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地味な特急

 53年10月改正当時、東北本線や北陸本線は、485系電車や583系電車が行き交う特急街道であった。

 東北本線の「はつかり」や「ひばり」、北陸本線の「白鳥」に「雷鳥」などは、それら線区を代表する特急列車であったろう。12両から13両の長大編成、食堂車を組込み、食堂営業を行なっている。高い表定速度。いかにも国鉄特急然とした特急列車であった。


 線区を代表する華やかな特急もあれば、地味な特急もある。

 常磐線経由で上野ー青森を結ぶ特急「みちのく」は、全く同じ区間を走るにもかかわらず、寝台特急「ゆうづる」のもつ華やかさは感じられない。東北本線経由の「はつかり」の陰に隠れている印象である。

 しかしながら、距離が長く、一部単線区間がある常磐線経由にもかかわらず、上野ー青森を下り9時間2分、上り9時間5分で走破する。表定速度は下り83km/h、上り82.6km/hで、これは東北本線経由の「はつかり」と遜色ない。583系13両編成で、食堂車も連結され、食堂営業も行なっている。地味とはいえ、国鉄の特急らしい特急と言えるであろう。


 金沢ー新潟の「北越」も印象が薄い。

 特急「北越」は、昭和53年10月改正前は、大阪ー新潟間を結ぶ特急の列車名であった。それがエル特急「雷鳥」に吸収され、大都市圏とは無縁のローカル特急になった。

 とは言え、編成は「雷鳥」と同じ12両で、グリーン車が2両、食堂車も連結され、食堂営業もされていた。

 車両運用で言えば、大阪7時35分発「雷鳥3号」として14時54分に新潟に到着した編成が、上り「北越」として16時30分に新潟を折り返し、20時37分金沢着。翌朝7時43分金沢発下り「北越」で新潟11時47分着。折り返し「雷鳥28号」で大阪へ戻ると推定される。

 金沢ー新潟間の特急列車に、12両編成や2両のグリーン車や食堂車まで必要なのか疑問ではあるが、車両を遊ばせておくよりもという判断であったものと思われる。


 車両運用の余談ながら、北陸本線のエル特急「雷鳥」の運用に、583系電車が加わったのが、この昭和53年10月改正であった。北陸本線の583系運用は、その後、大阪ー新潟間の急行「きたぐに」へと移り、それが583系最後の定期運用列車となるわけであるが、「雷鳥」運用に入ったときに、折り返しの夜行運用にも活用すればよかったのにと思う。

 当時、大阪ー新潟間には寝台特急「つるぎ」が運転されていた。これに583系電車を使用すれば、新潟発着の「雷鳥」とペアを組んで、この電車本来の昼夜兼行運用が可能になる。大阪11時35分発「雷鳥13号」18時54分新潟着と、新潟13時30分発「雷鳥28号」20時57分大阪着とのペアなら、雪などによる多少の遅れにも対応できただろう。


 ところで、特急「北越」の位置づけは、地方都市と地方都市をつなぐ需要を満たすことにある。

 金沢から新潟に向かうのに、大阪からの「雷鳥3号」を待っていると、10時49分までない。それより前に金沢を発って、新潟にお昼までに着くには「北越」はうってつけとなる。

 このような列車は他にあってもよかったように思う。

 例えば、仙台。

 上野発の盛岡ゆき始発列車「やまびこ1号」が仙台を出るのは10時50分。青森ゆき「はつかり1号」なら11時50分と、ほぼ、お昼になる。

 仙台の人が朝から盛岡や青森に向かうのに、「北越」のような区間特急があれば喜ばれたのではないか。


 九州には「おおよど」という特急があった。博多と宮崎を結ぶ。

 経路が独特で、博多から鹿児島本線を南下し、八代から肥薩線に入り、人吉、吉松を経て、吉都線に入り、小林、都城を経て宮崎へ。

 下りは博多8時25分発、宮崎14時27分着。上りは宮崎16時42分発、博多22時50分着。

 これは、主要ルートの日豊本線経由エル特急「にちりん」より速い。

 例えば、下り「にちりん3号」は7時39分博多発、宮崎14時15分着。上り「にちりん16号」は16時10分宮崎発、博多22時46分着。下り「おおよど」は博多を46分後に出て、宮崎には12分後に着く。上り「おおよど」は宮崎を32分後に出て、博多に4分後に着く。

