第05話
教室を逃げるように飛び出したわたくしは、どこともなく走り出しておりました。
定期試験の成績が貼り出された直後ということもあり、廊下には多くの生徒が行き交っておりましたが、わたくしは周囲の目を忘れて駆け抜けます。
もしかしたら、そんなわたくしに声を掛けた方もおられたかもしれませんが、仮にそうだとしても耳に入る状態ではなかったと思います。
そうして、息を切らしながら三階のバルコニーまでやってきて、わたくしはようやく足を止めました。
バルコニーには誰一人おりません。
普段であれば、講義中以外なら何人かの生徒がいらっしゃることが多いのですが。
ただ、今は、『誰も居なくて助かった』と思うところでしょうか。
ここに来るまでずっと走って、はしたなくも制服のスカートがばさばさと翻っていたことに気が付いたからです。
そんな姿で生徒が行き交う廊下を駆け抜けてきたのだと。
はぁ・・・。
わたくしは、なんという醜態を。
貴族の娘らしからぬ振る舞いだったと思い返し、羞恥のあまり、両手で顔を覆います。
どんな顔で教室に戻ればいいのでしょうか・・・。
いえ、それよりも、学園でこのような騒動を引き起こしてしまって、これがわたくしの実家に伝わったら両親に会わせる顔も無いではないですか。
学園での立場。家での立場。
その両方を失うかもしれない。
途端に身が震える程の恐怖を感じてしまいました。
嫌よ、そんなのっ!
助けてほしい!
誰か、助けて!お願いっ!
「見つけたわ。ここにいらしたのね、シュテフェニ様」
「えっ!?」
背後から名を呼ばれ、両手で顔を覆っていたわたくしは、ぱっと振り向きます。
そこには、堂々と立つエステリーナ様がおられました。
わたくしがアリスに八つ当たりしたとき、恐らく同じ教室にいたはずです。
ですから、わたくしを追ってここまで来られたのでしょう。
「エステリーナ様・・・」
「何があったか、話してごらんなさいな」
エステリーナ様はそう言いながら歩み寄り、わたくしの横まで来て、バルコニーの手すりに手を掛けました。
視線はわたくしではなく、遠くへ向けて。三階からの眺めを楽しむように。
わたくしもエステリーナ様に習い、手すりに手を掛けながら彼女と同じ景色を眺めます。
わたくしは、一瞬戸惑いました。
エステリーナ様とは、一年生のときから同じクラスメート。
けれど挨拶とか生徒間の連絡程度の会話しかしてきておらず、いまだにプライベートなことまで話したことが無かったのです。
だから『話してごらんなさい』と言われましても・・・と思ったのですが。
あら、なんだか話せそう・・・。
「実は・・・」
話すのは簡単でした。不思議なくらいに。
わたくしはエステリーナ様に、先程教室で起こしてしまった騒動についてお話ししました。
実家から送らてくる手紙のこと。
一年生のときからクラスメートに、定期試験の成績で劣等感を抱いていること。
事前の勉強時間を増やして臨んだ今回の定期試験の成績が振るわなかったこと。
たまたま隣の席から声を掛けてきたアリスに八つ当たりしてしまったこと。
「父の推薦でこの学園に入れていただいたのに、満足に成績を上げられず、家名を汚すような振る舞いをしてしまい、面目が立ちません。此度の件、貴族の娘として恥ずかしく思っております」
わたくしはどうしたらいいのでしょうか。
騒動の経緯は話せましたが、そう尋ねることはできませんでした。
『どうしたらいいか』と聞いてしまったら、わたくしには何のプライドも無いと思われてしまう。
貴族の娘として、それが怖かったのです。
並んで聞いていたエステリーナ様は、少し間を置いてわたくしに向き直り、両端の口角を上げてにんまりとしました。
苦境に立つわたくしを見て喜んでいる、というわけでないことはわかります。
彼女から醸し出されている感情とは、彼女の、純粋な『興味』でした。
「シュテフェニ様。一つ伺いたいのですが、アリスを誹謗して、貴女は楽しいと思われましたか?」
「・・・いいえ。最悪の気分でした」
「なら良かったです。もし貴女が楽しいと思ったなら、問題解決まで遠回りしなければなりませんでしたから」
遠回り・・・?
