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 アスターの奮戦虚しく、結果は惨憺たるものだった。

 襲いかかる黒獅子を数匹切り伏せたものの、多勢に無勢。背後から飛びかかってきた個体に、あっという間にアスターは組み伏せられてしまった。手から離れた灼熱剣が、魔力結合が解けて虚空に燃え尽きていく。


「うわああああ!」


 抵抗など、許されなかった。

 少年は黒獅子に首を噛みちぎられると、血を噴水のように吹き出して――


「ぁ、ぁ……」


 糸の切れた人形のように崩れ落ち、全身を何度か痙攣させたあと、動かなくなってしまった。


「え――」


 あまりに残酷な結末に、ノイアは我を失ってしまう。


「あす、たぁ……?」


 ノイアは蚊の鳴くような声で、アスターの名前を呼んだ。

 もちろん、返事はない。

 これは現実に起こった出来事なのだと、少女はそこではっきりと認識した。


「アスター!」


 ノイアは駆け寄って、少年の体を抱き起こす。

 アスターの心が発する声は、徐々に小さくなっていく。

 もうすぐ死んでしまうのだと、消えていく温もりを感じながら少女は思った。


「いやっ! アスター、死んでは駄目よ! わたくしを一人にしないでよ!」


 ノイアの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

 抱きしめても、抱きしめても、アスターをつなぎ止めることができない。腕の中をすり抜けて、どこか遠くへ行ってしまう――そんなこと、耐えられるわけがない。


「あなたが居なくなったら、わたくしは――」


 少女の言葉を遮るように。

 アスターは最期の声を、心の叫びをあげていた。

 生きて欲しい――たったそれだけが、少年の願いだった。


「ぁ……」


 その言葉を最期にして、アスターは息を引き取っていた。

 少年の虚ろな瞳が、ノイアをじっと見つめている。


「い、や……」


 胸が張り裂けそうになる。

 あまりの喪失感に、息が詰まりそうになりながら。


「いやああああああああ……っ!」


 ノイアの慟哭が、雲ひとつない青空を悲しみで満たしていた。




「こ、こいつはどうなってんだ?」

「話はあと、さっさとモンスターを倒してしまいましょう!」


 アスターを追いかけてきた冒険者たちは、街中に突如として沸いたモンスターの処理に追われていた。


「何か、おかしいですね」


 先導を務める受付嬢クリルは、戦斧で黒い獅子の魔物をなぎ払った。


「そいつは、オレも思ってた」

「ウチも」


 続いて、筋肉質の男性冒険者が前に躍り出る。彼は半裸に近い格好をしており、古傷が多く目立っているものの――拳ひとつで黒獅子と立ち向かい、それでいて圧倒していた。


「あの坊主を追おうとしたときにこれだ。作為的な何かを感じてしょうがねえ」

「いずれにしても、はやくアスターさんを保護したほうが良いでしょう。ヒューゴ様の依頼を、ノイアさんに知られるとマズイです」


 実の父親が、娘の討伐依頼を出したなど――ノイアに知られたなら、彼女は何するか分からない。一部の人間だけが知る、『段取り』も狂ってしまう。


「とりあえず、わたしはアスターさんの保護に向かいますので、ラルフさんは東通りのモンスターを、エミーさんは中央通りのモンスターをお願いします」

「おう」

「ええよ」


 ラルフと呼ばれた筋肉質の男性と、エミーと呼ばれた眠たそうな魔術師の女性は、それぞれに割り振られた地区へと走っていった。


「なんだか、嫌な予感がしてしまいますね」


 何者かが描いた絵図の上で、這いずり回っているかのような違和感。

 それを確かめるためにも、クリルは西通り――パラディール家の屋敷がある高級住宅街へと向かっていった。


 クリルは『俊足ラビットフット』の異名を持つほど、足の速さには自信を持っている冒険者だった。彼女の機動力と、戦斧による一撃は見敵必殺を可能とし、ダンジョン攻略におけるパーティの火力アタッカーとして引く手あまただった。

 一線を退いてギルドの受付嬢となってからも、走りの鍛錬を怠ってはいない。ブランクを感じさせない走りをもって、すぐパラディール家の敷地にたどり着いていた。


「な――」


 そして、クリルは絶句することとなった。

 見てはいけないものを、見てしまったからだ。


 そう。ノイアはパラディール家当主、ヒューゴの一人娘にして深窓の令嬢。

 家の名に恥じないよう、おしとやかで気品ある女性として育てられたはずなのに。


 ノイアは血だまりの中、絶命した少年を抱いて――薄ら寒い笑みを浮かべていた。

 

