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碧玉寺へようこそ!  作者: 佳景(かけい)
第三章 自殺願望
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―20―

 本堂の雑巾がけが終わると、今度は本堂の裏手にある墓場の雑草取りだった。


 小さな寺なので、墓の数は多くても五十基程だろう。真言宗の墓は、他宗の墓とそう大きくは違わない。


 階段の奥にある敷板石の先には拝石があり、その上には線香立てがあった。


 灰色だったり、黒っぽかったりする角石塔の墓石の正面には大日如来を表す梵字が刻まれ、その前には花立てと水鉢が並んでいる。


 全ての墓にある訳ではないが、中には墓石の横に空・火・水・地を表す梵字が刻まれた五輪塔が立っているものも見受けられた。


 これは大日如来の姿を表していて、成仏した先祖の霊を祀るものなのだという。


 以前志津子がそう教えてくれた。


 墓石の後方には板塔婆が並んでいて、まだ新しくて梵字がはっきり読み取れるものから、雨風に晒される内に墨が滲んでほとんど読めなくなっているものまで様々だ。


 掃除の程度も墓によってまちまちで、刻まれた文字にびっしり苔が生えているものから、ほとんど汚れがないものまであった。


 雅楽家の墓は志津子が毎月祖父の月命日に墓参りに来ているので、綺麗なものだったが。

 

 その墓地の一画に、丸く平たい納骨室と丸みを帯びた円柱型の墓石という、明らかに他と異なる造りの墓が並んでいたが、それらの墓は歴代住職のものなのだそうだ。


 他の寺でも住職の墓は、他とは違う特別なものを建てることが多いらしい。

 

 墓地もきちんと掃除されているらしく、ゴミや大きな雑草は見当たらなかったが、流石に完璧とは行かないようで、小さな雑草がちらほら覗いていた。


 こんなこともあろうかと持参していた軍手を嵌めた志奈乃が、魔王にもらったゴミ袋を手に雑草取りをしていると、しばらくして魔王が言う。


「そろそろ昼食にするか」

「あ、はい」


 まだ途中だが、志奈乃はとりあえずゴミ袋と軍手をまとめると、墓掃除用の水道の側に置かれたバケツやたわしの横に置いて、小走りに自分の車へと向かった。


 弁当と水筒の入ったトートバッグを手に、魔王の姿を捜して庫裡をぐるりと回り込んだところで、丁度庫裡の中へ入ろうとしていた魔王と鉢合わせする。


 魔王は特に驚いた風もなく、鍵のかかっていない引き戸を開けて、中へ入った。


 志奈乃は家人がいない家に上がり込むことに少し躊躇いがあったものの、おずおずとスニーカーを脱ぐと、魔王を追って奥の洗面所で手洗いを済ませる。


 そうして玄関の方へ取って返すと、魔王が開けた襖から中に足を踏み入れた。

 

 そこは居間になっていて、畳敷きの部屋の真ん中には大きな机が置かれている。


 その上には和風の部屋に似合う、和紙の丸い傘の電灯が下がっていた。


 部屋の奥には木製のテレビ台と、それ程大きくない薄型テレビがあったが、テレビは点けられることもなく、部屋の中は静まり返っている。


 背の低い箪笥の上には、いくつもの写真立てに入った家族写真があって、志奈乃は何気なくその中の一枚に目を留めた。


 全員半袖を着ているところからして、夏に撮られたものなのだろう。


 今より随分若いが、やはり顔が怖い英知の隣で、琴音が淡く微笑んでいる。


 子供の頃から彼岸や盆には志津子達と曽祖父達の墓参りに来ていたので、志奈乃は生前の琴音と何度も顔を合わせていた。


 琴音はいつもにこにこ笑っている愛想のいい人で、挨拶に行くと、いつも何かしらお菓子をくれたものだ。


 だから、ある日突然学校の連絡網で先生から琴音の葬儀の知らせがあった時にはひどく驚いたし、子供ながらにショックだったことをよく覚えている。


 きっと樹が受けたそれに比べたら、大したものではないのだろうが。

 

 その樹はどちらかと言うと英知似なのだろうが、顔立ちの整い具合はきっちり遺伝していて、二人の前に立つ小学生くらいの樹はなかなかに可愛かった。


 そして、樹と手を繋いだ真綾は更に可愛い。


 多分写真を撮られた時には三、四歳くらいだったのだろうが、琴音が真綾と同い年くらいの時にはこんな感じだったに違いないと思わせる美幼女ぶりで、命というものはこうやって続いていくのだなあと志奈乃はしみじみそう思った。


 写真の前に正座した志奈乃が合掌してから魔王に視線を移すと、魔王は桜が散る黒塗りの弁当箱を包む風呂敷を広げて、黒い水筒を傾けている。


 机を挟んで魔王の正面には、魔王が敷いてくれたらしい座布団があった。


 志奈乃はその座布団に正座するとトートバッグを開けて、アンティーク調の赤い本型の弁当箱と、赤い水筒、これまた赤い箸箱を取り出す。


 全てを机に並べて軽く手を合わせたところで、金箔で文字や蔦めいた紋様を描いた表紙の蓋を取ると、ふりかけご飯と冷凍食品のコロッケ、そしてやはり冷凍食品のいんげんの胡麻和えが露わになる。