いえ、気にするところは、そこではないですね。
エステリーナ様はこうおっしゃっているのです。
問題解決の近道を教えてあげましょう、と。
「貴女と貴女の御実家とのことはひとまず置きましょう。貴女とアリスのことなら、わたくし解決策を知っておりますのよ」
「それは・・・どうしたらいいのでしょうか」
誘導してくださったのでしょうか。
先程はプライドが邪魔して言えなかった台詞を、わたくしはあっさりと口に出しておりました。
「貴女がアリスに謝罪すればよいのです。それで解決しますわ」
身分が同じ者同士であれば、その通りでしょう。
身分が下の者が上の者に対して謝罪するのも、自然なこと。
ですが・・・。
「わたくしが貴族の娘で、アリスは平民。体裁が悪いのではないでしょうか」
「ぶふっ!だぁっはっは!」
エステリーナ様は吹き出し、笑い出します。
彼女は友人とのお喋りで、よくこのように、楽しそうに笑うのです。
なんというか、豪快で、淑女らしからぬ笑い方なのですが、不思議と品があるのですよね・・・。
もう少しお淑やかに笑っておられれば、殿方からも受けがいいように思うのですが。
まぁ、要するに、彼女のいつもの笑い方なのです。
そうと知らぬ者からすれば、馬鹿にされているのではと勘違いするかもしれませんが。
きっちり笑い終わってから、エステリーナ様は笑顔でさらりと答えます。
「わたくし共が大人になったらまた違うのでしょうが、学生である今なら身分差など些末なことですわ」
そう言われましても、少し戸惑います。
わたくしは、実家でこのように教えられてきました。
貴族ならば権威を持って民を守れ、と。
権力を持つ者は、それを行使して下々(しもじも)の民を保護し、社会の秩序を維持する義務があります。
そして貴族とは、まさにその義務を負う立場であるのですが、単なる権力者であってはなりません。
確かに貴族ならば、生まれながらに権力者としての地位を持っています。
権威とは、そういった地位だけでなく、知識や経験に基づいて他者から尊敬や信頼を受け、その影響力によって他者の服従や承認を得られるもの。単なる権力とは異なり、周囲が「正しい」「従うべき」と認める正当性を持つものです。
貴族の娘であるわたくしが平民であるアリスに謝罪することは、そういった権威が持つ正当性を損ねてしまうことだと思っておりました。
その懸念を伝えますと、エステリーナ様は即座に答えを返します。
「貴女の権威はこれから形になっていくものです。わたくし達がこの学園で学んでいるのは、そういった権威の基礎となる部分。つまり、知識や経験を得るためだといえるでしょう。損なったものよりも、これから培っていくものの方がすぐに上回りますわよ」
エステリーナ様のおっしゃりようは、すぅーっと体に入ってくるようでした。
わかりやすくもあり、ありがたくもあったからでしょう。
「それに、アリスほどの者が平民のままで収まるわけがないでしょう」
ああ、なるほど。
エステリーナ様はアリスを普通の平民とは見てらっしゃらない。いずれ貴族が取り込むか、あるいは貴族の地位を得るであろう存在だと考えているのですね。
しかも、相当に確信を持っておられます。
アリスが将来、貴族の列に連なる、ですか・・・。
まだ学園の二年生であるにもかかわらず彼女を『学園始まって以来の才女』と評する教師もいらっしゃいますし、立ち居振る舞いに至っては既に貴族の者と遜色ないほど洗練されております。
言われてみれば一理ありますね。いえ、考えれば考えるほど、そうなるに違いないと思えてきました。
なれば、わたくしが一笑に付されたのも納得できるというもの。
「・・・確かに。エステリーナ様のおっしゃる通りです」
それにしても・・・。
貴族と平民という生まれの身分差。これがこの先もずっと続くと、なぜ錯覚していたのでしょう。
貴族だって没落するし、平民だって成り上がる者はいるでしょうに。
自分の考えが硬直化していたことに気付かされました。
今なら抵抗なくアリスに謝罪できそうです。
「エステリーナ様。わたくし、すぐにでもアリスに謝罪して参ります」
わたくしは騒動の現場である教室へ戻るため、この場を辞そうとしました。
「お待ちなさい」
歩き出して数歩、背中越しにエステリーナ様から呼び止められました。
足を止め、わたくしは振り返ります。
「貴女、先程『貴族にふさわしくない振る舞いだった』とおっしゃいましたわね。だからそれを謝罪に行くのですか?」
「え・・・は、はい。そのつもりですが・・・」
立ち止まっているわたくしに語り掛けつつ、ゆっくり近づいてくるエステリーナ様。
手の届く距離までやってきました。
「では、これはわたくしからの助言です。貴女の良くなかった点はそれだけではございません」
それだけ・・・ではない・・・?
