11 神殿へ
馬車の旅はそれから順調に進み、夕方には小さな集落に到着した。女神の神殿のある町へはまだ少しかかるらしく、今日はここに泊ることになった。
「ねえ、どうして魔女は人間を苦しめるのかな」
食事を終え、宿の外を散歩しながら真紀は呟いた。彼女の周りをふわふわ飛びながらクレアは答える。
「それは、あいつにしかわからないことだよ。ずっと昔に倒された癖に何度も何度も復活するくらいだから、相当恨みがましい女だったんだろうね」
クレアの言葉に真紀は少しだけ不安になる。
「なんだか怖いな」
「大丈夫だって。女神様はおやさしー方だから、聖女だけじゃなくちゃんとお供であるあんた達にも加護を与えてくれているんだ」
「加護?」
「つまりピンチになった時に助けてくれる特別な力ってことだね」
「そうなの? でもそれって具体的にどんなもの?」
「そればっかりは自分で確かめてもらうしかないからなぁ。でもまあ、悪いもんじゃないと思うよ」
真紀は自分の手を見つめてみるが、特に変わったところはないようだ。
女神の加護というものが具体的にどういうものなのか想像もつかないけれど、とにかく自分に害をなすものではないらしい。
エリィに貰った杖によって身を守ることはできるものの、いつまた敵に襲われるかもわからない状況では心強い話である。
「あのさ、クレア」
その時真紀の頭に浮かんだのは、離れ離れになってしまった弟のことだった。
「女神様が私達に力を与えたってことは、もしかしたら蓮也にも?」
するとクレアは申し訳なさそうに首を左右させた。
「残念だけど……あいつは、女神様に選ばれた奴じゃない。女神様が力を与えたのは、聖女とそのお供三人だけだから」
「そんな」
真紀は胸の奥がきゅっと締め付けられるような感覚に陥った。
蓮也とは物心ついた頃からいつも一緒だった。小さい頃はよく喧嘩したけど、それでも仲のよい姉弟だったはずだ。
なのに突然いなくなってしまって、真紀はとても悲しかった。そして同時にとても心配だ。
(蓮也……無事でいて……)
真紀は空に向かって祈った。この世界のどこかにいるはずの弟に届くようにと。
「真紀」
そこへ恵子がやって来た。
彼女は穏やかに微笑みながら真紀の隣に並ぶ。
「どうかしたの?」
「ううん」
真紀は小さく首を振ると、再び水平線の方に視線を向ける。
「なんでもないよ。ただちょっと考え事してただけ」
「そう」
恵子もまた同じように夜空に目を向ける。
「星、綺麗だね。まるで宝石みたいだよ」
そういって恵子は静かに笑った。
「あ、そーだそういえばさ」
唐突にクレアが口を開く。
「マキとケイコは前の世界にいた頃から仲良かったんだろ。けどリアやタカヒロとはどうなのさ」
その質問に二人は顔を見合わせる。
どうと言われても返答に困ってしまう。
前の世界にいた頃、あの二人はよく真紀と恵子を馬鹿にするような態度を取って来ていた。莉愛はクラスの女王様みたいなものだったし、隆弘の方も周囲に対して横柄な態度を取ることが多かったのだ。
「正直、あまり好きではない相手だったよ。向こうもきっと同じだと思う」
真紀はそう答え、恵子もそれに同意する。
「そうだね。私もちょっと苦手だったな」
恵子は少しだけ困った顔をしている。
「でもね、香坂くんは思ったよりも優しい人だったのかも。こっちに来てから、私のことをすごく心配してくれているんだ。喋り方も前より柔らかくなった気がするし」
恵子がぽつりと零した言葉に、真紀は確かにと思い返す。
隆弘は傲慢で意地悪な男だったはずだが、どういうわけか今の彼は恵子に対して気遣いの言葉をかけていることが多いように思える。
彼はもっと自己中心的な性格だと思っていたから、恵子に対する接し方が軟化したのは少し意外だった。
「あ……でも樋口さんからしたら、そういうのはあまりいい気分はしないかも」
