【13】努力を楽しもうとしただけなのに、宇宙に消えました。〜香水の名は伊達じゃない〜
そうして――
ルチアーノとルシアンは、協力し合い、香水作りを始めた。
逃げるためではない。
努力を“最大限に引き出す”ためだ。
ただ頑張るだけでは足りない。
努力を、楽しめなければ――
自分という存在は、最後まで走り切れない。
それを、ルチアーノは知っていた。
ヴィラの部屋で事を起こせば、ロクシーの目を誤魔化すことは不可能だ。
時間。
動線。
心拍数。
疲労の残り方。
あの脚本家は、それらすべてを把握している。
ならば選択肢は一つ――
“日常の延長”にしか見えない場所。
トレーニングルームの、シャワールーム。
監視カメラは出入り口のみ。
滞在理由は、誰が見ても自然。
ルチアーノは、こっそり支配人に交渉し、
シャワールームの一室を貸し切る了承を取り付けた。
そして――
地獄の側近である悪魔たちに器具を運ばせ、狭い空間を、即席の調香実験場へと作り替える。
完成したシャワールームを見て、無表情のルシアンが、ほんのわずかに目を見張った。
「無駄な空間が存在しない。
……ルチアーノ、君はやはり香水の調香に秀でている」
ルチアーノは、フフッと余裕の笑みを浮かべる。
「ズッ友よ……俺様のことは、
“香水の魔術師”と呼んでくれて構わない」
胸を張り、宣言した。
「さあ――ここからだ!」
それから。
ルチアーノは、頑張った。
競歩では、ロクシーの設定したタイムを一秒も落とさぬよう、歯を食いしばり、時計と呼吸だけを見つめて歩き続けた。
水泳では、ルシアンの指示を受け、クロールから、より負荷の高いバタフライへと切り替えた。
筋肉トレーニングも、ロクシーのメニューを一つ残らず、やり通した。
そして――
許された、ほんの僅かなシャワータイムを、すべて香水作りに費やした。
ルシアンも、常に併走していた。
競歩も。
水泳も。
筋肉トレーニングも。
何も言わず、当たり前のように、毎回、隣にいた。
やがて――
調香台の上で、一本のボトルが静かに置かれる。
ルチアーノは、その完成を確信し、小さく息を吐いた。
「……出来たな」
ルシアンが頷く。
「ああ。完成だ」
新作香水――
『コスモより無限大、ブラックホールよ、どんと来い!
――俺様とズッ友の初恋、ブリリアントなステップカット――』
それは、努力を“楽しむ”ために生まれた、悪魔と天使の、秘密兵器だった。
そうして、ルチアーノはウキウキした気持ちを必死に押し殺し、ルシアンと共にヴィラへ戻った。
香水を付けたいーー!
今すぐ付けたいーー!!
だが、今は絶対に無理……!
明日の筋力トレーニングの後ならどうだ?
そのあとシャワーで流せば、ロクシー先生にも気づかれないはずだ。
そう確信した、その瞬間――
カチ。
暗闇だったメインリビングの照明が、一斉に灯った。
そこにいたのは、ソファに腰掛けたロクシーと、少し眠たそうに瞬きをするアンジュ。
アンジュは二人を見ると、何の疑いもなく、美しく微笑んだ。
「二人とも、お疲れ様!
今日も、よく頑張っているな!」
その声は、どこまでも澄んでいる。
「ロクシーから聞いたぞ。
ルチアーノが、私にサプライズをしてくれると!」
ルシアンは、一瞬だけルチアーノを見た。
そして――迷いなく、その場に跪く。
「アンジュさま。恐れ入ります」
ルチアーノは、状況が理解できず、ただ呆然とロクシーを見ていた。
ロクシーの口元が、ゆっくりと吊り上がる。
「……私が」
一拍。
「あんたのしてることに、気づかないとでも思ってた?」
絶対零度の視線。
ルチアーノの顔から、血の気が引く。
「……ま、まさか……!」
「あんたがダイエットメニューを、完璧にこなしてたから、
“今までは”見逃してあげてただけ」
「……ヒィ……ッ……!」
声にならない悲鳴を上げるルチアーノ。
その横で、アンジュがソファから立ち上がった。
「ルチアーノ。
私も分かっておるぞ!」
一歩、近づく。
「サプライズと言えば――
あの父親からの招待状の写真を、見せてくれるのであろう?」
ルチアーノは、反射的に一歩下がり、そして、叫んだ。
「ち、違う!!
アンジュちゃん!!
写真じゃなくて、こっちだ!!」
胸元に手を伸ばし、取り出したのは――
毒々しい色彩でギラつく、香水の瓶。
「俺様のダイエット成功の鍵が、
ついに完成したんだ……!!」
アンジュは、興味深そうに瓶を覗き込む。
「ほう……?これは……?」
――その瞬間。
ルシアンが、音もなく動いた。
(アンジュさまは、今は人の身――
未知の香料は、危険物……)
判断は、0.3秒にも満たない。
次の瞬間。
香水の瓶は――
粒子レベルで分解され、
中身ごと、まるで吸い込まれるように消失した。
宇宙の彼方へ。
――香水の名の通りに。
一瞬。
何が起きたのか、ルチアーノの脳が理解するまで、ほんの一拍の空白があった。
そして。
膝から、崩れ落ちる。
「……な、なんで……?」
かすれた声。
そこへ、容赦なく落ちる、ロクシーの軍師の声。
「目、覚めた?」
感情はない。
ただ、事実だけ。
「あんたの香水は、ダイエットには役に立たない」
一拍。
「理由は簡単。
それは“依存を生む”」
さらに、冷たく言い切る。
「それどころか、バイオハザード級の危険物よ」
追い打ちのように、続けた。
「そして――
完成したものを、こうやって“ズッ友”に破壊される」
一瞬、視線がルシアンへ向く。
「これ以上に、目が覚める体験って、なかなか無いでしょ?」
「理にかなっているな」
ルシアンの、あまりにも冷静な追撃。
ルチアーノは、白目を剥いて、その場にパタンと倒れた。
すると、アンジュが小首を傾げる。
「……ルチアーノ?どうしたのだ?」
少し考え、閃いたように言った。
「香水が駄目なら、写真を見せてくれても良いぞ?」
「それはなりません」
ルシアンが、即座に遮った。
「アンジュさまの目が汚れます」
そう言い切り、続ける。
「それよりも――
十四種類のフルーツが入ったロールケーキをお持ちします」
アンジュの瞳が、ぱっと輝く。
「なんと!!
ルシアン、それは素晴らしいな!」
純粋な喜び。
一切の迷いも、疑いもない。
床に倒れたままのルチアーノは、白目を剥いたまま、かすかに呟いた。
「……な、なんで……?」
そして――
その一部始終を、水晶玉越しに、一言も発さず見ていたイレイナが、小さくため息をついて言った。
「……馬鹿なの?」
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