其の十九 最期
再び地下。
地上に映し出されている映像は偽りではなかった。獰猛な巨大蛇に追われながら、戦士達が逃げ惑っていた。
彼らが相手をするのはあくまで現人、もしくは大型の獣である。目の前の生物は規定外であり、全くの未体験ゾーンだった。ただ捕食物らしく、逃げ惑うのみだった。
ナニワ、デコ、ボナも同様。始めは三人一緒に固まっていたものの、蛇の動きや人の動きに流されるように、いつのまにかバラバラに散らばっていた。
その中、蛇の動きに関係なく走り回る影がひとつ。
「ボナ! ボナァ!!」
アデムが、息子ボナの名を叫びながら探していた。
薄暗い空間の中。必死に目をこらして息子の影を追う。
そして
「! ボナ !!」
さほど時間もかからず、その姿をある土山の後ろに捉えることができた。
アデムは一直線に駆け出した。
「 !! 父ちゃん !!」
ボナも父の姿を見つけ、驚きと歓喜の混じる声を上げる。アデムはほっと胸を撫で下ろした。
それと同時に、ボナを後ろから抱きかかえる人の存在を確認した。
母ニミナ。彼女が固い表情でアデムを睨みつけていた。
「「……………」」
無言で視線をつき合わせる両者。ボナが心配そうにその様子を見守っていた。
やがて、アデムが口を開いた。
「……現人達の討伐も、ボナの行動の理由を問いだすのも、後回しだ。今はとにかく、あれをなんとかせねば」
アデムが暴れ狂うクビノスを遠くに眺める。
「なんとかしようにも、どうしろと………?」
「………倒すしかあるまい」
アデムが立ち上がり、二メートル超の斧を、ブォンと大きな音を立てて振り回す。
逃げるばかりでは、犠牲者が出るのは時間の問題だった。目の前の巨大生物を前に、全員が逃げ出せるとは思えなかった。
何より、身近な所に人食い生物が存在するという事実に目を背けるわけにはいかなかった。いつ村を襲うかも分からない以上、ここで討伐するべきだと思った。
「む、無茶です! 人の力でどうにかできるものではありません! ここは逃げましょう!」
それを聞いて、アデムがフンと鼻で笑う。
「何を心配することがある。すでに夫婦の縁を切った赤の他人だ。むしろ、俺が死んだほうが、都合がいいんじゃないのか?」
「なっ…… !!」
ニミナの声が詰まる。
その戸惑う様子を後目に、アデムは言う。
「……しかし、犬死にはしない」
強い眼差しで言い放つ。
命をかける覚悟は、すでに決めていた。
そして、ボナの頭に分厚く大きな手を置いた。
優しく撫でて、微笑んだ。
「あの怪物を前に、よく泣かなかったな。さすが俺の子だ」
「…………父ちゃん…… !!」
それを聞いて、ボナの目頭に、熱いものがこみ上げた。
寡黙で、厳格で、威圧的だった父。子の頭を撫でることなど、数えるほどしかなかった。
だから、その振る舞いが、
父の最期を予感させるには十分だった。
そして、彼は再び、目の前で暴れる大蛇を見据えた。
「俺がアイツを倒す。ニミナ……後は任せた……!」
その手を離し、父は駆け出した。
ボナがその後を追い始めるが、ニミナが抱き抱えてそれを止める。
「父ちゃん! 父ちゃぁぁぁぁぁんん !!」
必死に泣き叫ぶボナ。ニミナは奥歯を噛みしめて、辛く眉をひそめながら、元夫の駆け出す先を見つめた。
それとは別の場所で、イジムもその様子を見つけていた。
「………アデム………!」
苦悶の表情を浮かべるイジム。
全員が助かるには、村人を守るには立ち向かうしかないと彼も理解していた。
しかし、彼を含める戦士全員が、それを成す力が無かった。一蹴されて終わることは目に見えていた。
唯一、大蛇を倒す可能性があるとすれば、村一番の戦闘力を誇るアデム。ただ一人である。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお !!」
雄たけびを上げて大斧を振るうアデム。
しかし、その長さは蛇の胴体の半分にも満たない。しかも、クビノスの敏感な嗅覚により、近づいた人間の位置は瞬く間に把握される。いとも簡単に攻撃は避けられ、その巨大な口がアデムに迫る。
アデムは強く地面を蹴りだし、間一髪それを避ける。再び攻撃を仕掛けようとするが、蛇の動きはあまりにも大きく、速すぎた。避けるのに精一杯で、斧を振るうことさえできない。
しばらく呆然と眺める戦士達。
その時。