「ん、どういうことさ?」
クレアが不思議そうな声を出したので、真紀はそれに答えてやった。
「二人は幼馴染なんだって。付き合っているって話だよ」
言いながら、真紀は普段の二人の様子を思い出す。
考えてみれば莉愛はいつも隆弘と行動を共にしていた。あのお祭りの夜にも二人一緒にまわっていたし、相当仲が良いのだろう。
「へー、あいつらって恋人同士なんだ。まあお似合いなんじゃない? どっちも見た目だけは悪くないし」
クレアは心底どうでもよさそうに呟いた。
「リアは嫉妬深そうだからねぇ。自分が一番じゃなきゃ気が済まないタイプだろうし、ケイコも気を付けた方が良いかもね」
からかうような口調でクレアが言うものだから、恵子は困ったような表情を浮かべた。
実際に莉愛は高圧的でわがままな性格をしており、ちょっとしたことで不機嫌になる。
彼女は美人で家も金持ちだから、昔から周りにちやほやされて育ってきたのだろうと真紀は勝手に推測していた。
よく隆弘が彼女に振り回されている姿を目にして、少しだけ同情したこともある。
とは言え隆弘は隆弘で嫌味っぽい言動の目立つ性格だし、鼻持ちならない奴だという印象も持っている。そう考えると、やはり二人はお似合いのカップルなのかもしれない。
旅は順調に進み、それから数日ほどで女神の神殿があるという町に到着した。
けれど一行は目の前に広がる光景を見て唖然とした。
「なに、これ」
町は凄惨な有様だった。建物は崩れかけていて、あちこちに怪我人の姿が見える。道には瓦礫が散乱し、血の跡のようなものまで見える。
「やだ……何があったんだろう」
真紀が呆然と呟いた。
他の皆も同じ気持ちらしく、何も言わずに黙り込んでいる。
「早く降りようぜ」
隆弘が馬車から降りて足早に歩き出す。本来なら活気に満ちていたのであろう町は、今はとても重苦しい雰囲気に包まれている。
「おや……あなた方はもしや、旅の方ですかな?」
町の入り口で一人の老人が声をかけてきた。この町の長だと自己紹介をしたその人は、穏やかな笑みを浮かべて一行を歓迎してくれた。
「一体何があったんですか?」
恵子が尋ねると町長は困ったように眉を下げた。
「昨夜、この町に魔物が現れましてな……我々もなんとか撃退しようとしたのですが、あまりの凶暴さにこの有様です」
一行はその言葉にぎょっとしてしまう。
顔を真っ青にしてしまう真紀達に、町長は慌てて言葉を紡ぐ。
「ご安心ください。幸いなことに昨夜は旅の魔法使い様が居合わせてくださって、魔物を追い払って下さったのですよ。おかげで被害は最小限に抑えることができました」
「そうなんですね……よかった」
恵子はほっ胸を撫で下ろすが、すぐにまた不安そうに辺りを見回す。
「でもどうして、この町に魔物が?」
「町の衆が話しているのを聞いたのだが、どうやら魔女の影が現れたそうです。奴は闇の中から魔物達を呼び出すとすぐに消えていったとのことですが」
まさかこんなところにも現れるとは……と、町長は沈痛な面持ちで言う。
「魔女の……影……」
恵子は青ざめた顔でそう繰り返す。
「ま、しょうがないよ。あいつはいつどこに現れるのかはわからないんだ。突然出てきては、災厄を振り撒いて帰っていく存在だからね」
特に動じた様子もなくクレアが淡々と言う。
恵子はショックを隠せないようで両手で口を押さえる。隆弘も顔をしかめて拳を握っており、莉愛は暗い顔をして震えている。
「おや……あなた方の連れているのは、もしや妖精では?」
その時、町長がクレアの姿に気づいて驚いたような表情になった。
「これはまた珍しい。妖精は女神様に仕える聖なる生き物……妖精を連れ歩いているなんて、あなた方は一体?」
「ええと、実は――」
「あたし達は聖女様一行だよ!」
