[あとがき 執筆の裏話の漫ろ書き(エッセイ)] 30分間で「キャラ設定」「全体ストーリー」「重要場面の詳細」を創作し、その後の肉付け。
各エピソードや、各場面をピックアップして、漫ろ書きの体をして、裏話を書きます。
重い本編の後に、軽く読み流してください。
私自身が小説の素人ですので、他人へのアドバイスにはなりません。「ご笑納ください」ならぬ「ご笑読ください」の気持ちです。
○ 執筆の発端
○ 音楽を物語りの道具として
○ 登場人物のキャラ設定
○ 登場人物の恋愛事情
○ 夏目漱石などの話題
○ 舞台演劇などメディアミックスに向けて
○ 執筆の発端
この作品を書くきっかけは、アニメ『アオのハコ』でした。第1期、第2クールの、エンディングテーマ『コントラスト』(TOMOO)の、蝶野雛(ちょうのひな)から、発案しました。
アニメ『アオのハコ』をご存知でない方のために、ネタバレしないように『ユニゾンと横恋慕』に関係する箇所だけを記すと、こうなります。
・猪股大喜(いのまたたいき)は高校1年生。幼馴染の蝶野雛(ちょうのひな)も、同じく高校1年生。
・鹿野千夏(かのちなつ)は高校2年生。
・3人共、それぞれ別の部活でスポーツをしていて、部活を頑張るために、恋愛を控えているらしい。
・猪股大喜は鹿野千夏が好き。鹿野千夏は猪股大喜を好きなのか、明言していないので、二人は付き合ってはいない。
・蝶野雛は猪股大喜が好き。告白が遅れているうちに、失恋する。
このアニメを知ったのは、夜中の再放送でした、幸いなことに、何度も再放送をしてくれたので、飛び飛びながらも視聴ができました。
深夜にテレビを見る生活ではないので、第1話から全話を通して順番に視聴することはできませんでしたが、いつの間にか「飛び飛びながらも、きっと全話を視聴した」ような気持ちでした。
『コントラスト』を聞きながら、画面では、幼馴染の蝶野雛(ちょうのひな)が多く描かれていることに気付きました。静止画では、目の光沢が大きい。そこで、ふと思ったのは、「多くのアニメでは、恋が成就する過程を描いている」です。
相思相愛の1対1の男女なら成就する。ご都合ハーレムや、逆ハーレムも含め、複数の恋人候補がいたら、誰かに決めないまま終わる。そんな作品が多い気がします。
失恋する人がいない、または、失恋する人をやんわり無視する作品が多い気がします。
もしも、アニメ『アオのハコ』の蝶野雛を主人公にしたら、どうなるのだろう?
そう考えているうちに就寝時間になりました。眠りに就くまでの短い時間で、以下のことを考えました。
・男女の幼馴染の高校生。男Aと女Bがいる。女Bは男Aに恋をしているが、告白が遅れた。そのせいで、男Aは別な女Cを好きになる。
・もし、男Aと女Cが付き合うと、女Bは失恋であり、横恋慕になる。なぜなら、恋人同士なら「1対1」で互いに独占するのが、現代日本での文化だから。少なくとも、表向きは。
・だったら、よくあるハッピーな話ではなく、かなしい話になるな。
・単なる仲間同士なら、そのメンバーになるための理由の説明が煩わしい。部活なら登場人物が集まる理由になる。軽音楽部なら高校生のバンドだから、メンバーの増減が厳しい、離脱を抑制する理由にできる。
・タイトルが「横恋慕」だけなら寂しいな。何かの造語にしようか。音楽用語に「ユニゾン」があったな。だったら、音楽を用いた話にしようか。
・めでたく『ユニゾンと横恋慕』のタイトルが決まった。この段階では仮のタイトルでしたが、現在まで続いています。
・小中学校と比較し、高校は校区が広いので、町内バンドでは無理がある。幼馴染でないならば、高校が初対面になるだろう。
・息がぴったりのユニゾンは、ジャズのピアノトリオではピアノとベース、軽音楽部ならドラムスとベースかな。
・ライバルにするのだから、ベースとギターなら似ている。これを女Bと女Cにして、ドラムスを男Aにしよう。ベースとギターは似て非なるものだから、音楽に詳しくない読者には丁度いい謎解きにも使える。
