番外編 王太子と侯爵家の三男坊
書籍版『ハーシェリク 転生王子と黄昏の騎士』ように書いた番外編。
オランとマルクスの過去話がメインです
一万三千文字近く書いていた!頑張ったな過去の自分!!
雪が解け冬は過ぎ、だが春というには寒さが残る日。
王城の廊下を、青年が歩んでいた。その青年は、最高級の紅玉を溶かしたような赤髪を持ち、髪と同じ色の瞳からは意志の強さが窺える貴公子だった。
彼は老いを知らぬ美貌の王ソルイエを父に、隣国パルチェ公国の海洋の宝石と称えられた姫を母に持つ、グレイシス王国の王太子マルクス。父と母から受け継いだ美貌に加え、その一挙一動も優美であり、また品行方正であり、大国の王太子に恥じない。
そんな大国の王太子であるマルクスは、王太子としての公務の他に、父王の補佐、さらに成人してからは軍務局に勤めているため、多忙な日々を送っている。
本日も午前中は王太子の執務を終え、午後は軍務局へと向かう途中である。
そんな彼を引きとめる人物がいた。
手を振り、金色が混じった橙色の髪を揺らしながら近づいてくる人物に、マルクスは足を止める。
その人物が見知った人物だったからだ。
「オクタ?」
そう呼ばれた人物は、やや垂れた蒼い瞳の柔和な雰囲気を持つ、マルクスよりも少しばかり身長の高い整った顔立ちの優男である。ただ外見は柔弱に見えるが、彼の剣技は前回の武闘大会で他者を寄せつけず、圧倒的な強さで優勝を果たした実力者だ。
彼の名はオクタヴィアン・オルディス。代々将軍や騎士を輩出する侯爵家、オルディス家の三男である。
「マーク、引きとめて悪い」
そうオクタ……主からはオランと呼ばれる彼は、友人に謝るように軽く言った。
誰かに聞かれれば、王太子相手に不敬だと叱責されたことだろうが、この場には二人しかおらず、さらに彼らは学院時代の友人であった。
一時は仲違いをしたが、昨年とある事件をきっかけに、二人の関係はかつてのように愛称で呼び合う仲に戻った。
マルクスも王太子としてではなく、友人に向ける自然な微笑みを浮かべ、口を開く。
「気にするな。それよりどうした? 出かけるのか?」
マルクスがオクタヴィアンの服装に視線を送る。
彼は王城には不適切な、白いシャツにズボンと簡素な恰好だった。詩人ならば夕焼け色や黄昏色と評するであろう肩ほどまでの、軽く癖のある髪は、適当に後頭部で結われている。
王城に勤めていると思えない出で立ちであったが、これは彼の主の意向である。また本人も、とても楽だといい、周りからの苦々しい視線をすべて無視している。
そんな彼だが、実は城内の女性たちから、好意を向けられることも多い。
侯爵家の三男という家柄、柔和な顔立ちに誠実な人柄、そして騎士としての実力。現在は決まった婚約者がいない彼は、独身の貴族令嬢や女性官吏にとって、有望な婿候補である。
また普段は城勤めに相応しくない簡素な服装だが、必要に応じて用意された白い騎士服を纏い、髪を整えると、貴族の子息らしくとても見映えする。その姿は普段着との格差のせいで、さらに女性たちを魅了しているのだが、知らぬは本人のみである。
ちなみに彼の主は、マルクスの弟でもある第七王子ハーシェリクであり、彼はハーシェリクの筆頭騎士だ。
そんな城内でも婿候補の人気順位の一、二を争う彼は、マルクスの問いに苦笑を漏らした。
「いや、というか……察してくれ」
その言葉にマルクスは、なるほど、と頷いて見せる。
「どれくらいだ?」
「三週間くらいだ」
「わかった。身体の弱い弟は、オルディス侯爵家の知り合いの、貴族の友人の保養所で、療養する……でいいか?」
「助かる」
簡潔なやりとり。
目的を言わずとも、マルクスが彼の望みに応えることができたのは、これが初めてではないからだ。
マルクスの末弟ハーシェリクは、昨年起きた王都内のとある事件を、完全とは言えずとも解決に導いた。
その後、ハーシェリクは体調を崩しがちになり、王都を離れ、療養するようになった。
という建前の許、ハーシェリクはこっそりお忍びで、王国内の地方へと出向いている。
