燃やされた手紙
第七十話 「燃やされた手紙」
一七九一年十月。
パリ。
国民議会。
ブリソーの演説が終わった後も、議場の興奮は収まらなかった。
外国の脅威に対し、フランス国王はどちらの側に立つのか。
その問いが、議員たちの間を駆け巡っていた。
国王の親書について調査するために設置された委員会は、すでに外務省と王室書記局の記録を調べている。
ルイ十六世が神聖ローマ皇帝へ送った親書。
それを作成した官吏。
封印へ立ち会った者。
親書を運んだ使者。
国民議会へ提出された写し。
すべてが調べられた。
だが、ルイが公表したものとは別に、秘密の救援要請を送ったという証拠は見つからなかった。
それでも、疑念は消えなかった。
一人の急進派議員が立ち上がる。
「これまで調べられたのは、国王陛下御自身の書簡だけです。」
「王室と外国との関係は、それだけではありません。」
議場の一部から同意する声が上がった。
「何が言いたい。」
穏健派議員が尋ねる。
急進派議員は答えた。
「王妃陛下です。」
議場がざわめいた。
「王妃陛下は、神聖ローマ皇帝レオポルト二世の妹君であられる。」
「国王陛下御自身も、王妃陛下が外国の介入に期待していると認められた。」
「ならば、オーストリアとの連絡について、国王の書簡だけを調べても意味がない。」
「王妃陛下の家族への私信まで、議会が調べるというのか。」
穏健派議員が反論した。
「家族への手紙に、軍隊の動員や外国からの圧力について書かれていれば、それは単なる家族の手紙ではない。」
「王妃陛下は囚人ではない。」
「外国の皇帝との間で軍事的な相談をしていたなら、私人でもない。」
議場は再び二つに割れた。
王妃の私信も調査対象とすべきだと主張する者。
それは王家を事実上の囚人へ変える行為だと反対する者。
政治と無関係な家族の手紙を保護しながら、軍事や外交に関係する文書だけを確認すべきだとする者。
だが、どこまでが家族の話で。
どこからが外交なのか。
明確に線を引くことは難しかった。
妹が兄へ、自分と子どもたちを助けてほしいと書く。
家族の願いとも読める。
フランス王妃が神聖ローマ皇帝へ、王家の救援を求めたとも読める。
同じ一文が、読む者によって異なる意味を持つ。
議長が木槌を鳴らした。
「調査委員会の権限拡大について、提案を整理します。」
書記官が立ち上がる。
「王室関係者と外国政府との間で交わされた文書のうち、軍事、外交、亡命者への援助及び外国軍による王家の救出に関係するものについて、調査委員会は提出を求めることができる。」
「政治と無関係な私信は対象としない。」
「文書の提出は、まず所有者へ任意に求める。」
「具体的な証拠なく王室私室を捜索することは認めない。」
急進派の一部は、これでは不十分だと反対した。
穏健派の一部は、それでも王妃の私信へ議会が踏み込むことになると反対した。
だが採決の結果、提案は僅かな差で可決された。
新しい調査委員会が設置されたのではない。
すでに存在する調査委員会の対象が、王妃と王室関係者の外国通信にまで広げられたのだった。
⸻
その知らせは、夕刻までにテュイルリー宮殿へ届いた。
ルイは、ラファイエットから報告を受けた。
「王妃の私信も調べるのか。」
「すべてではありません。」
ラファイエットは答えた。
「軍事、外交、亡命者、外国軍の介入に関係する文書に限られます。」
「誰が、関係があるかを判断する。」
「まずは王妃陛下御自身と、王室書記官です。」
「委員会は任意の提出を求めます。」
「任意と言いながら、提出しなければ隠したと疑うのだろう。」
ラファイエットは否定できなかった。
ルイは報告書を机へ置いた。
「私は何も隠していない。」
「はい。」
「皇帝へ送った親書も、外務省と議会へ同じ写しを残した。」
「発送記録も提出した。」
「だからこそ、陛下御自身については決定的な証拠が見つからなかったのです。」
「それでも調査は終わらない。」
ルイは苦く笑った。
「私から、マリーへ。」
「マリーから、侍女へ。」
「侍女から、大使館へ。」
「調べる相手を変えながら、疑いだけが残り続ける。」
