初陣と失態の九話
よろしくお願いします。
ヘルハウンドは群れを成して獲物を狩る魔獣だ。
群れの規模は多くても十匹程度だが、俊敏な動きと鋭い牙による攻撃、そしてリーダーの元で統率された行動が脅威となる。
だが漆黒の騎士は知っている。
この魔獣は、自らにとって決して脅威と成り得ない事を。
ルヴォルフの従者として幾度となく屠った経験のあるヘルハウンドなど、恐れる必要は無いのだと。
漆黒の騎士はフロアの中央付近まで歩を進め、群れを成す五匹のヘルハウンドに剣を突き付けた所で後方より迫る気配を察知する。
第六感とも言える不思議な感覚だったが、意識して気配を探ると、魔力を宿す何モノかの接近を改めて感じ取る事が出来た。
感じる魔力からして、恐らくは眼前のヘルハウンドと同じ種族の魔獣だろう。
漆黒の騎士の接近に気付いた時点で、こちらを包囲するべく群れを分け、フロアを迂回して後方に回り込んだのだとすれば、これまでに無い経験ではあるのだが、結局は無駄な事だと漆黒の騎士は判断する。
後方から迫る群れが到着するまで、少しばかり時間があるのだ。
それまでに眼前の群れを殲滅してしまえば包囲は完成せず、結局は無駄な戦力の分散として終わるだろう……と。
そして突き付けた剣を足元を通して後方へと移し、左半身から一気に斬り込む。
「オォォォッ!」
先ずは一匹。
最も手近なヤツとの間合いを一瞬で詰め、斬り捨てる。
鋭い牙を剥き出しにして唸り声を上げていた首を、刃で掬い上げる様に斬り飛ばし、返す刃で更なる追撃を繰り出すべく、魔力を脚部に集めて弾け飛ぶ様に次の獲物に迫る。
魔力を糧に駆動する漆黒の騎士は、部位的な魔力密度によって腕力や脚力が変化する。
魔力の比重を腕部に集めれば腕力が強化され、眼球の役割を果たす蒼い光球に魔力を集めれば視力が強化されるのだ。
魔力密度の減った他の部位は当然能力が低下してしまう事になるが、必要な時に必要な部位へと魔力を集める事で高い汎用性を実現する。
それこそがルヴォルフ・ファウストが自らの護衛として求めた漆黒の騎士の姿なのだろう。
爆発的な加速を持って二匹目のヘルハウンドに迫った漆黒の騎士は、再び魔力を操作し腕力を強化すると、勢いのままにその頭部を斬り落とす。
これで二匹。
間違い無く命を絶った筈だが、魂を捕食する為の空間に精神が移行する気配は無い。
その事に疑念と落胆を感じつつも、残る三匹を屠る為に、動きを止める様な事はしなかった。
群れの仲間が殺された事を理解したのか、怒りを露わにするように牙を剥いて跳びかかってくる三匹目のヘルハウンドを擦れ違い様に口から上下に両断し、連携して左右から跳びかかってきた二匹を脚力にモノを言わせたバックステップで回避する。
これまでの知識による戦闘経験では、魔獣と漆黒の騎士が離れたこの様なタイミングで、ルヴォルフが魔術による範囲攻撃を行い殲滅する……というのが常だった。
前衛として漆黒の騎士が敵を引き付け、後衛としてルヴォルフが魔術で殲滅する。
そんな戦闘スタイルしか知らない漆黒の騎士は、今まさに単独での初陣を経験していた。
前衛と後衛。
騎士と魔術師が果たす役割。
パーティを組む事の有用性を身を持って学びながらも、今後は一人で戦い続けるのであろう我が道を見据え、漆黒の騎士は剣を振り上げながら更なる一歩を踏み出す。
元から脅威では無かったが、残り二匹となったヘルハウンドは最早敵ですら無い。
最初の二匹同様、漆黒の騎士は早々に斬り捨てる。
だがこれで終わりでは無い、間も無く後方から回り込んだ群れが到着するだろう。
接近する気配を探ると頭数は三匹だ。
しかし内一匹は他の個体よりも強い魔力を感じる事が出来る。
「ボス……カ?」
その正体を群れのリーダー。
あるいはボスの様なモノであろうと予測し、姿を見せた瞬間に纏めて倒すべく魔術を詠唱しようとして……止める。
攻撃魔術を刻んだ装陣器を持たない現状で、魔術を発動させるには詠唱を持って陣を構築しなければならない。
しかしこの漆黒の騎士という身体は、魔術を行使するに適しているとは御世辞にも言えないモノだった。
その理由は二つある。
一つは漆黒の鎧という身体を動かす為に用いられる動力が、他ならぬ自身の魔力だという事だ。
構造上その身に秘めた魔力が、そのまま身体能力となる漆黒の騎士は、魔力を消費して魔術を発動すれば、消費した分だけ身体能力が低下する事になってしまう。
加えてもう一つの理由が、漆黒の騎士は魔術を行使する事を前提に創られていないという事である。
ルヴォルフの身を魔術詠唱の隙から守り抜く事を目的として創造された漆黒の騎士は魔術の詠唱を想定しておらず、音声を発する機能が不十分なのだ。
魔力を用いて空気を振動させ、擬似的な声を作り出す機能は備えているが、正確にテンポ良く発音するのが難しい事に加え、発声するだけでも僅かながら魔力を消費する事にもなるので非効率な事この上ないのだ。