そして地方での情報収集や、起こっている厄介事などを解決したりしている。
ハーシェリクの前世の記憶と照らし合わせると、前の副将軍が活躍する某時代劇のようだが、マルスクがそれを知ることはない。
どうしてハーシェリクがそういった行動に至ったかについては、マルクスは明確に知らされていない。しかし昨年の事件での弟の行動を鑑みれば、なにか理由があるのだろうと納得した。
王都を離れることができない自分の代わりに、各地域に出向き、様々な情報を持ち帰り、民のために厄介事を解決する弟を思えば、口裏を合わせる程度のことはお安い御用である。
「オクタ、ハーシェを頼むよ」
だが、それでもマルクスは、弟が心配なため、友人であり弟の筆頭騎士であるオクタヴィアンに言った。
「まかせろ」
そう答えた友人は、いつも通りに見えて、言葉には重みがあった。
マルクスは、そんなオクタヴィアンを見て目を細め、かつて彼と出会った時のことを思い出した。
マルクスとオクタヴィアンが最初に顔を合わせたのは、互いに十二歳のときだった。
その頃のマルクスは、容姿もさることがなら、勉学はもちろん剣術や魔法の才能も同世代の子どもたちと比べても、頭一つ二つ飛びぬけていた。
そのため、勉学や魔法は問題なくても、剣術は相手ができる人物がいなかった。さらに王太子という立場が、相手を畏縮させた。その立場を利用しようと野心を持って近づこうとする者もいたが、その程度の者がマルクスの相手を務まるわけがなかった。教師が相手を務めるときもあったが、やはり立場上畏縮してしまった。マルクス自身も、そして周囲も不満と不安を抱えていた。
そんな時、王太子の相手として人身御供として差し出されたのが、オクタヴィアンである。
「マルクス王子?」
「……君は?」
マルクスは教師に言われて学院内にある訓練場に来ていた。そこに現れた、自分よりもやや背の高い生徒を訝しむように視線を投げる。
それを受けてオクタヴィアンは、胸に手を置き、腰を折った。
「オクタヴィアン・オルディスです。違った、申します。マルクス王子、じゃない、殿下の、剣のお相手をするよう、言われました」
「オルディス……ああ、あのオルディス将軍の」
オクタヴィアンの使い慣れていない敬語に、吹き出すのを堪えつつ、彼の父親を思い浮かべる。
自分とは違う、燃えるような赤い髪の『烈火の将軍』と異名を持つ、王国の屈指の強さを誇るローランド・オルディス。
彼はお世辞にも扱いやすい人物ではなく、将軍を知る人物は彼を話題に出すとき、つい『あの』とつけてしまうのだ。
ふとマルクスは、彼の父親を馬鹿にするように『あの』と言ってしまったことに気がつき、謝罪をせねばと思った。
だがオクタヴィアンは、何事もなかったように答える。
「はい、あの父がいつもお世話になっています」
マルクスを気遣って、というよりは本当にそう思っているだろう、オクタヴィアンの答えに、マルクスは再び吹き出しそうになる。
「クッ……とりあえず、剣の相手を頼むよ」
なんとか吹き出すことを堪えたマルクスは、訓練用の刃を潰した剣を持ち、オクタヴィアンと対峙した。
その後、何度か打ち合った二人は、休憩を取るために、訓練場の隅にある水場までやってきた。
マルクスは水場の蛇口を捻り、流れ出した水を頭からかぶる。飲むにはいまひとつな水だが、汗でべとついた髪や顔をゆすぐには、ちょうどいい水温だった。
用意してあったタオルで髪や顔を拭いていると、視線を感じ、そちらを見る。
オクタヴィアンが首にかけたタオルで顔の汗を拭いつつも、なにか言いたげな視線をマルクスに向けていた。
「……ん? どうした?」
「いえ……」
マルクスはそう水を向けてみたが、オクタヴィアンは口ごもる。
剣で対峙したとき、他の者と比べ遠慮なく己に剣を振るう彼に、好感を持ったマルクスは、オクタヴィアンの態度にイラつきを覚える。
「気になるな。いいから言ってくれ」
だからつい、語気を荒らげた。マルクスは彼の苛立ちを感じ取ったのか、視線を逸らし、ぽろりと言った。