「議会にも、理由がございます。」
ラファイエットが慎重に言った。
「王妃陛下が、外国の介入へ期待しておられることを、陛下御自身が議場で認められました。」
「ああ。」
「ならば、書簡が存在する可能性を確かめたいと考える者が現れることも。」
「分かっている。」
ルイは目を閉じた。
「だからこそ、嘘をつかなかった。」
「王妃も私と同じ考えだと言えば、後で違うと分かったとき、すべてが崩れる。」
「王妃陛下へ、直接確認されますか。」
「ああ。」
ルイは立ち上がった。
「確認しなければならない。」
「だが、私から疑っているような尋ね方はしたくない。」
ラファイエットは頭を下げ、部屋を退出した。
一人になったルイは、しばらく動かなかった。
マリーは、外国軍が自分たちを守ると考えている。
兄であるレオポルト二世を信じている。
そのことは知っている。
だが、実際にどこまで連絡を取っているのか。
どのような手紙を書いたのか。
ルイは知らなかった。
以前、議会で尋ねられたときも。
「私が知る限り、送っていない。」
そう答えた。
知らないことを、存在しないとは言わなかった。
それでも。
もしマリーが、自分の知らないところで軍事介入を求めていたなら。
国民は、その違いを認めてくれるだろうか。
国王は知らなかった。
王妃が勝手に行った。
そう説明しても、夫婦で役割を分けたのだと疑われるだけではないか。
ルイは執務室を出た。
マリーの部屋へ向かう。
⸻
テュイルリー宮殿。
夜。
宮殿の廊下は静まり返っていた。
壁に取り付けられた蝋燭の炎が、弱く揺れている。
遠くで衛兵が歩く音。
窓の外を吹く風の音。
それ以外には、何も聞こえない。
マリー・アントワネットは、侍女を下がらせた。
「今夜は、もう休みます。」
「かしこまりました。」
侍女は一礼し、部屋を出た。
マリーは扉が閉じたことを確認すると、内側から鍵を掛けた。
部屋の中央には、小さな暖炉がある。
赤い炎が静かに揺れていた。
その前には、一つの木箱が置かれている。
マリーは床へ膝をついた。
震える手で鍵を差し込み、ゆっくりと蓋を開ける。
中には、何十通もの手紙が収められていた。
ウィーンから届いたもの。
兄であるレオポルト二世から届いたもの。
オーストリア宮廷にいる親族や知人から届いたもの。
そして。
マリー自身が送った手紙の控えも、何通か残されていた。
すべてが政治に関係する手紙ではない。
子どもたちの健康について。
宮殿での生活について。
母マリア・テレジアの思い出について。
家族の結婚について。
季節の挨拶。
病気への見舞い。
本来ならば、国民議会が読むべきものではない手紙も多かった。
だが、その中には。
フランスの政治状況。
教会財産の国家管理。
神官への宣誓。
サン=クルーで群衆に外出を妨げられたこと。
ピルニッツ宣言。
王家の安全。
そうした問題に触れた手紙もあった。
マリーは一通を手に取った。
ピルニッツ宣言が出される前、レオポルトから届いたものだった。
『妹よ。』
『あなたと子どもたちの安全を案じています。』
『しかし、外からの拙速な行動は、かえってあなた方を危険にする可能性があります。』
『私は他の君主たちと協議を続けます。』
『もし本当に差し迫った危険があるならば、曖昧ではない言葉で知らせてください。』
マリーは、その一文を何度も読んだことがある。
差し迫った危険があるならば知らせてほしい。
その言葉が、彼女にとって小さな希望だった。
パリで何が起きても。
最後には兄が助けてくれる。
国境の外には、自分と子どもたちを守ろうとする者がいる。
そう信じることができた。
別の手紙を取る。
それは、マリー自身が兄へ送った手紙の控えだった。
『私は、国王ほど国民との和解を信じることができません。』
『宮殿の外で大きな声が上がるたび、再び群衆が押し寄せてくるのではないかと恐れています。』
『兄上が我々を見捨てていないことを、どうか示してください。』
軍隊を送ってほしいとは、直接書いていない。
フランスへ侵攻してほしいとも書いていない。
だが。