 全く料理ができない訳ではないが、最後に料理をしたのがいつだったか思い出せないくらいなので、わざわざ朝から早起きして弁当を作る気にはとてもなれなかった。

 

 志奈乃は水筒のアイスティーをコップに注ぎながら、何とはなしに一足先に食べ始めていた魔王の弁当の中身に目を落とす。


 楕円の弁当箱は黒塗りの和風なデザインで、男性の物にしては小さいが、少食なのだろう。


 主食は白いご飯に梅干し。


 おかずは唐揚げに玉子焼き、ピーマンとちりめんじゃこの和え物で、真っ赤なミニトマトが彩りを添えていた。


 マニキュアを塗っているらしく艷やかな爪が光る左手で、桜が描かれた黒塗りの箸をお手本のように綺麗に使い、黙々と弁当を平らげていく魔王を見ながら、志奈乃はやっぱりちょっと変わった人だなあと思う。


 持ち物や格好は女性的だが、言動になよなよしたところはないし、むしろ男性的だ。


 多分綺麗な物が好きなだけで、トランスジェンダーの人という訳ではないのだろう。

 

 志奈乃が世の中いろんな人がいるものだなあと思いながらコップを傾けていると、いつの間にか魔王を見つめ過ぎていたらしく、魔王が訊いてくる。


「何だ?」

「あ、えーと……お弁当美味しそうですけど、愛妻弁当なのかなーとか思って」


 慌てた志奈乃が適当にそう言うと、魔王は箸を動かしながら答えた。


「これは我が手づから拵えたものだ。妻は料理ができぬのでな」

「へえ、自分で作ったんですか。女子力高いですね!」

「『女子力』というのは定義が曖昧な言葉のようだが、この場合は文脈からして『女らしい魅力』ということになるのだろうな?」


 完全に予想外の質問をされて、志奈乃は少なからず面食らった。


 とても流暢に日本語を話してはいても、こうして言葉の意味を確認してくる辺り、やはり外国の人だなと思う。


 日本で長く暮らしていれば、漢字を見れば何となく意味がわかるし、いちいち意味を確認するのはきっと少数派だ。


 少なくとも、志奈乃自身は『女子力』という言葉の意味を、これまできちんと調べたことはなかった。


 そのため、いざ意味を訊かれても何と答えていいものかよくわからなかったが、多分魔王の言う『女らしい魅力』という意味は概ね正しいのだろう。

 

 志奈乃は言った。


「大体、魔王さんの解釈で合ってると思います」

「そうか。敢えて『料理が上手い』ではなく、『女子力が高い』という言い回しをする辺りに、保守的な国民性を感じるな」

「え? そうですか?」


 魔王の言わんとすることがわからず、きょとんとする志奈乃に、魔王は言った。


「今は『男子、厨房に立ち入るべからず』という時代でもないし、料理を生業にしている男も多いだろう。名だたる料理人が大抵男であることからして、女が男より料理に関して明らかに優れた才能を有しているとは言い難いしな。長らく子育ては女の仕事であったし、家事の一つに料理が入っている以上、女の領分という発想が抜け切らないのは理解できるが、料理ができる者を『女子力が高い』などと言っている内は、この国に真の男女平等は存在し得ないのだろう」

「はあ……言われてみればそうかも知れませんね」


 コップを置いた志奈乃は、箸箱から赤い箸を取り出しながら、そう相槌を打った。


 今まで深く考えずに『女子力』という言葉を使っていたが、頻りに男女平等が叫ばれているこの国で、ステレオタイプな女らしさが礼賛されるというのは、本来おかしいことに違いない。


 多分多くの人が気付いていないであろうことに気付いている魔王は、きっと知的な印象通りに頭が良くて、理屈っぽい人なのだろう。

 

 こういう人とは、どうすれば上手く会話が続けられるのだろうか。


 魔王のようなタイプは今まで周りにいなかったので、接し方がよくわからなかった。


 必要以上に親しくなろうとは思わないが、こうして顔を突き合わせている以上、当たり障りのない世間話くらいできないと、昼食時間が毎回地獄のように重苦しい時間になってしまいそうな気がする。


 共通の話題になりそうなことと言えば漫画やアニメだが、魔王はどんな作品が好みなのだろう。


 腐女子にとっては美味しいことが多いので、少年漫画ならある程度網羅しているが、知的レベルの高い男性ならもっと大人向けの、設定やストーリーが小難しい物を好みそうだ。


 その辺りはこちらがほとんどわからないので、この方面で話題を持たせるのは難しい気がした。


 かと言って、名前すら明かそうとしない人に、家族構成やら家の場所やらを訊いても迷惑にしかならないだろう。


 志奈乃はコロッケを食べながらあれこれ考えた挙句、思い付く中で一番無難そうな話題を振ってみることにした。





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