 さすがのクリルも、息を飲んだ。

 依頼で語られていた『魔性』、ただの少女が持ち得るはずのない、妖艶な笑みを見れば――『化け物』に取り憑かれているように見える。


「ノイアさん!」


 まずは、ノイアがどういう状態なのか、それを確かめることが先決だった。


「!」


 クリルがノイアに近づこうとすると、目の前に無数の影が現れる。

 彼らは先に遭遇した、黒獅子の魔物たちだった。


「あなたたちは、いったい――」


 クリルは、よくない考えに支配される。

 この黒獅子たちはノイアを襲わずに、むしろ護ろうとしている。

 だとすれば――彼らは少女によって、使役されている存在ではないのか。


 それに、炎で焼け焦げた黒獅子の斬殺死体。

 これはアスターが、魔術式によって抵抗した証ではないのだろうか。


「ノイアさん、あなたは本当に『化け物』を……」


 クリルは首を横に振った。

 状況だけの推測で、物事を判断していては真実を見逃してしまう。

 まずはノイアに話を聞くことが大事だと、戦斧を構えモンスターに突貫していく。


「邪魔ですよっ」


 クリルはたった一撃で、黒獅子を真っ二つにしてしまう。

 この程度のモンスターなら、一人で全員片付けることができる。そう判断したクリルは、流れるようなスピードで死骸の山を築いていく。


「はっ――」


 分が悪いと判断した一匹の黒獅子が、ノイアとアスターを背に乗せてその場から逃走を始めていた。


「ま、待ちなさいっ」


 気づいたときには、もう遅かった。

 次々と新手の黒獅子が乱入し、クリルは戦いを避けることができず――すべてのモンスターの処理が終わった頃には、完全にノイアたちを見失っていた。




 仄暗い地下の工房で、二人の男性がチェスを指している。

 黒の陣営を動かすは、密かに策動する紫髪の青年アルゴノーツ。

 白の陣営を動かすは、和服を着た初老の男性だった。


「ところで、ミカドはアンデッドがどのように誕生するか分かるかい?」

「死している者が誕生とは」

「言葉のあやだってば、難しく考えなくていいんだよ」


 ミカドと呼ばれた和服の男性は、無精ひげを撫でた。


「そうでござるなあ。我が祖国であるヤアマトでも、死人が動き出し化生なり妖怪なり転じるという話が後を立たないのであるが――その『めかにずむ』というのは、考えたこともないでござるよ。そもそも最近は、ヤアマトでも死体を焼いているでござるからな。『あんでっど』を見る機会など、少なくなったのでござる」

「対アンデッド組織であるラウグ教が広まっちゃったせいだね。ま、死体が出るというのは大前提だけど、他にも二つほど重要な要素がある」


 アルゴノーツは、取ったポーンの白い駒をチェス盤に立たせた。


「ひとつめは、死者が現世に強い未練を持っていることだ。非業の死を遂げた存在が、生前の志を果たすために蘇ってくる。そんなロマン溢れた、はたまたホラーテイストな出来事が、この世界では普遍的に起こっている」

「上様、『ちぇす』で死兵は蘇らないでござるよ」

「ん、そうだったかな? あと上様は辞めてよね、なんか気持ち悪いから」


 ミカドの言葉を無視して、青年はもうひとつのポーンをチェス盤に立たせていく。


「ふたつめは、魔力を多く持っていることだ。もともと魔力というのは、世界に初めからあったものじゃない。魔神マナンが月という眷属に、世界へ降り注がせた汚染物質なんだ」

「なんだか、与太話じみてきたでござるな」

「それが『朱魔の神座』の考え方。馬鹿馬鹿しいと思うけれど、その一員であるボクが否定するわけにはいかないよ」


 立たせたポーンを、次々とミカドの陣地へ進ませていく。

 劣勢のゲームを有耶無耶にしようとする青年に、ミカドは苦笑いを浮かべていた。


「ここまで言えば分かったと思うけど、アンデッドは魔神マナンの眷属なんだ。より多くの魔力を持つ死者は、アンデッドとして転生させるのに最適で――光神ラウグの眷属である人類を、滅ぼすための尖兵を作り出せる」


 ラウグとマナンは不倶戴天の敵同士だからね――とアルゴノーツは最終段に進ませたポーンを、ナイトにプロモーションさせる。


「世界により強い未練を残し、膨大な魔力量を有し、死体がほぼ無傷の状態で残っている。これが強力な、『上位アンデッド』を生み出すための法則なのさ」

「と言いつつも、その『ぽーん』の昇格先は『ないと』なのでござるな」


 最奥にたどり着いたポーンは、クイーン・ルーク・ビショップ・ナイトのいずれかに昇格させることができる。一般的には最も強力な動きができる、クイーンに成ることが多いのだが。


「ああ、いま『作っている』アンデッドは――きっとナイトが相応しいからね」


 アルゴノーツは、邪悪な笑みを浮かべていた。

 盤面をいくら乱してでも――人間の街ひとつを犠牲にしてでも、観測したい実験結果がそこにある。それがもうすぐ見られることに、彼は喜びを感じていた。


「そんなことをしているから、いくらたっても『朱魔の神座』は人類を滅ぼせないのでござる」

「そうだなあ。ボク以外の構成員は、みんな働き者なのにどうしてかな? ま、人類に限らず、下等な生命なんてどうせいつかは滅びるよ。それよりもその過程を楽しまなくっちゃ、つまんないだろう♪」


 世界をひとつの遊び場としか思っていない青年は、悪びれずにそう言った。




 ノイアは、ウィンデル街から外れた森の中に居た。

 名を『禍時の森』というこの森林地帯は、昼間でも薄暗く――青空が鬱陶しかった少女にとって、ここはとても居心地が良かった。


「アスターも、そう思うよね」


 絶命した少年に、ノイアは言葉をかける。

 自分はこんなにも辛い思いをしているのに、顔色ひとつ変えずに明るく振舞っているあの空が、妙に憎々しかった。


「ふふ、最初に出会ったときも、あなたは暗いところに居たものね」


 ノイアはくすりと笑った。

 クリルがさっき見たような、薄ら寒い笑みを浮かべていた。


「わたくしも、暗いところの方が好きよ」


 ノイアは、壊れてしまっていた。

 精神的支柱になっていたアスターを失ったことで、少女はいま自分が置かれている状況を認識できなくなっていた。彼女はこのまま、朽ち果てるまで己の内のアスターと対話を続けるのだろう。


 すっかり冷え切ったアスターの指先が、少しだけ動いていることにも気づかずに。

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