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 騒動が起こっている区画は、老朽化した建物が立ち並ぶスラム街だった。

 無計画に乱立された家々がひしめき合うように存在し、その隙間を埋めるようにゴミが溢れかえっていた。スラム街を巡る水路は、夜の闇を帯びどこまでも濁りながら湛えている。昼間見ていた煌びやかなウィンデル街からすれば、この場所は裏の顔ともいえるだろう。


「ひでえな」


 それゆえに、よく燃える。

 暗がりを追い払うように、あちこちの建物が火を吹き始める。

 輝きに満ちる星空は、黒い煙に塗りつぶされていく。


「気に入らないわあ」


 シャーリィは、焼かれる街を見ながらそう言った。


「何がだ」

「ザッツちゃんは、どうしてこの場所をあの化け物が狙ったと思う?」

「そりゃ、商業区や行政区と違って守りも薄いだろうしよ。脅しでやってるんなら、『どうでもいい』ところを襲うんじゃないか」

「それが気に入らないの」


 ぼろを纏った人々が、次々と不衛生な水路に飛び込んでいく。

 逃げ惑う怪我人たちが、唸り声をあげている。


「そこに、人間的な理由を感じ取れちゃってね」

「化け物のくせに、ってか」

「そういうこと」


 シャーリィの握る手に、力が篭っているのを見て取れた。


「平等じゃない」

「………」


 シャーリィはその言葉を、どういう意図で言ったのか。

 だが今は、追求を避けることに決めた。


「見えてきたな」


 ザッツたちが喧騒の中心にたどり着くと、スラム街でも開けた場所に出た。

 広場の中心には枯れた噴水がモニュメントになっていて、それを取り巻くように家々が燃え上がりながら建っている。

 道端には冒険者らしき者たちが、手負いの状態で倒れ込んでいた。


「アイツか」


 ザッツが指で示した先。

 噴水の上にはウィンデル街の化け物、上級アンデッドの少年が佇んでいる。

 彼は『燃え盛る剣』を手に、何者かと対峙していた。

 

「一緒に居るのは――受付嬢の姉ちゃんだと!?」


 あのウサギの耳は、間違いようもない。

 ウィンデル支部の受付嬢を務めている、クリルという名の女性だった。

 小柄な体躯に似合わないが、彼女は戦斧を地面に引きずっている。

 頭から血を流し、生傷とやけどの跡も目立っていた。


「クリルちゃんは『A』ランクの冒険者でもあるから、私よりも強いのよお」

「そうなのか」


 珍しいことでもない。

 ギルドの受付は、冒険者のノウハウが活きる仕事だ。

 依頼の斡旋業務をするとき、現場の経験も判断材料に入ることから、一線を退いた者がこの職につくことも少なくない。

 そして、クリルという受付嬢は『A』ランクであるとシャーリィは言った。

 とどのつまり、『大迷宮』規模のダンジョン攻略者であり、パーティの協調性をきちんと理解し、幅広い知識を有している冒険者なのである――もちろん、戦闘力も抜きん出ているはずだ。


「だが、それでも制圧できてない以上は――」


 防戦一方、と読み取るしかないだろう。

 どれだけ冒険者として優れようと、目の前の化け物を倒すことはできない、拘束もできない。やはりあれは、災害として扱うしかないのか。

 しばらくのあいだ、クリルと吸血鬼の少年は睨み合っていたが、


「もう、やめにしませんか」


 クリルはおもむろに口を開いた。


「あの子は『化け物』として死んだほうが幸せだったんですよ、アスターさん」


 アスター。

 それがウィンデル街の化け物、上級アンデッドである少年の名前なのか。


「だから、ギルドは嫌いなんです――この街だって大嫌いだ」


 アスターの持つ灼熱剣が、彼の怒りを示すかのように燃え上がった。


「それが、ノイア様にとって幸せだったと?」

「彼女が望んだことです」

「そんなことはない、彼女は生きたがっている! そして、この街はそれを許さなかった! だから僕は、おまえたちに苦痛を与えないと気が済まない!」


 ノイア様の痛みを知れ――アスターは剣を振り上げた。

 クリルは逃れようとしたが、蓄積されたダメージが体を重くしていた。


(避けられない――!)


