表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/7

2

「お風呂沸かすからちょっと待っててね」


 ばあちゃんがお風呂を準備してくれている間、また暇な時間が訪れた。ゲームはもういいかと思い動画を見たりしていたが、実家のようにwifiがあるわけではないのでむやみに動画を見続けるのは少し気が引けた。

 何か面白いものでもないかと思い、僕はふらっと他の部屋を散策し始めた。と言っても、何度か来ている場所で残念ながら目ぼしいものがないであろう事は分かっている。だからこそゲーム機を持ち込んでいるのだ。それでもこの一年の間に何かしら変化があるのではないかと思い部屋を探った。


 皆で鍋をしていた広めの和室から一つ戸を開いた先の客間に入り電気を点け中を見渡す。去年と同じならおそらく僕と父さんはこの部屋で布団を敷いて寝る事になるだろう。母さんは食事をした和室でじいちゃんばあちゃんと並んで寝るはずだ。

 見慣れた部屋の中に特に変化はなさそうだ。一見して増えたものはなさそうだったので部屋に一つだけある襖をさっと開いて中を覗く。襖の中は真ん中を仕切りに上段と下段に分かれており、雑然と物が置かれている状況だった。


 襖が半分だけ開いた状態だと奥の方が暗く見えにくかったのでスマホで照らしながら中を確認する。襖の中を見るのは初めてだったので少しだけわくわくしている自分がいたが、中を見る限りストーブや今使わないものなどが置かれているだけで、目ぼしいものがあるようには残念ながら見えなかった。

 とりあえず上段の方からゆっくりと眺めてみた。何かを収納した箱がいくつかあり気になったものだけ一旦取り出して傍に置いた。

 後で確認しようと下段に目を移す。下段は上段に比べスペースが空いており、僕の大きさなら少し屈んだ程度で中に入れそうだった。襖の中に身体を入れる。ただ狭い空間に入るだけなのにどうして楽しく感じるのだろう。


 照らしてみると奥の方に本が何段か列をなして詰まれていた。下段の半分程の高さで横に三列程なのでそれなりの冊数だ。じいちゃんは本をよく読む人だったが本棚は見たことがなかった。おそらくは読み終えた本を置いているんだと思うが、どういう基準でここに積まれているのかはよく分からない。

 本好きならば存分に興味を引く景色ではあるが、残念ながら僕はあまり本に興味はない。というかじいちゃんが読むような難しそうな本はそもそも漢字だらけでまず文字すら読むのも困難だ。


 ーーまあこんなもんか。


 最初から期待していたわけではなかったのでそこまでの落胆はなかった。僕は襖の中から出る事にした。しかしその瞬間、視界の端に何かが映った。


「ん?」


 何となく見ない方がいい気がした。そんな考えも一瞬過ったが、気になる気持ちの方が上勝り嫌な予感めいたものは瞬間的に搔き消された。

 でもすぐに後悔する事となった。上書きされてしまったこの時の瞬間の直感を、僕は大切にするべきだった。


 ーー何あれ。


 右上の端。そこに不自然に黒いものが見えた。最初は汚れか何かかと思った。だがすぐに違う事に気付く。襖の中や仕切りに付着したものではなく、その黒は空間に浮かんでいた。

 

 ●


 黒点。黒球。人の顔一つ分程の大きさのそれは微かに揺らぎながら襖の中に浮遊していた。僕はそいつから目が離せなくなった。スマホの灯りではっきりと照らし出されているのにくっきりと浮かぶ黒い球体の存在はあまりにも異様だった。

 視線が釘付けになる。まじまじと見ていると、わずかに揺らめいてるように見えたそれは、正確に言えば無数に集まった更に小さな黒点が蠢き犇めきあっているように見えた。

 

 生きている。数多の意識が群がった集合体。

 僕は。僕は、見てはいけない。でも引き寄せられる。蠢いているそれらが何かを僕は認識し始めている。理解しているんじゃない。理解させられている。

 

 ーーこいつは、こいつらは……。


 襖の中の世界で黒球が大きくなっていく。

 分からない。こいつが大きくなっているのか、僕がただ近づいているだけなのか。

 磁石のように求め合っている。

 欲しい。欲しがられている。

 どうして。どうしてだ。頭の中の意識が自分のものかどうかあやふやになっていく。

 とにかく僕は、僕はーー。


「太一」


 ふいに呼びかけられた声で僕は反射的に声の方を振り向いた。襖の外にばあちゃんがいた。ばあちゃんが僕を見ていた。

 いや、違う。

 見ていなかった。ばあちゃんの視線は襖の奥に向いていた。


「ばあちゃん?」


 自然と声が出た。黒球に引き寄せられた意識がするすると元に戻っていく感覚がした。はっとなり僕も視線を戻した。黒球は変わらずそこに浮かんでいた。


「ばあちゃん、あれ何?」


 僕は黒球を指差す。ばあちゃんが僕を見る。じいちゃんと同じくらい明るい笑顔が印象的な人だったが、今ばあちゃんの顔には何一つ表情がなかった。

 ぞわっと寒気だった。そんな僕の気持ちに気付いてなのか、ばあちゃんはふっと優しく笑った。


「あれって、何だい? 何も見えないわよ」


 それは無理のある嘘にしか思えなかった。


「お風呂沸いたから入りなね」


 ”いくら聞かれても答えないよ”


 そんなふうに言われているような気がして、僕は何も言えなかった。

 言われた通り風呂に入り、布団に入り、なかなか寝付けなかったが気付けば朝になっていた。

 昨日の事が嘘だったかのように朝が来て、気付けば「またな太一」と大好きなじいちゃんの笑顔に見送られていた。横にいたばあちゃんもいつも通りの笑顔だった。


 気にはなったが、帰るまでに襖の中をもう一度見る事はなかった。

 あれはまだあの中にいるのだろうか。あれは何だったのだろうか。いつからいたのだろうか。

 忘れるしかない。そう思いながらも頭の中ではあの蠢く黒い球の記憶がこびりついて離れなかった。それでも時間が過ぎていくと段々と記憶は薄れていった。

 

 でも、忘れる事は結局できなかった。いや、忘れさせてくれなかった。黒い球を見てから三か月後の事だった。


「おばあちゃん、亡くなったって」


 母さんの言葉は一瞬にして僕をあの日の襖の中へと引き戻した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