・登場人物の名前は、私のスターシステムで、男Aを「タク」、女Cを「メイ」にしよう。この2人は、スターシステムで使うことが多い。女Bは「小夜」、ふざけた男の「ショージ」も出そう。
・俯瞰する女の「ヤッ子」の配役は未定。
・タクのドラムスと、メイのベースがユニゾンする。そこに、小夜が「横恋慕」として加入するのだが、こじつけの理由ではなく、必然的なものにしたい。
・アニメ『アオのハコ』では、スポーツの部活で努力することが用いられていたな。『ユニゾンと横恋慕』は短編だから、努力と成長は無しだ。その代わり、軽音楽部なら文化祭だな。ここで「公開大失恋」を結末にしようか。
・いきなり大失敗では不自然だ。一度は告白して、その場で失恋して、泣きながら逃げるようにしよう。単に男Aのタクに断られるのなら面白くない。告白に失敗することを、対話でするためには、女Bの小夜には、女Cのメイの悪口を言わせよう。
・その前に、タクがメイと仲良くする理由は何か。そういえば、アニメ『アオのハコ』では、女が1学年上だな。メイも1学年上にしよう。
・高校生の蝶野雛にとっては、年上の鹿野千夏(かのちなつ)は、謎めいた存在に思うのだろうか。中学生にとっては高校生が、高校生にとっては大学生が、謎めいた大人に思う。
・では、女Bの小夜にとって、女Cのメイを、どうすれば「謎めいた大人」になるか。キスマークを見付ける、恋愛遍歴を小出しにする。謎めいたことは、小夜を相手にするだけでなく、読者にも小出しにしよう。
・アニメ『アオのハコ』の第2クールのエンディング曲では、蝶野雛が紅潮した顔で、上目遣いでこっちを見る絵は無いのに、その場面が何度も思い出されるのは、眠ろうとしている時だからかも。
・女Bが上目遣いで、男Aを見るのは、どんな状況か。いきなり、そんな角度で見るのはおかしい。相手の目を見られない状況、まずは相手の顎を見る、その後、目を見る。これで上目遣いになる。
・相手の目を見られない状況とは、女Bが辛い状況だな。恋が主題だから、恋で辛い状況とは、告白して失恋だろう。
・小夜の苛立ちを高めるために、ふざけた男を出そう。メイのアクティブな性格が、一発でわかるように、ベースギターを弾きながら校内を歩き回る。
・音楽用語は、音楽に詳しくない人にもわかるように、本文内で記そう。
眠ろうとしていたので、どこまでがこの時に思い浮かんだのか、今となっては覚えていませんが、きっと、こんな感じでしょう。
その後、少しの肉付けをして、「構想段階の未完成状態」を明記しておき、短編で発表。更に肉付けをして、短編のまま加筆しているうちに、文字数が多くなり、改めて連載物に変更しました。
連載物にした後も、加筆を繰り返し、エピソードの位置を移動したり、各話のサブタイトルを変えたりしました。その当時の原稿は残っていませんので、どなたかが保存していたら、それは「小説が組み上がって行く過程」です。
現在の7話にするために、各話の終わりには、次話に読み進めたくなるエピソードを移動したり、新たに執筆しました。
○ 音楽を物語りの道具として
音楽を物語の道具に使うものでは、登場人物がいつの間にか楽器が上達していたり、いつの間にか楽譜を読めるようになっています。ここでは、非現実的な才能を持たない、普通の人にしよう。
と、思っていたら、部活の初日に、ショージの自己紹介の部分を書いていたら、手が勝手に「絶対音感あり」と動いていました。
ドラムスとベースが仲良くなるのは、バンドとして望ましいが、これだけで、メイがタクを好きになるのは弱い。
小夜がタクを好きになる理由も、ただの幼馴染では弱い。
女が男を好きになるのは、「好きになるきっかけ」があり、幼い頃の出来事が高校生になっても大切な思い出。だから、今も好き。そんな話はいくつかのアニメで使われています。
男と女がいれば、自然に相思相愛になっては、読者は納得しないだろう。
