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それから数分間、ニナは恥辱を受け続けた。
髪を掴め! 暴力で泣かせろ! こっちに見せろ! 失禁させろ!
すっかり熱狂した観客の下品な要望に、ジュールは淡々と――パフォーマンスをするように応えていく。
自らの『命』を賭け金とした者の敗北。ニナはその見本として衆目に晒され続け、観客の盛り上がりが落ち着いた頃に『降参』が認められた。
「ぅ…、ぁ……」
すっかり目に光がなくなったニナは――黒服の男たちに枷が繋がれ、抵抗することなく奥の扉に連れていかれてしまう。首につけられた鎖によって、引き摺られていく姿がとても痛々しかった。
その様子を、ザッツたちは遠目から眺めることしかできなかった。
「……」
サカナは放心状態のままリング上を見つめている。
散乱したニナの服が、選手の退場をもってなお惨状を物語っていた。
「なっちまったモンは、仕方ねえ」
ザッツの握った手が震えている。
片付けもされず、リング上では次の試合が始まった。
拘束から解放されたザッツは、すぐにパンフレットを広げていく。
「ザッツ、ニナちゃんを取り戻せないの?」
サカナの問いかけを無視して、ザッツは『4、商品リストと基本スペック』の項目を選択してページを開いた。
ニナは『商品』として、既にリストに追加されていた。
■ 商品No.63 ニーニャ・ドラゴンタベター 最終ランク『E』
値段:166.26
優先買取権:シュール・アイスエッジ(水馬ノ月/三十日まで)
割引開始:空羊ノ月/一日
処分日時:空羊ノ月/四日
「……」
ザッツは買い戻しに必要な値段を見て絶句する。
ジュールの賞金額が、そのままニナの商品価格になっているではないか。
「この優先買取権ってなんだろ」
「まずは――地下闘技場の仕組みについて知る必要があるな」
続いて、先ほど読みきれなかった『2、闘技場のルール』のページを開く。
■ 挑戦する側は、賭け金が必要です。勝利した場合に賞金に加え、払い戻しが発生します。
■ 挑戦された側は、勝利した場合に相手の賭け金を受け取ることができます。敗北した場合は、賞金を支払ってください。
「重要な情報は、これだな」
■ 試合後に負債が発生しそれが即金で支払えない場合、それを肩代わり致しますが、登録者は当闘技場『鮮血注ぐ黄金の湖』の所有物となります。
■ より高く買ってくださるお客様への特典として、新規商品には『優先買取権』をご用意させて頂きます。期限日時までは指定されたお客様のみ、お買い求め頂けますのでご了承ください。
「水馬ノ月/三十日は明後日だな。…それまでニナはジュール以外の誰かに買われることは無いってことになる」
「だ、だったら、それまでにお金を稼げばっ」
そんなことできるわけがない。
たった二日で三桁以上の金硬貨を獲得することなど不可能だろう。
そして、ジュール本人にニナを買われてしまえば終わりだ。
「ジュールってやつは、闘士でありながら――奴隷商でもあるな」
『優先買取権』に名指しで指名されているような人物だ。
奴隷売買に関しては、オーナー最大の取引相手なのだろうと推測できる。
(それに……)
ザッツは感じている。
それは――獲物を虎視眈々と狙う、狩人特有の視線だ。
「まさか……」
彼は確認した『闘技場のルール』から、ある考えに思い至った。
(もし考え通りなら――奴らは確実に『それ』を狙ってくる!)
今のザッツたちは持ち合わせがない。
そしてそのことは、ニナとのやり取りで会場の全員が知っていることだ。
その状態で『負債』が発生してしまったなら、どうなるか。
「よし、帰るか」
「えっ」
ザッツは立ち上がる。
「アイツってさ、勝手にオレちゃんたちに付いて来てただけだしな。…いい厄介払いになったんじゃねーのか?」
サカナはザッツを睨みつける。
「ニ、ニナちゃんをそんな風に思ってたの?」
「悪いかよ、本当のところはお前もそう思ってたんだろ。…あんな幼稚なやつと一緒にいると疲れるってな」
「ひ、ひどい」
ザッツはサカナの手を引いて立たせると、
「オレちゃんには――お前が居ればいいからよ」
「えっえっ」
嫌悪感を顕にしているサカナを、無遠慮に抱きしめた。
そして、
「今は逃げるぞ、ここで出来ることは何もねえ」
と耳元で囁いた。
その言葉にサカナは悲しそうな顔を浮かべるが、まだザッツが奪還を諦めていないことを悟って、
「ん、わかった」
と、小さく呟いた。
「さーて、今日は誰にも邪魔されずに朝まで頑張れそうだなっ」
ザッツはそれっぽく茶化してサカナから離れると、彼女の手を握って早足で闘技場の出口に向かおうとした。
その時だ。
ピンポーンという喚起音が鳴ったのは。
「なっ」
アナウンスの声が、音が会場内に響く。
現在行われている試合は、まだ終わっていないはずだ。
「たった今、対戦を行っていないチームの会場入りを確認致しました。試合順繰り上げを行います。割り当て番号『E13』番はリングへの移動をお願い致します」
と、すれば。
「挑戦相手に指名されました――割り当て番号『E27』番チームの一名は、至急受付までお集まりください!」
ザッツは奥歯を噛み締める。
「……やられたッ!」
『挑戦を受ける側は、それを断ることができません』
『敗北した場合は、賞金を支払ってください』
『負債が発生しそれが即金で支払えない場合、それを肩代わり致しますが、登録者は当闘技場の所有物となります』
