第2章 殺人現場へ
約束の時間に店を訪れた天宮は、異変を感じ取り扉の前で立ち止まった。
時間が時間だけに、扉に掛けられている『close』の文字はもっともだが、中から会話のような物音が聞こえる。
誰だ? 片方は里緒の物で間違いないとしても、もう片方はあの怜生とかいう弟の物とは思えない。第一印象だけではあるが、そんなに喋るような男には見えなかった。
どのみち、こんな場所で立ち往生しているわけにもいかない。たとえ営業時間を無視した客だったとしても、待合席で待っていればいいだけのことだ。
唾液を飲み込んだ天宮は、意外と重たい店の扉を開けた。
「あらぁ、やっぱり来たのね。天宮君」
「彼がさっき話していた子か?」
昨日と同じ喪服姿の里緒は、待合席に座っていた。そして彼女と向かい合うような形で、見知らぬ男が一人、上半身を反転させて天宮の顔を見上げていた。
面を食らった天宮は、見知らぬ初老の男を見ながら疑問符を浮かべた後、無言で里緒に説明を求めた。
「紹介するわぁ。こちらは県警の刑事さん。長谷川さんっていうの」
「刑事?」
いや、意味が分からない。復讐に精を出す天宮を、殺人未遂の罪で逮捕しに来たとでもいうのだろうか。
訝しげに眼を細めた天宮は、もう一度長谷川という名の刑事へと視線を移す。
彼の身なりは端整なグレーのビジネススーツで、時と場所さえ違えば、まったく印象に残らないほど無個性な社会人を演出していた。年齢はもうすぐ初老に届くくらいだろうか。里緒や怜生の二倍、そして天宮の父親と同じくらいにも見える。ただ自分の父親と比べるのも悪い気がするが、気堅い男の顔はそれなりの年齢を重ねているのに若々しく、また逆に年相応の貫禄があった。
その貫禄を帯びた厳しい眼が、突如天宮を睨んだ。
「やはり気が乗らんな。これは遊びじゃない。無関係なただの高校生を同行させられるほど甘い事件じゃないし、時間帯でもなかろう」
「長谷川さん。言い忘れていたけれど、天宮君も一応関係者ではあるのよぉ」
「なに?」
長谷川は片目を細め、胡散臭そうなものを目の当たりにしたように訝しんだ。その顔のまま天宮の方へと向けられるので、彼は思わず怯んでしまう。
「彼はね、四番目の被害者、青山セナさんと恋仲だったらしいのよ。彼女が殺されてしまって天宮君は犯人へ復讐する誓いを立てたの。それで私のところに来たってわけ」
「復讐とはまた物騒だな」
「三人目の被害者が出た時点で犯人を捕まえていれば、青山さんは死なずに済んだものねぇ。完璧に、警察の失態だわ」
「…………」
決して天宮は、犯人を捕らえられない警察を憎んでいるわけではなかったが、里緒の苦言に長谷川は堪えたようだ。軽く咳払いをし、顔を背ける。
今が言葉をはさむタイミングだと、天宮は思った。
「えっと、その……里緒。これはどういうことなんだ?」
「見たまんまよ。私は刑事である長谷川さんから、今回の連続通り魔事件について協力を求められているってわけ。約束した時間が今夜だったから、天宮君にも今夜訪れてほしかったのよぉ」
「こちらも正式な捜査方針で君に協力を仰いでいるわけではないんだ。このことが上にばれれば、私もお咎めを食らう」
「じゃあ天宮君も同行させてあげてもいいわよねぇ? 長谷川さんも仕事じゃないなら、天宮君にとやかく言える筋合いはないんじゃなくて?」
「しかし、だな……」
里緒の口上に押されている長谷川を無視して、天宮は頭を抱えた。
つまり天宮の覚悟云々、事件のことを知っている云々は嘘だったわけだ。今夜刑事と会う約束があったため、それに天宮を便乗させて手助けしてやろうというだけの話だった。
初日から重大な嘘をつかれ、今後この女を信用してもよいのか判断に困る。無意識のうちに溜め息も漏れた。
「あらぁ。私は別に嘘を言ったつもりはないわよぉ。ただ言わなかったことがあるだけ。結果的に天宮君は事件の側面に立ち入ることができるし、事件以外のことなら話せるわぁ。セナちゃんの右手のこととか」