『ユニゾンと横恋慕』では、幼い頃の思い出を、高校生になっても覚えていて、好きなままでいることがあるのかと、メイと小夜で話しています。男女がいれば自然に相思相愛になるのは、ショージと小夜の発言を使って、否定しています。
とはいえ、自然に相思相愛になるのは、安直な逃げという非難でもないことを知らせるために、タクに「青春は恋愛すべきという固定観念か、性欲の相手を求めているのか」と発言させています。
小夜がタクを好きになるために、幼馴染以上に強い理由が欲しい。そもそも、なぜ小夜はギターを始めたのか。そこで、クラシックギターからエレキギターに変わる理由、クラシックギターを始めた理由と共に、爪で怪我させることを思い付きました。
これが、小夜にとっての、「好きになるきっかけの、幼い頃の出来事」です。メイと小夜との会話で、「好きなままでいるためには」があり、だったらタクは、気遣いができる人にしよう。
では、恋ができないメイが、タクを好きになる理由は何か。部活動で会うだけの二人に、とんでもない事件は不自然。だったら「生身の人間と気付く」なら、どうだろう。恋ができないメイが、タクを生身の人間と思う。
テレビ番組『漫道コバヤシ#118』で、アニメ『九龍ジェネリックロマンス』の原作者の眉月じゅんが出演した回を、思い出しました。
番組内で、『九龍ジェネリックロマンス』の登場人物の鯨井Bが、工藤発を好きになったきっかけを、眉月じゅんが話した時、とても納得しました。
『ユニゾンと横恋慕』で、恋ができないメイがタクを生身の人間と思うのは、もしかすると、『九龍ジェネリックロマンス』の鯨井Bが工藤発を好きになったきっかけと、似ているのかも。
○ 登場人物のキャラ設定
アニメ『アオのハコ』では、蝶野雛(ちょうのひな)が猪股大喜(いのまたたいき)に告白します。その場面を、そのまま使うことは、自他共にできません。
なぜなら、『ユニゾンと横恋慕』は、アニメ『アオのハコ』の二次創作でもなく、パロディでもないためです。アニメ『アオのハコ』には、発案のきっかけになったことを感謝して、それ以上に甘えてはいけないと思ったからです。
なぜ小夜はタクに告白していないのか。理由は単純で、恋だから。しかし、小夜が告白に二の足を踏むうちに、失敗してしまい、とんでもないタイミングで告白してしまう。
そうだ、蝶野雛が上目遣いでこっちを見る絵があったな。女がかわい子ぶって上目遣いをすることはありますが、蝶野雛はかわい子ぶってはいない。
小夜がタクを上目遣いで見るのは、最初は目を合わせられずにタクの顎を見て、顔の角度はそのままで、目だけを上げると、上目遣いになる。これも、かわい子ぶっているのではない。
この時、小夜は告白の失敗の涙で「すごいブスになっている」と自覚している。
やった、これで蝶野雛の上目遣いを、小夜の必然にできた。
スターシステムとは、手塚治虫の漫画の登場人物である、ヒゲオヤジ(伴俊作・ばんしゅんさく)など、手塚漫画の様々な作品に登場して、見ただけでキャラ説明が不要という、特殊な登場人物を使う手法です。
私は、主人公を含めて、登場人物の多くがスターシステムになっています。というより、基本のキャラ設定があれば足りますし、登場人物を多くするのが苦手なためです。
漫画なら「見ただけで、キャラ説明が不要」にできますが、小説では不可能です。そのため、ここでのスターシステムは、単に「名前を考えるのが面倒だ」という自己都合です。
第1主人公をメイ、第2主人公をタクとすることが多い。
「タク」と「メイ」は、別作品の『ガクテン』では「ハル」「ミッツ」にしました。
せっかくのスターシステムなのに、名前を変えたのは、『ガクテン』は「アニメで楽譜の読み書きを説明する」が主目的で、登場人物を覚える手間を少なくする気遣いです。
『ガクテン』では、中学生の登場人物を、愛称の「ハル」「ミッツ」で呼ぶことが多く、教師が姓の「早坂」「蜜霧」と呼ぶと、誰のことかが思い出しにくい。