「意外と、剣が扱えるんだな、と」
「は?」
その小さな声を拾ったマルクスは、彼の言葉に目を丸くする。
マルクスの表情に、オクタヴィアンはしまったとバツの悪そうな顔になり、頭を下げた。
「……失礼、しました」
頭を下げたオクタヴィアンの後頭部を見て、マルクスは込み上げてくるものがあった。
不快感ではない。どちらかといえば愉快だった。
「ぷ、クククク……アハハハッ」
堪えきれなかった愉快な気持ちが、マルクスの口から零れる。
「マルクス殿下?」
いきなり笑い出した王太子に、オクタヴィアンは顔を上げる。
その顔には、「なんだコイツ」という、珍妙な生き物を見るかのような表情が、まったく隠されていなかった。
今まで、マルクスの傍には家族を除き、正直な人間はいなかった。
男女問わず、王太子であるマルクスにおべっかを使い、少しでもいい印象を持たれようと近づく野心溢れる者。もしくはマルクスを恐れ、距離をとろうとする者のどちらかだ。
オクタヴィアンは、そのどちらでもなかった。
「いや、すまない。なんでもないんだ」
さきほどから、表情の変わらないオクタヴィアンに、マルクスは笑いすぎて痛くなった腹をさすりながら謝罪をする。
「そういえば、さきほどの打ち合い。ちゃんと相手してくれたな」
マルクスの言葉に、オクタヴィアンは再度「なに言ってんの、コイツ」という表情になる。
「俺……いえ、私は、殿下の相手をするよう言われましたので」
言葉よりも雄弁な表情の彼に、マルクスはまた吹き出しそうなることを堪えつつ、言葉を紡いだ。
「そう言われても、普通はやらないんだよ、王太子相手には」
その言葉にオクタヴィアンは、何も言わなかった。ただ表情は「はあ? それが剣の稽古とどういう関係があるわけ? 意味不明なんだけど」と言っていたが。
彼にとって王太子という立場は、あまり意味がないらしい。そしてあの将軍にして、この子どもありだ、と妙に納得してしまった。
それが、マルクスには初めてのことで、なぜか嬉しかった。だから自然と言葉が出た。
「オクタ、って呼んでいいかな?」
「は?」
マルクスの不意打ちの言葉に、オクタヴィアンは固まった。マルクスは彼の返答を聞かず、言葉を続ける。
「私はマークでいい。殿下も不要だ」
オクタヴィアンが口を挟む隙をあたえず、マルクスは矢継ぎ早に言う。
「敬語もいらない。無理して敬語をつかっているのを聞いていると、背中がかゆくなるんだが」
そう言ってマルクスは、わざとらしく背中を掻いてみせた。
その王子らしからぬ行動に、オクタヴィアンは口を何度か開閉したあと、諦めたようにため息を漏らす。
「ひどいな」
敬語もなく、マルクスに恨むような視線を向ける。
「これでも、相手が王子だから、それなりに努力したんだが? 本当にいいのか、マーク?」
「無駄な努力だったな、オクタ」
その日から王太子と侯爵家の三男坊は、友となった。
月日は経ったが、二人の関係は壊れることなく友だった。人が多い場所ではオクタヴィアンはそれなりに身分をわきまえている。
とはいいつつも、国内有数の侯爵家の三男であるオクタヴィアンが、王太子マルクスの傍にいることについて、表だって文句を言う者は皆無だったが。
王太子であるマルクスは国政を学ぶべく王族のみの帝王学科へと進み、オクタヴィアンは騎士になるべく騎士学科へと進んだ。
しかし同じ学院にいるため、時間があえば昼食を一緒にとったり、剣の稽古をしたり、図書室で勉学に励んだりし、学院生活を満喫していた。
「オクタ、最近どうだ?」
互いに十六歳となったとある日、いつも通り剣を交えたあと、水場で汗を流したマルクスは、傍の長椅子に座り、上半身裸で汗を拭うオクタヴィアンに言葉を投げた。
身長は昔と変わらず、マルクスがやや低い。体格は互いに細身で服を着ればわからないが、騎士学科で日々鍛錬に勤しみ鍛えられているオクタヴィアンは、所々に筋肉がつき、腹筋が割れている。
「ん?」
