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諜報令嬢ラストミッション 前編

 ダダルク邸の朝食準備に追われるメイドは忙しい。人数が少ない中、それぞれが手一杯の仕事を抱えているせいだ。厨房前の廊下は毎日が騒がしい。

 確認する大声。バタつく足音。ガチャガチャと食器がぶつかり、ゴロゴロとワゴンが転がる。雑音の相乗効果で全てが大音量になっていく。


 そこに現れるのは侍従のクライム。と、王家憲兵が見張りでついて来ていた。


 メイドたちは王家憲兵を快く思っていない。すれ違いざまに敵対心を視線に乗せながら足早に去っていく。王家憲兵は全く気にする素振りも見せず、涼しい顔を崩さない。

 そうこうしている間にも、クライムは開きっぱなしの厨房に入って行く。


「クライムです。エリオット様のお食事をお願いいたします」


「は、はい! こちらにございます!」


 下積み中の少年が緊張した面持ちで答えた。だが、クライムが怪訝な顔をする。いつもは中央テーブルの手前に用意されていた食事が、なぜか今日に限って奥の方に用意されていたのだ。

 普段とは違う用意に不信が高まる。何か良くないことでも考えているのでは、と疑いの視線を向けた。それに対して少年は泣きそうな表情をして頭を下げるだけだ。


「おい、早くしろ」


 出入口で立っていた王家憲兵がはやし立てた。


 横柄な態度にはクライムも内心、辟易としている。ここはぐっと堪え、不機嫌な表情をしながら中央テーブルの奥に回り込む。

 いつもはワゴンに乗せている食事が今はテーブルの上。不可解な状況だ。もう一度少年に視線を向けと、少年は目を泳がせながらまた頭を下げる。


 クライムがテーブルに近づき、手を伸ばした時だ。触れていない小皿がゆっくりと動き出し――――――


 ガシャン


 床に落ちて割れた。クライムの視線もテーブルから床に移動する。テーブルと床の間から覗く目と視線が合う。見上げて、こちらを覗き込んでいた。


「ヒィッ!!」


 思わず悲鳴を上げてしまう。


「はっ! 食器が割れただけで女みてえな声出しやがって。可笑しい奴だ」


「え、えぇ。し、失礼しました」


 王家憲兵の嫌味に素直に答えてしまうほど、今のクライムは気が動転している。ぎこちない動きで屈むと、王家憲兵の視界からその姿は消えた。

 クライムの視線は下に向けられる。


「おはよう、クライム」


「おはようではありません、サリア様。びっくりしたじゃないですか」


「あぁ、これね。小皿に糸をつけて引っ張っただけよ」


「いや、それも驚きましたけど」


 レザースーツにマスクをしたサリアだ。また隙間に潜んでいた。二人は小声で話し始め、クライムは割れた皿を拾うフリをする。そのクライムに一通の分厚い封筒を差し出した。


「まずは、この手紙をエリオット様に。中に制約書が入っているから、必ず記入して捺印をお願いして」


「制約書? 一体何を始める気ですか……」


「ごめんなさいね、今はゆっくり話している時間はないの。昼までに記入して、厨房にまた持ってきて頂戴。これはダダルク家の運命を変える力があるものよ」


 医会に論文を承認して貰うための制約書。ルメネリオ侯爵家だけの力では短期間に承認を得るのは難しいだろう、というロイドの進言を受けた結果だ。


 エリオットに重荷がかかる結果になったことは、サリアとて心苦しい。しかし、これは将来的にもエリオットのためになると考え直した。

 貴族の子息が台頭することにより、今後現れるであろう患者の尊厳が保たれる。と同時に、病気への理解が広まり治療の確立へと繋がる。それは未来の希望になるはずだ。


 突然の話で戸惑うクライム。だが真剣なサリアの視線を受けて、悩みが消し飛ぶ。


「分かりました。エリオット様のためになるならば、必ず」


