第1話 ミリアナ
私には異世界の知識がある。
でも異世界から転生してきたわけでも、転移してきたわけでもない。
私は特別な能力や権力のないただの平凡な学生だ。
なぜ私に異世界の知識があるのか――それは私が賢者の石を持っているからだ。
賢者の石の中の知恵の悪魔が私に異世界の知識、技術、そして何より物語を与えてくれた――。
◇ ◇ ◇
私の名前はミリアナ。
貴族ではないので家名は持っていない。皇立高等学園に通う16歳の女学生だ。
青春真っ盛りなお年頃の私にとって、目下最大の悩みは異世界の物語をどこで聴くかである。
私が持っている賢者の石は究極の〈チートアイテム〉であり、有効に活用すれば歴史に名を刻むような偉業を成し遂げられる能力がある。実際に歴史の授業にも『賢者の石』はでてくるし、教わっている内容以外にも歴史上の出来事の多くに絡んでいるらしい。
もし私がこの石を所持している事が露見すれば、あらゆる組織から狙われる恐ろしい状況に陥るのは間違いない。異世界の物語にもそんなお話がたくさんある。
そして私のような平凡な人物の結末は、組織の強大さや悪逆さを示す哀れな犠牲になると決まっている。危機を跳ね返せる特殊能力や後ろ盾を持たない者にとっては、この世界でも十分にありえる末路だろう。
だから私は知恵の悪魔の助言に従って、賢者の石の力の存在を誰にも明かさず、今も必死に隠し続けている。
賢者の石は親指の先くらいの楕円形の鉱物だ。見た目は一般的な感魔石と変わらない。
感魔石というのは錬金魔術で精製された合成結晶で、魔力の作用で発光させる事ができる。魔力測定用として広く流通している魔道具だが、光る特性から手頃な価格の宝飾品としてもよく使われている。
賢者の石には知恵の悪魔が宿っており、石に触れて質問をすると返事が返ってくる。
この「賢者の石」や「知恵の悪魔」というのは悪魔から聞いた名前で、古代から様々に呼ばれてきた中でも、最も本質を表している悪魔のお気に入りらしい。
あくまでも悪魔の自己申告なので、歴史で習う『賢者の石』と本当に同じものだと証明はできないが、悪魔の能力を知ってしまえば疑問に思う事はない。
知恵の悪魔は、この世界の歴史を全て知っている。この世界のいつの時代でも全ての場所を観る事ができ、また全ての場所の音を聴く事ができる。密室の中はもちろん、海の底でも火山の溶岩の中であろうともだ!
さらに悪魔が暮らす異世界には、まだこちらの世界に存在していないたくさんの知識や技術が存在する。
賢者の石の所持者が求めれば、悪魔はそれら未知の英知を授けてくれる。
私達の世界と異世界は、社会や文化に大きな違いがあるだけでなく、ほんの少しだけ自然法則も異なる。そのため、そのまま全てを活用できるわけではない。
でも根底となる〈相対性理論〉や〈量子力学〉などの物理法則は、どちらの世界にもそのまま適用されているので、あまり問題になる事はないと言う。
――いや、悪魔からこれらの法則について説明を受けても、私には全然理解できないんだけどね!
とにかく、悪魔がすごい知識を持っているのは間違いない。
異世界との間の「ほんの少しの自然法則の違い」というのは『魔力』の事だ。
この世界には魔力がある。あるんだけど……残念ながら超弱い!
この世界の知性体は魔力を備えていて、魔力により意思を物理現象に反映させたり、離れた場所の状態を魔力で読み取ったりできる。
ただ、世界で一番強い魔力を持っている人でも、せいぜい貨幣を机の上で滑らせる程度の力しかない。私の場合は、指先で羽毛を少し震えさせる程度の操作魔術や、小さな静電気の火花を跳ばす点火魔術くらいしか使う事ができない。
だから異世界の物語に出てくる、箒に乗って自由に空を飛ぶ魔女や、強力な火の玉を発射して強大な魔物を討伐する魔法使い、なんて存在に強く憧れる!
――魔力でいろんな事ができるって、夢があって良いよねー。まあもし私が本当に箒に乗れても、怖くて腰の位置より高く飛ぶのは無理だろうけど……。
悪魔と会話をするには賢者の石を直接肌に触れさせる必要がある。だから私は感魔石に見せかけた賢者の石を首飾りに嵌めて、不錆鋼製の鎖で首から下げて服の下に入れ、文字通り肌身離さずに持ち歩いている。
この石は母の形見の品なので大事にしていても違和感はないし、服の上からそっと押さえればいつでも賢者の石と話す事はできる。
石の秘密を守るのに問題となるのは、悪魔との会話が全て音声でのやりとりになる事だ。
異世界の物語の設定上見かける、思考だけで意思の疎通ができる〈テレパシー〉のような便利能力は備えていない。
小さい頃、学園に入学する前はまだ良かった。
町外れの山頂に建てられた神殿で神官と二人暮らしだったが、その神官のじいちゃんは近くに寄って大声で話さないと会話ができないくらい聴力が衰えていて、会話は主にじいちゃんの読唇術で行っていた。
だから、自分の部屋で悪魔と話していてもなにも問題はなかったのだ。
しかし神官のじいちゃんが亡くなった後、学園に入学してからは苦労の連続だ。なにせ私の暮らすいわゆる庶民寮は二人の相部屋なのだ。
それでも一昨年まで同室だった娘は、夜遊びが好きで遅くまで部屋に戻って来なかったので、わりと部屋で一人の時間が確保できた。でも、その娘は昨年退学になってしまった。
別に素行不良を咎められたわけではなく、成績不振が理由だ。この学園では学生が常に厳しいふるいに掛けられており、毎年2割弱が退学している。
代わりに昨年から同室になったカレフィーネは、部屋にいる時間が長い。
落ち着いた性格で親しみやすく、すぐに友人として打ち解けたのだが、真面目で勉強熱心な上に洞察力にすぐれており隙がないので、寮の部屋では下手な行動が取れなくなってしまった……。
それでもなんとか試行錯誤の結果、悪魔に声の音量を調整させる方法を見つけて、寝台で布団を被り、悪魔に小声で物語を語らせて聴いていたのだが、先日カレフィーネから言われてしまった。
「ミリアナさぁ、夜中に布団の中でブツブツ呟いているよね。腹話術の練習を頑張っているのはわかるけど、そろそろ私も身を入れて試験の勉強をしないといけないので、止めてくれると嬉しいなぁ」
実は気になるのをずっと我慢してくれていたらしい。
――早急に手を打たねば!異世界で更新されているであろう物語の続きを聴く事ができないじゃん!!
