21 登山開始
シシス達は、五合目の飲食店で夕食をとりカプセルホテルで一泊してから、午前三時過ぎに登山を始めた。
多くの登山者は五合目で一休みして昼頃から登り始め、八合目辺りの山小屋で仮眠をとる者が多いが、それは御来光目当てだからだ。
一泊するのには高山病予防の意味も有り、平均すると約一割の登山者が高山病の症状を引き起こしている。
五合目出発時に、いまだ日は登っていないが、別にグレーティアは【御来光】を見に来た訳では無い。
「この場所でも日の出は見れますがね」
昨日の登山者は八合目前後にまで登っているし、未だに今日分のバスが来ていないので、この場所からの登山者は少ない。
許可されたバスや特殊車両以外は、五合目まで来るのも禁止されている期間なので、この時間なら気兼ねなくゆっくりと登る事ができる。
「朝食は食べれないのじゃなぁ」
「まだ店は開いてませんからね。携帯食ならありますよ、グレーティア様。頂上まで行けばラーメンやカレーくらいは有りますが」
「賀茂重蔵よ。携帯食とは、あのパサパサした塊かのぉ?じゃったら、菓子の方がマシじゃわい」
店や施設のある五合目駐車場から南東へ水平に移動し、一合目からの登山ルートと交わる辺りから、吉田口登山道は登山道と下山道が別々となる。
登山道の一部が、人一人通るのがやっとの岩山道となるからだ。中には広い下山道から登り者も居るが、距離が伸びる上に山小屋は少ない。
「賀茂さん、どしたんですか?表情が優れない様ですが」
「あぁ、顔に出てましたか?どうやら、【敵対者】に見張られている様なんで少しね」
賀茂は人間を辞めてから、更に感情を出さない様になったが、女性である吉良の目は鋭い様だ。
「敵対者?グレーティア様を狙っているんですか?」
「吉良さん。常世と現世の未来を左右するグレーティア様達の使命を邪魔する奴は誰も居ませんよ。援助を独占するメリットも特にありませんから我々から奪う事も無いでしょう。【敵対者】とはシシス様達に対するものです」
「まぁ、大きく邪魔する事は無いが、間接的な嫌がらせ程度は有るかも知れねぇから注意しなよ吉良、長谷川」
吉良が問い、賀茂の説明の後に山根が付け加えて自分の腋の下を叩いた。
そこには銃が納められているのを知っている吉良達は、小さく頷いた。
確かに賀茂から聞いた戦争介入時の【ロボット大戦】からしたら、日本での銃撃戦など【嫌がらせ程度】なのだろう。
五合目から暫くは、砕石を敷き詰めたスロープが続く。
鎖で左右を区切られた岩場を登る様になると、やっと山小屋が見えてきた。
「途中でも話しましたが、トイレは有料ですから百円玉を用意して下さいね」
「その為に新宿で両替してたんですね?でもトイレが有料とは!」
「日本以外の公衆トイレでは常識じゃがのう」
各々が山小屋前の簡易ベンチに荷物を下ろしている。
「意外と喉が乾くのぉ、もう水が無くなってしもうたわ。賀茂重蔵よ、ミネラルウォーターで良いから買ってまいれよ」
「承知しました、グレーティア様」
グレーティアが腰をおろし、重鎮達が手下を顎で使う。
「賀茂重蔵?」
近くに居合わせた一合目ルートから来たらしい登山者の一人が、彼の名前に反応した。
「まさか賀茂ん家の【泣き虫ネクラ】か?」
一瞬だが、賀茂の眉間に明確な皺が寄る。
「菊池和也か?15年ぶりくらいか!済まないな、仕事中なんだ。後日にしてくれよ」
「仕事だぁ?遊んでるだけだろうが!しかし、その若さは何だ?アンチエイジングとかをやってるのか?」
「仕事中だと言ったぞ!これ以上係わると痛い目を見るぞ」
自分を蔑ろにされた菊池は一瞬で顔が真っ赤になり、駆け寄って賀茂の襟首を締め上げた。
同じ30歳中盤の男性が三名、後ろに居たので、要らぬプライドが表に出たのかも知れない。
「女子供連れで、ふざけた事を言ってんじゃねえぞ!また泣かされたいのか?」
菊池の連れ三人がニヤケながら、その様を眺めている。
「老化で頭までボケたみたいだな?お前に泣かされた事は無いが?」
菊池達には、少し遅れてきた長谷川の姿が目に入っていない様だった。
「おい、賀茂重蔵よ。水はまだか?」
「申し訳ありません、少しお待ちください」
グレーティアから催促の言葉が出て、賀茂は溜め息をつく。
「がっ、がががぐぁぁぁ・・・」
「貴様、何をしやがる?」
賀茂を殴ろうとした手を賀茂が掴むと、菊池は仰け反って叫びながら痙攣し始めた。
それを見た菊池の連れが、賀茂へと襲いかかろうと声をあげる。
その三人の前に現れた影があった。
「お前等、舐めてるのか?」
いつの間にか菊池の連れと賀茂の間に割って入っていた山根が、三人のうちの一人に足を掛けて転ばせ、残り二人の額に銃口を突きつけていた。
「も、モデルガンだろ?どうせ」
「本物だとしても撃てる訳がない」
山小屋には、他の登山者も居るのだ。
銃口が額に食い込んでいる二人は、疑いながらも顔に汗が滲んでいた。
パン!
