第5章 幻の人(VOL.6)
早苗が、カードに書かれてある文字をまじまじと見つめたあと、綾乃に問いかけた。
「これ、どういう意味です?」
「ふふ」
いつもの、妖しい笑い。
「自分で考えろってことですか?」
綾乃が、静かに頷く。
迷子になった子供のように、早苗が途方に暮れた顔をする。
「おわかりにならなければ、杉田さまにお尋ねするといいかもしれませんね」
「杉田さんに?」
早苗が、困惑した顔をする。
「そうね、ありがとう」
小さな声で答えたあと、元気のない笑みを浮かべた。
「あの、代金は?」
「杉田さまに聞いてらっしゃいませんか?」
「聞いてるけど、本当にいいんですか?」
返事の代わりに、綾乃は微笑ながらドアを手で示した。
「わかりました。ありがとう」
素直に礼を言って、早苗は外へ出た。
時計を見た。敏夫が言ったように、五分と経っていない。
振り向くと、看板は、確かにそこにある。
もう一度入って、確かめてみようか。
そう思ったが、早苗にその勇気はなかった。
せっかく綾乃が現れてくれたのに、そんなことをしようものなら、二度と現れてくれない。そんな気がしたのだ。
確かめたい気持ちを振り払うように、カードを見た。
「向」と「真」。
この文字は、なにを意味するのだろう。
カードに書かれている文字を見つめているうちに、次第に早苗の頭は、そのことで埋め尽くされていった。
二つの文字が意味するもの、それに裏に書かれた「自」。
ずっと考え続けて朝を迎えた。
答えは見つからない。
ポイントカードのことは、敏夫からは聞いていない。しかし、自分と同じように貰ったに違いない。
杉田さんは、自分で答を出したのだろうか?
多分、出したのだろう。だから、あれだけ変われたのだ。
そう思うと、情けない気持ちになった。
自分は、まだまだだ。
今さらながら早苗は、自分の未熟さを思い知らされた。
だから、あんな最悪な男を選んでしまったのだ。
立ち上がり、カーテンを開けた。
快晴だ。
窓から降り注ぐ陽の光が、早苗の心を少しだけ明るくした。
ぐずぐずと自分を責めていても仕方ない。思い切って、杉田さんに訊いてみよう。
抜けるような青空を仰ぎながら、そう決意した。
「そうか、もう現れたか」
その日の夜、早苗は、再び杉田と向かい合っていた。会社である。
金曜日の今日は、他の社員は、明日から三連休ということで、残業もあまりすることなく、意気揚々と引き揚げていった。
さすがにこんな話を、居酒屋なんかでするのは気が引けると思った早苗は、昼の間に大事な話があるので残ってくれるよう、そっと敏夫に頼んでいた。
「そうなんです。まさか、あんなに早くわたしの前に現れるなんて、ほんとにびっくりしちゃいました」
「それだけ清水さんが、切羽詰まっていたってことだよ」
「そうかもしれません」
落ち着いた目で自分を見つめている杉田を、早苗は頼もしいと思った。
「で、俺に話とは?」
「これなんです。わたしは、特別に二ポイントだって言ってました」
早苗が、ポイントカードを差し出す。
杉田が、黙ってそれを受け取りカードを見、「おや」という顔をしたあと、無言で裏返した。
「わたし、これを貰ったときから、ずっと、その文字の意味を考え続けていたんですけど、わからなくて」
「綾乃さんは、教えてくれないものな」
敏夫が苦笑する。
「そうなんですよ」
釣られて、早苗も苦笑した。
「考えてわからなければ、杉田さんに訊いたらどうかって」
「俺に? 綾乃さんが?」
敏夫が、少し驚いた顔をした。
「確かに、綾乃さんはそう言いました」
むきになる早苗に、
「誰も、あなたが嘘をついてるなんて思ってませんよ」
優しく微笑み、「差支えなければ、昨日、綾乃さんに話したことを、俺にも話してくれないかな」そう訊いた。
早苗が小さく頷いて、綾乃に話したことを語りだした。
「そうか、あなたも大変なんだな」
早苗の話を聞き終えた杉田の顔が歪んでいる。
心底、早苗の境遇に心を痛めたようだ。
「いったい、これは、どういう意味でしょう?」
早苗が、憔悴しきった顔で尋ねた。
「向って、なにに向かっていくのか。真って、なんなのか。それに、裏に書かれた自。自分がどこかへ向かえば、真実が見えてくるって意味かと思ったんですが、なんだか違うような気がして」
可哀そうに。きっと昨夜は一睡もしていないのだろう。
赤い目をした早苗の顔を見ながら、敏夫はもう一度、カードを見た。
確かに、早苗の言うようなことでは意味をなさない。早苗の話を頭の中で吟味しながら、じっくりとカードの文字を見る。
なぜ、綾乃さんは、俺に訊けといったのか?
自分ならわかると思って言ったのかもしれないが、しかし敏夫は、この言葉になにかヒントがあるに違いないと思った。
裏返して「自」の文字を見たとき、「わかったよ」早苗に微笑んでみせた。