 クリルは死を覚悟しながらも、目を背けることはしなかった。

 最後まで諦めず立ち向かう精神こそ、冒険者として持つべき矜持だから。

 そこへ。


「ちょっと、失礼するわよお」


 一閃。

 シャーリィの放った矢は、アスターの剣を打ち抜いて霧散させた。


「腐食式の矢、ですか」


 アスターは、視線を矢の飛んできた方向へ向け、シャーリィの姿を確認した。

 ザッツはその隙をついて、クリルの救出に入っていく。


「シャーリィさんに、ザッツさん――!?」

「なんだその、鳩が豆鉄砲食らったような顔はよ」

「素直に驚きましたよ。野次馬目的で来たんじゃないかと思うぐらいは」

「はあ、助けるんじゃなかったな」

「冗談です、助かりましたよ」


 ザッツはクリルを抱えたまま、アスターから距離を取る。

 アスターはひたすら、シャーリィの放つ矢を――素手で捌いていた。


「触れたものを腐らせる、錆びさせる、魔力でできたものなら結合を解く」


 アスターの手は、黒く変色している。

 しかし、すぐに元通りになってしまう。吸血鬼の再生能力だろう。


「地属性でも扱いの難しい、ピュートーンの固有術式ブランドですね」

「あら、よくお勉強してるのね?」

「お嬢様を守るためです。もちろん、その術式は僕に通用しませんよ」


 アスターは右腕を天に掲げると、詠唱なしで黒く燃える火炎球を作り出した。

 すかさず、シャーリィはそれを狙い射つものの――圧倒的な魔力差から、結合を解くことができなかった。


「偽りの白夜、人の業たる昏き太陽――メメント・フェカトゥム!」


 漆黒の太陽が、シャーリィに向かって放たれる。


「くっ――」


 射っても射っても、魔力を分解するどころか膨れ上がっていく。

 そして、


「シャーリィ!」「シャーリィさん!」


 太陽は臨界点を越えて、黒い炎を噴きながら爆発した。


「きゃああああああ!」


 火だるまと化したシャーリィは、地面にのたうち回りながら――やがて、近くの水路に落下していった。ジュッと蒸気が弾けるようにして広がった。


「うええ、きたなあい。水が死んでるわあ」


 水から顔を出したシャーリィが、口からコールタールのような液体を吐いた。

 それを見たザッツとクリルは、ほっと胸をなで下ろす。


「桁違いだ」


 ザッツはそう漏らすしかなかった。

 攻撃力も、防御力も、魔力量も、敏捷性も。

 何一つとして、この吸血鬼を上回ることができないのではないか。

 レベルが違う。覆るはずのない実力差がそこにある。


「だが、やるしかねえ――これ以上、街を好き勝手させてたまるかよ」


 ザッツは波状槌を握り締めて、アスターとの戦いに臨もうとしていた。


「無理をしないほうがいいですよ」


 アスターは、ふたたび灼熱剣を出現させた。


「震えてるじゃないですか」


 ザッツは言われてはじめて、自分が怯えていることに気がついた。


「うっせえよ、これは武者震いってやつだ」

「僕がいうのもなんですが――勝てないと分かっているのに、向かってくるのはどうかと思いますよ」

「それでもよお、罪もない人々に恐怖を与える存在を、捨て置けるか?」

「約束を反故にしたのは、街の方でしょう」


 大きさすら変幻自在の、灼熱剣が振り下ろされる。

 ザッツはそれを前転して回避すると、飛び上がって波状槌をアスターに振り下ろす。


「喰らえや、オラアッ!」

「遅いですよ」


 アスターは、左手で軽々と波状槌の打撃部を止めていた。


「なっ――」


 波状槌のエンチャント特性――触れると同時に音を出す効果は、アスターが魔力を流し込んで相殺し、打ち消してしまった。


「なるほど、音を出すという変わったハンマーなのですね」

「ああ、それだけだ。なのに消しちまうなんてよ、ちと無粋じゃねーか」

「音というのは侮れないものですから」


 見抜かれていた、とザッツは思った。

 波状槌は非常に使い勝手が良い武器で、魔力の込め方によって音の大小から高低などを自在に変化させることができる。

 今回ザッツが狙ったのは、低周波で空気を振動させることで、炎の剣をかき消そうとしていたのである。


「しかし、そんな小細工は通用しないと……、分かっているでしょう?」


 アスターはそのまま、ザッツを武器ごと地面に投げ飛ばした。

 自分よりも体格のいい男を、赤子の手を捻るがごとくいなしてしまう。


「くそっ」


 ザッツが立ち上がることを、目の前に出現した黒い太陽が許可しない。

 メメント・フェカトゥム。

 シャーリィを戦闘不能に追い込んだ一撃が、今また放たれる。


「はっ――なんて奴だ、世の中にはこんな化け物がいるのかよ」


 漆黒の太陽は、すぐに爆ぜた。

 黒炎はザッツを飲み込んで、彼をスラムの建物まで吹き飛ばしてしまう。


「げ、あ……」


 ザッツの焦げた体が、地面に横たわる。

 口からは赤黒い血が溢れた。


「ザッツちゃん!」「ザッツさん!」


 シャーリィは足を引きずって、倒れたザッツのもとに駆け寄った。


「く、そ……、めちゃくちゃしやがって」


 ザッツは震える腕を支えにして、ゆっくりと立ち上がった。

 クリルも体を休めているが、まだ満足には動けない。

 誰も、アスターを止められない。

 勝敗は決していた。全滅ゲームオーバーだ。


 だというのに、

 アスターは、悲しそうな顔を浮かべている。


「どうして人間たちは、『化け物』を放っておいてくれないのでしょう」

「………」

「どうして滅ぼそうとするのでしょう。僕たちはただ、生きていたいだけなのに」


 誰に向けられたわけでもない、アスターの問い。

 この世全ての不幸を抱きしめたような、化け物らしからぬ少年の問い。


「………」


 誰も答えられるわけがない。

 正論を叩きつけて何になる。神経を逆なでして何になる。

 きっとアスターも、無言という答えを求めているに違いない。

 意識のある誰もが、そう思っていた矢先だった。



「それは――あなたたちが『化け物』だからですよ」



 またひとり、誰かがスラム街の広場にやって来た。


「害があるかどうかに関係なく、存在してはいけないから」


 黒衣の青年が、ロザリオを揺らしてやって来た。


「主が存在を許さない。ゆえに、人に倒されなくてはいけない。それがお前たちだ、アンデッド」


 アンデッド討伐機関『デイヴォート』所属――聖絶執行者アンデッドハンターのバラッドが現れ、あまりにも無慈悲な答えを叩きつけた。

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