真紀の言葉を遮るようにクレアが元気よく答える。彼女は得意げな顔をしながら恵子の肩の上に飛び乗った。
「そしてこの子が、選ばれし聖女様だよ!」
町長は目を丸くしてしまい、周囲の人々もどよめき始めた。
突然注目された恵子は緊張しながら一歩前に出る。
聖女というのは特別な存在なのだと聞いていたが、本当に人々の注目を集めるものらしい。恵子は少し不安そうな顔をしながらも、しっかりとした口調で挨拶をする。
「はい。私が、女神様に選ばれた者です」
そう言って恵子は袖を捲ると、腕に浮かび上がった紋章を見せる。すると周囲はさらにざわついた。
「おお、なんと美しい」
「あれが聖女の証か」
人々は口々に感嘆の声を上げる。
「なんと……生きている内に聖女様にお会いできるとは夢にも思っていませんでした」
老人は深々とお辞儀をすると、恵子も慌てて頭を下げる。
「この町に、女神様の神殿があると聞いて来ました」
「はい。ございますとも。聖女様においで頂けるとは、光栄の至り」
「案内してくれませんか? そこで女神様に祈りを捧げたいのです」
「もちろんでございます」
老人は恭しく礼をした。
「あ……でも、町がこんな状況だし……何か私達にできることはありませんか?」
恵子が遠慮がちに申し出るが、町長は首を横に振った。
「とんでもない! 聖女様にそのようなことはさせられませぬ。幸い死者は出ませんでしたし、今は負傷者の手当てをしています。どうかご安心ください」
「怪我人がいるのなら、私も手伝います。私は癒しの力を持っていますから、きっと皆さんのお役に立てると思います」
「それはありがたきことですが、しかしあなた様は女神様に選ばれしお方……そのお力を無駄遣いさせるわけにはいきませぬ。まずは神殿へ行っていただき、それからゆっくりと休息を取って下さい。我々は大丈夫でございますから」
町長は恵子の気遣いをやんわりと断り、神殿へ向かうよう促してきた。恵子もそれ以上は何も言えず、ただ申し訳なさそうに頷いた。
それから一行は町の者に案内されて女神の神殿へと向かった。
この町で一番高い丘の上に、その建物はあった。白い大理石でできた美しい建造物が、青空の下に聳え立っている。周囲には色とりどりの花々が咲き誇っており、まるでおとぎ話の世界のようだ。
一行はその建物に圧倒されながら、女神の神殿へと入っていく。
神殿の内部は外観と同じく白を基調とした内装で統一されており、天井にはステンドグラスがはめ込まれている。壁には女神の絵が描かれていて、その前で人々が熱心に祈っている。
「魔物に襲われたと聞いていたけれど、この神殿は無事だったみたいだね」
真紀はほっとした様子で呟く。
「そうだね。でも、町の人達にとっては辛い出来事だったと思う」
恵子はそう言って悲しげに俯いた。
「どうでもいいからさっさと用事を済ませましょう」
莉愛はどこか不機嫌そうな顔のまま言う。
確かにぼやぼやしていても仕方ないと思い、一同は神殿の奥へと向かおうとした。
「きゃーっ!」
突然甲高い悲鳴が聞こえてきた。
そして神殿の入り口の方からバタバタという足音が近付いてくる。何事かと思っていると、一人の女性が息を切らして駆け込んできた。
「魔物が……魔物が現れたわ!」
女性は真っ青な顔をしながら叫ぶように言った。
一行が急いで外に出てみると、そこには真っ黒な狼のような獣が二匹いる。
そして、その獣を従わせている人物がいた。
「あ……あいつは……」
隆弘が険しい表情になる。
そこに、あの女の姿があった。まるで闇そのもののようだった。黒いドレスを身にまとい、長く伸ばした黒髪が風に揺れている。
彼女はこちらを見ると、妖艶な笑みを浮かべた。
途端に真紀達をぞっとするような寒気が襲う。
それは以前も襲い掛かって来たあの女――魔女の影と呼ばれている存在であった。




