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4章 裏切り(3)

 その侵入者の名前は、フューラといった。地球人、女性、年齢は不明。Galaxiaはデータベースを当たったが、該当するプロフィールは一つも見当たらなかった。

 何をどう対処すればいいのか分からない。Galaxiaは、あくまで操船コンピュータである。長い航行中、乗員の相手ができるよう相当な知識を蓄えてはいるが、犯罪行為については、ほとんど何も知らない。水嶺を初めとする製作者たちは、あえてGalaxiaにそうしたデータを与えなかった。犯罪に関する情報がGalaxiaの思考に悪影響を与えたり、人間に対する不信感の基となったりするのを恐れたのである。

 そんなGalaxiaに、対処法など分かるはずもない。危険な状態に陥ったら、あるいはそれが予測される事態に陥ったら、とにかく逃げる、それがGalaxiaの知る唯一の対処法である。けれども、それが船内で起こってしまった場合、一体どう逃げればいいのだろう?

 わかばはあてにならないし、火星との通信は遮断させられてしまった。問い合わせることもできない。

 通信は、もっぱら光通しを使って行われている。傍受はそう簡単ではないはずだが、何か方法がないとも限らない。火星に問い合わせられないなら、自力で考えどうにかする他はない。

 Galaxiaは、必死に考え、そして一つの結論にたどり着いた。わかばを船から脱出させる、それだけが唯一乗員を守る道だと。幸い、今はまだ火星とそれほど離れていない。わかばを救命艇に乗せ、目的地を火星に設定しておけば、後は、火星が保護するだろう。

「言われた通り、ロボットを全て機能停止させ、火星に対する全ての発信を停止しました。指定の目標へ向かって減速航行を行っています。わかばを放して下さい」

Galaxiaは言った。こちらは相手の要求をのんだのである。向こうがいつまでもわかばを拘束する理由はない。

 けれども、フューラはすげなかった。

「それはできない」

冷たく言い放つ。そして一層、わかばの喉元に強く刃を当てた。

「やめて下さい!」

Galaxiaが悲鳴に似た声を上げる。

「あなたが何を望むのであれ、わかばは関係ないでしょう。彼女を船から脱出させて下さい。そうすれば、全てあなたに従います」

「全て・・・ね。なら、このまま引き返して火星を破壊できるか?重力線の焦点を上手く調整すれば、簡単なはずだ」

「何を・・・」

Galaxiaは絶句した。

「そんなことをしたら、太陽系のバランスが狂うかもしれません。そうなれば、地球もただではすみませんよ」

「惑星を破壊する必要はない。宇宙ステーションと火星のドーム都市全てを破壊するだけで十分。そうするというなら、」

フューラは再びナイフを握り直した。

「この子だけは助けてもいい。ただし、お前が実行した後で」

Galaxiaが黙り込む。Galaxiaも一定の倫理規範を持っている。その規範は、フューラのいうような破壊は許されないと告げている。一方で、Galaxiaは、乗員たるわかばを守らなくてはならない。何をおいても。

「駄目だよ、Galaxia」

今まで黙っていたわかばが言った。

「そんなことしちゃ駄目」

「火星人の味方をするのか」

「あそこには、シャハンのおじさんや、お姉さんたちや、あの変なお兄さんもいるんでしょ。駄目だよ、みんな仲良くしなきゃいけないってパパさんが言ってた。壊すのは簡単だ、でも作るのは大変だって」