これらのルールを編んでいけば、自ずと出てくる運営側の稼ぎ方。
これで分かった――この闘技場は、ザッツたちを逃がさないつもりだ。
「ザ、ザッツ」
「思った通りの仕掛けになってやがった――奴ら、オレちゃんたちも『商品』として根こそぎ刈り取るつもりだぜ」
「わたしたちを倒しても、その人の所有物になるわけじゃないのに?」
「運営側が用意した闘士ってことだ。…そもそも会場入りしてすぐなのに、未知数だろう『E27』に挑戦してくるの、どう考えてもおかしいだろ」
「でも、強さは『E』ランクみたいだし、なんとかなるかな?」
「そんな格付け意味ねえ。『登録者リストの中で、自分と同ランク以上の相手を自由に選び、挑戦することができます』って書いてあっただろ。それを行使するためだけの『E』ランク。奴隷狩りのためだけに用意されたハンターってこった」
サカナは目を伏せる。
「それって、強いんだよね」
「間違いなくな」
「……」
「だが、オレちゃん的にはいい機会だと思ってる」
「え」
「このままやられっぱなしじゃ、気がすまねえってやつだよ――一矢報いてやるってことだ」
波状槌を力強く握りこむ。
その不敵な表情には、反骨心がにじみ出ていた。
「ってなわけで試合にはオレちゃんが出る。…サカナは今のうちにとっとと逃げちまえ。試合中のチームメンバーを拘束するルールはねえ」
「や、やだよっ、ザッツとニナちゃんを見捨てて置いてくわけにはいかないっ」
「お前に何ができるんだ?」
「何もできないっ」
「ならとっとと失せろ、てめーには何も期待してねえ」
「やだっ」
ザッツは溜息をついた。
「なぁ、頼むよ――オレちゃんに悲しい思いをさせないでくれ」
「……ッ」
今までに見たことのない、ザッツの寂しげな表情に。
サカナは気圧されてしまって。
「う……、わかった…、よ…」
ザッツの顔を見つめながら、ゆっくりと後ずさる。
そして、ぎゅっと目を閉じて――決心の果てに、出口に向かって走り出した。
「闘技場を相手にするのは初めてだな」
ザッツは受付に行くと、紙にファイトネームを書くように求められた。
迷うことなく自分の名前をそこに記すと、無効試合となり誰もいなくなっていたリングへと向かっていく。
「ダンジョンを相手取るのとどっちが手ごわいか、試してやんよ」
「おやおや、貴女は先ほどの『商品』のお連れの方ではないですか」
サカナが出口の扉を開けて、奴隷売り場を兼ねている通路に辿り着くと――そこにはジュール・アイスエッジが待ち構えていた。
「な、なぜ――あなたがこんなところに」
「何故と言われましても」
ジュールは右手で顎をさすりながら、困ったような表情を浮かべている。
目元がマスクで隠れていても、彼の感情を読み取るのは容易だった。
「品定めをしているのですよ、商いは貴族の嗜みですからね」
ジュールは檻に閉じ込められた奴隷たちを示した。
その中にニナの姿はない。
「ニナちゃんを、どうしたのっ」
「ニナちゃん――ああ、先ほどリストに陳列された商品のことですかね。…どうしたと申されましても私は知りませんよ。あれは闘技場の所有物なのですからね」
とはいえ、とジュールは続けて。
「あれは私に負けたからこそ、高額となってしまいました。並べられてるとするなら二階の方ですよ。…貴女には入れませんけどね」
「高額になってしまったのは――掛け金を踏み倒したせい?」
「ええ、そうです。闘技場でも言いましたが、言葉通り『命』を賭して私に挑戦してきたのは初めてですよ。ところがその分、運営側の肩代わり――私に支払われる分の賭け金も大きくなってしまった」
「だから、採算を取るために」
「その通り。貴女たちを『商品』として仕入れることに決めた。…そこまで分かっているなら大したものだ」
「っ!」
それを聞いたサカナは、ジュールに対して戦いの構えを取った。
「ほほう」
彼女は明らかに眼前の貴公子を警戒している。
その様子を見て、ジュールの口元がわずかに歪んだ。
「気づきましたか」
「運営側はわたしも捕らえるつもりなんでしょ。だったらこの通路に"あなた一人なのはおかしい"もの」
「ですね」
「……闘技場のオーナーに雇われたの?」
「正確には『通さぬように』と言われただけです。定めたルールをしっかりと守るのが此処のオーナーの良いところだ。…ですが、今宵は人手不足のようでしてね」
ジュールは二階の通路を見上げた。
「それに私にとっても悪い話でもない。商品を割引してくれるというのでね。…あの子はニナといったかな」
「……」
「彼女はなかなか良い体をしている、なかなか楽しめそうですよ」
「……っ!」
サカナは恐怖から毛が逆立った。
そして、怒りがふつふつと沸いてきた。
この男はニナを買って――慰みものにしようというのか。
「そんなこと、そんなこと許さないっ!」
「激情から出た言葉など一銭にもなりませんよ。利益を生むのは打算に裏打ちされた言葉と――実際の行動だけです」
サカナは覚悟を決めて、魔力を練り始める。
彼女が身につけている黄金のブレスレットが、赤く輝いていた。
「『獣蹄』の勇者アルテミスよ――御身の名の元に、契約せし魔の者を我が血を贄に喚び出さん」
「ああ、それと」
召喚魔術を呼び出そうとするサカナを気にすることなく、ジュールは話を続けた。
「オーナーは貴女に興味があるようです。…張り切りすぎて、怪我をしないようにしてくださいね?」




