数珠が弾けた日
妖怪幽霊魑魅魍魎……。
この世には、そんな“人ならざるもの”が少なからず存在する。祭りや神社等は、そういったモノ達を身近に感じることのできる代表格と言えよう。
また、近年はそういったモノ達が無意識に信仰されつつあることをご存知だろうか。
例えばアマビエ。昨今のウイルス事情から、妖怪ながら疫病退散の利益を持つとして認知度が高まった。
例えば八尺様。某掲示板発祥のソレは動画サイト等で世に広まっていった。他の都市伝説も同じだ。
また、鬼や妖怪を題材にした作品により、そういったモノ達の知名度はどんどん上がっている。
江戸の初期と比べれば、そういったモノ達は信じられることは少なくなったものの、その信仰心は確実に高まりつつあるのだ。
そのようなモノ達は、“名前”を核とする。
名前が広がれば広がるほど、呼ばれれば呼ばれるほど、その能力は高まり、存在は大きくなっていくのである。
まぁつまり何が言いたいかと言うと、
――世は大妖怪時代。
今、SNS等でその存在が知らしめられたこの世。人知れず着実に、魔の手は伸ばされつつあるのである。
◇◇◇
『むむっ!見える見える、沢山の悪霊が居ます!』
『先生!やはりここは……』
『えぇ、怨念の溜まり場ですね……ご安心なさい、今、祓ってご覧に入れましょう!』
ブツっ。
テレビの電源を落としソファに身を投げ出して、桃田 伊織はため息をつく。右手には新手の霊感商法の雑誌が握られていた。騙されやすい母親から奪い取ってきたものだ。
全く、近年の心霊ブームには辟易とする。
八尺様、くねくね、テケテケ……。そんな都市伝説たちの登場により、流行の火蓋は切って落とされた。今や小学生でさえ学校の七不思議なんかよりもテケテケに夢中だと言うのだから驚きである。
(テケテケって、グロいよな?なんで規制されないんだ)
踏切で轢かれた女子高生が元という、下半身がなく手で這いずり回る怪異、テケテケ。かなりグロテスクなその見た目で何故こんなに人気なのか、伊織はいまいちピンときていなかった。
何はともあれ、伊織はそういったブームに、既にウンザリとしていたのである。
「伊織ちゃーん、ママ、明日先生のところに行ってくるから、お留守番よろしくね」
台所から聞こえる母の声に、曖昧に相槌を返す。
今年高校生男子となる息子にちゃん付けは如何なものかと思うが、伊織は最早訂正する気も起きなかった。
母の言う『先生』とは、高名だと言う占い師のことだ。母は少々、ハマりやすく信じやすい質がある。よく言えば素直、悪く言えば騙されやすい、それが、伊織の母という存在である。
心霊ブームにウンザリとしているのも、この騙されやすい母の存在があるからだ。霊感商法に騙されそうになったことは、1度や2度ではない。その度に仲介に入り断りを入れる伊織は桃田家のMVPと言えるだろう。
今日も今日とて、どこから仕入れたか分からない数珠を渡された。謎の印字が入ったそれは厨二臭く、見ただけでプラスチック製だと分かるものだ。
(全く、母さんもいい加減にしてくれ)
頼れる父は単身赴任中だ。今、この場に母を止めることができるのは伊織しかいない。
「……おやすみ」
「おやすみなさーい」
はぁ、と1つ溜息つき、伊織は自室へと戻っていった。
◇◇◇
「じゃあママ行ってくるから、夕飯は冷蔵庫に入ってるからね」
「はいはい」
シャコシャコと歯磨きをしながら母を見送り、伊織は洗面所へ向かう。
今日は土曜日、そして大好きなゲームの発売日だった。
近くの玩具屋に行こうか、なんてことを考えながらうがいをしてきた時だった。
――ばちん。
リビングから、何かが弾ける音がした。
(なんだ……?)