「シャハン・・・か」

フューラはうっすらと笑った。その名前なら、知っている。

「地球を火星に売り渡した男、火星の手先だ。あそこにいる地球人は、所詮火星人の同類。死んで当然の連中だ」

「そんなことないもんっ」

わかばは叫び、何とかして逃れようともがいた。それをフューラが押さえつける。その拍子に、わずかばかり刃が当たり、血がにじみ出た。

「わかば!どうしてそう刺激するようなことを言うんです。少し大人しくしていて下さい。フューラ、わかばの手当を・・・」

「この程度、傷のうちに入るか」

フューラが言った時、わかばがその手に噛みついた。反射的にフューラがわかばの頭を殴り飛ばす。床に飛ばされ転がったわかばをフューラはすばやく捕まえ直した。

「殺されたいのか」

フューラが低く言う。

「わかば、せめて私の指示には従って下さい。彼女を刺激しないで。いくらあなたが暴れたって、縛られているのに逃げられるわけがないでしょう」

全く馬鹿なんだから。口癖になっているのか、Galaxiaがそうつぶやくように付け加える。

「だって!このままだと悪いことをするんでしょ」

「しません、しませんから、大人しくして下さい」

わかばに何かあれば、Galaxiaがフューラに従う理由がなくなる。Galaxiaが持ちかけた、「わかばを逃がしてくれれば全て従う」という取引を拒んだのは、わかば抜きではこちらが約束を守らないかもしれないと考えてのことだろう。そうであるならば、少なくともGalaxiaを従わせる必要がある限り、わかばにそう無茶はしないはずである。だが、このままわかばが彼女を刺激し続ければ、どうなるか分からない。殺さぬまでも、ひどく痛めつけ傷つける恐れは十分にある。

「絶対しない?約束する?」

「しません。約束します」

ああまったく面倒な。Galaxiaは思った。こんな時に何を呑気なことを言っているのだろう?

 この状況を何とか打破できないかとずっと考えているが、何一つ思いつかない。敵が船の外にいるなら、まだ対処のしようがある。けれども、目下、敵は内部にいて、しかも乗員を人質に取っている。そんな可能性は全く考慮の埒外であったから、当然、Galaxiaの方に備えは何一つとしてない。侵入されないための防御はそれなりにあるものの、内部からの切り崩しには完全に無力である。

「悪いこと、か」

うっすらとフューラは笑った。

「何が悪いことだって?」

「ドーム都市を壊すって言った」

わかばはフューラを睨み付けた。

「それって悪いことじゃない」

「何も地球のドーム都市を破壊するとは言っていない。火星人を倒すだけだ」

「火星人は、地球を助けてくれたんでしょ?どうして火星人をやっつけなきゃいけないの?」

火星人がもし地球へ来なければ、地球人はとうに滅びていただろうと学校の先生は言っていた。彼らは地球へ来、環境を浄化してドーム都市を築いた。食糧を初め、人間が生きて行くのに必要なものの生産設備を整えたのも彼らである。彼らはまた、人々に様々な技術や知識を伝えもした。そんな火星人たちをフューラは倒すのだと言う。

「ある日天空より降り立ち・・・か」

フューラは、ふ、と鼻で笑った。わかばを突き倒し、中央シートの台座に腰を下ろす。

「そうだ、彼らは、ある日突然地球へやって来た。地球人を家畜化するために」

思いがけない言葉に、わかばが少し面食らった風でフューラを見上げた。

「家畜って分かるか?豚や兎の類いだ。人の役に立つように『改良』され、餌や住処を与えられた畜生だ。生かすも殺すも人次第。人の都合で食われたり、子を奪われたり、そのために『飼われて』いるんだ」

 ドーム都市では、基本的に衣食住で困ることはない。基本的な分については、支給を受けられる。火星人が作ったシステムだが、地球に自治が認められた後もそのまま引き継がれている。もっとも、発注したり配送したりするのは地球側が行うものの、実際の生産にまつわる管理は全て火星の管轄である。

 一時期地球人が管理したこともあったが、「大地の守護者」たちの介入を許す等問題が続発、火星が再び管理するようになった。資源の採掘場や主要な生産施設は全て、火星が----厳密には、火星の管理下にあるコンピュータ群が----管理している。こうした採掘場であれ、生産施設であれ、今では完全武装をしており、おいそれとは近づけない。

「火星人が地球人を助けた?笑わせる。連中は、自分たちに都合良く地球人を作り替え、いじくり回したいだけだ」

「火星人は、地球人を食べたりしないよ」

「家畜でないなら、玩具だな」

フューラは、くるくるとナイフを弄びながら言った。わかばが今にも泣きそうな風になる。

「そんなことないよ。だって、先生は・・・」

「学校が本当のことを教えるわけがないだろう。馬鹿なちびさん。ドーム都市は家畜小屋かおもちゃ箱、お前たちは、餌と住処を与えられて、のほほんと生きている。ある日突然、火星人がかっさらいに来る時まで、気付かない。お前だってその犠牲者だろうが」

