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サカナのリングブレスレットが、さらに強い赤の輝きを放つ。
彼女は地下闘技場から脱出するため、出口の扉を目指しているが――仮面の貴公子ジュール・アイスエッジがその行く手を阻んでいた。彼をどうにかしなければ、地下水道に出ることはできない。サカナは戦う覚悟を決めた。
「痛い目に遭いたくなかったら、どいてっ」
「成る程、確かにこの魔力の出力量――私では太刀打ちできないかもしれません」
ですが、とジュールは続ける。
「貴女も先ほどのニナさんと同じで、自分の器量以上のことをしようとする」
「うっ……」
見抜かれている。
サカナが以前、試しでザッツに『アルテミスの召喚式』を発動してみせたときは、維持に必要な魔力量を越えてしまい、倒れ込んでしまった。
この魔術式でジュールを制圧できたとしても、下手をすれば自分も動けなくなってしまうかもしれない。
「でもっ、わたしにはこれしかないんだからっ」
「ほうほう、さしずめ貴女は守られるだけのお姫様ってやつですか」
「いまはそう、だけどっ」
サカナはぎゅっと両手を握り込んだ。
「わたしだって、守られるだけの存在じゃ嫌だから」
「それは――好感が持てますね」
ジュールの表情が柔らかくなった。
彼はゆっくりとサカナに近づきながら喋り始める。
「守られることに甘えない姿勢、自分の意思で立ち上がろうとする者。人は皆そうあるべきですが、上流にはそれができない者も数多く居ます。…悲しいことですが、私の身内にもそういう出来損ないが居ましてね。そういうものを見てきたせいか」
ジュールはサカナの顎を、人差し指でなぞろうとする。
「ひっ!?」
「この地下闘技場で雄々しく戦う女性たちに興奮してしまうわけですよ。…貴女もなかなかそそるようなタイプだ。オーナーのお好みでなければ、私が頂いてしまおうと思えるほどにね」
サカナは恐怖によって、一瞬だけ体が動かなかったが――すぐに後ろに飛び退いて、魔術式を完成させようとする。
「触らないでっ」
少女は地面に右手をついて、赤い絨毯に魔力を流し始めた。
魔法文字や紋章が次々と光っては出現し、召喚用の魔法陣が完成に近づいている。
「そうそう、先ほども申しましたが」
ジュールが地面を蹴った。
と同時に、床が凍りつきながらサカナの方に向かっていく。
「きゃあっ」
氷の侵食はサカナを飲み込んで――少女の手首まで凍りつき、魔法陣を不発に追い込んだ。
「オーナーが貴女にご執心のようなのですよ」
「は、離れない」
足元まで凍結させられたサカナは、その小さな手を床から離そうと必死だが、どうしても離れない。
ジュールは再びサカナに近づいていくと、覗き込むように前屈みになった。
「体が目当て――とオーナーは確かにそう言ったのですが、どうも私には引っかかる物言いでしたね」
「いっ!?」
ジュールは迷うことなく、サカナの胸の谷間に指を入れた。
そしてゆっくりと弾力を味わうように動かし始める。
「いやあっ、触らないでよ」
「素晴らしい、このきめ細かさは上質の絹のようだ。…オーナーの所有物になる前にこの天使のごとき柔肌をまんべんなく味わってみたいものです」
「た、助けて、誰かっ」
傍若無人な男の行為に、サカナは助けを呼ぶ。
しかしこの場に、彼女の声を聞き届ける者など居るはずもない。
ジュールはそう思っていた。
だが。
「助けを呼んだか、いたいけな少女よ!」
突然――ジュールの後ろの扉から、何者かの声が響いてきた。
「えっ」
それはサカナにとって、どこかで聞いたことがあるような声だった。
「オナゴの胸に手を突っ込む不届き者めっ、私がさっさと成敗してやるぞ――ええと、何やってんのアンフィ。こんな鉄扉ぐらいぱぱぱっと斬っちゃってよ」
「無理です。簡単には破壊されないように魔力結界が張られているじゃないですか」
「そんなことは分かってるんだよ。でも早くしないと向こうにいる女ったらしのクソ野郎にカナちゃんの純潔が散らされちゃうかもしれないんだっ」
「私にはあちらの状況がよく分からないのですが、ここはそういう店かそれに準ずる何かなのですか? シレット様のことを思えば、此処は帰るべきだと思うのですが。…それにその、ザッツさんとサカナさんがよろしくやっているのなら、それを応援してもよろしいかと」
「だーかーらぁ! 今カナちゃんを襲おうとしてるのはあの覗き魔じゃないんだよっ、あんなのよりよっぽどタチが悪い獣性剥き出しのエッチマンなんだから!」
「ヒドい言いようですね」
「そうだよヒドい奴なんだよっ、だって私の学友を何人も食べてきた――女のことしか考えてない、頭が×××××で出来てるような奴だよ!」
「あまりそのような言葉使いは感心しません。私がグレイアル様に怒られてしまいます」
「×××××は×××××じゃないか。×××とか××って表現すればいいわけ?」
「……」
「……ご、ごめんね」
「それよりも学友と仰いましたか?」
「そそ、リーズローズ領のフロストベルク学園に留学してた時の話だよ。ちょっと前までは女子学園だったんだけどさ、私が行ったときには共学で――そのせいでアイツが居たわけだよ!」
「その――貞操観念のない、浅慮甚だしい殿方のことですか」
「なかなか上品な語彙力があっていいね、羨ましいよ」
「恐縮です」
「ってなワケで、このままだとあの――貞操観念のない、浅慮甚だしい殿方にカナちゃんが食べられちゃうの、はやく扉を斬ってよ!」
