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62 手配書

「……て、瀬川さん……!」


 どこからか自分の名前を呼ぶ声が聞こえて来た。

 けれど真紀は目を開けることができない。意識がふわふわとしていて、とても心地良い気分だった。


「瀬川さん!」


 今度ははっきりと聞こえた。


「お願いだから……目を覚ましてよぉ……」


 その声はとても悲しそうなもので、聞いていると胸が苦しくなってくるようだった。

 真紀はゆっくりと目を開ける。ぼんやりとした視界の中に、涙ぐむ莉愛の姿があった。


「樋口、さん?」


 名前を呼ぶと、莉愛はほっとした表情を浮かべる。


「よ、よかったぁ……ずっと目を覚まさないから、このまま死んじゃうのかと思ったじゃない……」


 莉愛は目元をごしごしと拭った。


「体はもう大丈夫?」


「あ、うん」


 頷きつつ、真紀はゆっくりと体を起こしていく。なんとなく全身がだるい気はするが、痛みはほとんど感じなかった。

 不思議に思いながら自分の体を見下ろしてみると、小さな擦り傷や打ち身がある程度で大きな傷は見当たらない。


「もしかして、魔法をかけてくれたの?」


 真紀が首を傾げると、莉愛は少し照れ臭そうに笑った。


「藤木さんみたいに、うまくできなかったけどね。私の力じゃ、完全に傷を治せるわけじゃないみたい」


「それだけでも充分だよ。みんなはどうしているの?」


 真紀は周囲を見回した。

 どうやらここは神殿の中の一室らしい。小さな部屋の中には真紀が寝ていたベッドの他に、テーブルや椅子などが置いてある。窓からは日の光が入っており、朝になっていることが伺えた。


「隆弘は私より先に目を覚ましてたわ。今のところあいつが一番元気ね」


「……蓮也とエリィは?」


「一応、意識は戻ったんだけど。まだ動ける状態じゃないみたい」


 莉愛は少し暗い表情で答える。

 真紀は心配になってベッドから降りようとするが、莉愛が慌てて止めてきた。


「ちょっと、まだ安静にしてなさい」


「でも蓮也が」


「あんたの弟ならしぶといから大丈夫よ。それに今は隆弘に見てもらっているから」


 真紀は仕方なく、再びベッドに横たわる。


(まさかアルベルトがあんなことをするなんて)


 真紀は天井を見上げながら考える。

 彼の目的は一体なんだったのだろうか。恵子をさらった理由もわからずじまいだし、これからどうすればいいのだろう。


「……ま、とにかくあんたが無事でよかったわ」


 そう言って莉愛はちょっとだけ微笑んだ。その笑顔から彼女の優しさが伝わってくる。


「ありがとう、樋口さん」


 真紀がお礼を言うと、莉愛は照れてしまったのか頬を赤らめてそっぽを向いた。

 それからしばらくの間、沈黙が続いた。何か話題を振った方がいいかなと思っていると、不意に廊下の方からバタバタという足音が聞こえてきた。


「もう、うるさいわね。何かしら?」


 莉愛がぼそりと呟くと、ドアが勢いよく開かれた。


「お前らやべえぞ!」


 隆弘が血相を変えて部屋に飛び込んで来た。


「は? いきなりどうしたのよ」


 訳もわからないながらも莉愛は聞き返すのだが、隆弘はやべーとしか言わない。彼はそのまま窓を開けると、そこから身を乗り出した。


「早くここから逃げるぞ!」


「もう、だからどういうことなのよ?」


「いいから早くしろって。このままここにいたらまずいんだよ!」


 何がまずいのかを説明する間も惜しんでいるらしく、隆弘はもだもだしている二人を急かすようにして窓から外へと引っ張り出した。


「ちょっと、何なのよ!」


 莉愛は抗議の声を上げるが隆弘はそれを無視して走っていく。

 真紀は寝間着に上着を引っかけただけの姿だし、荷物も最低限の物しか持っていない。それでも仕方なく彼の後に続いて足を動かしていると、ほどなくして武器を手にした神官や旅の戦士や魔法使いと思しき者たちが次々と追いかけてきた。