そのため、「ハル」「ハヤサカ」は「ハ」で始まる、「ミッツ」「ミツキリ」は「ミ」で始まるというようにしました。これで、いきなり姓で呼ばれてもアニメの視聴者の迷いが少ないようにしました。
『ユニゾンと横恋慕』のメイと小夜は他人ですが、別な作品では小夜が姉、メイが妹のこともありました。不貞でもないのに、小夜は歓迎されて生まれ、メイは歓迎されずに生まれて、同じ家庭内で育てられ方が異なり、メイは19歳で死にます。
スターシステムの余談ですが、『ドラえもん』『キテレツ大百科』『名探偵コナン』のように、レギュラー出演する仲間には、それなりのパターンがあるようです。私のスターシステムでは「メイ」「タク」「その他」が定型です。
メイに言わせようとして、思いとどまったセリフがあります。人通りが極めて少ない階段裏で、小夜との対話の場面です。
小夜が泣いて、タクにもたれているのを見たと、小夜に言った後、タクから撫でられたり、肩を抱かれたことが無いという話題の中で、なぜなのかという理由は述べていません。
理由は、メイといえども、そこまで言えるのは、超人的なことだからです。
この物語に「超人」はいないという理由以外には、主題から逸れるため「主題がぼやける」となる、当該の節が長くなること、メイの謎を増やすべきではないと考えたためです。
他人との身体接触に関する感度と、親への依存とは、いくらかの関係性があります。しかし、「依存しているから接触をいとわない、依存していないから接触に慎重になる」といった曖昧なことを、メイが小夜に説明するのは、キャラに合わないと考えたためです。
もうひとつ、メイに言わせなかったセリフがあります。同じく、人通りが極めて少ない階段裏で、小夜との対話の場面です。
小夜は、自分が選んだ相手にだけ「許可する」のは、「恋愛感情よりも、もっと強い感情で好きです」と告白しているように、「愛の続きに性欲」としています。
タクは、メイを好きなのは「性欲の相手を求めているのか」自身でもわからないことを、小夜に言っています。
メイが「恋ができない」のに、複数の相手がいることに小夜はとまどい、「愛が無く、快楽だけを」と推測します。
これらのことから、メイが小夜に言わせようかと考えながら、言わせなかったセリフは、これです。
「セ……の快楽は、愛で着飾って、いや、愛が快楽を包み隠している。「着飾り」を「嘘」とは言わないし、「薄っぺらい」とも言わない。快楽の内側、単なる気持ち良さの次には、着飾りではない愛があると思うよ」
○ 登場人物の恋愛事情
アニメ『アオのハコ』のエンディングでは、『コントラスト』の「♪何の気なしに優しい」で蝶野雛が一人で踊ります。微笑みでありながら、その心情はどうなのだろう?
蝶野雛は、失恋を乗り越えてさっぱりしたように、精一杯の気丈な振舞いのようです。
小夜なら、どうだろう? きっと、最悪のタイミングで告白して失恋した日も、文化祭が終わった後も、誰かに強がりのような微笑みは見せないだろう。小夜はまだ、捕獲網でもがく苦しみの気持ちの中にいるから。
では、アニメ『アオのハコ』のエンディングのような、美しくもかなしい「一人で」の場面は、小夜には無いのだろうか。小説媒体であるから、心情を書くことはできます。心情を描かなければ、せっかくの小説媒体が勿体無い。
そこで、小夜の「一人で」の場面として、文化祭の前夜を設定しました。そこでは、「秘かに涙が出る」として、常夜灯を薄目の隙間から涙を通して見える形を「尖った万華鏡」としました。美しくもかなしい「一人で」です。
昼間にメイに言いった「許可」という言葉を、この場面でも使いました。小夜にとっては、「チャンスがあるからする」ではなく、「この人にだけ許可する」ですから。
というのは、『ガクテン』では、不同意の行為の加害者は「お前も気持ちいいんだろう」と言うが、「くすぐられたら、厭でも笑ってしまう」と反論しているからで、小夜にとってはタクにだけ許可するためです。
タクとショージという、異なった人格の男が登場します。この性格の違いは何なのか?
