息ができない。
喉が渇いた。
掠れた声をなんとか引っ掻き出す。
「……全部、嘘だったの?」
ルシアンが笑った。いつもの太陽のような笑顔。
でも、なぜかいつもと同じに見えなかった。
誰か知らない他人が笑っていた。
「そう言っているじゃん。いや、俺とお前の仲じゃん? こういうの怒らないと思ったし、ちょうどいいなって」
ちょうどいい。
何がちょうど良かったのだろう。
「……そうなんだ」
「おいおい、怒るなよ。俺が悪者みたいじゃん?」
そう言って、おどけたように笑うルシアン。
いつもなら、その笑顔を見たら、どんな時でも元気になれた。
心臓の音が一段上がった。
世界が色づいた。
けど、全部過去の話だ。
「……そう」
「おいおい、マジになるなって。ただの冗談だろ?」
そう言って肩に触れようとしてくるルシアンの手を、レイシアは払った。
「……レイシア?」
「触らないで」
自分でも驚くほど、冷たい声が出た。
「ルシアン、これからは二度と必要な時以外で話しかけないでちょうだい」
「二度とって大袈裟な! どうしちゃったんだよ」
目を丸くするルシアン。いつの間にか、ルシアンの友人たちも黙っていた。
「あなたとは、もう話したくないわ。これからは、一線を引いて付き合いましょう」
「話したくないって。子供じゃないんだから。ったく。これくらいの冗談、笑って受け入れろよ」
ああ、話が通じない。
さっきまで体を満たしていた熱が消えていた。
あれほど苦しかった鼓動も、今は聞こえない。
「これくらい、の認識に齟齬がありそうですね。ランベール侯爵令息様」
他人行儀な言葉に、ルシアンが顔を顰める。
「なんだよ、その言葉。嫌味か?」
「いえ。私なりの覚悟です」
「勝手にしろよ」
「そうさせていただきます」
レイシアはくるりと後ろを向いて歩き出した。
ルシアンはぎゅっと拳を握って、レイシアをじっと見ていた。
けど、何も言わなかった。




