実質一択
「このストーカー霊が、早くあの世に還りな」
女性はそう言うと、大幣でソレをビシッと指した。
ソレは突然の部外者乱入に一瞬怯んだが、すかさず不快な声をあげる。
「邏�ュ秘、ィ縺ォ!上�荳縺ョ莠コ!」
耳を劈くような咆哮に、伊織は思わず耳を塞ぐ。しかし女性は怯むこともなく、ズカズカとリビングへ上がり込んだ。
「大の男がぎゃあぎゃあと……」
大幣を振りかぶる。
「死人に口なし、だろ」
大幣は、ソレの目玉目掛けて振り下ろされていった。そして次の瞬間、鈍い音がし、何かが弾ける。それは俗に言う目潰し状態で、絵面はかなりグロテスクなことになっていた。
モザイクでもかけたい……と伊織は変に冷静な頭で思う。
(てか、霊?に物理攻撃って効くんだ……)
咆哮を上げる霊に、女性は容赦なく大幣を突き刺していく。飛び散る黒いモノがその白い肌に良く映えていて、伊織はそれを見て、思わず美しいと感じてしまった。
しかし現実は花なんて飛んでいない。飛んでいるのは霊の叫び声と黒い液体だけである。ぐちゃりと気色の悪い音を立て、やがてソレは動かなくなった。
「ふぅ」
女性はひと仕事終わったとばかりに、大幣についた液体を払うと、伊織に真っ白なタオルを渡した。
「お前、それ拭かないと、あちらに“堕ちる”ぞ」
「え」
ハッと我に返り自分を見ると、手や顔にべったりと黒いものがついていた。その悪臭に思わず嘔吐き、タオルでゴシゴシと顔を拭う。
拭き終わり前を見ると、あんなにベッタリ黒いものが纏わり着いていた女性は、いつの間にか綺麗な状態に戻っていた。
違和感を感じながらも、お礼を言おうと立ち上がる。
しかし次の女性の言葉に、伊織はぴしりと固まった。
「じゃ、お祓い代50万」
「……ハ?」
耳がどうかしてしまったのだろうか。
伊織はもう一度聞き返す。
「50万」
おっと、聞こえたのは幻聴じゃ無かったようだった。
「払えないのか?」
「は、払えません……」
へたりと座り込む。50万なんて大金、一端の男子高校生にはそんな簡単に払えるはずがなかった。
しかし、この女性に助けられたのは事実。伊織の思考は臓器売買という明後日の方向までに飛んでいた。
「そうか」
考え込む女性を見て、伊織はハッと目を見開く。
さっきまで女性の傍らにいた霊がいない。カーペットの上には、黒い液体のみが残されていた。
「あのっ」
「何?払えないなら別に――」
「そ、そこにいたヤツがいません!」
女性はちらっとカーペットの上を見ると、額に手を当て大きく溜息をついた。
「面倒なことになった……」
女性は大幣を持ち直し、伊織に何かを渡す。
伊織はそれを受け取り、は?と声に出して言ってしまった。
「な、なんですかこれ。ビーズ?ビーズのブレスレット?」
「数珠だよ」
「はぁ!?」
渡されたそれは、女児が作るようなビーズのブレスレットだった。パステルカラーの小さな丸いビーズが連なっていて、一つだけハート形のビーズがある。
女児が好きそうなそれに、伊織はじとりと視線を向けた。
「あ、あの…、数珠ってこういうのじゃ……?」
無惨に床に散った数珠だったものを指す。女性はそれを見て、また溜息を一つ吐いた。
「それは弱すぎる。現に壊れただろ。いいから黙ってつけろ」
美人なのにヤンキーばりに怖い女性に、伊織はすぐさまブレスレットを手首に通す。男子高校生としては多少抵抗があるが、今はそんなこと言ってられない。
つけ終わった瞬間、どこからか野太い声が聞こえてきた。
「チ、千織ちャん〜ナンで、ナンで僕のことを無視するノぉ?」
ぞわっと全身に鳥肌が立つ。その声は風呂場の方から聞こえているようだった。
嫌な予感がする。千織とは、伊織の母の名前だ。
「聞こえたか。この数珠は使用者の霊感を引き上げる効果がある。あとは分かるな?」
(つまり、この声は先程の霊の声、と……)
スタスタと廊下を歩く女性について行く。