『ユニゾンと横恋慕』の主題は、失恋する側の小夜ですので、タクとショージの生い立ちは執筆していません。主題から逸脱したエピソードは、読者に負担を強いるので。そのため、これは裏話です。
タクは友達が多く、女の子との交流も多く、そのために、友達から多くの情報を得ている。調べても得られない「個人の工夫や、失敗」の話なども知っている。ショージは知らない。
では、タクとショージに、交友関係の差ができた理由は何か。
タクは親から、「相手の気持ちがわかる人になりなさい」と教わる。その言葉だけでは、どうすればいいのか、子供にはわからない。親は「冗談の種類の中で、他人をからかったり、悪口に変わりそうなものは禁止」など、具体的なことを教えた。
誰かが近くを通る時、その行き先を予測すると、自分が通り道を開ければ歩きやすいだろう。それは、自分の資産を渡すのではないから「損をした」ではない、ちょっとした気遣い。
この、小さな工夫を種とすることで、「相手の気持ちがわかる人」に進むことができ、人付き合いができる人生に続く可能性が高くなる。
なぜ親は「悪口に変わりそうなものは禁止」という否定の指示をしたのか。それは、子供に「相手の気持ちが」ならその方法が難しく、日常会話やテレビで接する「他人をからかう冗談」なら真似しやすいため。
「本当に相手を気遣う気持ちがあるのならば、自然と、どのような振る舞いをすべきか、わかるはずだ」といった、漠然とした精神論を説諭することはしなかった。
大規模災害に限らず、外出先で足止めされた場合、駅などの公共の場の階段で座る日本人は、左右の両端に座り、中央部分は通路として空けて(あけて)おくことが、話題になりました。
この気遣いは「普通に日本に住んでいれば、当たり前」ではありますが、発達心理学や「すべての人に適切な教育を」の観点から、普通に日本で育てられても、教わらないでいたのが、ショージです。
「相手の気持ちがわかる人になりなさい」とは、テレパシーを使える超能力者になれという指示ではなく、階段の中央を空けて座る気遣い、誰かが近くを通る予測から道を開ける気遣い、それらを発展させることなので、子供にもやさしい指示。
ショージは、学校以外の場所で音楽を学ぶことはできたが、友達付き合いのマナーなどは、親が教えるものではなく、友達付き合いの中で自然に学ぶものだとしていた。子供だからマナーの失敗があるので、大人は叱ることで教えていました。
叱られたら「これは、禁止事項だ」と、自然にわかるはずだから、悪いことをしなくなるだろうという指導方針でした。
失敗を叱ることと、成功を褒めることは、プラスマイナスでは同じではあっても、指導の効果としては大きく異なります。しかも、叱った理由の説明もされなければ、「何が、なぜ悪いのか」もわからないのに。
タクとショージは高校生になってから出逢いました。それぞれの周囲の人は、タクと一緒にいたいと思う人数が多かった。
「人を選択する」という表現は語弊がありますが、タクにとっては小夜を含め、周囲の女に対して、恋愛対象とは思わなかった。自然に周囲にいる人達だった。多くの人の中から、恋愛対象を選べる状態です。
ショージは、気付くと周囲から人が減ります。子供をからかうのは楽しいから、周囲の大人からは「からかいで、わざと失敗するアドバイスをする」「誘発を信じて失敗するのを笑う」ばかり、大人から受けていました。
そんな扱いを受け続けたせいで、それが人付き合いの方法だと学び、それを友達付き合いで行ったせいです。
そのため、ショージは「人を選択する」といった立場ではなく、自分の技術が上がれば(かっこいい男になれば)、人気者になれると信じていましたが叶いません。
ナルシストなのは、「わざと褒めない」という環境でいたので、褒められることに飢えている、仕方が無いから自分で褒めるためです。
ふざけたことを言うと、その場にいる人が反応してくれる。電車での座り方も、混んでいる時と空いている時では異なるといった場所柄を教わらなかった。
だから、「この冗談は面白い」という実例があれば、場所柄が違うことに気付かず、面白がってくれない人に対して「冗談もわからない奴」と、逆恨みするようになります。