兄へ圧力を維持してほしいと望んでいたことは、否定できなかった。
別の手紙には、さらに危険な言葉があった。
『外国の軍隊が国境から遠ざかることが、我々の安全につながるとは思えません。』
『フランスの者たちが、王家には国外にも味方がいると知れば、軽率な行動を控えるのではないでしょうか。』
マリーは、その一文を見つめた。
家族を守るために書いた。
外国へフランスを征服させるためではない。
革命を血によって潰すよう求めたわけでもない。
だが、議会でこの一文だけが読み上げられれば。
王妃が外国軍の威嚇を求めた証拠になる。
新聞へ載れば。
『王妃、オーストリア軍による圧力を要請。』
そのような見出しが付けられる。
ルイが議会で述べた言葉も思い出した。
『私が知る限り、王妃は皇帝へ軍事援助を求める手紙を送っていない。』
ルイは嘘をついていない。
本当に知らなかった。
だが、この手紙が見つかれば。
国民は、ルイが知らなかったという説明を信じるだろうか。
夫婦で相談し。
国王は表向き介入を拒み。
王妃は秘密裏に外国の圧力を求めた。
そのような陰謀として語られるだろう。
マリーは手紙を胸へ抱いた。
「もう遅いわ。」
小さく呟いた。
⸻
昼間。
国民議会は、調査委員会の権限を広げることを決めた。
新しい委員会を設置したのではない。
国王の親書と外国軍の動きを調べていた委員会へ。
王妃とオーストリア宮廷との連絡についても、政治に関係する文書の提出を求める権限を与えた。
ルイは、自分には何も隠しているものがないと話していた。
その言葉に、嘘はない。
だが。
マリー・アントワネットには、隠しているものがあった。
兄から届いた手紙。
自分から送った手紙の控え。
外国軍に守ってもらいたいという願い。
国民との和解を、夫ほどには信じていないという言葉。
どれも、夫を裏切るために書いたものではない。
家族を守りたかっただけだった。
しかし、意図がどうであれ。
紙の上には言葉が残っている。
そして言葉は、一度他人の手へ渡れば、書いた者の意図から離れていく。
ルイの親書が、軍事介入を拒む内容だったにもかかわらず。
「国王が外国へ救援を求めた証拠」として語られたように。
マリーの手紙も。
どのように使われるかは分からない。
⸻
マリーは暖炉の前へ膝をついた。
一通目を手に取る。
子どもたちの健康について書かれた、何の政治的意味もない手紙だった。
それでも、同じ箱に入っている。
調査官が箱を開ければ、すべてを持っていくかもしれない。
彼女は手紙を炎へ近づけた。
指先が震える。
紙の端へ火が移った。
炎は、最初は小さかった。
やがて便箋の端を這い、文字を飲み込み始める。
紙はゆっくりと黒く縮れた。
母国の言葉。
兄の筆跡。
遠く離れた家族とのつながり。
そのすべてが赤い炎へ包まれる。
マリーは燃える紙を暖炉の中へ落とした。
やがて灰になった。
「ごめんなさい、お兄様。」
二通目。
三通目。
炎は、次々と秘密を飲み込んでいく。
子どもの成長を伝えた手紙。
宮殿での孤独を訴えた手紙。
教会改革への不安を書いた手紙。
兄からの忠告。
オーストリア宮廷から届いた情報。
ピルニッツで各国がどのような姿勢を取ったのかを伝える報告。
軍事機密と呼べるほど具体的な情報はない。
部隊の数も。
進軍の日付も。
作戦も書かれていない。
それでも、王妃とオーストリア宮廷が連絡を取り続けていた証拠にはなる。
一通燃やすたび。
胸の奥にあった支えが、一つずつ消えていく。
外国に味方がいる。
兄が自分を見捨てていない。
最後には助けてもらえる。
そう信じるための手紙だった。
マリーは泣きながら、次の一通を炎へ入れた。
⸻
そのとき。
扉が静かに叩かれた。
マリーの身体が強張る。
「王妃様。」
侍女の声だった。
「どうしました。」
声が震えないよう努める。
「国王陛下がお探しです。」
マリーは慌てて、残った手紙を木箱へ戻した。
蓋を閉める。
「今、どちらに。」
「王妃様のお部屋へ向かわれております。」
マリーの顔から血の気が引いた。
「少し待ってと伝えて。」
「かしこまりました。」
侍女の足音が遠ざかる。
