第5章 幻の人(VOL.7)
自分が一晩考え続けても見いだせなかった答えが、こんなに早くわかるなんて。
「本当ですか?」
早苗の目は輝いており、親を見つけた子供のように、安堵の表情を浮かべている。
「綾乃さんが俺に訊けと言ったのには、やっぱり訳があったんだ」
敏夫が、自分のポイントカードを取り出した。
「これが、俺のポイントカードなんだけど」
そう言いながら、早苗に渡す。
「裏を見てごらん」
「心って書いてあるわ」
「そう、それがヒントさ」
「心、自、心、自」と呟きながら、両方のカードを見比べていた早苗が、突然顔を上げた。
「自分の心?」
「そのとおり」
「じゃあ、この、向というのは」
「自分の心に向き合えということだろうね」
「そっかあ、どこかに向かうんじゃなく、向き合うということだったのね」
早苗に笑顔が戻った。
「じゃあ、この、真という文字は、真剣に向き合えとうことでしょうか?」
「それだったら、書いてある順番が違うんじゃないかな。最初に真がきているはずだよ。それに、綾乃さんはそんな無駄なことはしない。真剣に向き合うのは当然のことだよ」
「だったら、どういう意味でしょう?」
「真実の自分を見つめろ。という意味だと思う」
「真実のわたし?」
「そう。自分と向き合い、そして、真実の自分を見つめて、受け入れる。そういうことだと思う」
優しいまなざしで早苗を見つめているが、口調は重々しい。
「あなたの話を聞いて思ったんだが、あなたは、自分を誤魔化しているんじゃないかな」
「どういうことですか?」
早苗の目が、険しくなった。
「わたしは、自分を誤魔化してなんかいません」
敏夫が静かに首を振る。
「俺の見たところ、あなたは非常に繊細な人だ。これまで、嫌というほど男の醜い部分を見てきたのもあるんだろうけど、あなたは自分が傷つくのを恐れて、鎧を纏ってしまっている。綾乃さんは、そんなあなたを見抜いて.この文字をあなたに贈ったんだと思う」
敏夫の口調は静かだったが、しかし、きっぱりと告げた。
「ば、ばかなことを言わないでください」
早苗が椅子を蹴立てるようにして立ち上がった。
「わたしは、鎧なんか纏っていない。あなたに、わたしのなにがわかるというの」
両手でバンバンと机を叩く。
「確かに、わたしはこれまで男の人の嫌な部分や、情けない姿を数多く見てきたわ。でも、それで傷ついたことなんてひとつもない。鎧なんて纏う必要はないのよ」
顔を真っ赤にして、早苗が怒鳴るように言った。
「本当にそうかな」
敏夫が、そんな早苗の怒りを受け流して、冷静な口調で返す。
「ええ、そうよ。わたしのことをよく知りもしないくせに、わかったようなことを言わないで」
叩きつけるように言われても、敏夫の冷静さは失われない。
「本当のあなたは、男に甘えたいタイプなんじゃないかと、俺は思う。でも、頼れるような男を、今まで見てこなかった。どんな男と付き合っても、失望するかもしれない。それが怖かった。だから、頼りのない男を、失礼、彼氏に選んだ」
早苗は唇を噛みしめて、目尻に涙を溜めながら、無言で敏夫を睨みつけている。
「すまない」
敏夫が頭を下げた。
「俺がきついことを言っているのは、よくわかっている。あなたにはとても辛いことだろう。でもね、清水さん。自分と向き合うのは辛いことだけど、本当に自分を変えたいと思うのだったら、そうすべきなんだ」
敏夫が静かに立ち上がり、早苗の目を真正面から見つめた。
「俺もそうだった。自分と向き合えば向き合うほど、自分の嫌なところばかり見えてくるんだ」
そう言って、力なく座り込む。
「打ちのめされたよ。なんて、自分はちっぽけなんだってね」
自嘲の笑みを浮かべて、早苗を見上げる。
「気が狂いそうになったよ。これまでの自分を否定するようなものだからね。でも、俺は、本気で自分を変えたかった。そうしなければ、すべてを失うと思ったから」
早苗はまだ、無言で敏夫を見つめている。しかし、早苗の顔からは、怒りは失われていた。今は、真剣に敏夫の言葉に耳を傾けている。
「そのお蔭で、今がある。俺は、綾乃さんと出会えて、本当によかったと思ってるよ。綾乃さんと出会わなければ、今頃俺は、なにもかも失っていただろう」
自分でも知らぬうちに、敏夫の頬を涙が伝っていた。




