14
計画は至ってシンプル。
最初に幽霊さんが現れた団長の自室の札や花やハーブを取り除き、幽霊さんをおびき出し、封印する。
立ち会うのは、ランビック団長、ドルトムンダー副団長、スタウト王子、神官長、呪術局長、私、そしてポーター様だ。
ちなみにヘレス様は丁重に、かつ分かる人には分かる必死さで辞退していた。
「私がいる場に現れるでしょうか…?」
立ち会うことに異論はなかったが、私がいる場に決して現れなかった幽霊さんが急に現れるようになるとも思えない。
そんな私の疑問に、ランビック団長も肯いて同意を示す。
「いや、おそらく君がいると現れないだろう。だから、ボックと一緒に最初は隣の部屋に待機していてくれ」
ちなみに団長の隣の部屋はドルトムンダー副団長の部屋だ。
「幽霊が現れたら壁を叩いて合図を出す。…逆に、ボックに何かされそうになったら君が壁を叩いてくれ」
「団長!さすがにそんな大事な日に変なことしたりしませんよ!」
心外だと言いたげなドルトムンダー副団長を他所に、私はその言葉にしっかりと肯いた。
なるべく速やかに解決する必要があるのと、ポーター様が王宮にいる間に解決したいということで、決戦は明日の夜明け前に決まった。
ランビック団長と連れ立ってポーター様にお願いしに行くと、急なことではあったが、ポーター様も亡き妻のため、協力は惜しまないと言ってくれた。
「ポーター様、寂しそうでしたね」
「天に旅立ったと思っていた妻が、今も王宮に囚われていると知ってしまったからな…。残酷ではあるが、彼女を天に導けるとしたら叔父上しかいない」
「そうですね…」
彼女が王宮に囚われた理由も、明日になればもしかしたらわかるのかもしれない。
ポーター様の目の寂しさの奥には、どんなに残酷であろうと真実を知りたいという強い思いが隠されている気がした。
「ティナに送ってもらうのも、今日が最後になるのかもしれないな」
しんみりした空気を打ち破るように、ランビック団長が明るく言う。
けれど、その言葉は逆に私に寂しさを感じさせる。
そうだ。
幽霊さんがいなくなったら、また普通の掃除女中に逆戻り。
ランビック団長は言葉を交わすどころか、その姿を目にすることも稀な、そんな遠い存在になる。
それが当たり前だったはずなのに。
いつの間にか、毎日言葉を交わす今の状況が、私にとって当たり前になっていた。
「そう…ですね…」
なんとかその言葉を絞り出す。
せっかく最後の日なのだ。悲しい思い出にはしたくない。
「これからは、私が君を送れるようになるな」
「…え?」
思わぬ言葉に団長の顔を見上げると、彼は優しい笑みを浮かべていた。
「昼も夜も、いつも君に送らせていることを心苦しく思っていたんだ。これからは私に君を送らせて欲しい」
「これからも…会っていただけるのですか…?」
思わずこぼしたその言葉に、ランビック団長は目を見開き、そして切なそうに細めた。
「ああ…。すまない、私が勝手にそのつもりでいた」
その言葉に頬が熱くなるのを感じる。
それ以上、団長の顔を見ていられず、俯いてしまう。
けれど、これだけはちゃんと伝えたい。
「私も、これからも団長とお会いできると嬉しいです」
「…そうか」
その後、完全に照れてしまった私はぽつぽつとしか言葉を交わせなかったが、それでも決してその時間は居心地の悪いものではなかった。
「着いたな」
「…はい」
「ティナ、顔を上げてくれないか」
そう言われ、恥ずかしさを堪えてそっと顔を上げると、私をじっと見つめる青い瞳と視線が合わさった。
「明日、全てが終わったら、私に時間をくれないか」
そう請われた私は、それ以上目を合わせることができず。
「…はい」
そっとうつむきながらそう答えることしかできなかった。
少し笑った団長が「また明日」と言うのと同時に、頭に微かな温もりを感じた気がした。
「なー、お前、団長と何かあった?」
「な!…んにも、ないですよ…」
「ふーん。まあ幽霊に関係ないならなんでもいいけど」
意味深なドルトムンダー副団長の相槌に頬叩き、気合を入れ直す。
今日は大事な決戦の日なのだ。
浮ついた気持ちはちゃんと封印しないと。
人々が寝静まった深夜、かつ周囲は人払いをすませており、非常に静かだ。
壁を叩く音がきちんと聞こえることを確認し、それぞれの配置につく。