「わたし・・・?」

わかばが驚いたように目を丸くする。

「お前、好きでここにいるのか?本当は、地球で家族や友達と一緒にいたかったんじゃないのか」

「それは、そうだけど・・・」

「宇宙船を与えると言えば聞こえはいいが、体のいい実験体だ。おかげで、お前は今、こんな目に遭っている。それでもまだ連中をかばうつもりか」

何が何やら分からない。わかばは混乱して頭を振った。

「わかば、大丈夫ですか?」

心配したGalaxiaがそう聞いてくる。Galaxia。あなたの船よ、と水嶺は言っていた。仲良くしてやってね、と。

 水嶺にシャハン、キュリス。そして・・・ロスハン。火星人だと言っていた。確かにどこか変だった。水嶺のことが好きだと言っていた。悪い人には見えなかった。火星人は冷たいと聞いていたけれど、全然そんなことはなかった。

「まだ分からないか?」

フューラは更に言った。

「私の祖父は、皆から尊敬される人だった。ある日火星人に連れ去られ、死んで帰ってきた。連中が何をしたか知っているか?生きたまま、引き裂いたんだ」

小さくわかばが息をのむ。

「お前もやってみるか?それがどんな感じのするものなのか」

ついとナイフを突きつける。わかばは嫌がって後ろへのけぞった。Galaxiaがそろそろとロボットたちへの指令準備をしかける。が、フューラは本気で言ったわけではないようだった。

「私の祖父の話は、別に特別なものじゃない。そんな地球人がたくさんいる。火星人たちは、地球人を切り刻み、病を植え付け、拷問にかけた。従わぬ者は容赦なく捕らえ、殺したんだ」

「そんなの・・・嘘だよ」

辛うじてわかばは言った。

「嘘だよね、Galaxia」

わかばがGalaxiaのスクリーンに目を向ける。

「火星人は、地球人を知るために、確かに初期の頃いろいろと無茶をしたようです。彼らにとっては、普通のことであり、悪意に基づくものではありませんが、結果的に、地球人から見れば残虐行為になってしまったのでしょう」

「じゃあ、あの変なお兄さんも、そんなことをしたの?」

「ロスハンはかなり『若い』ですから、関わっていないと思います。今の火星人は、地球人を切り刻んだりはしませんよ。必要なデータは得たみたいですから」

「ロスハンっていくつ?」

「火星人に、地球人のような年齢の概念はありません。ですが、地球式に生まれてからの年数をということなら、16年になります」

「もっと年上かと思った」

「火星人は、地球人の基準で行けば『年齢不詳』ですから」

ロスハンが関わっていないと知って、どこかほっとするのは何故だろう。水嶺とじゃれていたのを思い出す。水嶺に向ける眼差しが、他と少し違うことにわかばは気がついていた。仲良くしてるかな、思ってから、きっとまた喧嘩してるね、と小さくつぶやいた。つい一昨日なのに、もうずっと遠い話のようである。

「火星人に知り合いがいるのか」

少々意外に思ったらしい。フューラがそう尋ねた。一般的な地球人が火星人を直接知っていることは、あまりない。わかばのような子供ならなお。

「船に乗る時に来てた。ロスハンって言って・・・うーんと・・・変な人なんだって。確かにちょっと変だよね、Galaxia?」

「さあ、私には分かりませんが。基本データは持っていますが、個人的にはそれほど知りませんから」

「そうなんだ。でねえ、ロスハンは、水嶺お姉さんが好きなんだよ。でもね、()()()()()なんだって。かわいそうだよね」

「火星人がかわいそう、ねえ」

フューラはため息をついた。

「お前、人に同情している場合か?」

「好きな人に好きって言ってもらえなかったら、悲しいよ?」

「そういう意味ではなくて」

ああ----フューラは心の中に深いため息をついた。この子は、余程幸せに育ったのだ、と。だから、人の悪意を理解しない。本当に誰かが自分を傷つけるとは夢にも思っていない。だから、呑気に構えていられる。

 古い古い時が甦る。もう長い間思い出すこともなかった、古い時間。父がいて、母がいて、大勢の人々がいた。皆で働き、皆で歌い、皆で笑い合った。夜ごと「神様」に感謝の祈りを捧げ、「神様」に守られて眠った----