そうだった。事件はなにも、犯人を捜し当てることだけじゃない。無差別に見える通り魔殺人事件。それにセナが巻き込まれた理由を……この女は知っている。
「頼む、教えてくれ。昨日の帰り際に言われたことをよく考えたんだが……」
「待って、慌てない慌てない。詳しい話は車の中でするわ」
「車の中? どこか出かけるのか?」
「えぇ。行き先は第一の被害者が殺害された現場よ。何をしに行くかも、一緒に話すわ。少し長くなりそうだし。……というわけで、彼にも同行してもらうわよぉ。いいわよね、長谷川さん」
「なにが『というわけで』なんだ」
しかし長谷川としても、仕事ではない以上、拒否できる権限はなかった。できることといえば、子供が出歩く時間ではないと、大人の一般常識を振りかざすくらい。ただ天宮の眼を見た長谷川は、それ自体も諦めたようだった。
「分かった分かった。ただし、何かあっても君らが面倒を見ろ。私は知らん」
「あらぁ。それが刑事さんの言い草かしら?」
里緒の挑発的な物言いも無視し、長谷川はさっさと外へ行ってしまった。
困った天宮は、里緒を見る。
「現場までは少し遠いからねぇ。私たちには足がないもの」
「そうじゃなくてだな……」
何から言えばいいのか、分からなかった。
そしてこれからどう振る舞えばいいのかも。
「貴方の信じる方向へ進めばいい。ただそれだけ。簡単なことでしょぉ?」
奇妙なことに、あまり信用できない女からそう言われてしまった。
天宮の肩を軽く叩き、店の外へ向かう里緒の背中を見つめながら、天宮は考える。
何が信じられ、何を疑えばいいのかなど、今のところはまったくもって分からない。だったら判断のできるところまで、流れに身を任せればいい。今は理緒に着いていくことが最善の策のはずだ。
自分の判断だけを頼りに、天宮もまた、店の外へと向かった。
***
「殺害現場に遺された残留思念を切り取ることが、長谷川さんからの依頼内容よ。残留思念、意味は分かるかしら?」
「まあ、何となく」
長谷川の運転する車に乗り込んだ一行は、早速第一の殺害現場へと向かっていた。助手席にはいつの間にか同行してきた霧咲怜生、後部座席に天宮と里緒が並んで座り、今回の彼女の役割を大まかに説明していた。
「人が死んだ場所ってのはね、それだけで生前に抱いていた感情が残りやすいのよ。特に殺人犯と対峙したりなんかして、死ぬ寸前に複雑で多大な情報量を生成してればね。今から第一被害者が遺した感情を収集しに行くんだけど、現場がちょっと遠いから長谷川さんに車を出してもらったわけ。でも、こんな夜中じゃなくてもよかったのにねぇ」
「…………」
嫌味たらしく微笑みかけるも、運転席の長谷川は前を向いたまんま無視だった。動揺が手元に現れることもなく、法定速度をきちんと守った模範的な運転だ。
「けど、なんで残留思念なんて集めなきゃならないんだ?」
「殺される寸前に異常発生した感情を解析することによって、いろいろなことが分かるわよ。例えば警戒心や嫌悪感が無ければ被害者は犯人の顔を見ておらず、突然後ろから襲われただとか。安定した感情からの驚愕、もしくは恐怖心までの起伏が大きければ、直前まで普通に会話していた可能性ありとか。ま、死人の感情の調査なんて私にしかできないでしょうから、証拠にはならないんだけどねぇ」
「いや、そうじゃなくて、別に『場所』でなくてもいいんじゃないかって」
「あぁ、そういうこと……」
言葉を選ぶような遠まわりな天宮の言い方だったが、里緒はすぐに理解できたようだ。
要するに、殺害『現場』からも残留思念を獲得できるのであれば、亡くなった『本人』から感情の収集をした方が容易ではないのだろうか。わざわざ四つの『現場』に赴かなくとも、里緒の理屈からいえば、『遺体』にだって生前の感情が残っていたっておかしくはない。
ただ里緒は否定も肯定もせず、前を向いて顎をしゃくった。
するとバックミラー越しに、運転席の長谷川と目が合った。
「それについては私の依頼が遅かった、という他ない。すでに司法解剖も終わっているし、私の独断では霧咲君をご遺体に会わせられる権限もないしな。それに……家族の要望があって、すでに火葬されているところもある」