水を被ったため濡れた夕焼け色の髪をタオルで拭いつつ、オクタヴィアンが首を傾げる。その瞳は、主語をつけない友人を微かに咎めていた。
そんな彼の視線を受け、マルクスはにやりと笑う。
「婚約者の彼女と」
「ぶっ」
オクタヴィアンが吹き出す。そして咳き込み、口元をタオルで覆った。
「王太子が、なんつー下世話なことを……」
涙目になりながら非難するオクタヴィアンに、マルクスはにやにやと王太子としてあるまじき表情で口を開く。
「私は、友人と友人の婚約者の近況について問うただけで、他意はないが?」
いや、他意はありまくりだろう。という納得のいかない表情で、オクタヴィアンはマルクスを見る。しかしマルクスは涼しい顔で、無言で答えを促した。
「……別に、特になにも」
根負けしたオクタヴィアンは、視線を逸らしつつ言う。だが彼らしからぬ行動に、マルクスのにやつきながらの言葉は止まらなかった。
「昼食は、いつも彼女が用意するとか」
「それは用意してくれるから、食べないと悪いだろ……」
オクタヴィアンの婚約者は、花嫁修業の一環で昼食を用意してくる。
時間の都合がつけば、中庭で一緒に昼食をとる姿も目撃されているが、オクタヴィアンは見られていることを知らない。マルクスは、彼女の用意した昼食を見たことがあるが、身体の健康を考えたメニューであり、とても美味しそうだった。
ちなみにその時、一口くれないかと頼んでみたが、オクタヴィアンは断固として拒否していた。
「噂では、夜会にも番犬のように彼女の傍を離れないとか」
「あいつが、軽そうな男に絡まれて困ってるから……」
十六歳となり、社交界へとデビューした二人。それは同い年である婚約者も同様だった。古き名家で商いもする貴族の令嬢である彼女は、多くの夜会にも呼ばれる。
その度にオクタヴィアンは、できる限り都合をつけて彼女をエスコートし、夜会の間は番犬の如く彼女にはりついて、近づいてくる男たちを牽制していた。
本人は彼女のためと言っているが、周囲から見れば余裕のない男の独占欲丸出しである。
もちろん、周囲は初々しい婚約者たちを微笑ましく見守っている。
「いつも彼女が身に着けているリボン、おまえがあげたんだって?」
「! そんな情報どこからっ!?」
オクタヴィアンは逸らしていた視線を、マルクスへと向けた。その顔は「なぜおまえが知っている!?」と言葉以上に語っている。
そんな彼に、マルクスはにやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「しかもリボンの色が、最近青とか橙とか……どこかで見た色だな?」
オクタヴィアンの婚約者は、長い髪をしている。学院でも夜会でも、長い髪を纏めたり、編み込んだりしているが、そのリボンは婚約者のオクタヴィアンからの贈り物だった。
十六歳になる前までは、黄色や赤、桃色などの女子が好みそうな色が多かったが、社交界にデビューしてからは、橙色や青色と婚約者の髪や瞳の色のリボンを着けている頻度が高かった。
それが意味することは、誰からも明らかだった。
「社交界では今、婚約者に自分の色の装飾品を渡すのが流行しているそうだ。誰かさんたちのおかげで」
マルクスの言葉に、オクタヴィアンはついに顔を両手で覆い、その場でしゃがみこんだ。
手で隠せなかった耳は、赤く染まっていた。
「……勘弁してくれ」
誰よりも一途で、やることは大胆なのに、指摘されて赤くなってしまった男の、絞り出すように出た言葉に、マルクスは意地の悪い笑いを止め、微笑んだ。
「悪い、羨ましくてな」
嫉妬からではなく、羨望から出た言葉だった。
その言葉に羞恥から幾分か復活したオクタヴィアンは、立ち上がりながら彼に首を傾げてみせる。
「マークが相手なら、どんな令嬢でも喜ぶだろ?」
事実、マルクスに対し、恋情を抱く女子は多い。王太子という立場もあるが、容姿もマルクスは一級品だし、性格も王族の立場でありながら横暴ではなく紳士だ。
黙ってしまったマルクスに、オクタヴィアンはふと真剣な表情になる。
「……人妻だけは、手を出すなよ」