「やだ、なにあれ!?」


 莉愛が悲鳴を上げる。


「わかんねーけど、俺らのこと狙ってんだよ」


 そんなことを言い合いながら走っているうちに、真紀の足がもつれてしまう。危うく転びそうになったところを莉愛に支えられる。


「もう、しっかりしてよね」


「う、うん。ごめん」


 そのまま手を引かれるようにして、真紀たちは走り続けた。だが追手の数はどんどん増えていくばかりで、さらには前方からも別の集団が現れて道を塞ぐ。


「ちょっと、やばいんじゃない?」


「だからやべえって言ってんだろ!」


 隆弘は苛立った様子で叫ぶ。

 向こうは完全に殺気立っており、人数も多かった。こちらはまだ目を覚ましたばかりで本調子ではないし、そうでなくともこの数を相手にまともに戦えるとは思えなかった。


「と、とにかく馬車まで逃げましょう」


 三人はそのまま必死に足を動かし続ける。馬車は神殿のすぐ側に停めてあったので、そこまで行けば逃げられるはずだ。

 だが、そんな希望はすぐに打ち砕かれることになる。


「嘘、どうして?」


 真紀は愕然とした表情で呟く。馬車があるはずの場所に何もなかったのだ。


 嫌な予感が三人の頭をかすめていく。

 まさか、これまでこの旅について来てくれていた御者も自分たちを裏切ったのだろうか。だとすれば、もう逃げ場はどこにもない。


「まずいな」


 焦りを隠せずに隆弘は呟く。

 そうこうしている間にも追手が迫って来ていた。いっそのこと森の中へ逃げ込んでしまおうかとも考えるが、この辺りの地理には疎い上に迷ってしまう可能性もある。森に入ったところで、こちらの方が不利になることは目に見えていた。