「そろそろでしょうか」
「すでに花とハーブは撤去したからな。そろそろ札を破る頃…」
ドルトムンダー副団長がそう言い終わる前に、隣の部屋から轟音が響く。
「今のって!」
「ああ。壁を叩いて知らせるどころじゃないな」
ドルトムンダー副団長と急いで隣のランビック団長の部屋へ向かう。
逸る気持ちのまま、扉を勢いよく開け放ち、叫んだ。
「ランビック団長!無事で「危ねえ!」」
あっさりと開いた扉から中へ飛び込もうとすると同時にドルトムンダー副団長に後方へと腕を引っ張られた。
その真横を重たそうな本が飛んでゆく。
「ティナ!」
「避けたから大丈夫です!…が、なんですかこれ…」
私の代わりに答えたドルトムンダー副団長が愕然とした様子で呟く。
中は混沌としていた。
本来であればきちんと整理整頓されているランビック団長の部屋の、ありとあらゆるものが散乱し、宙を舞っているものさえある。先ほど私に向かって飛んできた本はその一つのようだ。
その中心にいるのは、黒い影。
「あれが…幽霊さん、ですか…?」
室内に足を踏み入れた私を背後に庇うランビック団長に恐る恐る問いかけると、険しい顔で肯定された。
「ああ。だが、私が知っている彼女はこのような風貌ではなかったはずだがな」
こちらに襲い掛からんと睨みつけるそのモノは、女性なのか、そもそも人間の形をしているのかすら最早わからない。
輪郭はぼやけ、判然としない。逆立ったその長い髪が、かろうじて女性らしさを滲ませている。
眉を釣り上げ、こちらを睨み付けるその目に背筋が凍る。
「エレノア」
それでも、ポーター・ローストバーレイには自分の妻だと認識できたらしい。
変わり果てた姿に茫然としつつも、目を逸らすことなく、じっと見つめている。
「エレノア。ずっとこんなところにいたのか。…そうだね、私が東部を案内する前に、君はこの王宮で逝ってしまったから」
切なげに告げるその声は、だがしかし彼女には届かない。
−あのオトこガわたしヲステたのよオ
−にくイニくいにくいニクイにくらシいいいいいイ
−私をウラギルやつラみんなミンな
−シんでシまエエエええええええ!!!
血反吐を吐くような絶叫が響き渡る。
「もうポーター殿の声も聞こえてなければウォルター嬢の姿も見えていないようだ!どうなってる!」
「おそらくリリーベルにかなり侵食されているのでしょう!とにかく彼女と切り離さなければ封印もできません!」
叫ぶスタウト王子の声に、神官長も叫ぶよう答える。室内は風の唸るような音が響き渡り、近い距離にいようと叫ばなければ聞こえないのだ。
「どうやって切り離すんだ!」
「いやー!ローストバーレイ殿の声かウォルター嬢の声のどちらかに反応するかと思ったんですが!思ったより融合が進んでおりましたな!」
「何ー!?」
こんな時でも豪快に笑うライト侯爵。
だがしかし、それは要するに手詰まりというのではないだろうか。
やけに迅速に準備が進んだと思ったが、まさかこんなに行き当たりばったりだったとは。
「エレノア!私だ!ポーターだ!私は君を裏切ったりしていない!君のことを忘れたことなんてなかった!」
必死で呼び続けるポーター様の声も、彼女には届かない。
−みんナみんなウソつキだああああアアあ
−ワタシノことをあいしてイルといったそのクチであのオンナにあイをつげたンでしょオ
「一体何の話をしているんだ…?」
ポーター様は茫然としている。
いや、茫然とするのも無理はない。
殿下とランビック団長の話では、ポーター・ローストバーレイは妻と弟夫婦を亡くしたあと、ローストバーレイ伯爵となった一番上の兄を支えながら、後妻を迎えることなく、ひっそりと過ごしていたらしい。
そんな彼の日課は、妻の眠る墓地に植えた色とりどりの花々の手入れをすること。
そうやってずっと妻の死を悼んできた彼が、なぜ彼女を裏切ったなどと思ったのか。
その話を教えてくれたとき、ランビック団長が言っていた。
「伯父上、ローストバーレイ前伯爵がな、昔ポーター叔父に後妻を迎えることを勧めたらしいんだ。エレノア殿もポーター叔父が一人寂しく生きることを望んではいないだろうと」
「それでも、その後奥様は迎えられなかったのですか?」
「ああ」