「出すかッ」
マルクスのツッコミと同時に、タオルがオクタヴィアンめがけて飛んだ。それをオクタヴィアンは、慌てずに宙で掴む。
つかの間の沈黙のあと、どちらともなく笑い出し、二人の笑い声が訓練場に響いた。
「本当に、思いあえる二人が羨ましいんだよ」
笑いすぎて涙が零れたマルクスが、目尻に溜まった涙を拭きつつ言う。
お互いを唯一とし、思いあい、慈しむ二人が、マルクスは羨ましく、眩しく思うのだ。
「私は、どうしても立場を考えてしまうから」
マルクスは王太子である。将来は国のために、相応しい妃を迎えなければならない。必要なら側妃も。
それが嫌なわけではない。現に父は、正妃に加え五人……現在は四人の側妃がいる。そして父の人柄か、妃たちはまるで姉妹のように仲がいい。それは妃たちが、そうなることを承知で大国へと嫁いできているという心構えがあり、争うことにより父が悲しむと知っているからだ。
それに父は、マルクスの気持ちを無視して、婚儀を進めるような人物でもない。
ただ、言われないからこそ、皮肉にもマルクスは国のために考えてしまう。
妃となる人にも、国という重責を背負わせることとなる。
それを考えると、好きという気持ちだけで、マルクスは思う人を選ぶことができない。
「マークは本当に、根っからの王子だな……あまり、無理するな」
オクタヴィアンは知っている。マルクスが誰に思いを寄せているのかを。
だから、これ以上の言葉にはしない。もし友人から助けを求められれば、結果はどうであれ全力で手助けをするが。
「なんかあったら頼れよ。俺はおまえの、将来の筆頭騎士なんだからな」
オクタヴィアンは、マルクスに歩み寄り、手を差し出す。
それは騎士学科に進んだとき、マルクスと約束したことだった。
騎士学科を卒業し、騎士となり、近衛騎士、将軍となる。そして、王になるマルクスを補佐するために、彼の筆頭騎士になる。それがオクタヴィアンの夢であり、目標だった。
差し出された手を見て、マルクスは微笑む。それは王太子ではなく、マルクスの顔だった。
「ありがとう、オクタ。頼りにしている。おまえも私を頼れよ、遠慮なく」
マルクスはオクタヴィアンの手を掴んだ。
「ああ、もちろん」
オクタヴィアンが、マルクスを引っ張り立ち上がらせたが、彼らの手はすぐに解かれることはなかった。
このとき、二人は信じて疑わなかった。
その約束が果たされることを。
翌年の夏、オクタヴィアンは唯一と決めていた婚約者を失った。
マルクスは、久方ぶりに学院に現れたオクタヴィアンに駆け寄る。
婚約者の報せを受けて学院から慌てて去るオクタヴィアンに声をかけたが、その声が届かなかったのは一週間前のこと。
顔色が悪く、やや痩せたオクタヴィアンは、駆け寄ったマルクスを、人が少ない裏庭へと誘った。
「オクタ、大丈夫か? 彼女のことは……」
残念だったと言う前に、オクタヴィアンの鋭い視線が、マルクスの口を閉ざさせた。
「マーク、頼みがある」
オクタヴィアンは、不自然なほど落ち着いた、冷めた声で言った。
「彼女は、病死じゃない。なにか、危険な薬を飲んで、それで死んだ」
「危険な薬?」
オクタヴィアンの婚約者が亡くなったという噂は、学院だけでなく社交界にも流れている。
オクタヴィアンと婚約者は、互いの親が決めた許嫁だったが、誰もが羨む理想の恋人同士だった。
そのため妬まれることも少なくない。本人、特にオクタヴィアンは他人の目を気にしない性格のため、どう言われようと気にしていないようだが。
そしてその理想の恋人たちを襲った悲劇。社交界は、表面上彼らに同情し心痛めていたが、裏では面白おかしく噂に華を咲かせていた。
婚約者の死は、夏風邪を拗らせたというものから、口にするのも憚られるような下世話な噂まで。
下世話な噂話は、口にするほうが品性を疑われる内容だったため、マルクスも信じてはいない。
きっと風邪を拗らせてしまったのだろう、そう思っていた。
しかしオクタヴィアンから出た薬という単語に眉を顰めるマルクスに、彼は言葉を続けた。
