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act.3 乱暴なスウィートバレット。

 とりあえず、まずするべきなのは自分の耳を疑うことだろう。……そう俺は本気で思っていた。


『私達今、二人きり……なんだよ?』


 俺の聴覚が正常に動作しているのであれば、確かにそう聞こえたはず。でも、あのさくらんがそんな言葉を俺に対して放つだなんて……そう簡単に事実として受け入れられるわけないじゃないか。

 でも、そんな俺のことを嘲笑うかのように、さくらんは俯かせていた顔を少し上げて上目遣いに俺のことを見ている。涙で潤んだ瞳は、さながら『上目遣いさくらん』という兵器をより強力にするアタッチメントのようなものだ。

 とりあえず、確かにさくらんがそう言ったとしよう。そうだとして、俺はいったいどんな言葉をさくらんに返せば良いというんだ。さくらんは、どうしてそんな言葉を放ったというんだ。そこに、どんな意図があるというんだ。

 ……結局俺は、返すべき言葉を見いだせないまま黙っていることしか出来なかった。雷マークの建物によって日陰になっているからか、通り抜ける風がやけに冷たく感じる。

 ――――と、


「ふふ、変わった人だね。普通、好きなアイドルからこんなこと言われたら思い切り迫ってきたり、抱きついてきたりしそうなものだけど」

「……………」

「……それとも、やっぱり私のイメージが違いすぎて気が引けちゃった?」


 さくらんは、尚も俺を試すような笑みを見せながら、そんな言葉を俺に向けてくる。……けど、俺にそんな感情が生まれることはなかった。

 確かに、イメージの違いに多少戸惑っているというのはあるかもしれない。でも、そんな戸惑いよりもさくらんが相当何かに追い込まれているのではないかという思いがより強くなり、俺に不安というか心配というか、そういう感情をもたらしていたんだ。

 ――目の前のさくらんが、強気な発言をしながらもその華奢な身体を震わせていたから。

 だから……なんだろう。自分でもビックリだが、返事よりも先に自然と身体が動いていた。


 俺は、さくらんの頭にそっと手を差しだし、サラサラの髪の毛を優しく撫でていた。


 突然の俺の行動に、さくらんは目を丸くして驚いていた。……でも、特に嫌がるようなそぶりは見せない。

 その様子を確認してから、俺はなるべくさくらんを変に刺激しないように言葉を掛ける。


「そんなんじゃないよ。……それより、いったい何があったの? 『連れ戻しに』とか言ってたけど。それに、何だか随分と辛そうだし……」

「……………」

「……言いたくなかったら、別に無理に教えてくれなくても良いんだけど、やっぱりその……心配だしさ」


 しばらく、さくらんからの反応はなかった。でも、とにかく頭を撫でながら根気強く待っていると、さくらんは小さくため息を吐いてからボソっと呟きだした。


「やっぱりあなた、変わってるね。とっくに愛想尽かしてもいいくらいなのに」

「そんなこと……ないと思うけど」

「……私ね、本当は今みたいな性格が素で、清純派なイメージはうちの母親が勝手に作った偽物のイメージなの。もともと、この世界に入るキッカケになったコンテストに応募したのも母親が勝手にしたことで、そのとき清純派なイメージを演じちゃったから、そのまま事務所に入った後もそのイメージを貫き通すことになっちゃって。何かもう……疲れちゃったの。――清純派のイメージを演じ続けることに」

「それが……今ここにいる理由?」

「……マネージャーとか、事務所の社長とかには何度も相談してたの。自分自身、もう演じきれる自信がなかったから。でも、『イメージを崩してしまったらファンを裏切ることになるんだぞ!』って言葉の一点張りで。別にアイドルっていうお仕事が嫌いなわけじゃないし、ファンの人たちを裏切りたいわけでもない。……そうじゃないけど、『私の意志は少しも尊重されないの?』『私はこれからも、ずっと自分に嘘をつき続けなきゃいけないの?』って思ったら、もう……我慢することなんて出来なかった」


