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碧玉寺へようこそ!  作者: 佳景(かけい)
第四章 ストーカー
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36/37

―36―

 幸いなことに、あの女性は特に騒ぎを起こすこともなく平穏に日々は過ぎ、次の土曜日がやってきた。


 何かの理由であきらめてくれていたらいいと思っていた志奈乃だが、来てみれば今日もあの女性は寺にいて、今こうしている間も車の中にいるに違いない。

 

 臨時護持会総会が始まるのは午前十時からで、パイプ椅子は既にその半分以上を檀家達が埋めている。大半は六十代以上と思しき人々で、それ以下の世代は数人しかいない。


 二十代は志奈乃一人だった。

 

 どうせ寺に行くのだからと、志津子の代わりに出席することにした志奈乃は、グレーのパンツスーツ姿で最前列のパイプ椅子に腰掛けている。


 その膝の上には、志津子から借りてきた経本と念珠があった。志津子が愛用しているのは、『振分念珠』という、珠が百八個ある長いそれで、本連と呼ばれる正式な念珠だ。


 親珠二個に四天珠が四個、親玉には長い房飾りが二つずつ付いている。


 パイプ椅子の前には長い机が三列に並んでいて、全ての檀家の前には落ち着いた黒いツーピース姿の真綾が用意した茶が置かれていた。


 志奈乃は手伝いを申し出たのだが、「手は足りているから」と丁重に断られてしまったので、湯呑み茶碗を傾けながら大人しく総会の始まりを待っている。


 二十人弱程度しかいないので、お茶出しは一人でも手が回らないということはないようだが、直綴に白衣、五条袈裟姿の英知と樹は先程からずっと檀家一人一人に挨拶をして回っていて忙しそうだ。

 

 右手に檀家達と向かい合う形で四脚の椅子が置かれていたが、今は一番端の席に魔王が座っているだけだった。


 今日の魔王は長い黒髪を後ろで緩く一つに束ね、ネイビーストライプのスリーピースのスーツに、小紋柄のネイビーのネクタイを締めて、胸元にオレンジのチーフを覗かせている。


 相変わらず何を着ても華があって、この面子の中では明らかに浮いていた。

 

 本堂の左手に置かれたホワイトボードには次第が書いてあったが、勤行、住職の挨拶と護持会の総代の挨拶の後、議案審議というシンプルなものだ。


 出入り禁止措置について、檀家達はどんな反応をするのだろう。理解を示してくれるといいのだが。

 

 志奈乃が祈るような気持ちで時間になるのを待っていると、とうとう時間になったらしい。


 英知と真綾が席に着く中、樹だけは着席せずにホワイトボードの横に立って言った。


「それでは時間になりましたので、これより臨時護持会総会を始めさせて頂きます」


 という訳で、挨拶もそこそこにまずは勤行が始まった。


 志奈乃が勤行をするのはこれが初めてだが、事前に志奈乃に一通りのやり方を教えてもらっていたし、経本にも一通り目を通してきたので、何とかなるだろう。


 志奈乃は教えられた通りに左右の中指に念珠を通すと、手の中に包むようにして軽く三回擦った。


「恭しく、御仏を礼拝し奉る」


 と厳かな口調で言う英知に続いて、志奈乃も樹や他の檀家達と共に復唱し、それが済むと、懺悔文――過去の罪を懺悔する文言だ――や三帰――仏法僧に帰依する誓文だ――などを唱え、般若心経に光明真言、弘法大師に帰依する文である御宝号、回向文――一切衆生の幸福を祈る文だ――を唱えたところでやっと終わった。

 

 毎朝きちんと勤行をしている志津子は偉いし、凄いと志奈乃はつくづくそう思う。


 経文には振り仮名が振られていたが、耳慣れない言葉を唱えるのは難しく、なかなか上手く唱えられなかった。


 流石に英知達は慣れたもので、経本もなしに大きな声ですらすらと檀家達をリードしていたが。

 

 慣れないことをしてどっと疲れた志奈乃が静かに煎茶を啜っていると、英知の挨拶と護持会の総代の挨拶が終わって、総代が議長に選出され、ようやくメインの議案審議に移る。

 

 樹は言った。


「先日お配りしたお手紙でもお知らせしましたが、この場をお借りしまして住職の蛍原英知より改めて事情を説明させて頂きます」

 

 英知は席を立つと、一歩前に進み出て一礼してから口を切った。


「お気付きになられた方もいらっしゃると思いますが、現在この寺院内においてストーカー行為を行っている人物がいます。ストーカー行為が始まったのは二週間程前で、今のところは寺院内に長時間居座っているだけですが、今後ストーカー行為がエスカレートすれば、檀家の皆さんにも危険が及ぶ恐れがあります。そこで私達は、ストーカー行為を行っている人物に対して、この寺院への出入りを禁止する措置を取ることを提案させて頂きました。日本人のモラルの低下も著しいですし、こちらで出入り禁止にすべきと判断した人物に対しては、その都度同様の措置を取らせて頂き、場合によっては警察に介入して頂くつもりです。ご意見やご質問のある方は、挙手をお願いします」