「何をしておる! 援護じゃ !! 奴を死なせるな!」
イジムが叫ぶと同時に、両斧を構えてクビノスに向かって駆け出した。それに続き、一歩遅れながらも、他の戦士達も雄たけびをあげながら、武器を構えて突撃する。
保守派も過激派も関係なく、彼らは一団となって、立ち向かった。
目の前で勇敢に立ち向かう戦士を目にして、誰もが心を奮わせた。
ニミナも同様。弓をたがえて、キリリと音を立てて蔓を引っ張る。
「死んだほうが、都合がいいですって………?」
弓矢の先を、クビノスに向ける。
彼女の本音と共に
「そんなわけ、ないでしょ !!」
ビュンと、ほぼ直線の弧を描いて、弓矢がクビノスの皮膚に突き刺さった。
しかし、少し体を揺するだけで、それはポロリと地面に落ちた。かすり傷にしかならない。
それでもニミナはあきらめず、何度も弓矢を飛ばし続けた。
その横で、ボナが戦士達の戦う様子を見る。
幾多の戦士達が立ち向かい、幾度となぎ倒されては立ち向かっていく。致命傷ギリギリのところでかわしては、かすり傷にさえならないダメージを与えていく。さながら象に立ち向かう蟻のようだった。
ボナは父の様子を必死に目で追う。
彼は自分の無力を呪う。いますぐにでも、父の元へ駆け出したかった。
(オイラに力があれば、父ちゃん達の助けになれるのに………こんな想い。しなくていいのに…………!)
ボナが悔しそうに、拳を固く握り締める。
久しぶりに再会したのに、もう逢えなくなるなど。父の死ぬ姿を見るなど。
それを考えるだけで、胸が張り裂けそうだった。
父の強さを信頼していたボナだが、目の前の現実を見れば、その幻想は砕け散る。
不安しか残らない。じっと待つことが耐えられなかった。
その時である。
アデムが間一髪、クビノスの尾のムチから逃れた拍子、
尾の先が腰みのをかすめて、ぶらさがっていた何かが落ちるのを見た。
(あれは……!!)
それは拙い作りの、草編み人形。
紐がちぎれて、地面に落ちる。アデムは全く気づかない。
次の瞬間。弾かれるように、ボナがその人形に向かって駆け出した。
「ボナ!」
ニミナが叫ぶ。人形が落ちた場所はすでに安全圏とはほど遠い。にもかかわらず、ボナは必死に駆ける。
一歩遅れて、ニミナが後を追う。
「ボナ! 何やっとんのや! 戻れ !!」
遠巻きに見ていたナニワもそれに気づき、叫ぶ。その声に反応して、アデムやイジム。その他戦士もボナの存在に気付いた。
ボナが人形の元に到達すると、大事そうに人形を抱えた。
しかし、その時。
クビノスの鋭い視線がボナを捉えていた。
「 !! ボナ! 危ない !!」
デコが叫ぶ。
ボナが数秒遅れて気づく。
しかし、あまりの恐怖に、身動きひとつできなかった。
クビノスは大きな口を開けてボナに襲い掛かる。
「!! 危ない……!!」
ニミナは助けようと全力で駆けた。
しかし、無情にも。
クビノスの太く大きな胴体が彼女に激突。勢いよく吹き飛ばされた。
「がっ……はぁ !!」
地面に乱暴に叩きつけられる。肺の中の空気が勢い良く吐き出されるのを感じた。
苦痛に顔を歪めるも、彼女は急いで体勢を立て直し、再び助けようとボナに視線を向ける。
しかし、
その選択は間違っていた。
あまりにもむごく、悲惨な映像を、一生、網膜に焼きつかせることになるからだ。
ゆっくりと流れる映像。はっきりと、目も背けられないほど、それは突然飛びこんだ。
クビノスの大きな開かれた口が、ボナの目の前に差し掛かり、
そして、
ボナのいたその空間が丸ごと、クビノスの捕食によって、削り取られた。
「……………っ !!」
だれもが凍りつく。
先神ヨミと、悠然と構える巨大蛇クビノスを除いて。
顔面蒼白。目を疑った。
クビノスの胴体にできたくぼみが、ゴクリと音を立ててゆがむ。
何事もなかったかのように、当然のように、悪意も何もなく。
蛇にとっては、ただの捕食。
「………ボナ………」
ポツリと一言。アデムがつぶやく。
届かないと分かっても、
「ボナァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ !!」
巨大な空間に絶叫がこだました。
冷徹な目をむける予言者。
呆然と立ち尽くす戦士達。
あざ笑うかのようにたたずむ怪物。
悪戯めいた真紅の少年と、それに立ち向かう一人の冒険者。
そして、地獄の十分間が始まる。