グリーン車
令和の「のぞみ」はグリーン車を3両連結している。
東海道新幹線のグリーン車は昔から3両だったと思っていたから、時刻表昭和53年10月号の列車編成表をみて、「ひかり」のグリーン車が2両しかないことは意外であった。食堂車に1両取られるのだから、グリーン車を3両もつなげる余裕はなかったのかもしれないが、企業側からすれば、儲からない食堂車をつなげておくよりは、余計なお宝を払ってくれるグリーン車を増結した方が利幅が増えるはずなので、利益一辺倒ではなかった当時の日本国有鉄道の一側面だったのかもしれない。
ということで、今回のお題はグリーン車である。
なので、今回は列車編成表に焦点を当てる。
昭和53年当時の特急や急行のグリーン車は、端折って言えば、座席間の広い、リクライニングシートを装備した車両であった。新幹線0系のグリーン車のシートは、黄色であったように思う。落ち着いたというより、豪華絢爛をイメージした配色であったろうか。
新幹線の場合、5列シートが4列となるので、横幅があったが、在来線の場合、横幅にさしたる差異はない。こちらも、赤色に縦じまの入ったデザインで、落ち着いた雰囲気ではなかったように思う。
グリーン車は編成の中に1〜2両組み込まれている。
2両連結されているのは、それだけ追加料金を払ってもいい上客が多かった証左であろう。
東京から伊豆方面に向かう特急「あまぎ」と急行「伊豆」には2両連結されている。伊豆の温泉街への行楽客には、グレードの高い車両でゆきたいというニーズが多かったものと思われる。
東北本線の特急は1両であるが、上越線エル特急「とき」や特急「はくたか」、信越本線エル特急「あさま」、「白山」は2両連結である。おそらく客層が異なっていたのであろう。東北本線はビジネス客の比重が高く、上越線や信越本線は行楽客の比重が高かったため、であろうか。
中央本線のエル特急「あずさ」は12両編成の列車は2両連結し、9両編成の列車は1両連結していた。急行「アルプス」は2両連結である。
大阪と北陸を結ぶエル特急「雷鳥」は2両連結の列車と1両連結の列車が混在していたが、2両連結列車のほうが本数は多かった。名古屋と北陸を結ぶエル特急「しらさぎ」は全車2両連結であった。北陸の温泉街への旅行者が多かったためであろう。
個人的に意外な2両連結列車は、九州のエル特急「にちりん」である。
鹿児島本線のエル特急「有明」は1両連結なのに、旅客数のより少なかったはずの日豊本線の「にちりん」には2両連結の列車が3往復あった。宮崎はかつて新婚旅行で賑わったところ。沿線には別府もある。別途料金を払うお客が多かったということであろうか。
グリーン車を2両連結する列車には、他に北海道の特急「おおぞら」、山陰の特急「まつかぜ」があったが、これらは途中駅で編成を分割するため。似たような例は各地の急行列車でも見られた。
夜行列車にもグリーン車連結の列車は数多い。
寝台特急「はくつる」「ゆうづる」「金星」「なは」「明星」「彗星」にグリーン車が連結されていたのは、昼夜兼用の583系電車を使用していたから。昼間の特急にも使う車両なので、グリーン車は昼間の列車のためにあり、寝台特急としてはオマケのような扱いであったろう。
ただ、オマケと言いながら、料金はいいお値段である。
例えば「はくつる」「ゆうづる」を通しで乗ると、グリーン券に5,000円取られる。寝台券なら広々とした下段でも4,500円で済む。いくらリクライニングするとは言え、ゆったり横になれる寝台より座席車のほうが高いというのは、人気列車のきっぷの争奪戦に負けた人への罰ゲームのような趣がある。
なぜこんなことになるのかと言えば、寝台券が設備に対して一律に料金が課されるのに対して、グリーン券は距離で料金が可変するためだ。杓子定規な国鉄らしいとも言えるかもしれない。
夜行でも、多くの急行列車のように、さほど距離を乗らないのであれば、寝台券より安上がりで済むし、そもそも座席車しか連結していない列車なら、ゆったり座れるグリーン車には価値があったと思われる。
寝台特急「はくつる」「ゆうづる」について付言すれば、下り列車は宇都宮や水戸、平への最終列車代わりに利用することができた。上り列車は福島、郡山、宇都宮、平、水戸からの上野ゆき一番列車として利用することができた。グリーン車限定ながら、「ひばり」「ひたち」の代わりになったと言える。
グリーン車の自由席というのもあった。
普通列車のグリーン車の場合、今でも首都圏ではふつうに見られる。