そしてバンと洗面台前の扉が開かれ、伊織は絶句した。
――そこには、千織の服を漁っているオッサン霊の姿があった。
「キッッショ!!」
思わず声を大にして叫ぶ。それほどまでに、その光景は見てられないものだった。
母親の脱いだ服を漁るオッサン(霊)――ここまでの地獄絵図は中々ないだろう。
「ちょ、お前やめろ!」
伊織が叫ぶと、霊はにやぁと気味悪く笑う。
「な二ナニ、照れテンの?」
ニヤニヤとそう言う霊に伊織は更にぞわりと全身を逆立てた。隣で立つ女性は、ふむ、とその様子を傍観している。
「ちょ、あの、何とかしてくれたり……」
「金払えないんだろ?」
「ゔっ……」
そう言われると、伊織に為す術はない。しかしこれ以上この光景を見てるのも精神的に堪えるものがある。何より、そろそろ母が風呂から上がってくるのだ。
「な、何でもしますから!」
「へぇ」
今度は女性がニタァと、美しい顔で笑った。どこか人外じみたその笑顔に、ぞっと悪寒が走る。
もしかしたらとんでもないことを言ってしまったのかもしれない。しかし後悔してももう遅い。
女性は向き直り、伊織に一枚の紙を渡した。
「これを、あの霊の背中に貼ってこい」
渡されたのは、殴り書きで『退散』と書かれた御札サイズの紙切れだった。女性は困惑する伊織を他所に、行ってこいとばしんと背中を叩いた。
ビクビクしながら、母のためにも足を踏み出す。
恐る恐る近づくそれは、まるで止まったら死ぬだるまさんがころんだをやっている気分であった。
幸い、ストーカー霊は母の服漁りに夢中でこちらに気づいていない。
そのまま近づき、ぺたりと札を貼った瞬間だった。
「ぎゃ」
パチン。
音が鳴り、霊が跡形もなく消えた。ふわりと札だけが、床に落ちる。
「はい、終わり」
「は?え?」
女性は札を拾い上げると、いそいそと帰る準備を始めた。キョロキョロ忙しなく頭を動かす伊織に、女性は呆れたように言う。
「アレはあの世に強制送還した。リビングの穢れも無くなっているはずだ」
そう言われ、慌ててリビングを見れば、確かに黒いモノが無くなっていた。
「えっと、つまり、どういうことで……?」
伊織が説明を求めると、女性はぴたりと動きを止める。そして何やら熟考した末、伊織にくるりと向き直った。
「何でもするって、言ったな」
「ぅ、は、はい」
「じゃあ、あたしの弟子になれ」
「え、嫌です……」
「はぁ?」
反射的に返した返事に、しまったと慌てて口を抑える。だって仕方ない。伊織は今までそういったモノとは無関係に生きてきた。それが今日、初めて目にして、初めて祓う所を見たのだ。
未だに、目の前で起こったことを信じきれていない。
「――だから、まだ半信半疑というか……。そもそも、なぜ霊が来たのか?とか、メイコン様って誰?とか、そもそも霊って何?とかあるんですけど……」
弟子にならない言い訳をすれば、女性はふぅんと口を尖らせた。そして指で二を作り、ひとつずつ折り曲げて言った。
「お祓い代50万、御札代20万……今、お前には計70万の借金がある」
「エェ!?高くないですか!?」
そう口を挟めば、ギロリと睨まれ、思わず萎縮する。女性は続けて言葉を紡いだ。
「そして、お前は先程の“テスト”に合格した」
「テスト……?」
「札を貼れただろ。普通の人間だったら、霊が見えなくて貼ることが出来ない」
どういう事なのか、理解できないまま話は進んでいく。
「お前は潜在的な霊感が高いらしい。“霊の残滓”を見ることができるのは中々いない」
女性は大幣を懐に仕舞いながら言う。
「つまり、弟子になってバイトすれば、借金はチャラにしてやるよ、ってことだ」
「魂売るのと弟子になるの、どっちがいい?」
「弟子でお願いします!!」
悪魔のような究極の二択に、伊織は迷いなく答えたのである。
「あたしの名はリンネ。よろしくな」
これが、桃田 伊織と祓い屋リンネの、衝撃的な出会いであった――――。