「あぁ……」
弁明のような長谷川の説明を聞いて、天宮は嘆息した。
決して忘れていたわけではない。しかしどうしても思い出したくはないことだった。
天宮もまたその手で、青山セナの遺骨を拾っていたのだ。
セナを殺した犯人に復讐の誓いを立てたはずなのに、その反面、未だ彼女が死んだ現実を受け入れられていない自分に嘆く。結局、高校生である天宮もまた、まだまだ子供なのだ。非情な現実を嫌だ嫌だと駄々っ子がごねるように否定し、それでいて復讐などといった安易な方法で決着をつけようとする。幼く、そして単純すぎる考え方だ。
そこでふと思う。自分は本当に、セナのことを想って復讐を果たそうとしているのか?
ただ単に、自己満足でしかないんじゃないか?
(いや……、やめよう)
一度だけ深く息をつき、窓の外を見ることで思考を強制的に転換させる。
片道三車線の幅広い国道は、今まで見たことがないくらい空いていた。二百メートル先の信号まで、一台も車が走っていないほどだ。深夜十二時過ぎともなれば、高校生の天宮はすでに寝ているか、翌日の予習に追われているかで、外出の機会などほとんどない。だからこそ人も車もない国道というのは新鮮で、逆に時たま反対車線を通るトラックや明かりのついている店を見つけた時は、自分のまったく知らない世界に生きている人たちも確かに存在しているんだな、と思い知らされた。
氷の上を流れるような滑らかさで走る車は、闇の映える国道をさらに進む。静かすぎる街並みは車内にも干渉し、助長された沈黙が息苦しさにも似た緊張を生んでいた。
自然と堅くなっていく天宮に気を遣ったのか、里緒が間を繋いだ。
「ところで天宮君。今回の連続殺人犯が、何て呼ばれているか知ってる?」
「……『人体収集家』、もしくは『切断魔』」
「そうね。人間って、こういう名前つけるの本当に好きよね。しかも安直過ぎて笑えるわ」
「…………」
被害者が天宮の恋人だと知ってて言っているのだろうか。どちらにせよ、天宮にとってはあまり面白い話ではなかったので、適当に聞き流しておいた。
この連続殺人は、ただの通り魔ではない。世間でも不吉なネーミングがされている通り、被害者にはとある共通点が存在していた。
それは被害者の人体の一部が、切断されていること。犯人が持ち去ったのか、もしくは何らかのメッセージが含まれているのかは一切不明。警察もその犯人の異常な行為に、ただ首を傾げているのだという。
しかし先の三人については、人体のどの部分が切断されているのかは知らない。一部報道規制がされているため、一般人に対してはただ『被害者の一部が何者かによって切断され、持ち去られている』という事実しか伝えられていなかった。
実際に遺体を見た、セナ以外は。
「第一の被害者は両耳を切断されていたわ。それで二人目は左脚、三人目はまさかの心臓。そしてセナちゃんは……右手首だったそうね」
天宮は黙って頷いた。
「おい、霧咲君。あまり一般人に捜査機密を漏らさないでくれ」
「別にいいじゃないのよぉ。天宮君だって、真剣に犯人を捕まえたいと思ってるんだから」
半眼でバックミラーを睨みつける長谷川に対し、里緒は小さな舌を出して反論した。
だがここで、ようやく糸が繋がった。昨日の夜、帰り際に残した里緒の言葉。右手首に宿っていた、セナの不思議な能力。そして持ち去られた被害者の様々な部位。ふわふわに浮かんでいた意味不明な断片が、一気に繋がった。
「右手に奇妙な能力があったセナが殺されて、その右手が持ち去られた。……つまり他の被害者たちも、不思議な能力を持っていて、その部位が持ち去られたってことか!?」
「ピンポーン。ご名答」
無邪気な感じで言われたが、全然嬉しくはなかった。むしろ逆に、次なる新たな疑問が浮上する。
セナの異能力を知っているのは、セナ本人と天宮、そして彼女の家族だけだ。
天宮でない以上、セナの家族が犯人? いや、そんなバカなことがあるか。そもそもセナの言葉の方が嘘で、他に知っている奴がいた? じゃあ、一体誰が?