ぺっと水を吐き出しリビングを見に行くと、床にころりと転がるビー玉サイズの黒い玉があった。それが幾つも転がっており、どれも見覚えのある印字がされている。
(……数珠だ)
それは、昨日母に押し付けられた数珠だった。
(何だか気味が悪い……)
黒い玉を全て拾い上げ、ゴミ箱へ直行する。偽物と分かっていても、数珠が弾けるなんてことは後味が悪い。
何となくゴミ箱へ捨てるのを躊躇っていると、ガチャりと玄関扉の音が響いた。
「伊織〜突然降られちゃってさぁ、もうびちょびちょよ」
「なんだ母さ、ん………」
ピシピシ……パァンっ。
手の中にあった数珠が、粉々に砕ける。
(なんだ、これは)
数珠だったモノが、からんと音を立て落ちていく。
何かがおかしい。
そう思った時には、もう遅かった。
「あら伊織、もう、まだパジャマなの?」
「母さ……ぁ…」
――伊織は母を見て、愕然とした。
いや、正確には“母の後ろにいるモノ”を見て、目を見開いた。
「チ繧ォ繧リ繝チャ繝ン」
聞き慣れない不協和音が奏でられる。
母の後ろには、顔が異様に長い真っ黒なモノが立っていた。口と捉えられる所からは、無数の腕がわきわきと生えている。ギョロりと開いた目からは、黒い煤が垂れ流されていた。
どくんどくんと、心臓が早鐘を打つ。
「今日雨予報だったかしら?」
「……外?晴れてる、けど……」
「あら?なんでかしらねぇ」
うーん、と考える素振りをする母を前に、伊織は必死にソレが見えていないフリをする。
コレは見えてしまったらまずい、気づかれたらまずい。それだけは、脳が警鐘を鳴らしていた。
伊織はこういったモノを見たのが初めてだった。今まで全く縁がなかった訳じゃないが、それでもそんなモノはいないと必死に否定していた。
だからいけなかったのだろう。こういうモノに対する知識が、伊織にはなかった。
ソレの腕が母に伸びた時、伊織は咄嗟に叫んでしまった。
「母さんっ!」
「どうしたの?伊織」
母は顔にハテナマークを浮かべ、伊織の方へ歩き出した。後ろにいるモノがチッと舌打ちをする。
「いや、ほら、濡れてるからさ、お風呂入ってきたら?風邪ひくし」
「うーん、そうね!時間はまだあるし、少しお風呂に入ってくるわ」
そう言えば、母はなんの疑問を抱くこともなく風呂場へと歩いていった。後ろをついて行くバケモノに、伊織はどうしたものかと頭を働かせる。
なんの能力も持たない伊織に出来ることはない。しかし今、風呂場にコイツと母を二人きりにしてはいけない。
「……お、おい、お前」
悩んだ末、伊織が出した結論は、見えていることをバラす、ということだった。
「か、母さんに、近づくな」
「上�縲後Ξ繝溘」
グルンッ、と顔だけが伊織に向けられる。その気色の悪い縦長の顔を見て、伊織は思わず嘔吐いてしまった。
鳥肌の立つ音声を発しながら、ソレは伊織にじわじわと近づいていく。いつの間にか、目から垂れ流された煤は伊織の足場を無くすように床を覆っていた。
逃げたいのに、腰が抜けて動けない。
じり、と煤が足元を覆う。
指先が、とぷりと床に沈み込んだ。
あぁ、これ、逃げられないやつだ。
――終わった。
目に涙を浮かべ、そう思った時の事だった。
《ピンポーン》
玄関から、呼び鈴の音が響き渡る。
続いて、妙にハスキーな女性の声が聞こえた。
『もし、今困っているならば』
玄関扉の奥から、そう言葉が続く。
その間にも、じわりじわりとソレは近づいてくる。
『メイコン様、お助け下さい、と唱えなさい』
メイコン様って何、とか、貴方はこの状況を分かるのか、とか色々疑問はあるが。
その言葉は、今の伊織の状況で、無視するという術はなかった。
「メイコン様!お助け下さいぃっ!!」
そう叫んだ瞬間、バンと玄関扉が開く。
「上等」
――現れたのは、黒い作務衣を纏った美しい女性だった。
真っ白な肌によく映える、真っ黒なおかっぱの髪。右手には大幣、左手には長灯篭が持たれている。
浮世離れしたその人は、ズカズカと家に上がり込むと、伊織とソレを交互に見遣りやがて目を細めた。
「へぇ、中々狂気じみてるじゃないか」
「このストーカー霊が、早くあの世に還りな」
大幣を振りかぶりそう言ったその人は、やはり浮世離れした美しさだった。




