【14】逃げ場のないワルツと、赤い蝋印の手紙 〜なお、移動は三拍子でお願いします〜
そして翌日。
久しぶりに、ダンスレッスンが再開された。
場所はもちろん、イレイナの荘厳な館――
その本館に連なる、あのダンスホールだ。
高い天井。
磨き上げられた床。
鏡張りの壁に映る、現実。
入念にストレッチを始めているロクシーを尻目に、ルチアーノは、ふらりとイレイナの元へ近づいた。
一歩。
また一歩。
その足取りは、普段の尊大さとは程遠い。
「……イレイナ……!」
声が、わずかに震える。
「いくらでも払う……!
俺様を、あの写真通りにしてくれ……!
舞踏会の間だけでいい……!
頼む……!」
必死だった。
息は浅く、目には焦りが滲んでいる。
だが――
イレイナは、一切の間も置かず、答えた。
「無理ね」
あまりにも即答だった。
「……な……」
言葉を失うルチアーノに、イレイナの鋭い視線が、まっすぐ突き刺さる。
「あのね。
少し、頭を使いなさい」
静かな声。
だからこそ、逃げ場がない。
「今のあんたを、
“大天使ルシアン並み”に仕上げられる魔女は――
この地球上で、私しかいない」
一拍。
「で、もし私が手を貸したら?
何が起きると思う?」
答えを待たず、続ける。
「あんたの父親に、“私が噛んでいる”って即座にバレるわ」
さらに、容赦なく。
「そうなったらどうなる?
アンジュの舞踏会での、“最高に美しい瞬間”を撮影できなくなる」
口元が、わずかに歪む。
「……つまり、私の先行投資が、全部パーになるの」
ルチアーノの喉が、ひくりと鳴った。
だが――
それでも、引き下がれなかった。
「じゃあ……!
せめて運動神経とか……!
痩せるだけでも……!」
一瞬だけ、希望が浮かぶ。
――それなら通るかもしれない。
しかし――
「それも無理ね」
希望は、即座に切り捨てられた。
「……な、なぜですか……?」
声が、掠れる。
イレイナは、呆れたように一瞥する。
「それをしたら、あんたの父親は“どこかの魔術師に頼んだ”と思うわよ」
冷静に、断言。
「あの人はね。
誰よりも、あんたを知っている」
視線が、逃げ道を塞ぐ。
「……でしょ?」
反論は、出来なかった。
ルチアーノの目に、じわりと涙が滲む。
その瞬間――
「ルチアーノ」
ロクシーの声が、鋭く響いた。
感情は、ない。
ただの指示。
「早くストレッチを始めて」
それは命令であり、現実への引き戻しだった。
地獄は終わっていない。
――まだ、始まったばかりなのだから。
そうして――
ルチアーノとロクシーが踊るのは、前回と同じく、
ワルツの定番中の定番――
ヨハン・シュトラウス2世の『美しく青きドナウ』。
音楽が流れ、ホールドを組んだ、その3分後。
「……おじさん。
だからステップが逆だって言ってるでしょ」
ロクシーの低い声が、ダンスホールに落ちる。
「右足が前。
何度、最初から説明すれば分かるの?」
技術的で、冷静。
だが、逃げ場はない。
必死に立て直そうとするルチアーノ。
だが――5分後。
「……重たい」
ロクシーは、はっきりと言い切った。
「あんた、何キロ走って、何キロ泳いだの?
それで、その身体の“重さ”は何?」
一拍。
「ワルツは、力じゃない。
流れ。
呼吸。
それが分からないなら、定義から講義しようか?」
理屈で削られ、心が先に折れ始める。
そして、さらに3分後――
「だーかーらー!ステップが逆!!」
ついに、怒号が響き渡る。
「何度も言わせるな!
次、間違えたら――
一回につき、一万ドル払ってもらうからね」
冗談ではない。
完全に、本気だ。
ルチアーノは、へなへなとその場に座り込んだ。
その姿を見て、アンジュが明るく声を掛ける。
「ルチアーノ、どうした?