「悩んで考えることは重要よ。けど、貴方が今抱えている疑問は、いくら考えたところで答えは出ない。だから私が教えてあげる」
咄嗟に里緒の顔を見た。
どうやら笑っているようだったが、暗くてよく分からなかった。
「おそらく犯人も、セナちゃんがどんな能力を持っていたかは知らないと思う。けれど右手は別。青山家……いえ、霧咲家と言った方がいいのかしらねぇ。ま、どちらでもいいわ。とにかく、セナちゃんの右手が呪われていることは、多くの人が知っていたと思う」
「の、呪い……?」
遺されていた手紙からも里緒は遠い親戚だと書かれていたため、セナの旧姓が霧咲であったことに驚きはない。しかしここにきて、理解しがたいオカルトチックな単語が出てきた。
呪い。
そんなものが本当に存在するのか?
「信じる信じないは勝手。けど貴方はセナちゃんの能力を知っているようだし、私の能力も体験したはずよ」
「感情を切り取る能力?」
それについても、未だに半信半疑だった。
しかし刑事が頼ってきたり、セナが手紙を遺したりと、今のところは『信』に傾きつつある。ただ右手。セナの異能力が宿るのも右手で、里緒が感情を切り取るのも右手だった。
「霧咲家は代々右手が呪われた家系なの。だからこそ不思議なことができる。そう解釈してもらっても構わないわ」
「その説明は簡単すぎないか?」
呆気に取られながら揶揄するも、否定しようとは微塵たりとも思わなかった。
右手が呪われた家系。確かに家系なら、少し調べればセナの右手が呪われていることも知れるかもしれない。
でも……そんなことで? 生まれた家柄のせいで、セナは殺されたのか?
そんなことが……許されるのか?
「天宮君。とても怖い顔をしているわ」
「……あぁ」
膨張した復讐心が、顔に出てしまっていたようだった。憎しみを表に出すのは構わないが、理性は保ったままでいなければならない。手の付けられない子供だと思われては、せっかく手助けしてくれている里緒に見放されてしまう危険性があるから。
「ちなみにセナちゃんにどんな能力があったのか、結局のところ私にも教えてくれなかったわぁ。愛しの天宮君にしか教えていないんだって。んもう、妬けちゃうわねぇ」
「はは……」
本気なのか冗談なのか。そして天宮自身は怒ればいいのか、照れればいいのか。曖昧すぎる空気の中では、天宮はただ苦笑いするしかなかった。
再び怖いくらいの静寂が車内に訪れたが、今度はそう長くは続かなかった。左折し、細い小道へと入る。すると車はすぐに停車した。
「悪いがここからは歩いていってくれ。現場は知っているだろう?」
「ちょっと長谷川さん。ここじゃ少し遠いんじゃなくて?」
「たかだか三百メートルだろう。君らと現場にいるところを、もし警察関係者にでも見られたら、私も少々立場が悪くなるのでな。私はここで待つとするよ」
「まったく、こんな夜中にそんな偶然、ありはしないわよ」
呆れたように愚痴をこぼし、里緒は車外へと出た。それに倣い、天宮と助手席の怜生も外に出る。冬独特の乾いた空気が、冷たい風と共に頬を撫でた。