 さくらんが口にした事実は、明らかにただのファンが知ることのできるような内容ではないし、その内容は結構衝撃的なもの。――なはずなんだけど、衝撃を受けるよりもどこか納得している自分がいた。そして、ちょっとホッとしている自分も。

 ……理由は何であれ、さくらんは自発的な行動によって今ここにいるということがわかったから。

 そう思ったら、自然と声が漏れていた。


「それなら……良かった」

「えっ?」

「あ、いや……さくらんがさ、明らかな自分のわがままだけでコンサートから逃げ出してるんだったら、性格のことよりよっぽどショックに感じちゃうからさ。でも、今のさくらんの話を聞いてそうじゃないってことがわかった。……だから、良かった」

「……わがままだよ。私の」

「確かにわがままと言えばわがままなのかもしれない。……けど、少なくともさくらんにとって――いや、君にとっては必要なわがままなんじゃないかって思う。芸能界の決まり事とか、そういうの俺にはよくわからないけど、自分の信念が通らないのはどんな立場の人だって嫌だと思うしさ。だから……うん、少なくとも君が全て悪いってことはないよ」


 自分が思ったことを、素直にそのまま伝えた。……そのはずなんだけど、言ってすぐ俺は自分が放った言葉にもの凄い焦りを感じていた。

 俺は何て無責任なことを言ってしまったんだ。具体的なこと何も知らないくせに、そんなこと言える立場じゃないではないか。

 そんな思いが、みるみるうちに俺の平常心を浸食していっていた。でも、そんな俺にさくらんは、


「やっぱりあなた、変わってるよ……」


 そんな、これまでと同じような言葉を放っていた。――でも、潤んでいた瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちている。

 さくらんはずっと頭の上に乗せていた俺の手をそっと掴むと、再びあの『上目遣いさくらん』という兵器を取り出しながら、聞き耳を立てないと聞こえないような小さな声でボソッと「ありがとう」と呟いた。

 俺は、その言葉を聞けて本当に嬉しかった。あのさくらんが、俺に対して『ありがとう』と言ってくれている。コンサートで沢山のファンに向けて放たれるものとはまるで違う、俺だけのために放たれた言葉。

 そう……本当に嬉しかったはずなんだ。――でも次の瞬間、俺は自分でも想像つかないような変な表情を見せてしまうことになる。俺の手を優しく包み込んでいるさくらんの、どこか懇願するような表情と言葉によって。


「ねぇ……私のお願い、聞いてくれる?」

「えっ? ……何?」

「私を……私をここから外に出してほしいの。少しだけでも、ほんのちょっとでも良いの。『さくらん』じゃない時間を過ごして、自分の気持ちを見つめなおしたい。たまの休みの日に戻る自分じゃなくて、今じゃないといけない。……そんな気がするの。だからお願い。少しの間でも良いから、私に付き合って!」

「ちょっ、ちょっとそんなこと言われても、俺なんかが……」

「お願い! 今頼れるのはあなたしかいないの!!」


 さらさらのツインテールを振り乱しながら、俺の手を掴む力を強くするさくらん。止まることのない涙は、折角の綺麗な顔をグチャグチャにしてしまっている。落ち始めている化粧が、何だかよりさくらんを痛々しく見せる。

 そんなさくらんに、俺はもうどうすれば良いのか全くわからないような状態に陥っていた。

 きっと、俺が今こんな状態に陥ってしまっているのには相応の大きな理由が存在するのだろう。けど、その理由を見出すことすら困難なくらいに動揺しまくっている。

 コンサートの開演時間はとっくに過ぎ去っていて、目の前にはとっくにコンサートをしているはずのさくらんが。そしてそのさくらんは自分の意志を通すことが出来ずに涙を流していて、俺に助けを求めている……。

 これまでの経緯を何とか自分の中で纏めようとするけどそれも上手くいかなくて……。結局、こんな動揺しきった俺が結論を見出すための要素に出来たのは、もの凄くシンプルな感情だった。