 志奈乃が辺りを見回すと、数人かがすっと手を挙げた。


 議長は一番近くにいた男性を指名する。


 年は七十代になるかどうかだろうか。短髪に丸眼鏡。腰が曲がることもなく、きちんと背筋が伸びていて、とても姿勢がいい。


 きつい顔立ちはいかにも頑固そうで、こういう人が反対に回ると面倒臭そうだなあと志奈乃が思っていると、男性が言った。


「警察沙汰になった場合、この寺と関わりのある私達檀家も、警察に話を聞かれる可能性があるのでしょう? 何も後ろ暗いところがなくても、警察にあれこれ詮索されていい気がしないのは私だけではない筈です。出入り禁止の措置を取るのは構わないと思いますが、警察に介入させるのは感心できません」


 警察が出てくるといろいろ面倒なので、この男性がいい顔をしないのもよくわかるが、犯罪行為が行われている以上、ここは警察の出番だろう。


 実際通報したところで、余程のことがなければ、口頭での注意程度で終わりそうな気もするものの、回数が重なれば逮捕されたりするのだろうか。


 魔王は神社や校庭への侵入に、建造物侵入罪が適応されたケースがあると言っていたが、具体的にどういう事例だったのか、少し気になった。


 志奈乃が後で魔王に訊いてみようと思っていると、別の檀家が手を挙げる。


 今度は女性だ。顔立ち自体は全く志津子に似ていないが、おっとりした雰囲気は少し似ている。


 丸まった背中のせいで、ともすれば先程の男性より老けて見えるが、肌の感じからしてまだ六十代前半くらいだろう。

 

 議長に指名された女性は、ゆっくりと言った。


「今時はインターネットがあるから、ちょっとしたことでもすぐに大騒ぎになると聞いています。お寺というのは誰でも入れるのが当たり前だと思われているでしょうし、道理を弁えていない人も多いですから、そういう措置を取ることで、このお寺が世間の人達から非難されたりすることもあるかも知れません。そうなったら、私達檀家も肩身が狭いわ。何とか穏便な方法で解決できませんか?」


 できるものなら、その「穏便な方法」とやらでこの事態を収めてみて欲しい。


 志奈乃は女性の物言いに少々苛立ちを覚えずにはいられなかったが、英知はあくまで穏やかに言った。


「警察沙汰にするのは、こちらとしても本意ではありません。ですが警告をした上で、こちらの要望を聞き入れてもらえない場合には、通報も止むを得ないと考えています。このままでは私達家族も不安ですし、檀家の皆さんも安心してこの寺に来られないでしょう。ストーカー行為を行っている人物をこの寺から追い出すことに成功しても、結局は寺の敷地のすぐ外でストーカー行為が続くだけかも知れませんが、この辺りは車で移動される方がほとんどですし、ひとまずは安心して頂けるのではないかと思います」


 檀家達が低い声で相談し合う中、志奈乃はすっと手を挙げた。


 人前で喋るのはあまり得意ではないが、今まで檀家から出てきたのは否定的な意見ばかりで、樹達が少し気の毒だったので、少し味方をしてあげた方がいいような気がしたのだ。


 議長に指名されると、志奈乃は言う。


「厄介事に巻き込まれたくないのもわかりますけど、住職さん達はこのお寺にお住まいな訳ですから、時々しかお寺に来ない私達より負担が大きいですし、ここは住職さん達にとって一番いい対応をしてもらった方がいいと思うんです。お寺は住職さん達と檀家の私達で成り立っている場所なんですから、住職さん達にばかり負担を背負わせていたら、一緒に気持ち良くお寺を運営して行けないでしょう? このお寺の人はみんないい人達で、いいお寺だと思ってますけど、今のままじゃ私はこのお寺を嫌いになってしまうかも知れません。でもこのお寺には祖父のお墓がありますし、祖母も祖父の月命日には欠かさずお墓参りに来てるんです。祖父母の大切な場所を、嫌いになりたくなんてありません。皆さんだって、自分がお世話になるお寺はいい場所であって欲しいでしょうし、好きでいたいでしょう? 本当に警察沙汰になったり、ネットで炎上したりしたら、多少面倒なこともあるかも知れませんけど、私達全員が同じ方を向いていないと、住職さん達はあの人と戦うことさえできないんです。事が事ですから、私達の同意なんて求めずに警察沙汰にしてもいいくらいだったと思いますけど、それでもこうやって筋を通そうとしてくれてるんですから、檀家の私達も腹を括りましょうよ。ここは私達みんなのお寺なんです」


 こんな言い方でわかってもらえたかはわからないが、とりあえず言うべきことは言えた気がする。


 志奈乃が口を閉ざすと、議長は一同に問いかけた。


「他にご意見、ご質問がある方はいらっしゃいますか?」


 志奈乃は辺りを見回してみたが、手を挙げる者は一人もおらず、議長はすぐに言葉を続けた。


「では、決を採らせて頂きます。この議案に賛成の方は拍手をお願い致します」


 志奈乃が拍手を始めると、他の壇家達の間からも拍手が起こった。


 もう一度後ろを振り返って見ると、ほとんど全ての檀家が拍手をしている。

 

 志奈乃がほっと息を吐くと同時に、議長が言った。


「賛成多数で、この議案は承認されました」






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