小学生、中学生、高校生と、年齢を重ねるうち、誰かから「場所柄」「気遣い」を指摘されても、そもそも教わっていないだけでなく、音楽教育と共に無理強いをされ続けていたから、無理強いが正しいという考えが基本となっています。
ショージが言動を改善しようにも、軽音楽部では、小夜からは叱られ、メイからは棘のある言葉を受け、タクの気遣いにも気付きませんでした。それ程に、根深いためです。
気付くと、周囲から人が減るのですから、ショージにとっては、軽音楽部が恋愛関係の少ないチャンスです。これを逃したくない焦りから、執拗に小夜に言い寄るようになります。
この物語に超人はいませんが、タクは高校生にしては気遣いや先読みができて、ショージはストーリーに役立たない不快なキャラであるのは、このような生い立ちの違いによります。
ショージという不快キャラにも、ショージ側の理由や考えがあります。周囲の人が「こいつは不快キャラ」とするだけではありません。
小夜が主人公のため、タクとショージの生い立ちは執筆していませんが、このようなキャラ設定をしておくことで、新たなエピソードを思い付いた時に、違和感が少なくなります。
メイの、見え隠れする男関連は、きっちりとした伏線回収をしていません。
というのは、アニメ『アオのハコ』の鹿野千夏(かのちなつ)と、大きく異なっているためでだけではありません。際どい事柄であるため、実在の人に対する心無い誤解や冤罪を避けるためです。
冤罪に関しては、『ガクテン』でイソップの狐でも書いたように、『ユニゾンと横恋慕』では小夜の失敗をタクが非難しています。
小夜にとっては、メイが少しだけ謎であっても、大きな恐怖に感じます。しかし、読者は小夜に感情移入しても、やはり読者という立場なので、少しの謎では恐怖が足りない。そこで、考察が分かれるように、わざと断片の配置にしました。
○ 夏目漱石などの話題
夏目漱石のファンや、広く文学のファン、落語のファン、マグリットや美術のファンの皆様には、申し訳ありません。虎の威を借りる狐のように、ちゃっかりと使わせていただきました。
登場人物のセリフや、登場人物にあのように言わせた作者に対して、お怒りがあるかと思います。しかし、作品として大切な箇所です。
肉付け、加筆をしながら、登場人物をもっと生身の人間に近付けるために、その他の理由から、虎の威として、お借りしました。
マグリットの『凌辱』を用いたのは、ショージの恋愛事情に適しています。小夜の「許可の相手」と、ショージの「相手がのっぺらぼう」の対比です。マグリットの『凌辱』で描かれているのは女性です。
これは、生物種で大きく異なりますが、「メスは出産と子育てにコストがかかるから、オスを吟味する」に対し、「オスはあちこちのメスにばらまく」ためです。
それを踏まえた上で、小夜に「夏目漱石の時代から、現代も続いている日本の文化」と言わせました。
小夜が夏目漱石の『こころ』を読み、マグリットの『凌辱』を見た時、メイとショージをどのように評価するか、自分の発言をどう省みるか。その時、小夜は「この絵は凌辱を表現している」と思うだろうか。
○ 舞台演劇などメディアミックスに向けて
発案のきっかけがアニメなので、最初はアニメ原作のつもりで執筆を始めて、肉付けをしていました。しかし、肉付けを続けるうち、舞台演劇が適しているのではないかと思うようになりました。
次点として実写映画、その次がアニメを想像しながら書き進めました。
無論、小説と舞台演劇では、媒体が違いますので、表現の得手不得手があります。
小説に込めた私の思いが、舞台演劇で完全再現するのは不可能です。私が期待しているのは、小説では無理だった表現が、舞台演劇で実現することです。
更に期待するのは、舞台演劇のスタッフにより、新しい物語に変わることです。スタッフのそれぞれで考察が異なるでしょうし、私が思いもしなかった考察や、別な物語になることも期待しています。
そのため、皆さんが『ユニゾンと横恋慕』が舞台化されたものを見て、「原作を借りただけで、別な物語」だったとしても、それをがっかりの理由にしないよう、切にお願いいたします。
小説だけでなく、舞台演劇にも素人の私ですから、舞台化の案はここには記しません。本編でも、小説として書くので精一杯でした。
【あとがきの終わり】