「わ、わかったよ。……正直何がなんだかわからないし、どうするのが正しいのかもわからないけど、出来る限りのことはするよ」


 さくらんから視線を逸らしながらも、何とかそう伝えた俺。

 難しいことなんて、全然考えられなかった。そんな俺でも頭の中にしっかりとあった感情。それは、ただ単純に『さくらんのことを助けてあげたい』という想いだった。

 実際、さくらんの頼みを聞くことが『さくらんを助ける』ということに直接繋がるのかどうかはわからない。でも、完全にテンパってる俺にはさくらんの望みに応えてあげるという選択肢しか選びようがなかった。というか、そもそも他の選択肢を見出すことすら出来なかったんだ。

 そんな状態だったから、俺はなかなか視線をさくらんに戻すことが出来ずにいた。さくらんがどんな表情を見せているのか、どんな風に俺の言葉を受け止めたのか、それが不安でしかたなかったから。

 だからといって、ずっとこのままでいるわけにもいかない。頭の中で五秒前からの無言のカウントダウンをして、意を決してさくらんに視線を戻――そうとする前に、


「ありがとうっ!」


 ――身体に、何かがぶつかる衝撃と確かな温もりが伝わってきた。

 さくらんが、俺の身体に抱きついてきていた。……間違いない。さくらんの腕は俺の腰に回されているし、下を向けばさくらんの頭頂を見ることが出来る。

 それは紛れもない事実だし、『ありがとう』という言葉は俺に対する感謝の気持ちなのだろう。でも、あまりのことにどうしたら良いものかサッパリわからない。

 そんなこんなで硬直してしまっていた俺に対して、さくらんは体勢を変えることなく話し出す。


「本当にありがとう。……偶然でも、あなたがここに来てくれて良かった」

「……………」

「とにかく、まずはここから脱出しないといけないよね。……でも、このまま移動したらすぐに関係者の人に見つかってバレちゃう」

「そう……だね」

「どうすれば上手く脱出できるかな……」

「……その、変装する……とか?」

「そっか! あっ……でも、変装するにも道具が無いし。控え室に行けば色々あるけど、そんなの捕まりに行くようなもんだし……そうだ! あなたに変装道具を調達してもらえれば!! さすがにあなたが控え室に入ることは出来ないから、外で何か適当に買ってきてくれないかな? ……あ、お金があればだけど」

「そ、そんなに高いものじゃなければ何とかなる……と思うけど」

「それじゃあそうしよう! 私はここで待ってるから、何とか変装道具調達してきて!!」


 さくらんはそう言って、俺から身体を離す。視界に捉えられるようになった顔に、もう涙は窺えない。

 話しているうちに少しは落ち着いたのか、俺はさくらんの要求をしっかりと認識することが出来ていた。とりあえず、『出来る限りのことはする』と言ってしまった以上、行動に移すしかない。

 俺は小さく頷いてから、コンサート会場の出入り口を目指すべく足を動か――そうとしたとき、ふとさくらんがその行動を引き留めた。


「あ、ちょっと待って! 大事なこと忘れてた!!」

「大事なこと?」


 まだ他に必要なものがあるのかと、視線をさくらんに戻す。するとさくらんは、ちょっと目の回りが酷いことになってはいるものの、俺のよく知る笑顔を見せていた。


「私、風見咲良――えっと、本名は花の『さくら』で風見(かざみ)(さくら)。十七歳のアイドル兼高校三年生。これからよろしく!」

「あっ……俺、佐倉貴彦。十九歳の大学二年生。……よろしく」


 自己紹介出来たことに満足したのか、さくらん――いや、風見桜は満面の笑みで「行ってらっしゃい」と俺を送り出す。……何かもう、その満面の笑みが強烈すぎて思わず変な足取りになってしまう。


 ――まるで幻惑効果のある弾丸で撃ち抜かれたかのような、そんな気分だった。

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