わたくしは無言のまま、ただ次の言葉を待ちます。
「端的に申し上げましょう。貴女が良くなかったのは、1番しか取ったことのないアリスの気持ちを考えておられないことです」
ちょうどバルコニーをそよぐ風が彼女の髪をするりと吹き抜けていきました。
瞬間、わたくしの心が揺らされたのです。
「貴女は教室で『1番しか取ったことがないアリスに、自分の気持ちなんてわかるわけがない』とおっしゃったでしょう?ですが、貴女は1番しか取ったことのない者の気持ちをわかろうとしましたか?」
「1番の者の・・・気持ち・・・」
「例えば、わたくしは思うのですよ。わたくしを含め、アリス以外の生徒らは成績の上下に一喜一憂できるではないですか。けれど、アリスは、アリスだけは次の試験で成績が上がる楽しみがないのですよ」
そんなこと、考えてもみませんでした。
わたくしの成績はクラスで下から数えて直ぐの位置ですし、わたくし以外の優秀なクラスメートの姿を普段から目にしております。
彼らを差し置いて1番を取るなんて、想像だにしないことですもの。
「まぁ、これはあくまでわたくしの想像ですし、アリスは全く違うことを思っているかもしれませんが。貴女も時間があるときに考えてみることです。1番になったならどんな気持ちになるのか。逆に最下位になったとしたらどうか、なんてね」
はっとさせられました。
人の上に立つ。わたくしは、その立場を志していたはずです。
それなのに、人の上に立つ者の気持ちを、そしてそれを汲み取ることを、いつしか見失っていたのではないでしょうか。
「そんな仮定の話は無駄だとおっしゃる方もいるでしょう。でも、わたくしは意外と役に立っておりますのよ」
なぜか自慢げに語るエステリーナ様。
けれどそこに少しの嫌味も感じさせません。
これが『彼女の人徳』なのでしょう。
そうなのですね。彼女に相談事をした方々は、皆このような気持ちにさせられたのですわ。
胸に手を当て、エステリーナ様に敬意を持って頭を下げます。
「エステリーナ様、助言感謝いたします。アリスに謝罪してきますわ」
顔を上げれば、満足そうな表情のエステリーナ様。目が合うと、わたくしも自然と口の端が上がります。
わたくしは踵を返すと、今度こそバルコニーを後にするのでした。
アリスに謝罪した結果どうなったかは、最早言うまでもありませんよね。
この騒動の後、わたくしの心境は大きく変わりました。
まず、学園で勉強する目的を見直し、家のために勉強するという思いを一旦放棄してみることに。
何のために勉強するのか。
わたくしは自らに問い、将来人の上に立ったときのことを色々考えてみたのです。
出した結論としましては、自分のため、引いては自分の将来のため。
当たり前と言われればそれまでですが、自ら考え、答えを導く、ということが大事なのだと思います。
今のわたくしが成功したことも失敗したことも、その両方の知識と経験は、将来人の上に立ったとき、組織を安定させ正しい判断を下すために役に立つ、と。
そう考えたら、この学園で失敗することを恐れなくなりました。
その一方で、良くも悪くも必死さが薄まったと思います。
『クラスメートらに負けないように』という気持ちを消したわけではありませんが、強いて言うならば、『エステリーナ様やアリスの友人として恥ずかしくない成績を』くらいの意識になった感じでしょうか。それも気負う程ではありませんでしたけれど。
そういった他人との比較を忘れるくらい『自己を高めよう』という気持ちで勉学に取り組めるようになったのです。
心境が変われば、自然と行動も変わります。
講義でわからない所があれば、アリスに頭を下げて教えてもらうようにもなりました。
以前のわたくしがどうしてそれをできなかったのか、今となっては呆れるばかりです。
それから、エステリーナ様やアリス、クラスの女生徒から、親しみを込めてフェニカと呼んでもらえるようになりました。
わたくしにも感情を出せる友人ができた、ということだったのでしょう。当時は気が付きませんでしたけどね。
そうした友人たちとの交流が増えるにつれ、一人で机に向かう時間は随分減らしてしまいました。
だというのに、成績は少しずつ上がっていったのです。不思議なものですね。
こうして学園生活も楽しいものへと変わっていき、心には余裕が生まれ、いつしか実家からの手紙も意に介さず読めるようになっておりました。
わたくしは良い学園生活を送れました。それは断言できます。
学業においても、そして人としても、学んだ分だけ成長を感じることができましたし、何より友人たちとの交流が楽しくてしょうがなかったのです。
エステリーナ様とアリス。
お二人との出会いがわたくしの学園生活、いえ人生の、最大の幸運でした。
そうそう。
年を重ねてから気付いたのですが、あの時わたくしがどう謝ろうとも、間違いなくアリスはわたくしを許していました。
なぜなら、仲裁したのがエステリーナ様だったからです。
アリスはエステリーナ様を尊敬しておりました。心酔していたと言っても過言ではないでしょうね。
ゆえに、エステリーナ様の面子を潰すような真似を、アリスは絶対にするはずがなかったのです。
ですが、当時のわたくしはそこまで物事を俯瞰して見ることができませんでしたし、とにかくアリスへの謝罪に全力を注ぐことしか考えられませんでした。
だからこそ思うのです。
許してもらえると確信して謝罪に行っていたら、今のわたくしは無かっただろう、と。
許してもらえるかわからない。
許されないかもしれない。
それでも誠意を持って謝罪に行く。
それができたのは、一言で言うなら『若かったから』でしょうね。
さて。
そろそろ追憶から今の時間に戻りましょうか。
今。
わたくしはお二人と同じ景色を眺めさせていただいております。
見る景色は同じでも、わたくしではお二人より遠くまで見渡せないかもしれません。
それでも、お二人が眺める景色を、並んで眺めていられるよう、これからも努めて参りたい。
わたくしの思いは、追憶の日々から益々強くなるばかり。
願わくば、今この瞬間が追憶の日々になったとしても、わたくしの思いが続いておりますように。
お読みいただきありがとうございます。
『77番目の使徒』という作品を連載しておりますので、面白かったと思われた方は是非こちらもどうぞ。