そう、私は異世界の物語が大好きで、賢者の石を利用するほとんどの時間を物語を聴くのにあてているのだ。
この世界にも本はあるけれど、身の回りにあるのは学問や法律などの実用書が中心で、大人が娯楽として読みふけるような長い物語本は出回っていない。
神話譚や英雄譚などの古典も創作物としてはそこそこ楽しめるけど、説教臭かったり価値観が古かったりであまり興味を持てない。それに、悪魔から史実を聞いてしまうと、権力者や神殿に都合の良い歪曲や捏造、脚色が多く、気になって素直に楽しめない。
あとは、小さな子ども向けの絵本や、語り部が聞かせる昔ばなしもある。演劇だって人気だし、劇団向けの脚本や台本なら一般にも売られている。ただし、あくまで演じるための文章なので、私が異世界の物語に感じている楽しさとは少し違う。
大人が一人で好きな時に楽しめる、読み応えや聴き応えのある長編物語は、まだ全然普及していないのだ。
紙の情報媒体として、新聞はかなり普及している。
学園のある皇都とその周辺では電力網の整備も進み、最近は印刷工場の輪転機も蒸気式から電動式に置き換わり、価格も安くなって庶民の間でも新聞購読が浸透し始めている。
音の媒体もないわけではない。
皇都では録音盤を流したり、放送受信機を置いたりする店や食堂が増えていて、音楽や講話、報道が流れている。けれどそれらの機器はまだ高く、個人で気軽に楽しめるものではない。
――下地はできつつあるけど、こちらの世界に私が望むような長編物語が広まるには、まだまだ何年もかかりそうなんだよね〜。
このような状況から、私にとっての最大の娯楽は聴き応えのある物語だ。
異世界の物語は本当に多様性に富んでおり、いくら聴いても尽きる事がない。
身近に同年代の友人がいなかった私にとって、物語は一番の楽しみで、悲しい時にも、寂しい時にも、いつも一人で悪魔の語る物語を聴いて心を紛らわせていた。
初めて悪魔から物語を聴いた日の事は、今でもよく覚えている。
山の神殿に冷たい雨が降り続き、神官も疲れて早々に寝室へ引っ込んでしまった夜だった。薄い毛布にくるまっても指先が冷えて、ろうそくの火だけが壁にゆらゆらと揺れていた。
まだ幼かった私は心細くなり、悪魔に尋ねた。
「あなたは一人で寂しい時にどうしているの?」
『たいていは本を読む。寂しさを感じる時には楽しい物語を』
悪魔が読む「異世界の物語」、その言葉は私の好奇心を強く惹きつけ――、
「どんなお話?私にも聞かせて!」
その時に悪魔が私のために選んでくれたのは、機転のきく少年が、ふしぎな島で出会う動物達を相手に知恵と道具で道をひらいていく、明るい冒険談だった。
私は夢中になり、夜更けまで布団の中で、淡々とした悪魔の語りを聴き続けた。
そして異世界の物語にすっかり魅了された私は、その日からずっと、毎日毎日、賢者の石に物語を求め続けた。冒険譚、幻想譚、未来譚、恋愛譚、謎解き譚――。
――こんな楽しい事、絶対に手放せるわけがない!
学園に入学してからは友人ができて他の楽しみも増えたが、今でも異世界の物語は私の生きがいであり、物語を聴けない生活なんてとても耐えられない!
――なんとかして、物語を聴く手段を確保しなければ……。
知恵の悪魔の力は万能ではない。特にこのような漠然とした悩み事に関しては、相談しても期待通りの回答がこない事が多い。純粋な事実の確認は完璧なのだが……。
だがこうなっては、もう悪魔の知恵を借りるしか手がない。
私は賢者の石に尋ねた。
「あなたの声を他の誰にも聞かれず、日常的に私がそこにいても違和感がなく、長く居座れて、気軽に出入りできる場所はどこかにない?」
知恵の悪魔が答える。
『そのような場所は現状では存在しない。だが、周囲から人間を完全に排除して良ければ実現が可能』
――いや人間は排除しちゃ駄目でしょ!
悪魔: 文章表記は皇国語から日本語への自動翻訳の結果。適当な当て字を含むため、妥当性については不問を推奨。




