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たとえ愛が存在しなくても、この声にだけは愛を込めて  作者: 海坂依里
第6章「私たちの未来に名前をつけるなら」
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第5話「今がある」

「まだ大学病院、通わないとなの?」

「今日が良くても、明日悪くなる可能性があるんだって」


 私の家族は、相変わらず関節リウマチへの理解が足りない。


(でも、そこを責めるんじゃない)


 痛みを伝えられなかった私が悪かったとは言いたくないけど、痛みを伝えることが難しいということも初めて学ぶことができた。


(人生で一番、最悪な時間だったことは間違いない)


 でも、学ぶことも多かったっていうのが、今を生きる私の振り返り。


「いってきます」

「気をつけてね」

「はーい」


 私は、ようやく自分の足で歩くことができるようになった。

 タクシーに倒れ込むように乗り込んでいた時期がまるで嘘のように、自分の足でバスに乗れるようになった。


(嘘のような本当の話って、こういうことを言うのかもしれない)


 自分の足で、歩くことができなかった。

 ほぼほぼ寝たきりで、横になっていても痛みを感じる。

 そう訴えても信じてもらえないくらい、私の足はずいぶんと軽やかに動くようになった。


(足の浮腫(むく)みも、膝の浮腫みもなくなった)


 身体の関節全部を攻撃していたように感じていた痛みが、今では何も感じられない。

 あれ? って痛みを疑う日々もなくなった。

 もちろん大学病院に通っているということは、薬を服用しているから、症状のない日々を過ごすことができているとも言える。


(それでも、薬を頼りにしているけど、でも、痛みを感じないことを幸せだと思う)


 横断歩道に設置してある信号機に、体の不自由な方や視覚障がい者の方は押してくださいという表記と共にボタンがある。


(横断に時間がかかったときは、凄く助けられたなー……)


 このボタンを押すと、赤信号が青信号に変わると勘違いしている人がいる。

 急いでいるが故にボタンを押したくなる気持ちは分かるけど、ボタンを押したところで健常者にとってはなんの恩恵も得られない。


(これは、横断に時間のかかる人のためのもの)


 横断歩道を渡ってコンビニに向かおうとしている最中に、一人の女性が横断歩道脇のボタンを押すところを目撃する。


(歩行者の横断を補助してくれるためのもの)


 体の不自由さが改善された私が、このボタンのお世話になることはなくなった。

 でも、私ではない誰かは、このボタンを必要としているかもしれない。


『大丈夫ですか』


 実際に横断歩道を渡るとき、そんな言葉をかけあう人たちはいない。

 けれど、思いやりが飛び交う日のことを頭の中で妄想してみる。

 そんな日が来るのか来ないのか分からないけど、ほんの少しでも周囲に気遣ってくれる人がいるといいなぁって願いを自身の一歩に込めてみる。


「大丈夫ですか」


 そんな妄想は妄想で終わるはずだったのに、妄想は本物へと変わった。

 赤信号を待つ高齢の女性の元に近づいて、声をかけた男の子がいた。


「あ……」


 女性は介助を必要としていたらしく、男性の手を借りながら横断歩道を渡っていく。


(夏都くん……)


 大きなお世話と言われてしまいそうな行為を、いとも簡単にやりのけてしまう男の子がいることに驚かされた。

 それと同時に、なんだか心が温かくなるのを感じた。


(やっぱり優しいね)


 私は、見た目では歩行が困難な人だと判断してもらえなかった。

 自ら声を上げないと、歩行に時間がかかるということを理解してもらえなかった。

 特に困ったのはバスに乗るときで、全身に痛みが走っていることを誰にも理解してもらえない。座ることを選びたくても、席を譲ってくれる人は現れない。


(それが、関節リウマチ)


 判定次第では障がい者手帳を交付してもらえるけれど、私の場合は症状が中途半端だった。

 障がい者手帳を交付してもらえるほどの症状ではないということ。

 障がい者手帳を交付してもらえるほど症状が重い人もいるけど、私の場合は該当しなかった。


(だから、自分のことは自分でできるようになりたい)


 走り出す。

 信号が青になったと同時に、信号に向かって走り出す。


(良かった、走れた……)


 走れたけれど、その速さは笑ってしまうほど遅い。

 顔を上げると、男の子が声をかけた女性がゆっくりとした速度で横断歩道を渡り切ったところ。


(自分では走ったつもりでも、まだまだ……)


 自分を追い越していく人の数が多すぎて、いかに自分の歩くスピードが遅いかということに気づかされる。


(でも、もう下を向かないよ)


 一時よりも症状が軽くなっているから、自惚れているわけじゃない。

 一時よりも症状が軽くなっているから、未来に会いに行きたくなった。

 関節リウマチを患っているなりに、最高の毎日を送れるように。

 関節リウマチを患っているなりに、最高の人生を歩めるように。

 お医者さんが、看護師さんが、薬剤師さんが、私の身体が、最高の日々に近づけるように力を貸してくれた。


「ありがとうございました」

「いえ、お気になさらず」


 街行く彼のような人がいてくれるから、私は未来に希望を抱くことができるようになった。


(ありがとうございました)


 直接、差し出されたわけでもない手に感謝の言葉を述べて。

 出来もしないスキップを心で踏みながら、私は彼の元に近づく。

                                   【了】

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