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碧玉寺へようこそ!  作者: 佳景(かけい)
第四章 ストーカー
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 樹と英知は檀家への挨拶もそこそこに、早速庫裡の裏へ向かった。


 女性はやはり車の中にいて、樹と英知が向かってくるのを見て、少し表情を強張らせる。


 一応後ろめたいことをしている自覚はあるようだった。

 

 樹と英知は車の前で足を止めると、サイドウィンドウ越しに女性に話し掛けた。


「すみませんが、車から降りて頂いても構いませんか?」


 女性は不安そうな面持ちだったが、それでもゆっくりとドアを開けると、車を降りた。


 交渉役はあくまで樹で、英知はほとんど只の付き添いだ。大の男でも恐れを為す顔をした英知に交渉役を任せると、本題に入る前に女性が逃げ出しかねない。

 

 樹は丁寧に頭を下げて女性に言った。


「ご挨拶が遅れました。私はこの『碧玉寺』で副住職を務めております、蛍原樹心と申します。あちらは住職の蛍原英知です。よろしければ、お名前をお聞かせ願えますか?」

「……沓名菫です」


 菫が会釈するでもなく、固い声でそう名乗ると、樹は言った。


「では、沓名さん。あなたは二週間程前から、この『碧玉寺』でこの寺の関係者に対してストーカー行為を行っていますね?」

「そんなことは……」


 菫の言葉を、樹は強い口調で遮った。


「ストーカー行為を行っていますよね?」


 樹の背後からプレッシャーを与える英知が余程怖かったのか、菫は渋々頷いた。


「……はい」

「あの方が女性にとって魅力的なのはよくわかりますが、あの方にはもう奥様がいらっしゃいます。どれだけストーキングを続けたところで、あの方は決してあなたの物にはなりません。あなたがここにいることで、あの方に不愉快な思いをさせているだけでなく、檀家さん達も不安がっていらっしゃいますし、当寺院はあなたに対して出入り禁止の措置を取らせて頂くことにしました。今後許可なくこの寺院に立ち入られた際には、不法侵入として警察に通報させて頂きますので、どうぞそのおつもりでいらして下さい」


 樹は菫がどういう反応をするか、注意深く見守った。


 逆上されるかも知れないと思っていたが、菫は軽く俯いて唇を噛んだだけだ。


 ストーキングをするような人間性の持ち主でも、攻撃性が高くないのは不幸中の幸いだった。

 

 これならまだ話が通じるかも知れない。

 

 樹が菫をじっと見つめていると、菫は俯いたまま訊いてくる。


「……私、そんなに悪いことをしていますか? 私はただ幸せになりたいだけなんです。それはいけないことなんですか?」

「幸せを望むこと自体は、何も悪くはありませんよ。ただ、あなたは幸せへの執着が強過ぎます。あなたが幸せに執着する程、幸せはあなたから遠ざかっていくだけですよ。求める物が得られない苦しみは『求不得苦』と言って、仏教において人間が持つ八つの苦しみの一つとされていますから、あなたが苦しんでいるのはよくわかります。残念ながら私達はあなたとのご縁を断ち切ってしまいましたが、よろしければどこか別の寺をお訪ねになるといいでしょう。私達僧侶は人が生きる上での苦しみを軽減したり、無くしたりする方法を心得ていますから、あなたを救って下さる方がきっといます。どうぞあなたに御仏の導きがありますように」


 樹が心を込めて合掌すると、菫は小さく会釈をしてから車に乗り込んだ。


 ドアを閉める前に短く言う。


「ご迷惑をお掛けして、すみませんでした」


 ドアを閉めると、菫は車のエンジンをかけて、そのまま走り去った。






「お疲れー」


 のほほんとした声に樹が振り返ると、庫裡の陰に隠れて様子を窺っていたらしい志奈乃が立っていた。


 そのすぐ側には魔王もいる。


「帰ったってことは、一応これで一件落着したってことでいいんだよね?」


 志奈乃の問いかけに、樹は頷いた。


「多分な。人の話に聞く耳持たねえ感じの人でもなかったし、わかってくれたと思う。念のために保険は掛けておいたけど」


 樹は懐からICレコーダーを取り出すと、録音を停止した。


 本当はこういう騙し討ちのようなやり方は好きではないのだが、犯罪行為を自白した証拠を押さえておけば、この件で警察沙汰になった時に役に立つだろう。


 後はこれを菫が絶対に取り返せないよう、魔王に預けてしまえば完璧だった。


「どうぞ」

「ああ、預かっておこう」


 魔王がICレコーダーを受け取ると、志奈乃は言った。


「お腹空いたし、早くお弁当食べちゃいましょ」


 仕出し弁当を用意しているので、まだ残っている檀家もいるだろう。


 早くいい報告をしたかったが、まだ菫があきらめたと判断するには早いので、しばらく様子を見てからまた後日報告するつもりだった。

 

 樹は本堂へ向かって歩き出しながら、すれ違いざま志奈乃に言う。


「さっきは、味方してくれてありがとな」


 思った以上に壇家達の反応は芳しくなかったし、志奈乃がいてくれなかったら、壇家達の賛同を得ることはできなかったかも知れない。


 自分達に味方をしてくれただけでなく、この寺を「いい寺」だと言ってくれたことが何より嬉しかったが、何となく気恥ずかしくて上手く言葉にできなかった。


 本当はもっときちんと感謝の気持ちを伝えたいのに、やはり自分はまだまだ未熟だ。

 

 より一層修行に励まなければと樹が決意を新たにしていると、小走りに追いかけてきた志奈乃が樹の隣に並んで言った。


「どういたしまして」





参考文献・サイト

 瓜生中(二〇〇三)『知識ゼロからのお寺と仏像入門』幻冬舎.

大山公淳(二〇一二)『真言宗法儀解説』東方出版.

越智淳仁(二〇〇四)『密教瞑想から読む般若心経―空海・般若心経秘鍵と成就法の世界

   ―』大法輪閣.

 増田秀光編(一九九七)『真言密教の本 空海伝説の謎と即身成仏の秘密』

  (BooksEsotericaa第19号)学習研究社.

増田秀光編(二〇〇四)『印と真言の本―神仏と融合する密教秘法大全』

  (BooksEsotericaa第33号)学習研究社.

松長有慶(二〇〇三)『知っておきたい真言宗』日本文芸社.

村越英裕(二〇一六)『お坊さんのひみつ』PHPP研究所.

ひろさちや(一九九九)『別冊家庭画報 21世紀に生きるひろさちやの最新仏教なるほど

   百科』世界文化社.

廣澤隆之(二〇一四)『ゼロから始めるお寺と仏像入門』株式会社KADOKAWA.

 藤井正雄総監修(一九九七)『うちのお寺は真言宗』(我が家の宗教を知るシリーズ)

   双葉社.

 藤井正雄総監修(一九九七)『お経がわかる本』(我が家の宗教を知るシリーズ)

   双葉社.

 佼成新聞DIGITALL「自死・自殺を仏教の視点から考える 仏教学者・佐々木閑氏」

<http://shimbun..kosei-shuppan..co..jp//kouennroku/12782/>

   (参照は二〇一八年三月二十六日).

 「浄土真宗親鸞会」<http://www.shinrankai.or..jp/b/bukkyo/gosyounoitidaiji.htmo>

   (参照は二〇一八年三月二十六日).

「田辺医院」<http://www.tanabe-clinic.or.jp/archives/349>

   (参照は二〇一八年三月二十三日).

 「明徳司法書士事務所」<https://www.meitoku-office.jp/blog/625/>

   (参照は二〇一八年二月二十九日).

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