「ですから、私の実力では厳しいものと思われます」
「またまたそんなこと言っちゃって。…いつも力をセーブしてるの知ってるんだよ?」
「そんなことはございませんよ」
「もういいよ頼まないよ。こうなったらアイツに開けて貰うから――おい、ジュレイド、聞こえてるんだろ! ずっとそうやって指突っ込んでないでさ、さっさと此処開けなよ!」
バンバンバン、と扉の向こうにいる人物が扉を連打している。
ジュールはサカナの谷間に指を入れたまま、文字通り凍りついていた。
数秒の空白の後、
「そろそろ潮か」
と呟いたジュールは、少女の胸元から指を引き抜き、氷の魔術式を解除した。
足元の支えを失ったサカナは、前につんのめってしまう。
「はーやーくー」
ジュールはしぶしぶ入口の扉を開くと、そこにはリーヴァルト領領主の娘シレットと、その直属の護衛騎士であるアンフィリテが居た。
シレットは奴隷売り場へ足を踏み入れると、ジュールを無視してサカナの方へとやってきた。アンフィリテが続いてシレットの後ろに付く。
「やっほーカナちゃん、元気してた?」
「シ、シレット様、どうしてこんなところにっ」
「やだなぁ、約束したじゃないか。王都リーヴァルトについたら歓迎してあげるってさ。職務もひと段落したし抜け出してきたわけ。…アンフィにはバレバレだったけどね」
「常にお側に居ることこそ職務ですので。万が一があったら困ります」
めんどくさいよねえ、とシレットは言って。
「で、あとはカナちゃんのブレスレットから出てる――特殊な魔力波を追ってきたって感じかな」
「それで、分かったんだね」
すっかり気が抜けて、安心したサカナはぺたりと座り込んだ。
シレットは少女の近くに寄り添い、頭を撫でた。
「よしよし怖かったね。…強引なところがあのエッチマンの悪いところだから」
そして、ジュールに顔を向ける。
「さてココがなんなのか説明してもらうよ、ジュレイド・リーズローズ先輩」
仮面の貴公子――ジュレイドは頭を掻いた。
「説明しなくても、貴女にはもう分かっているのではないですか。風の魔術式なら右に出る者は居ないと称された――学園の才媛にして異国の姫君、魔術科のシレット・リーヴァルト君」
リーズローズって、とサカナは呟いた。
「そうだよカナちゃん。学園では問題行動が多すぎて中退したけど、こんなんでもこいつはリーズローズ家の王子なんだ」
「こんなん呼ばわりとは心外ですね。貴女には手を出さなかったでしょうに」
「ふざけんなよっ、『眼鏡の娘はイモくさくて嫌だったから』って風聞は――嫌でも感知術式に引っかかってて知ってるんだからね!」
「それは事実です」
「こんにゃろーっ、眼鏡を外せば――外せばなぁっ、私だって美人なんだぞお!」
「しかしそれは昔の好みの話。人とは見た目ではなく心にあると理解しました。…あっ、眼鏡は外さなくて結構。そういうのもイケる口になりましたので。むしろ外さない方がずっと良い。貴女の幼稚さは学園在中の頃から変わってませんが、成長した肉体とのギャップがたまらない」
「あ、うん……、変態に磨きがかかったのかな」
こほん、とジュレイドは咳払いをひとつした。
「それで、貴女は此処がなんだと思いますか」
シレットは周囲を見渡す。
「この場所だけで見るなら、奴隷の競売場ってところだけど――あっちでは誰かが戦ってるみたいだね。魔力の質からするとカナちゃんの彼氏さんかな」
肌に感じる魔力の断片で、建物の構造や人物を探り当てる。
ニナと違って術式の補助もあるようだが――風属性魔力に秀でた者に隠し事はできないな、とサカナは思った。
「賭け試合をやってるみたいだね。『闘士の勝敗予想を行う――運営を相手にした賭け』と『勝敗結果で金が移動する――当事者同士の賭け』の二つ。そして副事物で出た奴隷の売買。それと上の階で貴族たちによる高額な物品取引をしているのかな」
「シレット君はどう思いますか?」
「はっきり言って――違法性はどこにも存在しないよ」
「えっ」
サカナは驚きの声をあげた。
これだけ人として醜いことをしておいて違法性がないのか、と。
少女はシレットにそう問うのだが。
「リーヴァルトの現行法じゃ、盛んに商取引を行って国富の増強を促すことが推進されてるからね、小さいことには目を瞑っちゃうのが実情なんだよ」
「そ、そんな、…わたしの旅の仲間が、奴隷にされちゃうかもしれないのに」
「女の子?」
「うん」
「あのヤロー、カナちゃんが居るってのに他の女の子を侍らせてさ! オトコがみんな身勝手ってのはみんな同じなのかな。…カナちゃんは私が、本当に貰っちゃってもいいかもしれないね」
シレットが腕を組んで、頬を膨らませている。
「わたしにとっても、大切なお友達なのっ」
「えっそうなんだ…、しゅん」
「ど、どうにかならないかな」
「なるさ」
シレットは言い切った。
ジュレイドは小さく、此処ももう終わりか――と呟いた。
「だって此処からは、ダンジョンの匂いがするじゃん?」
「は?」
サカナには言葉の意味が理解できなかった。
ダンジョンがあることが、どう関わってくるというのか。
「分かんないかなあ、リーヴァルト領のダンジョンは――ウチの石頭オヤジのせいで――国が管理することになってるんだよ」
「うん」
「それはシレット様のせいになるのでは?」
「細かいこと言わない。まあそういうワケだからね」
シレットは悪そうな顔を浮かべた。
「接収できるってことだよ――ダンジョンがあるって証拠見つければ、建物ごとね」