山根は一瞬銃口をずらして、岩山へと威嚇射撃を行った。
他の登山者から悲鳴がとんだが、駆け付けた長谷川が素早く警察手帳を提示して、大きな騒ぎにはならなかった。
「賀茂は『仕事中』だと言ったし、警告もした。お前達は要人警護の公務執行妨害で、射殺も認められた状態だ」
「そんなぁ!俺達は何も」
「仕事中の公務員に手を掛けた男と、ソレを加勢しようとした奴等が、無罪で済むと思って居るのか?弟の菊池孝二、地曳孝一、道場竜也。お前達の家族も只では済まないと思え!」
「何で、俺達の名まで?」
転ばされた一人にも、既に長谷川が銃口を向けている。
賀茂に掴まれていた菊池和也は、地面に倒れ、未だに痙攣していた。
全身が真っ赤に腫れ上がり、呼吸困難になっている。
当の賀茂の姿は既に無く、山小屋へと向かっていた。
「今、県警と救急車を手配した。生憎と我々は職務中だ。お前等は五合目の駐車場までコノ馬鹿を運んで警官に出頭しろ。出来なかったり、逃げたりすれば、お前等には罪が追加された上で殺人者扱いとなり、全国指名手配になる。聞こえたら、さっさと運べ」
長谷川が携帯を片手に言い放ち菊池達を睨むと、三人は涙目になって、全身火傷の様な菊池和也を担ぎ上げて逃げ去った。
下手に口答えすれば、即座に銃殺しそうな殺気が山根から漏れていた為だ。
「滅茶苦茶ですね職権乱用も。それに彼等レベル60近くありますよ」
「いくらレベルが高くとも、【精霊様】を不快にして【天使様】に無礼を働けば、ただでは済みませんよ。あの年齢なら子供も居るでしょうから、遺伝子改良の面からも、お役御免でしょう」
山根の感想に長谷川が、この部署の行動指針を話した。
人間の人格や行動は、過去に培われた記憶によって左右される事がある。
それは成長しても、過去と真逆の環境においても、肉体的に変容していても影響される時がある。
「クソッ!奴等、重蔵に手を出しやがって!」
賀茂も山根も、人間だった時の感情に引っ張られる事が、まだ有る様だ。
山根が睨んでいる方向は、菊池達の方では無かった。
どうやら、このゴタゴタを仕組んだ者が居るらしい。
「ところで山根さん。さっきの賀茂さんの【力】は何なんですか?」
今まで吉良が見てきたのは、予知や幻覚、精神操作や認識操作、確率変動だった。
「ああ、あれは簡単に言えば【火の魔法】ってとこだな」
「【火】ですか?確かに全身火傷みたいですが、炎は見えませんでしたね」
長谷川もはじめてみる現象らしい。
「【物】なら振動波で運動させて酸化促進すれば良いし、生物ならミトコンドリアを暴走させる命令を送ってやるだけで済むからな」
「ミトコンドリアですか?生物の授業で習った様な」
使い捨てカイロの様に、物質は急速に酸化すると熱を発して変質する。
また、人間を含む多くの地球生物が細胞内に【ミトコンドリア】をもっている。
これは、酸素を使ってエネルギー物質を作り出す器官だ。
通常、ミトコンドリアは、このアデノシン三リン酸を作るのを抑制されているが、この抑制を妨害してやると細胞内はエネルギー過多となり、自滅する。
賀茂達は、人間の知らない物理法則を使い、【現象】を起こして居るのだ。
「実際に手から火を出したりしたら、術者も火傷するのがオチだろ?だが、これは全身を焼かれたのと同じ結果をもたらす。火炎ビン一本分の物をぶつけるよりもエネルギー効率も良いしな」
シシスの追加説明を、吉良は何とか理解した。
魔法とは、大半が【呪い】に属するからだ。
例えば、腕の神経伝達を阻害してやれば【風魔法で腕を切断した】のと同じになり、肺の機能を阻害してやれば【水魔法で溺れさせた】事になる。
認識操作してやれば【土魔法で壁が出来て通れない】と感じる。
人間の認識する【世界】とは、神経系や自己の肉体内で認識している範囲でしか無いので、外部からソレ等に干渉する術があれば、【現実】と異なっていても【個人の認識する世界】は容易に変容するのだ。
グレーティアとシシスは賀茂の持ってきた水で、ひと息ついている。
「流石に七合目は息が切れますね、長谷川さん」
吉良と長谷川には酸欠の症状が出始めている様だ。
「あれっ?イタリアにも高い山は有ったんじゃなかったっけ?流石に60近いオジさんには酷だけど」
「有りますけど、休日に登れるほどイタリアの警察は暇じゃ無いですよ。本庁は忙しかったけど県警は暇だったんですか?」
「あ~、確かに暇は無いわな」
イタリアで有名なのはエトナ火山3,350mとマルモラダ山3,343mで、特にマルモラダの方はある程度まで登山施設がある。
だが、共に【都会】からは遠く、気軽に行ける場所ではない。
「あ~、完全な高山病症状でも無い限り、【酸素スプレー】とか使わない方が良いですよ。その分、高所順応が遅くなって余計に苦しむだけですから」
山小屋で売られている【酸素スプレー缶】を見ていた長谷川に、賀茂が注意を促した。




