プロローグ:境界線の外側
東京湾の海上。視界の端から端までを埋め尽くす灰色の海原を、定期連絡船の巨大なスクリューが白濁した航跡に変えていく。
甲板に吹き付ける潮風は、四月という季節のわりに肌を刺すように冷たかった。
乗客のほとんどは、真新しい制服に身を包んだ新入生たちだ。彼らの顔には、これから始まる全寮制の新しい学校生活への期待と、本土から切り離された巨大な人工島に対する浮かれた興奮が満ちていた。
「おい、見ろよあの島……! 東京ドーム何個分だよ、マジですげえぞ!」
「『Sクラス』で卒業すればどんな進路も100%叶うんだろ? マジで夢みたいな学校じゃん!」
はしゃぎ合う同年代の声を背中聞きながら、黒宮蓮は風に煽られる前髪を押さえ、両手を制服のポケットに突っ込んでいた。
——『最高峰である「Sクラス」の生徒として卒業を迎えた者には、希望するあらゆる進学、就職、あるいは個人的な望みを学園が100%保障・実現する』
事前資料に書かれていたのは、その桁外れの特権だけだった。
昇格の条件やクラス決めの仕組みなど、肝心なルールは何も明かされていない。それでも周囲の生徒たちが目を輝かせているのは無理もなかった。15歳という若さで、未来の約束を手に入れられるかもしれないのだから。
蓮自身も、どこか胸の奥が熱くなるような高揚感を覚えていた。
(ここでなら……俺もやり直せるかもしれない)
中学時代の自分は、いつも周囲の顔色ばかりを気にして、流されるままに過ごしてきた。言いたいことも言えず、土壇場で自分の意見を主張できなかったせいで、苦い後悔だけが残った。
誰の目も届かないこの隔離された環境なら、過去の自分をリセットして、しっかりと地に足のついた「新しい自分」になれるはずだ。
「新しい友達を作って、自分の将来の夢も、ここでじっくり見つければいい」
そんな青い期待と希望を抱きながら、蓮は遠くに見える学園のシルエットを見つめる。
もちろん、条件すら不明なまま与えられる特権に「随分と気前のいい学校だな」という素朴な疑問はあったが、それを吹き飛ばすほどに、新しい生活への期待は大きかった。
「……ッ、寒いな」
蓮は身をすくめ、小さく息を吐き出した。
船がゆっくりと巨大な港湾施設へと接岸していき、重い金属音が響き渡る。
タラップが下ろされると、新入生たちが待ちきれないといった様子で我先にと甲板を駆け下りていった。
「よし……行くか」
蓮は胸の前でそっと拳を握りしめ、自分に言い聞かせるように呟いた。
「今度こそ、後悔のない高校生活にするんだ」
まっさらな未来への強い決意を胸に、少年は一歩を踏み出した。
背後で、重い鉄の扉が閉ざされるような気がした。
この直後、学園が突きつける突き抜けた不条理も、自分たちがどのような絶望に放り込まれることになるのかも、今の蓮はまだ知る由もなかった。