マリーは安堵の息をついた。
だが、時間はない。
ルイが来る。
木箱を隠さなければならない。
残った手紙を処分しなければならない。
マリーは再び蓋を開けた。
手紙を一通ずつ確かめる余裕はなかった。
束のまま取り出し、暖炉へ入れようとする。
しかし、一度に入れれば炎が弱くなる。
燃え残るかもしれない。
彼女は数通ずつ取り出し、火へ入れた。
紙が重なり。
煙が上がる。
部屋に、焦げた紙と封蝋の匂いが広がった。
窓を開けようとしたが、外から煙を見られるかもしれない。
マリーは暖炉の前で、便箋が燃え尽きるのを待った。
⸻
最後に残った一通。
レオポルト二世から届いた親書だった。
マリーは、何度もそれを読み返してきた。
兄は、すぐに軍を動かすとは書いていない。
他国と足並みを揃える必要がある。
オーストリアだけで、フランスとの戦争を始めることはできない。
ルイが説明したとおりだった。
それでも、最後の部分にはこう書かれていた。
『あなたと子どもたちを見捨てることはありません。』
その一文が、マリーを支えていた。
パリで孤立しても。
国民から疑われても。
新聞から罵られても。
兄だけは、自分を妹として覚えている。
マリーは親書を胸へ抱き締めた。
「私は。」
「ただ家族を守りたかっただけ。」
声が震えた。
「夫を。」
「子どもたちを。」
「誰にも殺されたくなかっただけ。」
涙が一滴、便箋へ落ちた。
「でも今は。」
「この手紙が、皆を危険にする。」
兄からの手紙が見つかれば。
ルイも疑われる。
王妃を通じて、国王もオーストリアと連絡を取っていたと考えられる。
ルイが議会へ示した親書も、偽装だったと言われる。
外国軍を拒絶した言葉も、表向きだけだったと疑われる。
マリーは、便箋を炎へ近づけた。
手が止まる。
燃やしたくなかった。
これを燃やせば。
自分が外国に残していた、最後の逃げ道まで消えるように思えた。
だが、廊下から足音が聞こえ始めた。
ルイが近づいている。
マリーは目を閉じた。
そして。
手紙を炎へ入れた。
紙の端が赤くなる。
文字が黒く崩れる。
『見捨てることはありません。』
その一文が、炎に飲み込まれた。
マリーは最後まで見届けた。
紙は灰になった。
⸻
扉が叩かれた。
「マリー。」
ルイの声だった。
マリーは急いで涙を拭った。
木箱が空であることを確認する。
蓋を閉じ、暖炉の横へ寄せた。
部屋に残る煙を散らすため、火かき棒で薪を動かした。
炎が大きく上がる。
「今、開けます。」
マリーは扉へ向かった。
鍵を外す。
扉を開けると、ルイが立っていた。
「待たせてしまったわ。」
「いや。」
ルイは部屋へ入った。
すぐに暖炉を見る。
炎が普段よりも大きく燃えている。
「今日は、随分と火が強いな。」
マリーの胸が跳ねた。
「ええ。」
「少し寒かったものですから。」
「そうか。」
ルイは何も疑わない。
「身体を冷やさないように。」
それだけ言って、暖炉の側の椅子へ座った。
マリーも向かいへ座る。
暖炉から上がる熱が、頬へ当たる。
ルイは、何から話すべきか迷っているようだった。
「今日。」
やがて口を開く。
「議会で、調査委員会の権限が広げられた。」
「聞きました。」
「君とオーストリア宮廷との手紙についても、政治に関係するものは提出を求められる可能性がある。」
マリーは膝の上で両手を握った。
「家族への手紙まで読むつもりなのですか。」
「すべてではない。」
「軍事や外交に関係するものだけだ。」
「誰が、どこまでが家族の話かを決めるのです。」
「分からない。」
ルイは正直に答えた。
「私は、具体的な証拠もなく君の部屋を捜索することには反対した。」
「議会も、任意の提出を求めるところまでしか認めていない。」
「任意。」
マリーは小さく繰り返した。
「出さなければ、隠していると疑われるのでしょう。」
「ああ。」
ルイは否定しなかった。
「だから、先に君へ聞いておきたい。」
マリーの呼吸が浅くなった。
暖炉の中で、紙の灰が崩れる。
「兄君やオーストリア宮廷との間で。」
ルイは言葉を選びながら尋ねた。
「軍隊の介入について書かれた手紙はあるのか。」