「姉さん!」


 そこへ飛び出して来たのは蓮也だった。その後ろにはエリィもいる。二人ともまだ顔色が悪く、立っているのもつらそうな様子だった。


「蓮也! エリィ!」


 莉愛が二人の名前を呼ぶと、蓮也は安堵したような表情を浮かべる。だがすぐに険しい表情に戻ると、杖を振るって追手たちに魔法を放った。


「姉さん、無事?」


「私は平気よ。それよりあんたは大丈夫なの?」


「大丈夫じゃないよあちこち痛いしふらつくし。でも、そうも言ってられない状況でしょ」


 蓮也は再び魔法の構えを取ると、神官たちを威嚇するようにして睨み据えた。そちらがその気なら容赦はしないとばかりに、神官たちも負けじと武器を構える。

 一触即発の空気が辺りを包み込んだ。


「……みんな、ここは私とレンヤに任せて」


 鋭い眼差しでエリィは言うと、杖を高く掲げる。


「お願い、力を貸して!」


 エリィが叫ぶと同時に、どこからともなく巨大な影が現れた。それは三体の大きな黒い狼で、エリィは真紀たちの方を振り返ると、強く訴えるような口調で言った。


「この子たちに乗って逃げて!」


「そんな……私も一緒に戦うよ!」


 真紀がそう叫ぶが蓮也は静かに首を横に振った。


「いいから、姉さんたちは先に行ってて」


「でも……!」


「早く! このままじゃ全員捕まる!」


 その悲痛な叫びに、真紀は言葉を詰まらせた。


「とにかく行くぞ!」


「ま、待ってよ。蓮也たちが」


 真紀は隆弘を説得しようとするが、それより先に蓮也が再び杖を振るって神官たちに魔法を放った。


「お願い、行って!」


 彼の叫びに背中を押されるようにして、真紀たちは狼の背に飛び乗った。

 狼は大きく跳躍して森の中へと駆け込んでいく。ぐんぐんぐんぐん加速して、あまりのスピードに振り落とされそうになってしまう。


 背中にぎゅっとしがみつきながらしばらくの間耐えていると、やがて狼の足が止まった。

 どうやら森を抜けたらしく、真紀たちはゆっくりと地面に降り立った。そこは近くにあった町の外れで、周囲には民家らしき建物がまばらに見える。

 役目は追えたと言わんばかりに、エリィの召喚した狼はどこかへと姿を消してしまった。


「これからどうする?」


 隆弘の問いに、真紀は暗い表情で答えた。


「蓮也とエリィが心配だよ。なんとかあの二人を助けられたらいいんだけど」


 彼らは自分たちよりも深い傷を負っていた。目を覚ましたばかりで動くのもつらいだろうに、自分たちを守るために戦ってくれている。二人が心配でたまらなかった。


「あいつらなら大丈夫だろ。俺らより強いんだし」


「そ……そうかもしれないけど。二人ともぐったりしていたし、やっぱり今からでも助けに戻った方が……」


「ちょっとあんたたち、こ……これ、見てよ!」


 莉愛が何かを見つけたらしく、真紀の言葉を遮った。

 震える指で彼女が指さしていたのは、建物の壁に貼られた手配書だった。そこには真紀たち一行の似顔絵と、多額の懸賞金が記されてある。


「何よこれ」


 青ざめた顔で真紀は言う。

 隆弘も顔をしかめながら叫んだ。


「どうなってんだ、なんで俺らが手配されてんだよ!?」


 三人はすっかりパニックになってしまう。

 どうやら真紀たち一行は女神から授かった力を使い、英雄アルベルトの命を奪おうとしたとのことだ。当然それは女神へ対する裏切り行為であり、決して許されない大罪だ。


「だからあの人たち、私たちを捕まえようとしていたんだね」


 ようやくのことで合点がいったが、なぜ自分たちがこんな扱いをされねばならないのかはさっぱりわからない。


「冗談じゃないわよ! なんで私たちがこんな目に遭わなきゃならないわけ!?」


「これは誤解だって話せば、わかってもらえないかな?」


「もーなに能天気なこと言ってんのよ!」


 莉愛は苛々と声を荒げた。

 ここで騒いだところで事態が解決するわけではないが、それでも感情を爆発させずにはいられなかったのだろう。


「と……とにかく場所を変えようぜ。こんなところでぼやぼやしてるわけにはいかねーし」


 壁に貼られた手配書を破りながら、隆弘がそう提案してきた。真紀と莉愛もそれに同意する。


「そうだね。ここだと人目につくかもしれないし、どこか落ち着ける場所に移ろう」


 真紀は表情を引き締めるが、その時だった。


「お、おい! あいつらは」


 真紀たちの背後からそんな声が聞こえた。

 振り返ると、町の住民らしき数人がこちらを指さしているのが見える。相手は武器を持ってはいない様子だったが、それでも多勢に無勢であることに変わりはない。


「くそ、しょうがねえ」


 言いながら、隆弘は二人を庇うようにして立った。


「ちょっと、隆弘!?」


「ここは俺が食い止めるから、お前らは先に行け」


「あんたを置いて行けっての!?」


「早く行けって!」


「待って! そんなのダメだよ!」


 真紀も慌てて止めようとするが、隆弘は男たちに飛び掛かるのであった。彼は男たちと激しく組み合うと、派手な乱闘が始まった。


「隆弘!」


 莉愛が叫ぶが、隆弘はそれに答えようとしない。彼女はもどかしそうに唇をかんだ。


「樋口さん……」


 真紀は莉愛の手を掴んだ。

 隆弘を置いていくことに抵抗はあったが、それでもここで自分たちが捕まってしまったら元も子もない。


「わ……わかってるわよ……!」


 莉愛も真紀の手を強く握り返すと、その場から逃げ出すのであった。

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