「彼女の死は、俺の責任だ。だけど、あの薬は危険だ。どうやら貴族の間でも、かなり出回っているらしい」
悔しそうにオクタヴィアンは顔を歪める。
どうやら休みの間、彼女の死を悲しんでいたのではなく、独自に調査をしていたらしい、とマルクスはあたりをつける。
「それなのに、警邏局は、事件性なしとして捜査を打ち切った」
オクタヴィアンは、マルクスの両腕を両手で掴む。そして縋るように頭を深く下げた。
「父上は、軍務局の所属だから、表だって警邏局に口が出せない。頼む、王太子というマークの立場を利用するようですまない。だけど、俺には、もうマークしか頼れない……」
本当にすまない、と頭を下げ続けるオクタヴィアン。
「わかった。任せてくれ。必ず力になる」
そんな彼にマルクスは力強く頷く。
だが、警邏局を訪れたマルクスは、警邏局の担当の言葉に、目を丸くした。
「なんだと?」
「ですから、その案件については既に終了し、今後捜査を再開する予定はございません」
担当の役人は、真面目な表情で取り繕ってはいるが、相手をしたくないようだった。そんな彼に、マルクスは食い下がる。
「だが、あまりにも早すぎないか?」
「そう言われましても、上司が決めたことですから」
そう言って担当は席から立ち上がり、言葉を続けた。
「それに殿下は薬とおっしゃいますが、被害者のご家族からの訴えはございませんよ」
「え?」
「以前もオルディス将軍のご子息が来られましたが、薬の現物もなく、被害者もいないのに、どう犯人を捜せと?」
そう言って彼は、皮肉気に唇の端を持ち上げると、それを誤魔化すように深く頭を下げた。
「殿下、これ以上私がお話しすることはございません。申し訳ございません」
「……わかった。時間を取らせてすまなかった、失礼する」
マルクスは、担当のおざなりな対応に込み上げる怒りを抑え込み、警邏局をあとにした。
王城の西区画と中央区を結ぶ廊下を進みながら、マルクスはさきほどのやりとりを思い出す。
確かに、彼女の家族が訴えでない理由はわかる。貴族の令嬢が薬に溺れ、そして命を落としたとあっては、家名にも令嬢にも傷がつく。
しかしだからといって、危険な薬が存在するかもしれないのに、短期間で捜査が打ち切られるのは、おかしいことだと感じた。
(……職務怠慢か?)
確かに手間がかかる案件だろう。そう言った仕事を、嫌がる人間はどこのいるものだ。
ふと、人の気配を感じ、マルクスは歩みを止める。目の前には、大柄な体格の落ち着いた榛色の髪と瞳、威圧感を纏う壮年の男がいた。
「これはこれは、マルクス殿下」
「バルバッセ大臣」
壮年の男、バルバッセが恭しく頭を下げたのを、マルクスは頷いて答えた。
バルバッセは、いかつい顔に似合わない笑みを浮かべ、マルクスに話しかける。
「学院生活はいかがですか? 勉学だけでなく、剣術も魔法も大変優秀だと伺っております。我がグレイシス王国も安泰ですね」
バルバッセの言葉に、マルクスは王太子の仮面を被り、人好きする笑みを浮かべる。
貴族が自分を褒めちぎることは、今に始まったことではないから、慣れたものだった。
一通り話し終えたバルバッセは、再度恭しく頭を下げる。
「では私はこれで……」
そう言って、マルクスに道を譲るように、廊下の脇に退く。
マルクスが彼の前を通りすぎようとしたとき、バルバッセは世間話のように、軽い口調で言った。
「そうそう殿下。学生の身であまり警邏の仕事に、首を突っ込むのはやめたほうがいいですよ。彼らも職務が忙しいのですから……そう、ご友人にもお伝えください」
マルクスはバルバッセの言葉に息を呑む。だが、それを悟られぬよう、足を止めず、そのままその場を去った。
(なぜ、バルバッセ大臣が、そのことを……)
廊下を進み、道を開ける役人たちに、王太子の顔で微笑みながら、マルクスの頭の中は、さきほどのバルバッセの言葉が回っていた。
だが、それを追い払うように、一度頭を振る。
(いや、今はそれどころではない)