ーエレノアは、あまり素直ではないから、妻を迎えると言ったら、ようやく肩の荷が降りただの、私の愛が重かっただの、せいせいしたと、寂しさを隠しながら言うだろうね。
ー彼女が亡くなるとき、寂しい思いをさせてしまったから、もうそんな強がりは言わせたくないんだ。幸いなことに、私には可愛い甥や姪や、その家族がよくしてくれるから、決して寂しい人生ではないよ。
そう言う彼に、ローストバーレイ前伯爵も、他の家族も、もう無理に勧めることはなかったそうだ。
そんなポーター様が、彼女を裏切るはずないのに。
「待ってくれエレノア!私の話を聞いてくれ!」
「うるサイ、ウルサイ、うううううううううううううううううううううううあああああ」
なのに、彼女にはその言葉が届かない。
「リリーベルに乗っ取られたか!いけない!ポーター殿、下がってください!」
「エレノア!」
王子と神官長が必死でポーター様を下がらせる。
「おい!神官長!呪術局長!何とかならんのか!専門家であろう!?」
「無茶を言わないでください!私は祈る者であって幽霊祓いは専門外です!」
「呪いはともかく、ここまで実体化している幽霊は初めてで全く対処法がわかりませんな!」
「開き直るな!」
スタウト王子と神官長、呪術局長が言い合っているが何も解決策は浮かばない。
「ティナ!お前も何とかできないのか!幽霊退治ハーブブレンドとか!」
ドルトムンダー副団長が私の方に振り返りながら叫ぶ。
「無茶言わないでください!そんなのあるわけないじゃないですか!」
いや、ある。
叫んでから気付いた。
そうだ、神官長は言っていた。
ライト侯爵が用意した札と、私が祈りを捧げた花、医局長が気分を落ち着かせるために置いたハーブが奇跡的に組み合わさり、団長の部屋は守護されていたのだと。
もし、それが彼女がまだ香りを感じることができるからだとしたら。
そうだ、私に「どこか懐かしい香りがする」と言ってくれた人がいた。
どうして、忘れていたのだろう。
どうして、気づかなかったのだろう。
彼女が、その人だ。
私のことを懐かしい香りがすると言っていた、私を助けてくれたエルさんだ。
ライト侯爵は、星祭りの後にリリーベルと融合したのだろうといっていた。
それなのに、星祭りの後なのに、エルさんーエレノアとして話しかけてくれた彼女が、もう一度その香りで自分を取り戻してくれる可能性があるのなら。
その可能性に、かけるしかない!
「ドルトムンダー副団長!」
「なんだ!」
「私のシラミ除けハーブブレンド持ってますよね!」
そう、一部の先輩から「どうにかしてボック・ドルトムンダーの部屋だけシラミを残しておけないか」という熱い要望があったことをどこからか聞いたドルトムンダー副団長は、いつか自分の部屋にシラミが解き放たれるのではないかと怯え、私から本物のシラミ除けハーブブレンドを手に入れているのだ。
そして、今も微かにそれが香っているということは。
「お前なんで俺が持ち歩いていること知ってんだよ!」
「それはどうでもいいです!早くその中身を幽霊さんに向かって撒いてください!」
祖母は私のシラミ除けハーブブレンドの香りでティアナを思い出すと言った。
もし、その香りをエレノアも覚えていたら。
「どうなっても知らんぞ!」
やけくそ気味のその言葉と同時に、ドルトムンダー副団長が袋を裂き、中身をばらまく。
強風に煽られ、部屋いっぱいに爽やかな香りが広がった。
「ティアナ…?」
風が止まる。
宙を待っていた物たちがぼとぼとと床に落ちる。
茫然とこちらを見つめる彼女から、黒い霧のようなものが離れ、上空に浮かび上がった。
霧から離れた彼女の輪郭は、先ほどよりもはるかにはっきりしていて。
そして、やはりそれはあの時私を助けてくれたエルさんだった。
茫然としながらも何かを探すようにあたりを見回した彼女は、スタウト王子の背後に目を止める。
「ポーターさま…?」
「…っ!エレノア!!」
その声にスタウト王子の背後から転がるように飛び出したポーター様がエレノアに近づこうとする。
「ポーター殿!まだだめです!」
そう神官長が叫ぶのと同時に、エレノアから飛び出した黒い霧が飛び出したポーター様へ襲いかかってきた。
−アアアアアアアアアアアアアアアアアウラメシイニクラシイ!!!!!!!