長い沈黙が流れた。
「軍隊を送ってほしいと書いたことはありません。」
それは、完全な嘘ではなかった。
マリーは、直接的に軍隊を送ってほしいとは書いていない。
「兄君から、軍を動かすという手紙は。」
「ありません。」
それも嘘ではない。
レオポルトは、他国と共同歩調を取る必要があると書いていた。
すぐに進軍するとは書いていなかった。
ルイは小さく息を吐いた。
「そうか。」
マリーの胸が締めつけられた。
「あなたは。」
「私を疑っていたのですか。」
「疑いたくなかった。」
「ですが、尋ねた。」
「ああ。」
ルイは俯いた。
「議会で、君が手紙を送ったのかと聞かれた。」
「私は、知る限り送っていないと答えた。」
「君が外国の介入へ期待していることは、隠さなかった。」
「だが、実際に軍隊を求めた手紙が出てくれば。」
「私は国民へ嘘をついたことになる。」
マリーは、暖炉の炎を見た。
「あなたは嘘をついていません。」
「本当に何も知らなかったのですから。」
ルイは、その言葉の不自然さに気づかなかった。
あるいは。
気づきたくなかったのかもしれない。
「もし。」
ルイが続ける。
「君が兄君へ、恐怖や不安を書いた手紙があるなら。」
マリーの身体が強張る。
「それだけで犯罪になるとは思わない。」
「君が家族を守りたいと思ったことも。」
「兄へ助けを求めたいと思ったことも。」
「私は議会へ説明する。」
「隠すよりも、先に出した方がよい。」
「どのような言葉でも。」
マリーが尋ねた。
「私を守ってくれますか。」
「軍事機密を渡した。」
「外国軍へフランスを攻撃するよう求めた。」
「そのような手紙でなければ。」
ルイは答えた。
「君が怖かったことを、罪にはさせない。」
マリーは泣きそうになった。
言えばよかった。
今なら、まだ話すことができた。
兄から届いた手紙。
自分から送った返事。
国外に味方がいると示してほしいと求めたこと。
外国軍が国境から遠ざかることが、安全につながるとは思えないと書いたこと。
すべて話せば。
ルイは怒るだろう。
議会も疑うだろう。
それでも、手紙を燃やしたことよりはよかったかもしれない。
だが。
もう手紙は灰になっている。
今さら告白すれば。
なぜ燃やしたのかと尋ねられる。
証拠を隠滅したと思われる。
実際、そのとおりだった。
「そのような手紙は。」
マリーは言った。
喉が締めつけられる。
「ありません。」
ルイは静かに頷いた。
「分かった。」
それ以上、追及しなかった。
「今日は疲れただろう。」
「ええ。」
「早く休んだ方がよい。」
ルイは立ち上がった。
マリーは、その横顔を見つめた。
自分を信じようとしている顔だった。
疑う理由があっても。
議会から調査を求められても。
妻の言葉を信じようとしている。
そのことが、胸を締めつけた。
(あなたは、本当に何も知らないのね。)
マリーは心の中で呟いた。
ルイは扉の前で振り返った。
「マリー。」
「何です。」
「私は、君を議会へ差し出すつもりはない。」
「ですが、国家を欺く手紙があるなら、隠すこともできない。」
「ああ。」
「だから。」
ルイは苦しそうに言った。
「何か思い出したことがあれば、委員会に聞かれる前に私へ話してほしい。」
マリーは微笑んだ。
「分かりました。」
ルイは部屋を出た。
扉が閉まる。
足音が遠ざかっていく。
マリーは笑顔を保つことができなくなった。
その場へ崩れるように座り込む。
口元を押さえ、声を殺して泣いた。
⸻
暖炉の中では。
最後の灰が、静かに崩れていた。
燃えたのは、紙だけではない。
兄が自分を助けてくれるという、王妃のわずかな希望。
夫へすべてを話せるという信頼。
そして。
調査委員会が、何も見つけられないまま終わる可能性だった。
パリで手紙を燃やしても。
マリーが兄へ送った原文は、ウィーンに残っている。
兄から届いた手紙を燃やしても。
オーストリア宮廷には、作成された控えが残っている。
炎が消したのは。
テュイルリー宮殿にあった証拠だけだった。
国境の外では。
同じ言葉が、まだ紙の上に残されていた。