今は薬のことが先決だ。警邏局が捜査を打ち切ったというなら、再捜査させればいい。
(本当は使いたくなかったが……オクタのためだ)
マルクスはそう決意し、夜を待って、父の私室を訪れた。
「マルクス?」
突然現れた息子に、父であるソルイエは首を傾げる。
「父上にご報告したいことがあります」
いつになく真剣なマルクスの表情に、ソルイエは頷いて先を促した。
そして、マルクスの話をすべて聞き終えたソルイエは、沈痛な面持ちで、深くため息を漏らす。
「マルクス、よく聞きなさい」
そう前置きし、ソルイエは言葉を続けた。
すでに警邏局が捜査を打ち切ったというなら、それを覆す証拠が必要である。
それに担当が言う通り、被害者か被害者家族が訴え出なければ、事件性はなしとみなされてしまう。
本人が書き残した日記はあるが、それが事実か虚偽かは判定できない。オクタヴィアンが訴えたとしても、彼はまだ婚約者という立場で、赤の他人だ。
王命で、再調査を命じることはできるが、もしなにも出なかった場合、その責は王に向くということ。
「そんな……」
マルクスは、父の言葉に手をきつく握る。そんな彼に、ソルイエは言葉を続ける。
「と、仕向けられた可能性が高いね」
「父上?」
父の言葉に、マルクスは混乱する。だがソルイエは、部屋の端へ、正確には控えていたルークに視線を向けた。
「ルーク、追えるか?」
「難しいが、やってみる……だが、あまり期待はしないでくれ」
そう言ってルークは退出した。
その背中を見送り、ソルイエは魔言を紡ぎ、室内に結界を張った。
「マルクス、これから話すことをよく聞いてもらいたい」
マルクスはそのあと、父からすべてを聞いた。
先王と伯父たち、そして自分の上の姉の死の原因。
父の罪と、バルバッセやその貴族一派の専横。
現在の国の状況について。
すべてを話し終え、呆然とするマルクスに、ソルイエは言葉を続ける。
「マルクス、君は王太子だ。そのことを念頭に置いて、決断してほしい。どんな決断をしても、私は君を責めない」
「……私は、どうすれば」
縋るように呟いたマルクスに、ソルイエは首を横に振る。
「それを決めるのは、君だ。マルクス」
結局、ルークは薬について痕跡を追うことができなかった。
確かに薬が社交界で出回っていた形跡はあったが、まるで幻だったかのようにすべてが消えてしまっていた。
マルクスは重い足取りで、裏庭でオクタヴィアンと対峙した。
重いのは薬の件だけではない。
父のこと、家族のこと、国のこと、大臣のこと、貴族のこと……すべてが、あの日から重くのしかかっていた。
それにバルバッセは、オクタヴィアンのことも知っていた。もしかしたら、家族だけでなく彼にも、マルクスの唯一の友にも、やつの魔手が伸びると思うと、恐ろしかった。
「マーク! あの件は……」
オクタヴィアンが、期待の籠った瞳で、マルクスを見た。
だがマルクスは、彼を見返すことができなかった。
「……すまない」
今にも消えそうな、か細い声が己の口から漏れる。
「え?」
聞き取れなかったのであろう、オクタヴィアンが一歩マルクスに近づいた。
「オクタ、すまない」
聞こえた言葉、そしてマルクスの表情で、オクタヴィアンは察した。
「すまないって、何がだッ マークッ!」
以前のときと同じように、両腕を掴み、力を込める。だが前回は縋っていたが、今は怒りをこめて、握っていた。
マルクスは痛みを感じたが、何も言わなかった。
「マークッ!!」
オクタヴィアンの怒声が裏庭に響く。だがマルクスは、彼と視線を合わせることができなかった。
「すまない……」
その言葉に、オクタヴィアンの手から力が抜けた。そしてマルクスに背中を向け、歩き出す。
「オクタッ!」
その背中に、マルクスは声を叩きつける。
「私の、私の騎士になってくれるよな!」
オクタヴィアンが答えてくれれば、マルクスはすべてを打明けようと思った。
怖い。失うことがなによりも恐ろしい。だが彼と一緒なら、立ち向かえる気がした。
「オクタッ!!」
