第1話「自覚」
「このまま授業終わらないと思った……」
「水曜日の最後の授業、嫌がらせみたいに延びるよね」
感染症対策のマスクを着用が自由に選べるようになったけど、人よりもほんの少しだけ免疫が落ちている私は今日もマスク生活。
息苦しさに慣れることはないけど、自分の喉も一緒に守ることができると思ってマスクへの不満を頭の隅っこに片付ける。
「どこ行く?」
「お小遣い厳しいからなー……」
移動教室での授業が終わり、複数のグループを組みながら歩くクラスメイトの後を付いていく。
私が留年しているという噂は巡りに巡って、私に話しかけてくる人はほとんどいない。
無視されているわけではなくて、年上の私に物凄く気を遣ってくれているのがよく伝わってくる。
私から気軽さを提供しなければいけないと分かっていても、年上の威圧感は三年生の秋に突入した今も拭いきれない。
「部室の鍵、取ってくる」
「先、行ってるね」
私たちのクラスは授業を終えたばかりで、まだ自分たちの教室に戻っている途中。
周囲の人たちは部活動や掃除、帰宅など、それぞれの放課後を過ごし始めていた。
(この高校、演劇部なんてあったんだ)
どこかから、発声練習の声が聞こえてくる。
クラスの人たちも、廊下を行き交う人たちも、誰も発声練習に気を留めることなく通り過ぎていく。
発声練習に気を引かれたのは私だけらしくて、掃除当番のない私は声が聞こえる方へと足を進めていく。
(みんなで発声練習なんて懐かしい)
声優を育成するための養成所に通っていたときにはお馴染みの発声練習。
仕事を続けている今も続けてはいるけど、同じ目標に向かっている人たちみんなでやる発声練習の時間が好きだったりもする。
みんなで発声練習をやって、講師の先生の到着を待つ。緊張感もあって、賑やかさもある、あの空間が既に懐かしくなってしまった。
(あれ? 一人しかいない……)
興味本位で足を進めた先の教室には、泉くんが一人で発声練習をしていた。
「橋本さん?」
こっそり教室を覗き込んでいたはずなのに、視線を向けられること自体が珍しいのか私はすぐに泉くんに見つかってしまった。
「隣の部屋の演劇部と一緒に、発声練習やらせてもらってるんです」
適当な椅子に腰かけて、放課後ならではの楽しい空気を泉くんは提供してくれる。
私は教室に持っていくはずだった教科書を机の上に置いて、マスク越しに泉くんと話をする。
「春に養成所を卒業したばっかなので、懐かしくなっちゃって」
数か月前の話を懐かしそうに、楽しそうに話す泉くん。
その気持ちを、とてもよく理解できる私は大きく頷いて養成所談議に花を咲かせた。
「小木下くんと同期なんですよね」
「え、どこからその話を……」
「この間、本人から直接……」
「えー……、拓未ばっか狡い……俺も橋本さんと話したいのにー……」
泉くんが駄々をこねるような態度が新鮮で、そんな夏都の姿を見ることができて自然と口角が上がる。
「高校生が通える養成所って、まだまだ限られてますからねー」
「年が近いと、自然と養成所の同期になっちゃいますね」
「橋本さんとは違うところが悔しいです」
机の上に置いてあった泉くんのスマホが光り、何かしらの通知が来たことを知らせる。
「これが仕事の連絡ならいいんですけど」
「大抵は違いますね」
「新人声優あるあるですねー……」
私に隠す必要がないと通知だと判断した泉くんは、机の上に置いたままスマホに触れていく。
泉くんの待ち受け画面が、綺麗なイルミネーションの写真だった。
「橋本さん?」
あまりに写真が綺麗すぎて、泉くんのスマホを凝視してしまったかもしれない。
「そんなに見つめなくても、何も出てこない……」
「写真! 綺麗だなと思って……」
泉くんから向けられる真っすぐな想いに耐え切れなくなって、私は急いで事情を説明する。
「これですか?」
待ち受け画面を私に見せてくれる泉くん。
ホーム画面が整理されていて、イルミネーションの写真が映えるようになっている。
「初めて先輩声優さんとご飯に行ったときの、帰り道で見た風景なんです」
先輩声優と別れ、イルミネーションが綺麗な街路樹を一人で訪れたという泉くん。
あまりに先輩との食事が嬉しすぎて、泉くんは今日の日を記念に残すために一枚の写真を撮影したらしい。
「学生は飲み会に連れて行ってもらえないので、このときのご飯会がすっごく嬉しくて」
そのご飯会に行ったときは泉くんと親しくはなかったけど、その当時の泉くんの様子を想像するだけで私まで嬉しくなってくる。
泉くんの話を聞きつつ、スマホに映るイルミネーションの写真に魅入る。
「…………一緒に行きます?」
写真に魅入られていたことが、私の注意力を削いだ。
「え!?」
「ははっ、橋本さん、驚きすぎです」
大袈裟に反応してしまったことが恥ずかしい。
「近場なので、デートっぽくはないですけどね」
「デ……」
泉くんの表情が柔らかな笑顔から、私をからかうときの意地悪な表所へと変わっていく。
「橋本さん、すっごく可愛いです」
でも、この言葉をくれたときだけは、凄く優しい笑みを見せてくれる。
「からかわないでください……」
「可愛い」
「っ」
マスクを付けている私は顔のほとんどが隠れているはずなのに、あまりに恥ずかしくなって顔を覆いながら泉くんから背く。
「貴重な橋本さんを見られたので、からかうのはここまでにします」
「お手柔らかにお願いします……」
私の方が年上といっても、経験のない年上では相手にもならないのだと思い知らされる。
恋愛経験のなさにも悔しいって感情が芽生えるけど、ない経験を補うことはできないからどうしようもない。
(どうするも何も、私は泉くんからの告白を断らないと……)
指を、曲げて、伸ばしてを繰り返す。
ここ最近は、間接への症状が落ち着いている。
それでも、自分の体が正常に動くかどうかを確かめてしまう。
(病気を患っているってこと、ちゃんと自覚しないと……)
お医者さんから、寛解しましたとは言われていない。
今も薬に頼り切っているから、私は正常を保つことができているんだと言い聞かせる。