−ミンナミンナノロワレテシマエ!!!!!
「神官長!」
「だめです!間に合いません!」
あまりに突然のことに誰も動くことができない。
否。
一人だけ、動ける女性がいた。
その彼女は彼の前に手を広げ、叫ぶ。
「ポーターさまにさわらないで!!!!!」
そうエレノアが叫ぶと同時に再び空気が渦を巻き、舞い散ったハーブが黒い霧を取り囲む。
「今だ!神官長!」
ライト侯爵が札を配置するのと同時に、神官長が朗々と封印の言葉を唱える。
ぎゃあああああああああああああああああああああ
そんな断末魔とともに、黒い霧は札に収束していく。
数分にも、数十分にも感じられるその封印の儀式ののち、黒い霧は完全に消失した。
「終わった、のか…?」
「うむ。封印は完了しました」
疲労感からか座り込みそうになる神官長を支え、ライト侯爵が頼もしく肯く。
「エレノアは…?」
「あそこだ」
そう王子が示す視線の先には、座り込んだエルさんと、彼女を支えるように寄り添うポーター様がいた。
「エレノア、エル、君はまた私を助けてくれたんだね。ありがとう。不甲斐ない夫ですまない」
触れられない彼女を、それでもそっと優しく触れるように包み込む。
そんなポーター様をエルさんもゆっくりと見上げ、ようやく二人の視線が真っ直ぐ交わった。
「ぽーたー…さま?」
「ああ、そうだよエル。待たせてしまったね」
その人が誰なのか、はっきりと認識した彼女は、くしゃりと顔を歪めた。
「ぽーたーさま。たいへんなの。てぃなが、てぃあながしんでしまったのよ。わたし、まにあわなかったの。いじをはっていたから。ぽーたーさまがはやくおいでっていってくれていたのに」
「君のせいじゃない。初めての遠出なのに、迎えに来られなかった私が悪いんだ」
「それだけじゃないの。ぽーたーさまのこと、ずっとまってるってやくそくしたのに、やくそくやぶってしまったの。そのうえさいごにあったときに、またかわいくないことをいってこまらせて、ごめんねってずっとあやまりたかったの」
ずっとずっと謝ろうと待っていて。その挙句にリリーベルに捕まってしまった愚か者だと。
そう、自分を貶して泣きじゃくる彼女を彼はゆっくりと抱きしめる。
「ばかだなあ。君は何一つ謝る必要はないのに」
「ぽーたーさまこそおばかさんよ。こんなかわいくないわたしのためにあたらしいおくさんもむかえずに、まいとしおうきゅうにきて」
「うん…うん。そうなんだ。私は愚か者だ。王宮にいるのは辛すぎて、けれど君を忘れることもできなくて。寂しさに耐えかねて一年に一度だけ、君の面影を探しに来る愚か者だ」
「ほんとうにおばかさん」
「うん、そうだね」
「けどね。それがだめだと、ぽーたーさまのためにならないと、そうわかっていても、それがうれしかったわたしもほんとうにおばかさん」
そうか、と応えてポーター様はくすりと笑う。
「じゃあ、私たちは似たもの同士だね」
「そうね。ひとりだといろいろまちがえちゃう」
「そうだ。だからね、これからはずっと一緒にいよう」
「いっしょに?」
「ああ。私と一緒に、ティアナとアルトに会いにいこう」
ずっと虚な表情をしていたエルさんはその言葉にポーター様をじっと見つめる。
そうして、ようやくにっこりと笑った。
「ぽーたーさまがいっしょなら、だいじょうぶね?」
「ああ。大丈夫だよ。遅くなってごめんねと一緒に謝ろう」
「うふふ。ふたりともおこるかしら?」
「怒らないよ。しょうがないねって笑って迎え入れてくれるはずだ」
「そうね。てぃあなもあるともやさしいから」
徐々に外が白み始めた。
それと同時に、エルさんの姿も徐々に薄くなっていく。
神官長がゆっくりと鎮魂歌を唄い始めた。
その声に見送られるように、エルさんがポーター様に抱きしめられたまま、朝日と共にすうっと溶けていく。
それと同時に、ポーター様の身体も力を失ったかのようにゆっくりと崩れ落ちた。
−てぃなもあるとと、しあわせになってね。
最後、彼女が私たちにそう言ってくれた気がした。
その日、弟の訃報とその顛末を聞いたローストバーレイ前伯爵は、ただ一言、「ようやく会えたのだな」と、そう言ったそうだ。
次が最終話です。