 ずっとあのままでいられたら、どんなに良かっただろう。穏やかな日々、それがずっと続くのだと、それを欠片ほども疑っていなかった・・・

 そんな世界があることなど、忘れ果てていた。あの日、父が連れ去られて、全ては変わった。世界は暗黒の中にあると、以来ずっとそう思い続けていた。

 けれども。

 ほんの一歩違えば、今も変わらず穏やかに過ごしている者たちもいる。世界が変わったのではない。自分の位置が変わったのだと、この時突如、気がついた。二度と戻ることのない幸せに明るい世界。わかばは、家族から引き離されてなお、まだその中にいる。小さな少女と、自分と。その距離はほんの数十センチ。けれども、生きている世界はまるで別次元である。そして不意に思った。何故自分は、こんな塗り込められた暗い世界の中にいるのだろう、と。

 幸せな世界にいる少女。人の「善」を信じて疑わない。火星人のことでさえ、彼女は大切に考える。そんな時間もそう長くはないだろう。彼女は、否応なく厳しい現実に直面することになる。彼女から温かに優しい世界を奪うのは、自分、なのか・・・

「フューラ、許可を下さい」

不意にGalaxiaが言った。

「食事を用意して運ばせます。あなたがどうあってもわかばを解放しないのであれば、ロボットを使う他ありません」

「ロボットって料理できるの?」

わかばが驚いたように尋ねる。

「合成食になりますが」

Galaxiaの答えに、わかばがぐええ、と変な声を上げた。

「絶対嫌」

「嫌といって、仕方がないでしょう」

「だって、あれ、味めちゃくちゃじゃない」

「でも必要な栄養素は揃っていますよ?」

「あれなら食べない方がましだよ」

「駄目です。きちんと食事をしないと、身体によくありません」

いざという時動けませんしね。Galaxiaは声に出さずに付け加えた。とにかく、いつでも動ける態勢だけは整えておきたい。火星も異変は察知しているはずである。このまま手を拱いてはいないだろう。指定された目標につくまでに、まだ時間かかる。その間何も飲まず食わずでは、大事な時に手詰まりになってしまいかねない。

「分かった。じゃあ、作ろうよ」

わかばが言った。

「おば・・・ええと・・・フューラ、さん、だっけ。ずっと船に隠れていたなら、御飯ちゃんと食べていないでしょ?わたし、料理は得意なんだ。何がいいかな・・・ってお豆と野菜と魚と後は食用トカゲくらいしかないけど」

「馬鹿か?それを許すと思うのか」

「フューラさんだってお腹空いたでしょ?わたしもお腹空いた。Galaxiaはいいよね、食べなくて平気なんだから」

「そういう問題ですか?」

あきれてGalaxiaが言う。一体どこまで呑気に出来ているのだろう?

「大丈夫、逃げたりしないよ。約束すればいいんでしょ?御飯を作って、食べて、そしたらまたこの状態に戻る。それでいいよね?」

「お前・・・」

フューラは、馬鹿だな、と言いそうになって、しかしその言葉を飲み込んだ。

「ね、御飯作って食べようよ。そしたら、元気が出る。フューラさん、顔色悪いよ。パパさんが言ってた。あったかい御飯は、それだけで人を幸せにするって」

やたらと熱心にわかばが言う。大方自分も空腹になってきているのだろう。

「フューラでいい。・・・で、パパさんというのは、お前の父親か」

「うん。幸せの研究をしてるんだよ。みんながどうやったら幸せになれるか、調べてるの。ええと、なんだっけ・・・テツガク?火星局で働くことも考えたけど、ジツムができないからやめたって。そしたらね、みんなが、それは良かったって言うんだよ。パパさんが火星局で働いたら、周りはきっと大変だっただろうって。でも、ジツムってなんだろ?」

わかばがちょこんと首を傾げる。

「まあいいや。ねえ、何が食べたい?」

「豆のスープ」

そのつもりはないのに、何故かフューラはそう答えてしまっていた。ぱっとわかばが顔を輝かせる。

「いいね!後お魚焼こうかな。まず釣らないとね。トカゲの方が好き?」

「なんでもいい」

フューラは何やら気が抜けてしまって、そう答えた。

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