 手紙を懐にしまうとクライムは立ち上がった。食事をワゴンに移し、ゆっくりと押して厨房を出ていく。

 離れていくワゴンの音を聞きながら、サリアはようやく隙間から出てきた。それから傍にいた少年に改めて感謝を伝える。


「協力ありがとうございます」


「い、いえいえ! あ、あの……僕が言うのも可笑しいんですが。エリオット様のこと、宜しくお願いします」


 慌てた後に勢い良く頭を下げた。好転しつつある状況に期待が高まっているようだ。マスクの下で微笑んで、強く頷いて見せる。


「えぇ、お任せください。私が未来のダダルク伯爵夫人になりますから」


 約束はこれから取りつける。


 ◇


 現在、ダダルク邸内では王家憲兵が廊下の見張りを強化している。先日のエリオットの件もあり、絶対に第一憲兵とのやり取りをさせないよう徹底されていた。もちろん、ミーティア夫人の指示である。


 残り二日。厳戒態勢の中、サリアは一人のメイドを捕まえていた。


「無理ですよ~、勘弁してくださいよ~」


「何かあっても貴女の罪は問わないわ。もし、見つかった時はこのネイルハンマーで」


「駄目ですよ~、駄目です駄目! サリアお嬢様が罪になっちゃいます~」


 誰もいない物置部屋でこそこそと話す二人。サリアが何かを頼んでいるのだが、メイドは泣きそうな顔をして首を横に振るばかりだ。そんな膠着状態が、ずっと続いていた。


 先に折れたのは、サリアだ。話しをするのを止め、強硬手段に躍り出る。白い袋の中に入り、口を閉めた。中でもぞもぞと動き出すと、布が円柱状に張った。


「さぁ、運んでもらいましょうか」


「……わぁ、綺麗な円柱。お体大丈夫ですか?」


 負けたのは死んだ目をしたメイド。袋に入ったサリアを見下ろすと、楽しげな声が聞こえる。


「ふふ、見てみればいいわよ」


 その言葉にフラ~と好奇心が動かされたメイド。恐る恐る閉じた口を開いて中を覗き見る。目を閉じ、そっと袋の口を閉じた。


「きぞくってすごいなぁー」


「ささっ、早く転がしてください」


「はいー、わかりましたー」


 感情を捨て去ったメイドは、サリアを転がして物置部屋を出た。


 ゴロゴロと転がしていく。すれ違う王家憲兵は怪訝な顔で見るが、素通りしてくれた。重たい荷物だと勝手に思い、手伝いも確認もしない。

 それにはメイドも驚く。顔に感情が出ないように無表情を貫いた。だが、俯きながら進んだため目の前に王家憲兵がいることに気づかない。


「おい、そこのメイド。それはなんだ」


「ひゃっ!? え、えっと……イスです」


「……中身を改める」


 真面目な人に当たってしまったようだ。止める暇もなければ、邪魔をする身分でもない。メイドは何もできなかった。

 慌てるメイドを捨て置き、王家憲兵は袋の口を開く。


「これは……」


 ――――――あぁ、もうダメ!

 メイドが顔を覆い、覚悟に身を固めた。

 が。


「これは、なんとも立派な黒革の丸イスだな。ふむ、さわり心地に柔らかな感触。素晴らしい。メイド、これはどこの品だ」


「はぁっ!? あっ、え、え。えっと、その……コ、コンナート子爵家の」


「あそこか。これほどに良質の革を扱っているのか。よし、もういいぞ」


 満足するまで撫でると、口を閉じた。家具に興味があっただけようだ。


 一瞬理解できず呆けたメイドだったが、すぐに我に返ると慌てて転がし始めた。王家憲兵の目が届かない角を曲がると、周囲を確認した後にサリアに話しかける。


「だ、大丈夫でしたか?」


「……大丈夫です。告げ口します」


 これは絶対に許してないな。メイドはそんなことを思った。

 少し気持ちが和らいだメイドは平常心を保ちながら、サリアを再び転がしていく。


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