エピローグ 霧崎里緒の目的
パシンッ! と頬を平手打ちされ、大男がフローリングの床に倒れた。
尻もちをついたまま、怜生は自分の頬を殴った姉を見上げた。銀髪喪服の女は、冷徹な表情で弟を睨み下ろしていた。
「あの時、どうして私たちと一緒に来なかったのかしら?」
里緒の言うあの時というのは、セナの残留思念を収集しに行った時のことだ。怜生は姉の命令に背き、店に残った。その理由について、里緒は問い詰めている。
「あんたが一緒に来れば、店には長谷川さんと真理子ちゃんしか残らなかった。長谷川さんとしても、危険な能力を持つ真理子ちゃんは邪魔だったでしょう。もしかしたらあの時点で真理子ちゃんを連れ出し、殺していたかもしれないわ」
長谷川の殺害動機については、霧咲姉弟は何も知らない。だが里緒には視えていたはずだ。長谷川から真理子に対して漏れる殺意を。
怜生が店に残っていたからこそ、あの時の長谷川は怪しい行動を取ることができなかった。
「もし真理子ちゃんが殺されていたら、天宮君の憎しみはもっと増えていたかもしれないのにねぇ」
責めるように言う。
しかし怜生は視線を伏せるだけで、特に弁明らしいことは何も言わなかった。
「……すまない」
「シスコンだけじゃなく、まさか本当にロリコンだったとはねぇ。それに天宮君に『彼』のことを教えやがって……。ま、いいわ。セナちゃんの能力も完全に予定外だったことだし。何事も計画通りにはいかないものね。真理子ちゃんの手帳への偽装工作、バレないかヒヤヒヤしたのよぉ」
常識的に考えて、探偵があんな場所に依頼主の情報を記すわけがない。あれは先に帰った里緒が、天宮を騙すために偽装したものだった。
「結果的には『最高の憎しみ』を手に入れられたから、別にいいんだけど」
そう言うと、床に倒れる弟を無視して里緒は踵を返した。
目的は店兼自宅よりもさらに地下。すべての感情を根こそぎ奪われ、軟禁されている自らの恋人の元へ。
地下への階段を下りる途中、里緒は空の瓶をうっとりと眺めた。
「これで三つ目……」
階段を降りきる。裸電球が照らす小さな部屋の真ん中で、いつもと変わらず一人の男が椅子に座っていた。
部屋の隅にある小さな棚へ、空の瓶を置く。
「『最高の喜び』に『最高の悲しみ』、そして今回手に入れたのが『最高の憎しみ』」
膝を曲げて屈んだ里緒は、椅子に座っている男へ抱きついた。
「もう少し時間は掛かるけど、必ず貴方を最高の人間にしてあげるわ」
完全な人間を造り上げるために、里緒は人間の最高の感情を集めていた。それらを永久脱毛のようにすべての感情を抉り取った恋人へと、再び植毛する。
最高峰の感情を纏った人間の完成。それが霧咲里緒の目的。
自らの恋人の顔をうっとりと眺めた後、彼女はその唇を重ね合わせた。