昭和53年当時は、急行列車に自由席グリーン車があった。
東京ー静岡間の「東海」、名古屋ー大阪間の「比叡」、岡山ー鳥取間の「砂丘」、岡山ー米子間の「伯耆」、高松ー宇和島間の「うわじま」、博多ー熊本間の「ぎんなん」などである。
自由席グリーン券の料金はどの程度安かったのか、時刻表を見てみたが、それらしき記載がない。料金は指定席も自由席も変わらなかったと見える。
なぜに自由席にしていたのかはよくわからない。料金が変わらないなら、すべて指定席にしてなにか不都合があろうか。事前にグリーン券を持った人が定員以上に乗り込んできた場合、どんな扱いをしていたのであろう。
グリーン車の位置は、編成の中央にある。
わけではない。
時刻表53年10月号によれば、東北本線のエル特急「はつかり」の半分は、グリーン車位置が上野寄りの2号車にある。特急「あいづ」や常磐線エル特急「ひたち」の一部は、グリーン車位置が上野寄りの1号車にある。
では、グリーン車の位置はどこにあるのがいいのだろう。
1号車のように編成の端にあれば、他の車両から通り抜ける客の進入を防ぐことができる。
機関車が牽引する頃の特別急行列車「つばめ」の一等車は、編成最後尾の展望車であった。二等車はその前にあり、食堂車をはさんで編成後部を一、二等車で固めていたようだ。三等車は編成の前寄りにある。
その後、電車化されると、展望車はパーラーカーになったが、これも編成の端にあった。
ただ、困ったことがある。
食堂車が遠い。
エル特急「はつかり」の一部のように、2号車にグリーン車があって、7号車に食堂車があると、上客が食事のために延々移動を強いられる。
また、万が一、事故が起こったときに、前寄りの車両ほど被害の可能性が高いと思われる。「あいづ」や「ひたち」の一部は、下り列車の場合はグリーン車が最後尾になるが、上り列車は先頭車になる。
東北本線のエル特急「ひばり」や、北陸本線のエル特急「雷鳥」など、食堂車が営業する特急列車の多くは、編成の中ほどに、グリーン車と食堂車が並んで連結されていた。
グリーン車の客は、隣が食堂車だから、食事の移動は最短で済むのはいいが、グリーン車より先の普通車の客もグリーン車内をずかずか通ってゆく。中にはうるさい輩もいたろうし、食堂車でできあがった客が自席に戻るのにふらふらされたら、せっかくの落ち着いた雰囲気が台無しといったことがあったかもしれない。
最近は、着席サービスの充実とかで、私鉄各社で有料座席を設けるところが増えてきた。
JRでも中央線にグリーン車が連結されるようになり、関西の新快速にも有料座席が新設された。
昭和53年10月当時、普通列車のグリーン車は、関東の東海道本線、横須賀線に見られる他、関西の東海道本線、山陽本線の快速列車にもあった。関東の東北本線や高崎線、常磐線にグリーン車はなく、関西の京阪神にあったのが今との違いになる。
他は、地方線区の急行列車のなれの果てで、グリーン車つきの普通列車がいくつも走っていた。
山陰本線の急行「白兎」は京都ー福知山間では特急並みの停車駅と速度で駆けるが、鳥取以西は普通列車に成り下がる。普通列車になるからといって、グリーン車だけ外されることはない。
関東の東北本線や高崎線、常磐線にも、急行列車のなれの果てはあった。
例えば、常磐線の上野22時32分発497Mは、上り急行「ときわ14号」の折り返しで、グリーン車つきである。同じ常磐線の上野着7時31分454Mや8時49分着470Mも、折り返しでそれぞれ急行「もりおか1号」「ときわ5号」となる普通列車であるが、東京の朝のラッシュ時間帯に車端部にドアがある急行型車両では乗降がきつかったに違いない。別途700円払ってもゆっくりしたいという客が多かったのかどうか。当時の700円はいい値段である。
急行型車両の回送代わりに設定された普通列車に、グリーン車が連結されていただけではあるものの、中にはこれホントにグリーン代を取ってたの?と思う列車がある。
両毛線の621Mは新前橋を9時20分に出て、前橋に9時23分に着く。ただそれだけの列車である。おそらく折り返し急行「あかぎ4号」となって上野をめざすのであろうが、この3分のために700円を払う客は皆無であろう。折り返し急行のグリーン車内を汚されても困るという判断だったに違いない。この列車の座席は進行方向の逆向きだったのであろうか。
特急列車にもモノクラスが増えた今、ローカル急行にもしっかりグリーン車が連結されていた当時は、やはり鉄道に一定需要があった証左と言えるのかもしれない。