 この「おおよど」が、博多ー宮崎間のメインルートの特急として発展していれば、どうなっていたのだろう。

 と思うとともに、後年、「おおよど」が廃止されたとき、「嘘でしょ」と思った人が少なからずいたのではないかとも思う。

 地味な特急ではあったかもしれないが、隠れた実力派だった「おおよど」に、宮崎6時30分発、博多12時30分着や、博多17時発、宮崎23時着があれば、もっと喜ばれたかもしれない。


 寝台特急にも地味な列車があった。

 紀伊勝浦ゆき「紀伊」はその最右翼かもしれないが、個人的に地味だと感じる双璧が名古屋ー博多間の「金星」と上野ー盛岡間の「北星」。なぜ地味と感じるのかと言えば、運転区間が独自であるにもかかわらず、他の寝台特急に埋没しているから。


 寝台特急「金星」の位置づけは、名古屋はじめ東海地方と中国・九州を結ぶというより、東京と九州を新幹線乗継で結ぶことにあったと思われる。

 東京発の「さくら」などは、夕刻早くに東京を発つ。もう少し遅くまで仕事をしたい人たちにとって、「金星」なら最終の新幹線「ひかり」で追いかけて、名古屋で乗りかえることができる。

 当時の国鉄は、新幹線と在来線特急を乗り継ぐ場合、在来線特急・急行の特急料金・急行料金を半額にしていた。なので、大阪から青森まで特急「白鳥」や寝台特急「日本海」を利用する場合、新大阪から京都までの一駅間を新幹線利用にすれば、「白鳥」や「日本海」の特急料金が半額になり、大阪ー青森を通しで乗るより割安になるという裏ワザがあったりした。

 しかし、東京と下関・九州を結ぶ寝台特急には、この割引制度は例外的に適用外であった。

 そのため、東京ー九州間の寝台旅客が途中新幹線を使って時間短縮を図りたい場合、「金星」や関西発着の寝台特急に頼らざるを得なかった。


 そのような前提で設定されたと想定される「金星」ではあるが、ダイヤはもうちょっと工夫があってもよかったのではと思わなくもない。下り列車は名古屋を22時50分に発つ。東京からの寝台特急「富士」の4分前である。下関着は「金星」が9時5分、「富士」が9時9分で所要時間に変わりない。

 同じ寝台特急、当たり前といえばそこまでだが、「金星」は583系電車である。その気になれば、もっと速く走ることができたはずだ。

 東京発の寝台特急は「富士」の1時間前に「みずほ」が走っている。「金星」の足なら、「富士」の4分前に出発して「みずほ」の4分後に着くくらいは、なんてことなかったはずで、それなら博多に9時30分ぐらいに着くこともできた。


 上り列車の場合は、名古屋に早朝6時10分に着く。6時20分発の「こだま」に乗り継ぐダイヤであるが、「こだま」の東京着は9時ちょうどで、新大阪6時発の「ひかり」の9時10分着と大差ない。これなら、博多20時5分発の「明星2号」で新大阪まで行って、朝一番の「ひかり」に乗り継いだ方が、博多でゆっくりできる。

 むしろ、東京ゆき寝台特急の後に博多を出て、名古屋で朝一番の「ひかり」に乗り継ぐようなダイヤの方がよかったのではと思わなくもない。

 速度の優位性があれば、「金星」も、もっと輝く寝台特急であったのではないかと思われる。


 東北本線の「北星」は、下り上りいずれも、客車「ゆうづる」とダイヤが完全にかぶっていて、当時、それだけの夜行需要があったということなのであろう。

 上り列車の場合、北海道のダイヤ乱れが連絡船に及び、「ゆうづる」の遅れにつながることもあったろうから、ダイヤ通り動いてくれる「北星」には救われた旅客がいたのかもしれない。




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