必要になった時は詠唱すれば良い等と考えていた自らを呪い、ルヴォルフの杖を置いてきた事を早速後悔しそうになったが、この程度の戦闘を切り抜ける事が出来ないようでは先が思いやられるだろうと気を持ち直し、漆黒の騎士は改めて剣を構える。
先ずはボスを除く、二匹の雑魚から始末する。
ボスを先頭に気配を殺しながら接近してきた三匹だが、フロアに満ちる同胞の血の臭いを嗅ぎ取ったのだろう、フロアに近づくや否や殺気も露わに突撃してくる。
飛び込んできたヘルハウンドの群れを束ねるボス、『ブラッディ・ヘルハウンド』は、鋭い牙を持つ口から血の様に赤い炎を噴き出しながら迫り来る。
その体躯は通常のヘルハウンドよりも一回り大きく、地を駆けるスピードも速い。
怒りに我を忘れ、他の二匹との連携を怠り突出したブラッディ・ヘルハウンドは、地を蹴りあげ上空から漆黒の騎士に跳びかかる……が、漆黒の騎士はこれを無視する。
ブラッディ・ヘルハウンドが跳躍する事で生じた隙間を、地を這う様に体を傾け、魔力にモノを言わせた脚力を持って駆け抜ける。
取るに足らない雑魚とはいえ、ボスとの戦闘に集中するためには先に片付けておいた方が良い。
早々に一対一の戦闘に持ち込むのが、堅実な戦い方というモノだろう。
そう考えた漆黒の騎士は、ブラッディ・ヘルハウンドの真下を滑る様に通過すると、遅れてフロアに飛び込んできた通常のヘルハウンドの内、一匹の頭部を下から縦に両断する。
そして更に続いて来るヘルハウンドを斬り伏せようとした所で、漆黒の騎士は自身の迂闊さを悟った。
狭い通路からは、ほぼ同時に侵入してきた最後のヘルハウンドが眼前に迫っている。
ならばと更に前へと踏み込み、斬り倒す事は容易く出来る。
出来るのだが、これ以上前に踏み込めば通路の中にまで進入してしまい、後方から再び迫るブラッディ・ヘルハウンドを、狭い通路の中で迎撃する事になってしまう。
身動きの取り難い通路の中で、比較的大型のブラッディ・ヘルハウンドと相対すれば、鋭い牙と爪、加えて口から噴き出す炎による攻撃を真正面から受ける事になるだろう。
ならば一度体勢を立て直すか?
候補としては左右か後方に退避する事があげられる。
しかし後方にはブラッディ・ヘルハウンドがいる。
今後退すれば即座に挟撃を受ける事になるだろう、論外の選択だ。
ならば左右どちらかに避けるのか?
それでは二匹の合流を許し、連携攻撃のリスクを負う事になる。
やはり危険な選択だ。
漆黒の騎士の本体である鎧は、非常に高い硬度を誇っている。
多少の攻撃では傷一つ付く事は無いだろうし、豊富な魔力を鎧の強化に充てれば破損の心配は限りなく低くなる。
加えて敵はヘルハウンドであり、恐れる事は何も無い。
だがそれでも経験の浅い内は神経質なほど万が一の事態を考慮するべきと漆黒の騎士は考えた。
考え過ぎてしまっていた。
この時、漆黒の騎士には自分でも理解できていなかったが、一度殺された経験のある彼は、問題無いと分かっていても、攻撃を〝受ける〟という事に強い忌避感を持っていたのだ。
「ッ……!」
不利な戦場と形勢を避ける為、結局その場から動く事が出来なかった漆黒の騎士は、跳び掛かってくるヘルハウンドの攻撃を地に伏して避けるハメになった。
危険を避ける為が、自分から危険な状況に陥ったというその迂闊さを呪い、それでもヘルハウンドが漆黒の騎士を跳び越える瞬間、体を強引に捻って剣を振り上げる。
苦し紛れに振るった剣は、ヘルハウンドの後ろ両足を斬り飛ばすに留まり、絶命させるには至らなかった。
最早地を這う事しか出来ないヘルハウンドには連携攻撃など不可能であろうが、地形の確認を疎かにした結果、不用意に攻め込み、仕留める事が出来なかった自身の不甲斐無さを認め、単独での戦闘経験の未熟さ痛感する。
だが今は反省している場合では無い。
残る最後の一匹、ブラッディ・ヘルハウンドを倒す事こそが先決なのだ。
最後に残ったブラッディ・ヘルハウンドは、既に態勢を立て直し、再び漆黒の騎士へ向かって走り出していた。
ヘルハウンド同様に黒い毛皮に覆われた身体を躍動させ、怒りに眼を血走らせながら地を駆けるブラッディ・ヘルハウンドは、その鋭い牙に鮮血の様な赤い炎を纏わせている。
対する漆黒の騎士は、その手に握る漆黒の剣に蒼く輝く魔力を纏わせるも、特に身構えるでもなく、心を静めてその〝時〟を待つ。
猛然と迫るブラッディ・ヘルハウンド。
静かに、微動だにしない漆黒の騎士。
間も無く訪れた決着は一瞬の事だった。
大きく顎を開き、真正面から跳び込む様に突撃してきたブラッディ・ヘルハウンドの牙が漆黒の騎士を捕らえようとしたその瞬間。
蒼く煌く閃光と共に、ブラッディ・ヘルハウンドの頭部が薄暗い洞窟の宙を舞った。
ありがとうございました。