そんなに難しいステップではないぞ?」
すっと歩み寄り、にこりと微笑む。
「では、私が教えよう」
その瞬間。
ルチアーノの表情が、ぱっと明るくなった。
呼吸が、ほんの少し整う。
「……アンジュちゃん……ありがとう……!」
本気で、救われたと思った。
だが――
「ルシアンよ、来い!」
アンジュの、その一言で。
希望は、粉々に砕け散った。
「はい。アンジュさま」
静かに現れるルシアン。
アンジュは高らかに告げる。
「ルチアーノが困っておる!
お手本を見せるぞ!」
ルシアンは胸に手を当て、真剣に応える。
「……御意……!」
そして始まった、
アンジュとルシアンの『美しく青きドナウ』。
三拍子に合わせ、
自然にホールドを組み、
回転しながら、なめらかにフロアを移動する。
無理がない。
力みがない。
呼吸すら、音楽と一致している。
見ているだけで、胸の奥が高鳴るような高揚感。
――同じ曲。
――同じ空間。
なのに。
ルチアーノには、二人がまるで別の世界にいるように見えた。
アンジュは、羽根でも生えているかのように軽やかに。
ルシアンは、力強く、それでいてどこまでも優雅に。
流れる旋律と一体になり、
まるでドナウ川の流れそのものが、形を持ったかのようなダンス。
イレイナは、水晶玉越しに、その一瞬一瞬を逃さず記録している。
曲が終わる。
ルシアンは、息一つ乱さずアンジュの隣に立ち、
アンジュは、満足そうににっこりと微笑んだ。
「ルチアーノよ!
どうだ? 参考になったか?」
――ビシッ。
――ビシッ。
――ビシッ。
魂に、確実なヒビが入る音。
そこへ。
ロクシーが、逃げ場を断つように、ルチアーノの肩をがっちり掴んだ。
耳元で、低く告げる。
「あれが完成形」
一拍。
「舞踏会は、遊びじゃない」
指に、力が込められる。
「世界中が見る。
失敗は、そのまま“評価”になる」
そして、最後の宣告。
「立て。踊れ」
何十回、踊っただろう。
もう回数は分からない。
『美しく青きドナウ』の旋律だけが、身体の奥に染みついて、耳から離れない。
音楽が止まっても、足が勝手に三拍子を刻む。
休んでいるはずなのに、身体はまだ踊っていた。
あの後――
ルチアーノの罰金は、雪だるま式に増えていった。
そしてロクシーの眼は、もはや24歳のそれではない。
冷静で、計算高く、感情を一切含まない――
イレイナすら思わせる、鋭さを帯びていた。
しかも、その視線には――
はっきりと“ドル”の記号が浮かんでいる。
冗談ではない。
すべてが、正確に換算されている。
逃げ場は、無かった。
そしてディナーの後――
(ルチアーノだけは、相変わらずダイエット食だが)
ロクシーが、何でもないことのように言った。
「ルチアーノ。
今日からヴィラ内の移動は、全部ワルツのステップでしてね」
――地獄。
正真正銘の、地獄だった。
しかも、追い打ちのようにアンジュが声を弾ませる。
「それは楽しいな!」
そう言うや否や、アンジュは自ら、軽やかなステップでメインリビングを移動し始めた。
その動きは、あまりにも自然で、あまりにも美しい。
地獄オブ地獄。
さらに、アンジュは楽しそうに言う。
「ルシアンよ!
お前も、ステップで移動してみろ!」
「御意」
ルシアンは一切迷うことなく、真顔でワルツのステップを踏み始めた。
本来なら滑稽なはずだ。
だが――
なぜか、ルシアンは格好いい。
姿勢。重心。
一切の無駄がない。
キャッキャと笑うアンジュに合わせて、自然にステップを揃えるルシアン。
まるで――
王族の遊びだった。
その輪に、何の違和感もなく混ざれるロクシーの身体能力。
そして――
その光景を、輪の外から見ている者が一人。
感傷に浸ることすら許されない。
ロクシーから放たれる、絶対零度の視線。
“ドル”の記号を宿したまま、確実にこちらを捉えている。
そうして――
ルチアーノは競歩をし、バタフライを泳ぎ、筋肉トレーニングを続けた。
隣には、いつもルシアンがいた。
そして――
ダンスの練習も、終わらなかった。
ある日の午後。
音楽が止み、ステップも止み、息だけが残った、その瞬間。
深紅のシルクに包まれた封筒が、静かに運び込まれる。
赤い蝋印。
地獄から、
ルチアーノ宛ての――
手紙だった。
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