マルクスは彼が振り返ることを祈り、再度名を呼ぶ。
だが、オクタヴィアンは、振り返ることはなかった。
(ここで再会したときは、オクタがハーシェの騎士になっているって知って、頭に血が上ったっけな)
そのときのことを思い出し、マルクスは苦笑を漏らす。
自分が先に約束を反故にした癖に、彼に裏切られたような気になった。
結局、自分はオクタヴィアンの主になれる器ではなかった。
あのとき、自分はオクタヴィアンを助けるのではなく、彼に縋ろうとした。
一人で決断できない自分から、目を逸らそうとした。
だがハーシェリクは違う。彼は、オクタヴィアンを助けようとした。そして支えようとした。
それが、マルクスとハーシェリクの違いだ。
弟に器の違いを見せつけられた気がするが、そこに嫉妬はない。
それはハーシェリクが、そのことを鼻にかけるのではなく、真摯で、そして誰よりも優しいからだろう。
(だからこそ、誰もがハーシェリクを信頼するんだな)
まだ幼い弟の顔を思い出し、マルクスにも微笑みが宿る。
「マーク?」
「いや、ちょっと思い出し笑いしただけだ」
そう言ってマルクスは、かつてのように友に話しかける。
「すぐに出るのか?」
「今日中の予定だ。今、ハーシェが準備を……」
「なら、出かける前に顔でも見に行こう。外宮の自室か?」
マルクスはそう言って、来た廊下を戻る。そのあとをオクタヴィアンが追い、マルクスと並んだ。
「そうだが、時間は大丈夫か?」
「なに、可愛い弟が療養に出かけるんだ。時間なんて、どうとてもなるさ」
療養だなんて思ってないくせに、あえてそういう弟思いの兄マルクスに、オクタヴィアンはにやりと笑う。
「弟には甘いな」
「年の離れた、危なっかしい弟だからな」
マルクスはそう言うと、隣に並んで歩くオクタヴィアンの肩を、二度叩く。
「だから、頼んだよ。ハーシェリクの筆頭騎士」
「命に代えても」
マルクスの言葉に、オクタヴィアンは力強く頷いたのだった。
外宮のハーシェリクの自室。
部屋を訪れたマルクスは、目の前の状態に脳が固まった。
「あ、マーク兄様」
そう言った声は、末弟ハーシェリクのもので間違いない。だが、目の前にいるのは、弟ではなかった。
父親譲りの、新緑のような碧眼には変わりはない。しかし春の陽射しのような淡い色の金髪は、本来なら肩よりも短く切りそろえられているはずが、なぜか腰までの長さである。
白い頬は頬紅が塗られているのか、淡く色づいていた。
そして服は、彼の瞳に合わせた新緑色の生地に白色のフリルをあしらった、貴族の令嬢が着るワンピースの洋服を纏っていた。
とても似合っている。さすが美貌の王の息子であり、そこいらの令嬢より可愛らしい。
だが、ハーシェリクは弟のはずだ。
「……弟?」
マルクスは、つい首を傾げるのだった。
その後の説明で、王都を出て各地を移動するのに、身元がばれるとまずいので、女装をしてみることにしたのだと、美少女、というよりは美幼女となっている弟は得意げに言った。
(女装したら、逆に目立つと思うんだが……)
とマルクスは心配に思ったが、本人は満足げに頷いていたので、声には出さなかった。
後日、マルクスの予感は的中することとなるが、それは別の話である。
王太子と侯爵家の三男坊 完
ということでオランとマルクスにーちゃんの番外編でした。
本編から削ったエピソードを燃料に、がんがん薪をくべて膨らめました。
まあ私は書き始めると、勝手に話のほうが膨らむタイプですがネ!
なお女装したハーシェがどこにいくかは、短編の『転生王子の世直し道中』前後編に続きます。
https://ncode.syosetu.com/n3585ci/15 (転生王子の世直し道中 前編)
https://ncode.syosetu.com/n3585ci/16 (転生王子の世直し道中 後編)
リンクの貼り方調べたけどわかりませんでした!諦めが肝心!!
マルクスの恋愛事情もそのうち本編で出せたらなーと思います。
ではでは!
2024/11/30 楠 のびる




